* November Blue * <6> 玲人の電話で気が動転してしまったあたしは、りみに後押しされるままに彼のマンションの前まで来てしまったけれど…。 ───何よ、今更っ。 っていうか、玲人は病人なのよ? こんなことを考えている間に症状はひどくなっているかも知れないのに…。 そう言い聞かせると、エントランスを抜けてエレベータに乗り込む。 彼のマンションにすんなり入ることができるのは、ここへはしょっちゅうみんなで足を運んでいたから。 一人で来るのは今回が初めてで、なんだか緊張してしまう。 ドアの前に立つと杏は一呼吸してからブザーを押したが、何度かそれを繰り返しても応答がなく、急に不安になってきた。 ───玲人ったら、何で出ないのよっ! そんなにひどいわけ? だったら、あたしなんかに電話を掛けてないで、救急車呼びなさいよっ!! 心配も今は苛立ちと憤りに変わってくる。 そんな時、ドアホンから小さな声が聞こえてきた。 『はい…』 「玲人?大丈夫なの?」 『杏…』 「いいから、早くドア開けてっ」 カチャという音が鳴ったのと同時にドアを勢いよく開けて、急いで中に入る。 なまじっか広い家というのは、こういう時に困るというか…。 ───ったく、長いのよっ廊下が!! 文句を言いながらリビングのドアを開けると、「玲人っ」と大きな声で叫ぶ。 「玲人っ、大丈夫!!しっかりしてよっ。玲人っ」 フローリングの床に横たわっている玲人を見て、杏は心臓が止まりそうになった。 すぐに駆け寄って彼の上半身を起こし、自分の膝の上に乗せる。 体に触れたたけでもその熱を感じたが、額はそれ以上に熱い。 「やだっ、すごい熱。何で、病院に行かないのよっ!あたしに電話を掛けてる場合じゃないでしょっ!!」 病人に向かって怒っている場合ではないが、ここは怒らずにはいられない。 ───もしものことがあったら、どうするの。 自分のことだけじゃなく、従業員だっていっぱい抱えている会社の社長なのよ? それにあたしだって…。 「そんなに大声を出さなくても、聞こえてるって」 「だってぇ…こんなになるまで、放っておくから」 「俺はそんなに柔な人間じゃないぞ?これくらいで」 「これくらいでってねぇ。だったら、何であたしを呼び出したのよ」 『ごめん、風邪ひいたみたいで…熱が下がらないんだ。頼む、杏悪いけど来てくれないか…顔が見たい、逢いたい───』 ───こう言ったのは、自分じゃない…。 「さっきは、本気でヤバイと思ったんだ。でも、杏の顔を見たら元気になった」 「何それ、そんなわけないでしょ?早く、横にならないと」 「もう少しこのまま…杏に膝枕なんて、二度としてもらえないだろうから」 「はぁ?」 「何言って」と杏は思ったが、次に出てきた言葉は自分でも驚いた。 ───あたしが、こんなことを言うとは…。 「膝枕なんていくらでもしてあげるわよ、別に減るもんじゃないし。あっ、でも言っとくけど、こんなことするのは玲人限定だからね?」 「ほんとか?っていうか、当たり前だ。俺以外の男にしようものなら、そいつをボコボコにしてやる」 玲人のことだから、本当にしそうで怖い。 だけど、こんな暢気な話をしてる場合じゃないんだから。 早く、ベットに寝かさないと。 「そんなことより、早く横になって。余計、ひどくなっちゃう。薬は?もう、飲んだの?食事は?」 「あぁ、薬は飲んだけど、何も食べてない」 「ダメじゃないっ、何も食べてないなんてっ」 「そんなに怒ってばかりだと、シワが増えるぞ?」 「玲人っ!!」 「はいはい」ってねぇ…。 ───病人なんだから、もっとおとなしくしなさいよ。 まったく、口ばっかり達者なんだからぁ…。 でも、良かった…。 これだけ、悪態をつけるのだから大丈夫よね? 玲人の腕を自分の肩に掛けると、抱えるようにして寝室のベットに運ぶ。 熱のせいなのか、フラフラと足物がおぼつかない。 食事も取っていなければ、治るものも治らないのに…。 「熱は?ちゃんと測ったの?」 「電話する前に計った時は、38度後半だったけど」 「そんなに?だったら、もう一度、測って」 サイドテーブルの上にあった体温計でもう一度熱を測ってもらっている間に、杏は自宅から持って来た冷却シートを玲人の額に貼り付ける。 「何だよ、いきなり。冷たいなぁ」という玲人の声が聞こえたが、この際“無視”。 とにかく、熱を下げないことにはね。 暫くしてピッピッピッという音が鳴り、体温計の表示を見れば38.8度。 こんなにあれば、フラつくでしょうが。 「おかゆ作るから、少し眠って」 「梅干はいらないから」 「何、言ってるのよ。うちのお祖母ちゃんが作った、超美味しい梅干をわざわざ持って来たのに」 杏の祖母が送ってくれた特製の梅干を玲人のために持ってきたというのに、この言い草は…。 そりゃ、玲人が酸っぱいものが苦手なことぐらい、知ってるけど…。 「知ってるだろ?俺が酸っぱいの嫌いなこと」 「大丈夫。うちのお祖母ちゃんが作った梅干は、酸っぱくないから」 「酸っぱくない梅干なんて、ないだろ?」 「あ~もうっ、うるさいわね。病人なんだから、病人らしくあたしの言うこと聞きなさい!!」 布団を頭までかぶせると玲人は何やらブツブツ言っていたが、杏はキッチンに行き、おかゆを作ることにする。 ───相変わらず何もないわね。 周りを見回しても、料理器具は数えるほどしか目に入らない。 それは、イコール女性が出入りしていないこと?!なのだろうか…。 今は、今だけはそう思いたい…。 部屋を覗くと玲人は眠っているようだったので、起こすのも悪いかなと少し時間を置いてから食事を運ぶ。 すると、ちょうど目を覚ましたところだった。 「おかゆ、作ったんだけど。気分はどう?」 「あぁ、だいぶ楽になったかも。それにお腹空いた」 上半身だけ体を起こすと、随分と顔色も良くなったようだ。 杏は、できたてのおかゆをレンゲで一口すくい、フーフーしながら玲人の顔の前に差し出す。 ───酸っぱいのも苦手だけど、熱いのもダメなのよね。 思った通りの反応に杏は、心の中でクスクスと笑いを堪える。 「え…」 「ほら」 「でも…」 「いいから、はい。あ~んして」 「なんだか、気持ち悪いなぁ」と余計なひと言を発していたが、素直に口にする。 「どう?」 「美味しい。梅干も、そんなに酸っぱくない」 「でしょ?だから、言ったじゃない」 お腹が空いていたのだろう、作ったおかゆを全部食べた玲人にホッとする杏。 「たまには、病人も悪くないな」 「え、何でよ」 「だってさ、杏におかゆを食べさせてもらえるし」 「そんなこと…こっちは、心臓が止まるくらい心配したんだから」 「ごめん。でも、ありがとう」 ある意味、玲人の言った言葉は間違っていないかも。 彼が電話をしてこなかったら、こんなふうに優しくなれなかったかもしれない。 「ゆっくり休んで、早く元気な顔を見せて」 「あぁ」 再び彼が眠りにつくまで杏は側で見ていたが、微かにリビングで自分の携帯が鳴る音が聞こえる。 ───もしかして、りみからかもしれない。 急いで電話機を手に取ると、やっぱりりみからのものだった。 「もしもし、りみ?」 『杏?玲人君、どうなの?』 「うん、大丈夫。さっき、おかゆを食べて今は眠ってる」 『そう、良かった。今ね、正と一緒なの。何かいるものとかあったら持って行くけど』 「今のところ、大丈夫。あっ、ごめん。玲人が呼んでるみたい」 さっき眠ったばかりなのにもう起きてしまったのか、彼が杏を呼ぶ声が聞こえる。 『仲良くね。強がったりしちゃ、ダメよ?』 「うん、ありがと。りみ」 電話を切ると玲人のいるところへ戻る。 また、具合が悪くなったのだろうか? 「杏…杏…」 「玲人、どうかしたの?苦しいの?」 「良かった…いなくなったと思って…」 「あたしなら、ここにいるわよ」 杏は、玲人をしっかりと胸に抱きしめる。 若いのに仕事もバリバリこなす彼が、こんなにも弱々しいなんて…。 「どこにも行くな」 「玲人…」 ───いいの?あたしが側にいても…。 「ねぇ、玲人」 「ん?」 「お揃いのマグカップを買ってもいい?あと、食器とかも」 杏の言った意味を玲人はわかってくれるだろうか? 「あぁ、いいよ。杏の好きなものを選んで。今度、買いに行こう」 「うん」 見つめ合う二人、玲人の顔が段々と近付いて…。 「痛ってぇなぁ。何だよ、いいところだったのに」 鼻を両手で押さえる、玲人。 それは、杏が思いっきり彼の鼻をひっぱたいたから。 「だって、玲人の風邪がうつるでしょ?」 「だからってなぁ…」 「思いっきり叩くことないだろう?」という玲人に、杏はニッコリと微笑んでこう言った。 「風邪が治ったらね」 ※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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