* Intersection * <16> 「大丈夫か?って、その様子では大丈夫じゃなさそうだな」 仕事を手伝って欲しいからと崇(たかし)と共に常務室に入った梨華だったが、なぜか体から力が抜けて彼に支えてもらっていないと立っていることさえままならない。 ───今まで、怖いなんて思ったこともなかったのに…。 幼馴染みで、ずっと一緒で…優しかった巨哉(なおや)が、あんな態度を取ったのは初めてだった。 どうしてあんな…。 常務が戻って来なかったら、私はあのまま巨哉(なおや)に連れられて───。 崇(たかし)がそっと包み込むように梨華を抱きしめると、微かに体の震えを感じる。 …かわいそうに怖かったんだろうな。 蒼井 巨哉(あおい なおや)がこんなところまで来て、あのような行動に出た経緯はわからないが、少なくとも彼だって想いは崇(たかし)と同じはず。 なのに───男として、あるまじき行為に腹が立つ。 「常務…あの…ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」 やっと落ち着いてきたのか梨華が口を開くと慌てて体を離そうとするが、それを崇(たかし)が許すはずがない。 朝のキスといい、いくらあんなことがあったとはいえ、ここは会社の中。 それでも、今はもう少しだけ…。 「もう、何も言わなくていい。落ち着いたら、家まで送るよ」 「でも、手伝って欲しい仕事が」 「あのまま、君を残しては来れなかったから」 崇(たかし)の気遣いに感謝しながら、ふと思う。 さっき、梨華が咄嗟に心の中で助けを求めたのは───。 「常務、私…」 「ん?どうした」 恐る恐る、躊躇いながらも背中に回された彼女の細い腕。 「そういうことをされると」 「あっ、ごめんなさい。私、仕事の邪魔をして…」 自分でも、よくわからなかった。 『嫌いじゃないよな俺のこと』 言われても常務のことが好きなのか嫌いなのか…ただ、決して好きにはならない相手だと思っていたし、ううん、思おうとしていただけなのかもしれない。 「いや、謝ることなんてないさ。俺が言いたかったのは、そういうことをされると離したくなくなるってこと」 「え?」 「嬉しいことに君も、そう思っていてくれてるんだろうし」 「わっ、私はっ」 ───あぁ、何てことを…。 意地悪な笑みを浮かべて、梨華の顔を覗き込むようにして見ている崇(たかし)。 既に赤くなっているであろう頬を隠すように俯いたが、すかさず彼の指が梨華のシャープな顎を掴み唇が重なる。 『相変わらず、何度唇を重ねても慣れないな』と崇(たかし)は思ったけれど、それはこれからの楽しみに取っておこう。 「どうする?これじゃあ、俺も仕事になりそうにないし。だったら、家に来るか」 「じょっ、じょっ常務のいっ家?!」 「せっかくだから、愛を確かめ合おうか」などと、崇(たかし)のあまりに突拍子もない提案に動揺した梨華はズルズルとその場にへたり込んでしまった。 「大丈夫か?って、その様子では大丈夫じゃなさそうだな」 さっきは蒼井 巨哉(あおい なおや)のことで大丈夫じゃなかった彼女に今度は自分がしてどうするんだ。 しかし、こんなチャンスはそうそう巡ってくるものじゃない。 崇(たかし)は、梨華を抱き上げてソファーに座らせた。 「だっ、大丈夫のわけ、ないじゃないですかっ。じょっ、冗談きついです」 ───常務の家にだなんて…。 こんな時に冗談きついわよ。 ただでさえ、こんなふうに二人っきりでいるだけでも、心臓がドキドキして体に悪いっていうのに…。 それより、常務は今日中にやらなければならない仕事が入ったと言っていたのだから、私がいたのでは迷惑に決まってる。 「冗談なんかじゃない。俺は、いつだって本気だから」 そういう言い方が冗談にしか聞こえない梨華は、心底困った表情を見せる。 家に行くということは…彼女にだって、その先は十分に想像できる年齢だが、それはあくまでも机上でのこと。 実際、自分がどうなってしまうのか、その前にどう受け入れればいいのか、まだまだ未知の世界でしかない。 恋愛に憧れなかったわけではないし、女子校ならではの恋の話もたくさん耳にしてきたが、淡い恋心を抱いたことはあっても、本気で人を好きになるという気持ちが梨華には理解できなかった。 魂が奪われてしまうような恋、そんなものがこの世の中に存在するのだろうか? 「常務は、私のどこが好きなんですか?」 付き合って欲しいと言われても、キスされても、一番肝心な好きだという言葉は聞いていない。 その前にゆっくり話す機会もなかったのだから、仕方がないのだが。 「そうだな」 崇(たかし)は梨華の隣に腰掛けると暫く考え込んでしまった。 ───どこが好きかという質問に答えるのに、こんなに時間が掛かるものなの? なら、私は常務のどこが好きなんだろう。 ちょっと強引だけど、仕事に関してきちんと認めてくれたところは感謝してるかな。 それになんといっても、甘いマスクにはこの私でもクラっときたわけだし、あっでも顔が好みとかそういうのも好きのうちに入るのだろうか。 そんなことで人を好きになるなんて…。 外見で判断されるのが嫌だったからずっと地味にしてきたはずなのに、自分だってそんな理由で。 恋に明確な答えなんて、本当はないのかもしれなかった。 いつの間にか、その人が心の中に住み着いて側にいるだけでドキドキしたり、ふとした瞬間にその人のことを思って胸の奥がきゅんって切なくなったりするのは、きっとそういうことも含めて人を好きになるということなんだ。 それは、幼馴染みの巨哉(なおや)との間には生まれない感情。 「君のどこが好きなのか、答えるのは契約を結ぶより難しい」 「えっ…」 ───契約を結ぶより難しいって…。 いくら何でも、大げさ過ぎやしないだろうか? 「今ここで、俺が思いつく限りのどんな素晴らしい言葉を並べても、君は納得してくれないだろう?」 必死に彼女を手に入れようとしている理由。 多分というきっかけはあっても、梨華を納得させられるだけの答えは崇(たかし)にもわからない。 「こうして抱きしめて、君のその柔らかな唇にキスしたい」 再び、崇(たかし)は梨華を抱きしめると唇を奪う。 色々な要素が一つに重なり合って好きになる。 でも、今はこうして彼女を抱きしめて───。 言葉よりキスが欲しかったのは、梨華の方だったのかも。 ※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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