「おい。」
「わぁぁ!!! びっくりしたぁ。心臓、止まるかと思った。」
「で、こっちの心臓も止めてくれる気か。」
「あはは、ごめーん。でも、いるって思わなかったんだもん。で、なに?」
「ああ、川松さんから電話。」
「ありがとう。あと、浴槽の洗剤、流すだけ・・・」
「やっとくから、早く電話でてこいよ」
「ありがとう!」
電話の前で、楽しそうに、何かしゃべっている。シャワーでざっと浴槽の洗剤を流す。そういえば、昨日、シャンプー切れていたっけ。
「最後に使った人が、次の補充するんだよ。 はい。これで、言ったの3度目〜。」
以前、怒っているんだか、からかわれているんだかわからない口調で言われたのを思い出した。
「昨日のお礼の電話だった。あと、また、お茶とお菓子、送ってくれるって。楽しみ! って、うそっ! あなたがシャンプー補充してくれてる!」
「さすがに、4度注意されるのは、嫌だからな。それより、お前。驚くときの声、何とかならないのか?」
「だって、シャワーの音で、こっちにきたの、気付かなかったんだもん」
「でも、その叫び方じゃ、こっちの方がびっくりするだろ」
「叫び声って言わなくても・・・。うん。それは、私も、前に思ったことある。でもね。可愛くキャーって言ってみようと思って。次は、って自分に言い聞かせておいたんだよね。そしたら、ぎゃー!!になっちゃって。さすがに、女が“ぎゃー!”、じゃ・・・」
「・・・もういい。わかった」
彼女、蓉花(ようか)は、病院の窓口事務をしている。以前、勤めていた会社を辞めたところに、俺の先輩であり上司だった川松さんの奥さんから声がかかり、仕事を引き継いだそうだ。 ちなみに、その奥さんは、蓉花の友人でもある。結婚した川松さんが急に転勤になり、奥さんもついていくことになり。ちょうど暇で、たまたま医療事務の資格を持っていた蓉花に白羽の矢が立ったわけだ。
そこは、小さな個人病院で。「おじいちゃん先生」、と子供たちに呼ばれている先生には、俺も何度か世話になったことがある。看護婦さんは先生の娘で、今は3人の男の子のお母さんなんだ、と、蓉花から聞いた。
珍しく入れてくれたハーブティーを飲みながら、新聞を読む。蓉花も何かを読んでいる。ハーブティーの効能が書いてある紙らしい。ちょっと赤みの強い色。川松さんの奥さんからもらったお茶らしい。お前だったら選ばないよな、ハーブティー。「うん。これなら飲める。さすが、美味しいの知ってるなぁ。彼女は。 前に飲んだときは、ミントが強くて、苦手だなって思ったんだよね。」
そう。初めて蓉花を見かけた時、蓉花はコーヒーを飲んでいた。
「よく飲めるね。おいしい?」と、川松さんの奥さんに言ってたっけ。
「よく飲めるね。美味しい?」
「そうね。昔は私も苦手だったんだけど。ここのは好きかな。あと、通販のおまけについていた試供品を飲んでみたら美味しくて。それ以来、色々試してみて、飲めるようになったのよ」
よくあるファミリーレストラン。取引先から帰る途中に同僚と寄って、さあ帰ろうとしたと立ち上がったときに、後ろの席から、ふいに、懐かしい声がするのに気がついた。
「川松さん!ご無沙汰しています。先輩は?」
「あら。お久しぶり。あの人?置いてきた。けんかして里帰り中よ!・・・なんて、冗談。元気だった?一緒にやってた案件、彼、向こうでもやってるみたい。」
「あ、知ってます。今朝、その件で電話が来て。でも、奥さんがこっちに来てるって聞いてなかったな。」
「ふふ。だって、急に出張って言うんだもん。何日かかかるみたいだったし、だったら、私も羽伸ばしちゃおうかなって。」
「あ、すみません。突然話しかけちゃって」
突然会話に割り込んだにもかかわらず、「いいえ、お気になさらず。」と、彼女は気さくに返してくれた。楽しそうに話す子だな。
同僚も一緒だったため、そのときは、そこで別れたが、俺のことは、そのあと、奥さんから聞いたらしい。「彼、旦那と同じ職場で。よく家にも旦那に連れられて、飲みにきたんだよね。」と。
そして、そう。偶然だった。「すみません。ちょっと遅くなってしまったんですが、診て貰えませんか?」 これから先のスケジュールを思うと、風邪をこじらすわけにはいかない時期。診察が終わる間際に飛び込んだ病院の窓口に、蓉花はいた。
先生に診てもらっている間に、帰り支度を済ませていたんだろう。料金を払い、処方箋をもらうと、蓉花も立ち上がった。「私も、薬局に用事があるんです。そこまでご一緒しませんか?薬局にも、もう一人患者さんがいるので待っていてくださいって言ってありますし。」
薬を処方してもらい、薬剤師から説明を受け、支払いを済ませると、事務室らしい部屋から、蓉花も出てきた。
出口の扉を開けると、蓉花は振り返って「じゃあ、よろしくお願いします。お疲れ様でした。」と声をかけ、外に出る。帰る方向は同じようだ。
「あのあと、川松さんから、色々伺いました。」
「会社帰りに寄らせてもらって、散々ご馳走になったんです。うーん、奥さん、何話したんだろう。」
「変なことは、聞いてないですよ。いい人だよ、って言ってました。」
二人で歩く、初めての帰り道。彼女の方は、初対面に対してというよりも、少し、親しみを持って接してくれているようだった。・・・奥さん、本当に、変なこと、話してないよな?
「あ、私、ここに住んでいるんです。」
とあるマンションの玄関の前。え?ここ?
「家、近かったんですね。あ、私、川松さんの家、何度か遊びに行ったことあって。たしか、同じマンションでしたよね」
そう。道路を挟んで斜め前が俺の住む家。俺は、毎日、このマンションの前を通って通勤していた。
住んでいる場所がわかったせいもあってか、帰りの早い時間や、週末、たまに、彼女を見かけるようになった。少しずつ、会話も増え。俺にとっては、珍しく、携帯の番号や、メールアドレスの交換なんかした。そして、数日後、俺は、彼女に、こんなメールを送信することになる。
==こんばんは。得意先から、美術展の招待券を2枚もらいました。今度の週末、もし、お時間があれば、一緒に行きませんか?==
「これ、眼精疲労にいいんだって。あ、あと美肌効果も! なんだか、お肌の調子がいいのは、ハーブティーのせい?! 」
「そんなに前から、飲んでいるのか?」
「ううん。 昨日会ったときにもらったばかりだから、これで2度目?」
・・・普通、そんなに早く、効果、出ないだろう?
「お前、暗示にかかりやすいよな。」
「ええ? そんなこと、・・・あるかもしれない。」
まあ、確かに、このハーブティーは、飲みやすい。眼精疲労が回復しているかどうかは微妙なところだが、体が温まる。疲れがとれ、少しでも癒されるなら、ありがたいし。美肌効果は、俺には、どうでもいいが。
「でも、さ。あなたも、暗示、かかったよね。」
「?」
「だって、前に薬飲んだとき、変な夢見たって言ってたし。」
そうだった。そして、昔のことをいろいろ思い出すのも、あの夢を見てから。
「やっぱり、一緒にいると、そういうところも似てくるのかなぁ。」
そう言いながら、君は、飲み終わったカップを持って、キッチンへと向かった。
「さて、洗っちゃおう。うわぁ!!」
「あ、昨日の夜、洗剤も使い切ったから、補充して置いた」
「うそ。今日は雨降るよ。絶対! あとちょっとだと思って、思いっきり出しちゃった。もったいないよぉ。」
もこもこと泡の立つスポンジを手に、君は、しかめ面。
「雨降るのか? せっかくいい天気で、布団干しているのに、残念だな。」
「もう! 今日は、絶対、これ以上、いつもと違うことして驚かせないでよね! 雨どころか、雪降ると困るし。 あ、でも、雪ならちょっとうれしいかも。」
しかめ面が、早くも楽しげな顔に変わる。歌いだしそうだな。
長く一緒にいると似てくる? そうなのか? いや、どれだけ一緒にいても、そのおっちょこちょいな性格と叫び声だけは、似たくない。そう思って、さらに一口、ハーブティーを飲んだ。
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