「そう言えば美花、チョコレートは手作りする?それとも、有名なパティシエのものにする?」
今日は最終の講義が教授の都合で休講になったから、久しぶりに彩那とウィンドウショッピングした後に二人でスィーツのおいしいカフェに足を運んでいた。
ついこの間、クリスマス直前になって彩那にも素敵な彼氏ができたから、最近はこうやって出かけることも少なくなっていたのよね。
なんといったって彼氏は去年大学に入ったばかりの年下くんだから、もう彩那に甘えちゃってね。
お姉さん気取りの彩那もまんざらではない様子で、『まったくあいつったら、あたしがいないと何にもできないんだからっ』なんて、ノロケっぱなしなんだから。
「チョコレート?!」
一瞬なんでチョコレート?!と思ったが、既にカレンダーは2月に入っていて、年に一度の女の子が好きな男の子にチョコレートを渡して気持ちを伝える日が近づいていたのだ。
すっかり忘れていたというか、今まで女子校だったし彼氏のいなかったあたしには、そういうイベント事はあまり縁がなかったわけで…。
「もうっ。美花ったらっ、忘れてたんでしょ」
「え…」
気持ちを言い当てられて、返事に詰まってしまう。
だってしょうがないじゃない。
クリスマスだってやっとのことで過ごしたっていうのにもうバレンタインなんて、心も体もついていけないんだもん。
「で、どうするの?」
「どうするって…、そういう彩那は?」
いきなり言われてもどっちにしていいかわからないから、あたしは彩那の意見を先に聞いてみる。
「あたし?あたしは、やっぱり手作りよ。あいつ、そういうのめっちゃ喜ぶんだもの」
「はいはい、ごちそうさま」
やっぱり恋する乙女って、可愛いなって思う。
いつもはちょっと冷めた感じの彩那が、こんなにも女の子女の子してるなんて。
でも、手作りかぁ。
チョコレートって買って食べるものって思ってたから、手作りってどうやるんだろう?
「雅くんも美花の手作りチョコレートもらったら、きっと喜ぶよ」
「そう…かな」
「なによぉ、その気のない返事は。当たり前でしょ、あの雅くんが喜ばないわけないじゃない」
まぁ、雅巳のことだから、美花がくれるものなら手作りでも買ったものでもそれは同じように喜んでくれるだろうが。
「そうだね。上手くできるかわからないけど、頑張ってみる」
「だったら、今度の週末にでも一緒に作る?」
「うん」
こうして初めて好きな人に渡すチョコレートを作ることになったが、ワクワクしながらも上手くできるかどうかちょっぴり不安に思う美花だった。
+++
週末の日曜日、あたしは雅くんにあげるチョコレートを作るために彩那の家にお邪魔していた。
「美花は、何を作ることにしたの?」
「うん。雅くんは甘いものが苦手だから、ビター系でブランデーの少し入ったものにしようかなって」
雅くんは、あんまり甘いものが好きじゃない。
だから、ほろ苦い感じのビター系のチョコレートをメインにしたブランデー入りのキャラメルガナッシュに決めた。
なんだか、ハート型とかそういうのはどうもあたしの柄じゃないと思うから。
「そっか、雅くん甘いのダメだったんだね。それに比べてあいつはお子様だから、超甘いの大好きだもん。これでもかってくらい、砂糖入れて作ってやるんだから」
彩那の彼氏は、無類の甘いもの好き。
まったく女みた〜いなんて言いながら、テレビとか雑誌で紹介されたスィーツのお店には一緒に足を運んでいるらしい。
甘いもの大好きなあたしには、それはそれで羨ましいかも。
グラニュー糖と水を入れた小さな鍋を火にかけて茶色くなったら沸騰直前まで温めた生クリームに混ぜ、細かく刻んだビターチョコレートとバターを加える。
その次にボウルの底を水にあてて熱をとりながら、その中に少しだけブランデーを入れる。
誰かのために一生懸命何かをするって、本当に素敵なことだなって思う。
ちらっと彩那の方に目を向けるとその表情はいつになく真剣で、それでいてとても優しい。
きっと彼氏の顔を思い浮かべて、作ってるんだろうな。
あたしも頑張らないと。
棒状に絞ったら冷蔵庫で固めた後に適当な長さに切って、粉砂糖をまぶせばできあがり。
初めてにしては、結構うまくできたんじゃないかと思う。
後は綺麗にラッピングして、渡す日を待つだけ。
「我ながら、上出来だわ。これで、あいつもあたしに惚れ直すかしら?」
「もう、既に彩那にメロメロじゃない。これ以上どうするの?彼、溶けちゃうわよ」
「そんなことないわよ」って彩那は笑うけど、このままいったら彼は本当に溶けてしまうかもしれないわね。
雅くんもそうだといいんだけどな…。
+++
ただでさえ女子学生の少ない大学で、医学部といえばその中でも更に少ないはずなのに…。
なぜか今日に限って自分の周りに女子学生が多いのは、なぜだろうか?!
「ありゃ、お前狙いだな」
雅巳がお昼に学食で定食を頬張っていると大学に入ってから知り合って今では親友とも呼べる保坂 一郎が、隣で意味深な言い方をする。
一郎は、海外出張が多く家を空けることの多かった父親に代わって世話をしてくれた大好きだった祖父をガンで亡くしてから医師になることを決意したという、見かけによらず熱い志を持った男なのである。
「まぁ仕方ないか、お前いい男だしな。それは俺も認めざるを得ないが」
「言ってる意味がわからないんだけど」
お前狙いだとかいい男だとか雅巳には、さっぱり一郎の言っている意味がわからない。
雅巳から見れば、自分なんかよりよっぽど一郎の方がいい男だと思うのだが。
「お前、今日は何の日か知ってるか?」
「今日?!」
携帯をポケットから取り出して確認すると今日は、2月14日。
それよりも、美花との初デートで買ったお揃いの携帯ストラップの方が目に入る。
―――これを見た隣にいる一郎は、散々俺のことをからかったんだよな。
「で、2月14日って何の日だっけ?」
「オイオイ、お前それ本気で言ってるのか?」
まったく、可愛い彼女がいる男は言うことが違うよなって、テーブルの上に突っ伏す一郎。
―――何なんだよ、一体。
「今日は、バレンタインだぞ?いつもは野郎ばっかりの学内に今日に限ってやたら女子学生が多いだろうが」
それは雅巳も思っていたことだが、それとバレンタインと何の関係があると言うのだろうか?
「みんな、お前にチョコレートを渡す気なんだろう」
「はぁ?」
ちょっと待て、そんなわけないだろうが―――。
この大学に入学して3年が過ぎようとしている今、どうして?と雅巳の方が聞きたいくらいである。
それなりに付き合った彼女にはもらうこともあったが、最近はそういうこともなかったのに…。
そんな矢先、数人の女子学生がやって来ると雅巳を取り囲む。
隣にいる一郎は、はっきり言って邪魔者扱いだったが、雅巳を尻目に黙々と食事を続けている。
まったく薄情なやつ!
「あっ、あの。わたし、1年の前田って言います。山本さん、これもらって下さい」
「わたしは、同じく1年の吉本です」
「わたしは―――」
口々に名前と学年を言われてもう誰が誰だかなんて覚えられるはずもなく、目の前にチョコレートの入った小さな袋を差し出された。
「え?いっ、いや。そういうの困るんだけど」
なんでこんなことになったのかはわからないが、とにかくこの状態をなんとかするしかない。
「おい、一郎。お前、無視してないで助けてくれよ」
「だったら、もらってやれば?」
「お前なぁ」
もらってやればと言われて、ハイそうですねというわけにはいかないだろうに。
まったく、他人事だと思って…。
「いいじゃん、せっかく持って来たんだし。どうせ本命じゃないんだろ?」
一郎は、わざと彼女達の方に視線を向けながら言う。
こういう言い方をされてしまうと少しは気持ちがあったとしても言えなくなってしまうのをわかっていて一郎は、言っているのだが。
「俺には、大切な彼女がいる。それでもって言うなら、受け取るけど」
雅巳のマジな言い方に彼女達の顔にも戸惑いの表情が浮かぶ。
しかし、彼女達とて一度差し出したものを引っ込めるわけにもいかないのだろう。
「なんなら、俺が代わりにもらってもいいけど。こんな彼女一筋の男より、フリーの俺の方がいいんじゃない?」
「それにこいつ、甘いもの嫌いだし」という一郎のひと言に一斉にみんなの視線が集まった。
すると1人の女子学生が、一郎の側に移動する。
「保坂さん、フリーなんですか?だったらこれ、もらってください」
「―――わたしも」
まったくゲンキンな話だなと思うが、今はこの場を治めてくれた一郎に感謝しなければ。
「みんなフリーなの?可愛いのにねぇ。じゃあ、お近づきの印に今度飯でもどぉ?」
「はっ、はいっ」
この軽いノリが、一郎のいいところだろう。
さっきまでのきまづい雰囲気から、すっかり和みに変わる。
一通り携帯番号を聞き出すと彼女達は、満足げにその場を後にして行った。
「サンキュウ。一時はどうなるかと思ったけど、一郎のおかげで助かったよ」
「この借りは、何で返してもらおうかな?」
どうせ、飲みに誘えとでも言うんだろうなと雅巳は思いつつも、たまにはいいか。
「だけどさ、大学に入って3年だぞ?今まで一度もこんなことなかったのにな」
「そりゃあ、お前変わったからだろ」
「変わった?」
自分では今までと何も変わらないつもりだが、一体どこが変わったというのだろうか?
「そう。気付いてないかもしれないけど、お前変わったよ。こう、表情が柔らかくなったっていうか、優しくなった。今までは人を寄せ付けないっていうか、そういうオーラみたいのが出てたし」
一郎が雅巳と初めて話をしたのは大学に入学してすぐの時だったが、男の一郎でさえも何か一線を引いているように思えた。
一郎の持ち前のノリと明るさで、その線はすぐに消えることになったけれど、やはり女性に対してはそれを取り払えないような感じだった。
それが、幼馴染だという彼女ができてからだろうか?
表情が柔らかくなって、誰にでも本当の自分を出せるようになったのは。
雅巳が本気で女性と付き合っていないことはわかっていたが、こんなにも変わるなんて…。
一度だけ雅巳の彼女を見たことはあったが、これがものすごく可愛くて、まぁ雅巳が惚れたのはそれだけではないのだろう。
純粋で無垢で、守ってあげたいと思わせる反面、強い意志のようなものも感じられて。
きっと彼女の前だけはカッコつけずに素になれるんだろうな、と一郎はその時思ったのだった。
「ところで、愛しい愛しい美花ちゃんからは、本命チョコもらえるんだろう?」
「え…」
美花からは、特に何も言われていない。
っていうか、会う約束さえもしていないし…。
―――もしかして…美花のことだから忘れてるとか?
まぁ、俺も忘れたんだけど…。
「まさか…」
「あ?いっいや、そんなわけないだろう美花に限って…あはは」
―――あはは、じゃないぞぉ。
おいおい、美花〜忘れちゃったのか?本当に…。
急に不安が込み上げてくる。
愛しい相手から、本命チョコをもらえない寂しさをどこにぶつければいいんだ。
◇
それから何度も何度も携帯を見たが、美花からの着信もメールも何もない。
こんなことなら、さっきの彼女達から受け取っておけばよかった―――。
―――いかんいかん、俺は一体何を考えているんだ。
雅巳は、首をブルブルと左右に振ると気を取り直して家に帰る。
足取り重くエレベーターから降りると自分の部屋の前に誰か人が立っているのが見えた。
「あっ、雅くん。お帰りなさい」
「美…花…」
もう会えないと半ば諦めて帰って来たが、こんなサプライズが待っていようとは…。
しかし今日は雪こそ降っていないにせよ、どんよりとした2月の寒空の一日だった。
一体、いつから美花はそこにいたというのだろうか。
「ごめんね、勝手に来ちゃって。本当は電話してからにしようと思ってたんだけど、驚かせたくって」
にっこり微笑む美花の白い毛糸の手袋をした手には、小さな紙袋がしっかりと握り締められている。
おそらく美花は、自分を驚かせたくて内緒でここに来たのだろう。
今日はたまたまこの時間に帰って来られたが、日によっては講義が夜に及ぶ時だってあるのに…。
それにいくらセキュリティがしっかりしているといっても、変なヤツだって来るかもしれないんだぞ?
何かあったらどうするんだという不安とやっぱりこんなふうに来てくれたことが嬉しくて、思わず美花を自分の胸に抱き寄せると頬に手を添える。
マフラーで首まで埋まっていたけれど、頬はほんのりと赤みを増していて思った通りとても冷たい。
「美花、いつからここにいたの?こんなに冷たくなって」
「うん?そんなに待ってないんだけどな」
予想していた言葉に頬が緩む反面、すぐに暖かくしないと風邪をひいてしまう。
雅巳は、急いで玄関のドアを開けると美花を部屋の中へ入れた。
「ふぅ、暖か〜い」
こたつに首元まで入ると暖かさが身にしみる。
あたしの部屋は狭いからこたつは置いていないんだけど、雅くんの部屋にはそれがある。
雅くんはコーヒー派で、あたしは紅茶派だからと買っておいてくれたオレンジペコを入れてくれた。
「はい、冷めないうちに飲んで」
「ありがとう」
あたしは雅くんの入れてくれた紅茶を飲みながら、今日ここへ来た目的を思い出した。
「あっ、雅くん。はい、バレンタインのチョコレート」
「あたしが作ったの」と差し出されたのは、待ちに待った美花からの正真正銘の本命チョコだった。
「ありがとう。これ、美花が作ったの?」
「うん。彩那と二人でね、作ったの」
黒い包装紙にピンクのリボンで結ばれたそれは、なんだかとても大胆でいて特別なものに思えた。
「ねぇ、食べてみて。雅くんにも食べられるようにあんまり甘くなくて、ちょぴりブランデーを入れてみたんだけど」
甘いものが苦手なことをこの時ばかりは、恨まずにはいられない。
そっとリボンを解いて、包装紙を開けると小さな箱に入っていたのは棒状のものに粉砂糖がまぶしてあるシンプルなチョコレート。
それがまた美花らしさを感じて、心の中が暖かくなる。
「美花」
「うん?」
雅くんがチョコレートの箱を持ったまま、あたしの顔を見つめている。
その顔がなんだかいつもと違う気がするのは…、気のせいかしら?
「食べさせて」
それも、口で―――。
なんて…。
「えぇぇぇえ?!」
そんなこと、できるわけないでしょっ!
なんて言葉が届くはずもなく…。
「美〜花」
早く!
なんて言われても〜。
恥ずかしいやらどうしていいかわからなくてこたつ布団の中に顔を埋めているといきなりウエストに腕をかけられて、雅くんの膝の上に向かい合わせに座らされた。
「ちょっ、雅くんっ!やだっ、こんな」
「嫌じゃないだろう?いくら俺を驚かせたくたって、内緒でこんな寒空の中外で待ってて俺に心配かけた罰だよ。風邪でもひいたらどうするんだ?それに変なヤツだって来るかもしれないのに」
―――罰って…。
そりゃあ内緒で来たのは悪かったかもしれないけど、だからってこんな格好でチョコレートを口で食べさせろなんて…。
「ほら、早く。美〜花」
雅くんが、絶対引かないのは昔から知っている
しかし、この状況ではやらざるを得ない。
今日はバレンタインだし、しょうがない…か。
あたしは、箱からひとつだけチョコレートを取り出すとそっと端っこを口に加えて雅くんの正面に顔を向ける。
何度も見ているのに至近距離に雅くんの顔があると、どうしても心臓がドキドキして体中がカーッと熱くなってくる。
ゆっくり顔を近づけると雅くんも同じように顔を近づけてきて、チョコレートに唇が触れる…。
「っ…ん」
雅くんはチョコレートを食べるだけではなくて、そのままあたしの唇に自分のそれを重ねてきた。
柔らかい感触とほろ苦いチョコレートの味が、一緒に伝わってくる。
話が違うっ!って抗議しようと思ったけど、しっかりと腰に腕を回されていて身動きがとれない。
それに何より、雅くんとのキスは麻薬のようにあたしの体を麻痺させて心地いい世界へと導いていくのだ。
何度も何度も角度を変えて、舌を絡めて、それでもやめることができなくて…。
やっと唇が離れた時には、体中の力が抜けて雅くんの肩に頭を凭れていた。
「美花、大丈夫?そんなに俺とのキスがよかった?」
はっと我に返ったあたしは、雅くんの側から離れようとしたが、彼がそれを許さない。
「もうっ、雅くんの嘘つき!食べさせてって言うから、そうしたのに。キスなんてするからでしょっ!」
「だって、あんまりにも美花が可愛いから、つい食べちゃった」
食べちゃったって…。
「でも、美味しかったよ。チョコレートも美花も」
「もうっ!」
どうして、そういう恥ずかしいこと言うのよっ!
あたしは恥ずかしくて、雅くんの背中をバシバシと叩いたけれど、悔しいが全然びくともしない。
っていうか、雅くん笑ってるし…。
「美花、ほら大事なこと忘れてない?」
「大事なこと?」
「そう。バレンタインって、女の子が好きな人にチョコレートを渡して愛の告白をする日なんだろう?」
「え…」
趣旨はそうかもしれないけど、あたし達は既に恋人同士なのに今更告白なんて…。
「言って?」
あぁ、あたしってこの顔に弱いのよね。
だけど、愛の告白ってなんて言ったらいいのかしら?
いろいろ考えて、あたしは…。
「雅くんが、好きです。これからも、ずっとずっとあたしの側にいてください」
なんてありきたりなんでしょう。
だって、他に思いつかなかったんだものしょうがないでしょ。
でも、雅くんは…。
「美花が、好きです。これからも、ずっとずっと俺の側にいてください」
あたしが言った言葉と同じ言葉を繰り返すように言う、雅くん。
二人思わず吹き出して、おでことおでこをコツンとくっつける。
いつまでもこの気持ちは変わらないけれど、こうやって年に一度お互いの気持ちを確かめ合うのも悪くないって思う。
雅くんは、もう一度軽くあたしの唇にキスするとぎゅぅって抱きしめた。
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