その声が好き


「日菜子。急なんだけど、今夜飲みに行かない?」

「他所の部の若い子達とたまには」な〜んて誘いに来た彼女は、部は違うけど日菜子のところへよく来る同期で仲良し。
まぁ、こんなふうに誘ってくるのは彼女しかいないんだけど。
そして、若い子と言うのは恐らく新人や入社2年目あたりの男性社員のことだろう。
わざわざ年下の男子を誘って飲みに行くこともないのにと日菜子は思うのだが、彼女にしてみれば若い人達にお姉さま扱いされてみたいのかもしれない。
言われてみれば、日菜子だって実は嫌ではないというか、それはそれでおもしろいかもしれないと思ったりして。
いつもなら先輩や同期達と飲みに行くことが多く、適齢期の彼らにはどうしてもそういう対象で見られて個人的に誘われることもしばしば。
飲み会の席で誘われるのはどうも本気じゃない気がして、日菜子はいつも断っていたし、最近ではほとんど出席すらしなくなっていた。
もちろん、智弘の目があったからだが。

「で、あたしを誘うわけ?」
「日菜子だから誘うんじゃない。山口君、出張で戻らないんでしょ?」

そういうところは、彼女も抜け目ない。
部が違うというのにちゃあんと彼の行動を把握済みで誘っている、確信犯だったのだ。
智弘と日菜子は同じ部に所属していることもあって彼がいるところでおおっぴらに誘うわけにもいかないが、今日は出張で大阪に一泊する予定、戻らないことを知っていてのこと。

「そうだけど」
「じゃあ、ちょっといいでしょ?可愛い年下君達に囲まれて飲むなんてこと、そうそうできるもんじゃないんだし」

―――確かにねぇ。
逆に彼らだって相手が年上の女性となれば変な気も持たなくて、返っていいのかもしれない。
男性と飲んだって構わないわよね?

「わかったわよ。その代わり」
「黙っててって言うんでしょ。もちろん、山口君には内緒にするから」

彼女はニッコリ微笑むと「じゃあ、また後で」と自分の部署に戻って行った。



「智弘、今夜はさぁ」
「はぁ?!」

「お前、声がデカイんだよ」と大げさに耳を押さえている同僚。
そうは言われても、あんなことを言われれば誰だって大きな声を出すだろう。
彼女のいる身としては。

「だってなぁ、何でまたそんなところに」
「いいじゃん。いつもなら日帰りのところなのに今回は泊まりなんだぞ?せっかくだから、大阪の夜を満喫しないと」
「何が満喫だっつうの。俺は別に」

「いいから、いいから」と智弘の話など聞いちゃあいない同僚は、仕事が終わるとどこで調べたのか迷いもせずにある店へと直行する。
…こいつ、いつの間に。
とは思いつつも、断りきれなかった智弘は彼の後に付いて店内に足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ」

黒服のお兄さんに出迎えられて、東京でもこういう店にはあまり出入りしたことのなかった智弘は、違いこそわからないまでも働いている女性達のきらびやかさに驚かされる。
「ご指名は?」とか聞かれたが、やっぱり日菜子のことが頭に浮かんできて、智弘はそれどころじゃないっていうか、はっきり言って誰だっていい。
こんなところにいることが彼女に知れたら…。
今朝だって―――。

「起きてよ、山口君。もうっ、新幹線行っちゃうわよ?山口君ったらぁ」

「起きて」という声が、智弘の耳に心地よく入り込んでくる。
…あぁ、日菜子の声っていいよなぁ。
『山口君、起きて』な〜んて言われるとゾクゾクッとするけど、できれば智弘って名前で呼んで欲しいんだよな。
あの晩、出張から帰って来くると不意打ちで待っていてくれた彼女と結ばれた時は名前で呼んでくれたのに。

「ねぇ、ほんとに起きてよ。智弘」

『え…今』
思わず飛び起きた智弘は、すぐ目の前に日菜子の顔があって今の状況が良く飲み込めない。
…あれ?何で日菜子が、ここにいるんだ?

「何で、日菜子がここに?」
「もうっ。何、寝ぽけてるの?私、昨日はここに泊まったじゃない」
「あっ、そうだった」

出張だから、電話じゃなくて隣で起こして欲しいと智弘がお願いしたのをすっかり忘れていた。
…せっかく起こしてもらったのに夢と錯覚したから…でも、今『智弘』って呼んでくれたよな。

「おはよう、日菜子」

智弘はチュって、音を立てて彼女の小さくてぷっくりとした唇にくちづける。

「え…なっ」

日菜子は、目をまん丸にしてすごく驚いたような表情で見つめていた。
その後、みるみるうちに頬を染めて。
…うぅ、可愛いなぁ。
朝からこんな顔を見せられたら、ただでさえ男のナニがうずきだすっていうのに…。

「ちょっとぉ、山口君ったら。早く支度しないとっ」

―――これから、大事な打ち合わせのために大阪に行かなければならないというのにこんな…。
それも、今日は泊まりなんでしょ?

「まだ、全然余裕。朝一番の電車じゃないから」
「はぁ?やだぁ、それって話が違うじゃない」

いつもみたいに朝一番の新幹線に乗るからと智弘が言うからお願いを聞いて泊まったし、4時半に頑張って起きたっていうのにそうじゃなかったなんて…。
―――それって、ひどくない?
だったら、こんなに早く起きる必要もなかったし、私も泊まることもなかったじゃない。

「いいだろ。そうでも言わないと、平日に日菜子は泊まってくれないし。俺、隣で起こしてもらいたかったんだ」

二人で一緒に会社に行くのは恥ずかしいし、家も近いから一度帰ってからでも構わなかったけど、日菜子は平日に智弘の家に泊まるようなことはしなかった。
―――だけど、こんなふうに言われたら、これ以上何も言えなくなっちゃうじゃない。
それに隣で起こしてもらいたかったんだなんて…余計、言い返せなくなる。
智弘ったら。

「おはよう。智弘」

『しょうがないわねぇ』と思いながら、まだきちんとおはようを言っていなかったなと日菜子は智弘の胸に抱かれながら顔を少し上向けてそう言うと、一瞬彼の表情が固まった。

「ヤバっ…」
「え?」
「すっげえ、嬉しいかも」

智弘は日菜子をギュッと抱きしめると肩に顔を埋めた。
朝起きて、隣で彼女に『おはよう』って言ってもらえることがこんなに嬉しいことだとは思わなかった。

「ねぇ。こんなにゆっくりしていたら、ほんとに遅刻しちゃうわよ?」

このまま…と思っても打ち合わせをサボるわけにもいかず、智弘は渋々ベッドから出たのだった。

そんなことを思い出していると、案内された席でいつの間にか隣に座っていた女性に「いらっしゃいませ。さぁ、どうぞ」とお絞りを渡された。
フリーだったらきっと、こういう時間の過ごし方も悪くないのかもしれないが、今の智弘にとっては日菜子以外の女性と接すること自体、あまりいいものには感じられない。

「お客さんは、どちらからいらしたんですか?」
「えっ、あぁ。東京から出張で」

「そうなんですか?遠いところから大変ですね」と水割りを作っている彼女も、関西弁は話していない。
この店ではみんなそうなのかとも思ったが、一緒に来ていた同僚の相手をしている女性はバリバリの関西弁を話している。
どうやら、彼女はこの地出身ではないらしい。

「その様子だと、こういうお店にはあまり来ませんね」
「えぇ、泊まりだからと誘われて」

そういう智弘を見て、チラッと隣の同僚に目を向ける彼女。
彼らは何の話をしているのか、やたらに盛り上がっているのは相手をしている女性がまるでボケとツッコミ、漫才を見ているようだからかもしれない。

「でも良かった。お客さんが東京の人で」
「え?」
「私、このお店でも浮いちゃって。地元のお客さんにはあまりウケがよくないんです」

…なるほど。
何となくそんな感じもしなくもないが、智弘にしてみれば彼女が相手で良かったと思うのはなぜだろう?

「どうしてここに?って、聞いてもいいのかな」

聞いてもいいものなのかと智弘は思ったが、「初めは東京のお店で働いていたんですけど、お客さんみたいに大阪から出張で来ていた男性と―――」彼女は淡々と話してくれた。
要するに智弘達とは逆の、大阪から東京に出張で来ていた男性が彼女のいた店に客として来店したことから恋心を抱き、待っていられなかった彼女は追い掛けるようにして来てしまったが…。
客とホステスという関係、それ以上でもそれ以下でもない二人が出会うことはなかったということ。
それでも、彼のいるこの地に居たかった彼女の気持ちを思うと何だか切なくもあり、恋が実ればいいと願わずにはいられない。

「声が素敵だったんです」
「えっ、声?」

声と聞いただけで反応してしまうのは、日菜子と付き合うようになるきっかけがそうだったからかも。

「外見ももちろん素敵な方でしたけど、話している時の声がとっても」
「わかります。俺の彼女もそうだから」

そんな会話をしていると新しいお客さんが入って来て、彼女が反応した相手は―――。


「え?それで、どうなったの?」
「あぁ、店に入って来たのは彼女が想い続けていた男性だったんだ」
「でっ、で?上手くいったの?」

日菜子は唾をゴクンと飲み込むと、食い入るようにして智弘の口元をジッと見つめている。

「ああいうのをドラマみたいっていうんだな。彼もずっと探していたみたいだよ。彼女が東京の店にいなくなってからさ」
「そうだったの?良かったぁ」

まるで自分のことのように喜んでいる日菜子を見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。
ああいう店に行ったことはどうなのかなと思ったが、正直に話したからか、感動秘話があったからか、そのことについては何も言わない彼女。
…ところで、日菜子は昨晩、電話を掛けてもすぐに出なかったのは。

「なぁ、日菜子」
「ん?」
「昨日は、どこかに行っていたのか?」
「え…」

―――マズイ…。
年下君達と飲んでたんだって、言ってなかったわ。
智弘がホステスさんのいるお店に行ったことを問い詰めなかったのは、彼がそれを話してくれたことと彼女の恋が実ったからっていうのもあったからで…。

「ごめんね」
「え?」
「誘われて、飲んでたの」
「男か」

「うん、年下君達と。黙ってるつもりじゃなかったんだけど」と話す日菜子に智弘は正直、『えっ』と思ったけれど、だからといって日菜子のことをとやかく言える立場ではない。
今回はたまたまこんなことがあったからであって、智弘だってわざわざ自分から話したかどうか、恐らく黙っていただろう。

「ごめんね」
「俺もごめん。だから、相子」
「うん」

…声も好きだけど、本当に好きなのは日菜子だから。

「ということで、また出張の時は起こしてくれよ」

「隣で」と耳元で囁くように言うと、またまた頬を染める彼女を包み込むように抱きしめた。


END

※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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