Design
<扉を開いて>

R-18

『奈津?ちょっと、こっちに来てくれないか。ついでにコーヒーを持って来てもらえると、ありがたいんだけど』

その距離、たった数メートル。
ドア一枚隔てただけで同じ建物内にいるというのに、如月はこうやって電話を掛けて来る。
奈津が出ることをわかっているから、こちらが言葉を発する前に用件を言うのだろうが、大智が出ないという保障はないのに。
まぁ二人の関係は承知の上だし、結局、彼が部屋を出て来たとしても、最終的には奈津もくっ付いて部屋に行かなければならないのだから、手間を省く上では妥当な選択なのかも。
それでも、できれば顔を見て名前を呼んで欲しいと思うのは、我がままなのだろうか?

「わかりました。今、行きます」

そう言って電話を切ると、この事務所で一緒に働く若きクリエーター、広岡 大智(ひろおか だいち)が目で合図する。
それに溜息で答えた奈津は、コーヒーを入れるために席を立った。

この事務所に移籍してから既に半年が過ぎようとしていたが、奈津にとってはあっという間だったと言っていいだろう。
来て早々にパッケージのデザインを任され、それもあの有名なクリエーターであり、この事務所の代表でもある如月 裕二(きさらぎ ゆうじ)との対決だったとは。
負けてというか、初めから勝負になどならないと思っていたのに依頼主が最終的に選んだのは意外にも奈津のデザイン。
だからといって、せっかくデザインした如月の作品を使わない手はないということで両者が採用されたわけだが、それからの奈津の周りは一変してしまった。
今まで古谷デザイン事務所の一クリエーターでしかなかった奈津が、Design Kの小町 奈津(こまち なつ)として認められ、たくさんの依頼を受ける毎日。
決して自分を育ててくれた古谷 元(ふるや はじめ)のやり方が悪いというわけではなく、彼の元で勉強したからこそ今の奈津があるのだということを忘れてはいけないと思う。

そして、最愛の人に出逢わせてくれたことへの感謝の気持ちを…。



続 Design
扉を開いて


コンっコンっ―――

「失礼します」と奈津は、如月専用のコーヒーカップを載せたトレーを片手にドアを開けた。
彼はパソコンの画面に向かったまま、かと思えば、奈津が来るのを今か今かと待ちわびていたかのように椅子に反対向きに腰掛け、背もたれの上に両腕と顎を乗せた格好だった。
奈津がコーヒーカップをデスクの上に置こうとしたが、その前に彼がそれを受け取ってソファーに移動する。

「奈津、ここに座って」

隣の空いている場所を如月がポンポンと片手でたたく。
言われた通りに奈津が隣に腰掛けると、ローテーブルの上にあった一枚のパンフレットが目に入った。

「出してみないか」

如月が手にしたパンフレットを受け取ってじっくり読んでみると、“第5回 LIFE DESIGN CONTEST”と書いてある。
文字通り、生活の中でのありとあらゆる物を何でもデザインしてみようというコンテスト。
奈津も興味はあったが、コンテストに出品するほど自分の持っているものに自信はなかったから、せいぜいグランプリや入選した作品を参照する程度。
まだまだ、浅いコンテストではあるが、初代グランプリはというとすぐ隣にいる彼が選ばれた、最も注目の集まるコンテストだと言っていいだろう。

「これ…」
「結果うんぬんより、やってみることが大事だと俺は思う。自分の仕事で忙しいと思うけど、今の奈津なら何かいいものができるんじゃないか」
「はぁ…」

こんな返事の仕方をすると、如月にまた『欲がない』と言われそうだが、実際そうなのだから仕方がない。
出るのは簡単だけど、これがDesign Kの名を背負ってとなると話は別、最低でも入選しなければ、如月 裕二の名に傷をつけることになりかねないのだ。

「考えてくれとは言わない。これは、業務命令だ」
「えっ…そんなぁ」

この人がそんな甘いことを言うはずないと思ったけれど、業務命令となれば断ったりしたら、いや、入選しなければ、またまた“給料なし”なんて言われるに決まってる。
―――あぁ〜ん、そんなぁ…。

「つべこべ言わない」
「でも…」

如月は暗い顔の奈津の肩に腕を回して、そっと自分の胸に抱き寄せる。
一つだけあの時と違うのは、無理を言うだけでなく、こうやって優しく包み込んでくれることかもしれない。

「大丈夫、奈津の思う通りにやればいい。結果なんてものは、後から付いてくるもんなんだから」

手をこまねいては、何も始まらない。
これが如月のやり方であったし、この事務所にいる以上は彼の意思に従う義務がある。
肩に顔を埋める奈津の髪をゆっくり上下する如月の手がとても心地よくて、まるで自分が何でもできる人間のように思えるから不思議だった。
―――もしかしたら、彼にはそんな魔法が使えるのかも。

さっきまで隔たりのように感じたドア一枚が、今は二人だけの世界の扉の入口のように思えた。



「…はぁ」

如月に呼ばれて1時間ほど彼の仕事部屋で過ごし、出てきた奈津はパソコンの画面を見ながらさっきから溜息ばかり。
ほんの短いひと時だったけれど、彼の温もりを感じているとすごく幸せな気持ちになった。
だけど…。
目の前にある一枚の紙を見てしまうと、それはすぐに現実に引き戻されてしまうのだ。

「奈津さん、さっきから溜息ばかりですね。どうしたんですか?裕二さんと何か」

「あったんですか?」とはす向かいに座っていた大智は、奈津の視線の先にあったパンフレットに目を落とす。
以前は個人のデスクが数個あったこの事務所も、奈津の提案でそれを止め、中央に大きな楕円形のテーブルを一つ設置して、作業はもちろんミーティングや時には食事をしたりと多目的に使用できるように変えてあった。

「あっ、これ。もう、募集が始まったんですね。今年はどんな人が選ばれるか、僕も楽しみにしてるんですよ」

「僕もいつかは、な〜んて夢のまた夢ですけどね」と、目を輝かせて少し興奮気味の大智。
デザインに関わる者なら誰もが一度はこの賞を手にしたい、そんな憧れの“LIFE DESIGN CONTEST”。
自分がエントリーすれば、否応なしに注目を浴びるのはわかっているだけにやはり奈津には気が重い。

「だったら大智君、私の代わりに出してみない?」
「無理ですよ、僕なんて。それより、奈津さん。これで、いよいよ一流クリエーターの仲間入りですね」

大智もそれなりにコンテストに出品して賞を獲得してはいたが、LIFE DESIGN CONTESTに関しては範囲が広過ぎてまだまだ遠い存在。

「だから、私はね―――」
「すごいなぁ、一つの事務所から二人のグランプリを出すなんて」

―――いや、だから…私はまだ…グランプリってねぇ、エントリーさえ迷ってるっているのに大智君。気が早過ぎ。
そういうのがまた、プレッシャーだっていうのにぃ…。

「そうじゃなくって。もし…Dasign Kの名に傷をつけるような結果になったら」
「奈津さんは、そんなことを気にしていたんですか?」
「え?まぁ」
「裕二さんが、そんなちっぽけな男に見えますか?」

年下のはずの大智が、とても大人に見えた。
確かに例え奈津の作品が選ばれなかったとしても、如月がそのことでとやかくいうような、周りがどう騒ごうと気にするような、それこそちっぽけな人じゃないことを一番よく知っているのは奈津のはず。
『結果うんぬんより、やってみることが大事だと俺は思う』
彼の言葉は、貧欲な奈津の背中を後押ししてくれていたのだと。

「見えるわけないでしょ?」
「だったら、大丈夫です。奈津さんは、自分の思う通りにやれば。でも、僕は絶対、最低でも入選だと確信してますけど」
「そういうこと言われるのが、一番困るのにぃ」

彼女の作り出すものを見てきている大智にしてみれば、どうしたって期待が高くなってしまう。
あの如月 裕二と互角に戦える、それ以上の力を秘めている奈津が、どうしてこんなにまで弱気なのか、それが彼女らしいところなのかもしれないが、これを機にもっと自分に自信を持って欲しい。
そして、そんな二人に少しでも近付きたいと願う大智だった。

+++

「まだ、いたのか」

部屋を出てきた如月に声を掛けられて、時計を見れば既に23時を回っていたところ。
いつしかパソコンの画面はスクリーンセーバーも消えて省電力モードの設定か画面は真っ暗、用意していたスケッチブックは無情にも真っ白なままだった。

「如月さん。お疲れ様です」

「後始末は、私がやっておきますから」と奈津が言うと、彼は何も言わずに空いていた隣の椅子に腰掛けた。
さり気なく彼女の様子を観察していた如月だったが、コンテストに出す作品が上手くまとまらないのだろう。
こればかりは自分でやり遂げなければ意味はない、如月がどうにかしてあげることはできないが、あまり根を詰めて無理だけはしないで欲しい。
思うようにできなければ、今回は諦めて次回に持ち越しても構わない、そうは思っても奈津の性格上それは絶対にしないと言い切れるのは、彼女はやると決めたら逃げ出さない案外頑固だということを知っているから。

「奈津も帰ろう。ダメな時はどれだけ頑張ったって、いいものは浮かばない」
「そうなんですけど…。ここで、こうしていないと不安で」

如月の言う通り、時間を掛けても出てこないものは出てこない。
それでも、ここでこうしていることが奈津にとっては不安を取り除く一つの材料でもあったのだ。
家にいても落ち着かない、焦ってイライラするだけ。

「俺が傍にいてもか?」
「如月さん…」

そっと頬に触れる彼の手は少しだけゴツゴツしていたけど、なぜかとてもホッとできる。
その手に自分の手を重ね合わせて、静かに瞼を閉じると彼の存在の大きさを奈津は感じずにはいられなかった。

「帰ろう。といっても、俺の家にだけどな」
「え…」

「ほら、とっとと片付けろ。せっかくの夜が明けちまう」と如月は勝手に奈津のパソコンをシャットダウンして、事務所の電気を消してしまった。

彼の住むマンションは事務所の目と鼻の先にあって、さすが一流クリエーターが住む家…とは到底言い難いような極々普通の建物だった。
事務所に近いという便利さを優先したらこんなもんだと本人は言っているが、一歩中に入るとそこは如月 裕二の世界といっていいかもしれない。
彼のデザインした物、選んだ物は全てが生き生きとしていて、元気が出てくるような気がする。
たまに何だかわからない物もあったりするが、そこはご愛敬。
そして、その中に唯一…。

「これさ、俺が一番気に入ってるやつ」

そう言って、彼が手にしている物はこの家の鍵が付いているキーホルダー。
毎日使うものであっても、それほど気にも留めないというか、でも意外に使い勝手とか人それぞれにあったりするもの。
女性ならバッグの中で行方不明になってもすぐに見つけやすいよう、男性ならポケットで邪魔にならないように手に持ってもしっくりくる大きさで、おしゃれなデザイン。
奈津がデザイン画を描いて見せた時点で即OKを出した、如月が最も気に入った作品だった。
決して華やかでも目立つものでもないけれど、これがデザインをする上で一番大切なことなのだと。

「あれ以来、全然褒めない如月さんが、すっごく褒めてくれた物ですね」
「あ?そんなことないだろ」

パッケージのデザインはすごく褒めてくれたけれど、それ以外は駄目出しばかりくらっている。
本人曰く、思ってもあまり褒め過ぎると調子に乗っていいデザインが生まれないかららしいが…。

「そうですか?」
「奈津には、こういうデザインをして欲しいんだ」

彼が言いたかったこと、親友でありライバルでもある古谷 元のことを誰よりも理解し、尊敬している如月は、奈津が元(はじめ)の下で学んだことを忘れずに、でも奈津らしい作品を作っていって欲しい。
そう、野に咲く一輪の花のように凛とした。

「如月さん、それを言うために私を」

―――ここへ連れて来てくれたんだ。
忘れかけていた何か、自分の実力に一瞬でも溺れかけていた私に気付かせるために…。

「んなわけないだろ。最近、ご無沙汰だったしな。俺だって、これでも寂しかったんだ。奈津は仕事が恋人って顔してさ」

ひょいっと奈津を抱きあげて、一直線に向かう先は…。

「えっ、ちょっと如月さんっ」

―――やだっ、如月さんったらぁ。やっぱり…。
行き詰っている奈津にこのことを言うために連れて来たことは間違いないだろうが、やはりそれだけで終わるわけもなく。
もちろん、奈津だってこんなふうに言われるのは嬉しくないはずがない。
寂しいなんて素振り、これっぽっちも見せないで、なのにそんなことを言われたら…。

「ここへ来た時は、裕二って言うようにいつも言ってるだろ?まぁ、事務所で呼んでもらっても俺は一向に構わないんだけど」

暴れる奈津を如月はしっかりと抱き抱えて、雪崩れ込むように二人ベッドへ。

「奈津」
「裕二さん」

お互い名を呼び合うだけで、特別な響きに聞こえるのはなぜだろう。
すぐ目の前に彼の綺麗に整った顔が、射抜くような瞳で見つめられると全身の力が抜けて溶けてなくなってしまいそうになる。
我慢できなかったはずなのに寂しくて貪るように奪いたかった唇が、触れたら粉々に砕け散ってしまいそうな気がして躊躇うのはどうしてなのか。

「奈津、好きだ」

言ってしまえば簡単で、しかし言ってしまえば、もう溢れる想いを抑えることなどできない。
壊してしまうかもしれない、それでもどうにもならない気持ちが感情が心を支配する。

「…っぁ…っ…ん…ゆ…じ…っ…」

「…まっ…て…っ…」と途切れ途切れに発する奈津。
大事に優しくしようと思っても、如月には到底無理なことだった。
唇を強く押し付け過ぎて、歯がガチガチとあたる音が耳に響く。
自らの衣服を脱ぎ棄て、彼女の身に纏っていたものを乱暴に剥ぐときつく抱きしめた。

「…ゆ…じ…さ…っ…」

何度も何度も自分の名前を呼び続ける奈津に、熱く硬くなってる自身を沈めた。
早急過ぎるとわかっていても、一つになりたかった。

「奈津っ、ごめっ…俺…」

彼の想いは、痛いほどに伝わってくる。
だから…。

「…裕二…さ…ん…っ…私…なら…」

―――我慢しないで…。
未だに私のことが本当に好きなのか、考えれば考えるほど胸が苦しくなる時がある。
彼の言葉が信じられないわけじゃない。
でも、確信が欲しい時だってある。

「…奈津」
「好き…私だけを…」

『俺だけを見ていて欲しい』
そう言った如月だったが、これからも今もずっと奈津だけを見ていて欲しい。

想いに応えるように如月は、奈津の中で自身を吐き出した。



「奈津さん、もうコンテストの出品作品は決まったんですか?」

大智の問い掛けに元気よく親指を立てて見せる奈津。
それは今までの彼女にはないくらい、自信に満ち足りている笑顔だった。

「どうなるかは、わからないけどね」

そう言って、如月のために入れたコーヒーをトレーに載せ、奈津は彼のいる部屋のドアを開けた。
真剣にパソコンに向かっている彼のデスクの脇にトレーごと置くと…。

「おっ、奈津」

「どうしたんだ」と、如月が驚きの声を上げたのも無理はない。
背後から奈津が、彼の首に腕を回して抱き付いてきたのだから。

「ごめんなさい。ちょっとだけ」
「俺は、構わないけど」

こんな不意打ちは嬉しい限りだが、如月もこれでは仕事どころではなくなってしまう。
鍵は付いているけど、もっと厚い壁とドアにしておくんだったか…。

如月は奈津を自分の膝の上に抱き上げると、本日二度目のキスを交わす。
ちなみに一度目は、さっき大智が買出しに出ていたのをいいことに…。

仕事も恋も奥手だった奈津、これは如月が指導した結果なのだろうか。
いずれにしても、どんどん新しい扉を開いて変わっていく彼女を見て行きたい。

ずっと、こうして。


To be continued...


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