とうとう、念願の課長昇進。
―――予定通りだわ。
イントラに掲載された人事異動の記事を見ながら、誰にも気付かれないよう、にんまりと微笑む黛 美亜(まゆずみ みあ)。
国立大を卒業してこの会社に入った美亜には、26歳で主任、30歳までには絶対に課長になってみせるという自分なりの目標があった。
その後は部長、そして本部長と進んでいければいい。
この調子で行けば、ほぼそれは確実と言っていいかもしれない。
ただ、そんなふうに順調に出世を続けている美亜にも、1つだけ気になることがあった。
同期で他の部に配属になった佐山 斗貴(さやま とき)が、今回の人事異動で課長に昇進すること。
彼は美亜と同じ30歳、ルックスは申し分ないと思うが、堅物とでもいうのかどうにも融通が利かない男なのである。
噂に聞くと周りの者は、相当泣かされているらしい。
今まで仕事で関わったことはなかったが、以前から美亜が業務を共にしていた前課長が定年退職するため、その後任が彼だと言うのだ。
どちらかというと技術より話術で仕事を進める美亜には、一番苦手なタイプだということは間違いない。
―――あ〜上手くやっていけるのかしら…。
順風満帆に見えていた美亜だったが、少しずつ暗雲が立ち込め始めていることにこの時はまだ気付いていなかった。
+++
すっかり、課長職も板についてきた美亜。
幸か不幸か、佐山と話をすることも未だない。
そんな平和な日々を打ち消すかのように一本の電話が入った。
「黛課長、ソリューションシステム部の佐山さんからお電話です」
―――えっ、佐山?
不意をつかれるというのは、こういうことを言うのだろうか?
「はい、黛ですが」
『ソリューションシステム部の佐山です。今度納めるシステムの仕様について、確認したいんですけど』
―――同期なんだから、久し振りだなくらいの挨拶はないのかいっ。
と心の中で思いつつも、美亜だって彼に向かってそんな気軽に話し掛けたりなんぞできないのだが…。
「確認ですか?」
―――それより今更、何の確認をするというのだろう?
これは既に顧客先に納めているものだから、特に確認するようなことはないはず。
『仕様書を見てもらえますか?』
「はい」
『Aの部分なんですが、これでは問題があるのでは。別の方法を取った方がいいのではないですか?』
確かに佐山の言うように多少は問題もあるかもしれないが、ここを変えると全体を見直さなければならなくなるという理由から敢えて変更はかけないという結論に至っていたのだ。
「中にはそういう意見もありましたが、各部門と話してこのままで行くと決めてあるんです」
『少しでも疑問がある以上、もう一度再検討する必要があると思いますが』
―――うわぁっ、出た!
こっちはこの仕事だけをしてるわけじゃないんだから、いちいち細かいっつうの。
だいたいねぇ、これはみんなで決めたことなのよ?
問題だって起きてないし、そんなこと言う人はあんたしかいないわよ。
「その必要はないと思います。時間を使うだけで、メリットは何もありません」
『そういうことをしているからですね。そちらの部署で問題が多いのは』
「はぁ?それどういう意味よっ!うちの部に問題が多いってっ」
美亜があまりに大きな声を出したものだから、部内の人間が一斉に振り向いた。
それすら、頭に血が上って気付いていない美亜。
『私は、事実を言っただけですが』
―――くっそぉ、ムカツク。
何で私が、こんなことをこの男に言われなきゃいけないのよ!
「わかりました。各部門の取り纏め者に再検討の件について、打ち合わせのメールを出します。それで、いいでしょうか?」
『お願いします』
ガッチャン。
受話器を置くと美亜は大きく溜め息を吐いた。
―――まぁね、この人の言っていることもわかるのよ。
私もそこは気になっていたところ、でもこれは美亜1人が言ったところで誰も聞いてはくれない。
やはり女だからとか、そういうことも多少はあったのかもしれない。
気を取り直して、美亜は佐山の言ったように各部門の取り纏め者にメールを打ち始めた。
◇
それからというもの、佐山のひと言から湯水のように問題が溢れ出し美亜はその対応で追われる羽目となった。
「黛課長、ソリューションシステム部の―――」
「あぁーはいはい、佐山でしょ?できれば、彼からの電話の時は、私はいないって言って欲しいんだけど…」
部の名前を出されただけで、佐山とわかる。
―――というか、あいつしかいないのよ、こうしょっちゅう私に電話を掛けてくるのは…。
「はい、黛ですが」
『佐山で悪かったな』
―――ヤダっ、聞こえてたの?
もうっ、話す方は手で押さえてよ。
「今度は、何よ」
『そんなに嫌がらなくても、いいだろ?』
―――嫌がるわよ。
だって、佐山が電話を掛けてくる時って絶対なんか悪いことなんだもの。
初めは敬語で話していた美亜だったが、段々疲れてきて、仕舞いにはタメ口に。
どうせ同期なんだし、相手も同じようにこんな感じで話してくるようになっていたから。
「で、用件は?もう、あなたが色々穿り返すから、私はその対応で大変なの」
『そりゃぁ、ご愁傷様』
「あのねぇ」
―――くぅ〜何よ!その言い方、もう電話切るわよっ。
なんて、ムカつくやつなのよぉ。
これ以上話したくないから、電話じゃなくてメールにしてくれないかしら?
『そう、怒るなよ。実は、厄介なことになるかもしれない』
厄介なことになるかもしれないって?
今までの件は改善も必要ではあるが、それ程大きな問題にはならずに済んでいた。
しかし、電話の向こうの彼の感じから察するにそれ以上のことが起きようとしているのかも。
『電話じゃなんだから、今ちょっと時間あるか?』
「えぇ」
「わかったわ」と電話を切ると、美亜は急いで佐山のいる部署へ向かう。
一体、何が…。
「佐山君」
「こっちで話すか」
空いていたミーティングルームに入ると二人は適当に腰を下ろす。
すると、彼が真剣な面持ちで数枚の資料を美亜の前に差し出した。
「これは?」
「まぁ、読んでみて」
―――え…嘘…。
システム障害の恐れ…。
それは以前、美亜が手掛けたシステムだったが…。
「現段階では障害の出る恐れがあるという話だから、まだはっきりとは断定できていないんだ。ただ、もしそうなると厄介なことになるかもしれない」
佐山の言うようにもし、そんなことになったら…。
―――どうしよう…。
みんなに迷惑を掛けて…。
しかし、話はどんどん大きくなって、美亜1人の責任では負えなくなり、八方塞どうにもお手上げの状態。
自分の出世のことばかり考えて、誰のために仕事をしているのか、見失った罰なのかもしれない。
+++
佐山は、美亜のためになんとかならないかと一生懸命尽くしてくれた。
それでも、どうにもならないところまで来てしまっていたのだ。
こうなったら、後は自分が責任を取るしかない…。
覚悟を決めた美亜は、最後に彼にだけはどうしても謝っておきたかった。
「佐山課長、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
佐山の前で深々と頭を下げた美亜に、周りにいた人達が一斉に彼女に視線を向けた。
それでも彼に対してきちんと謝罪しなければならないと思っていた美亜は、いつまでも頭を上げようとはしない。
「黛、頭を上げろよ。俺がお前に謝ってもらうことなんて、何一つないはずだ」
「いえ。こういうことは、きちんとしておかないと。とにかく、申し訳ありませんでした。後の責任は、全て私が取りますので」
一方的に言うと「失礼します」と、美亜はその場を去ってしまう。
「おい、黛待てよ。黛っ」
…ったく、あいつ何でも一人で抱えやがって。
美亜の行動が手に取るようにわかる佐山は、すぐに彼女の後を追い掛ける。
頼むから、早まるなよ。
「おいっ、黛。早まるな!」
「ちょっ、離して。佐山君」
「離さない。ったく、お前ってやつはどうしてそう無謀なんだ」
「離してっ」と半ば叫ぶように言う美亜を佐山は強引に空いていた会議室に連れ込んで、中から鍵を掛ける。
「佐山君、どういうつもり?邪魔しないでよ」
「嫌だね。俺はどこまでも、お前の邪魔をしてやる」
「どうして…」
せっかく、決心したのに…こんなことされると鈍るじゃない…。
「お前一人に責任を負わせるわけにはいかないからな」
「いいのよ。悪いのは、私なんだもの」
佐山の気持ちはありがたいが、これは全部美亜の責任。
お願いだから、首を突っ込むのは止めて。
「そうはいかない。俺はどこまでもお前と一緒だ。一人で辞めさせてたまるか」
「何、言ってるの?私なんかに構わないで」
部屋の鍵を開けて出て行こうとする美亜の腕を佐山が掴んで離さない。
それどころか、強引に抱き寄せられて彼の大きな体にすっぽりと包まれてしまう。
「やっ、ちょっと!何するのっ。人を呼ぶわよ!」
「うるさい、お嬢さんだな」
今度は、唇を彼のそれによって塞がれてしまい…。
「…っ…ん…」
佐山のくちづけは、誰よりも甘く優しくて…。
全身が溶けてしまいそう…。
無意識のうちに彼の首に腕を回す。
でないと、立っていられないから…。
「大丈夫か?」
「どうして…こんな…」
「わからないのか?」
『わからないのか?』って…どういう意味?
本気でわからない美亜に佐山はガックリと肩を落とす。
「何よ、ちゃんと言ってよ」
「わかるまで、するしかないか」
「ちょっ、わかるま―――」
再び唇を塞がれて、言葉が出ない。
―――こんなこと…するなんて…。
でも、佐山君は私のこと…。
何度も何度も角度を変えて…。
本気で立っていられない美亜は、彼にしがみつくしかなくて…。
「わかった?」
「なんと…なく?」
「なら、本当にわかるまでするしか―――」
―――本当にわかるまでって…。
そんなことしたら、体がもたない。
「あぁぁぁっ、わかったから」
「じゃあ、言ってみて?」
「え…」
「ほら」って、彼は唇に掠めるようなキスをした。
―――もうっ、何なのよ。
意地悪。
「佐山君…私のこと…好きなの?」
「あぁ、好きだよ」
真顔で言われて、どう受け止めていいかわからない。
気持ちは嬉しいけど、このことと仕事は別だから。
「黛は?俺のこと、どう思ってる」
「どうって…そういうこと、考えたことないし…」
「だったら、今考えたらいいだろう?」
―――今、考えたらって…。
それどころじゃないのよ。
私は大変な失態を犯したんだから、その責任を取らなきゃいけないの。
佐山君のことを考えている暇なんて、ないんだから。
「それどころじゃないの。私は、責任を」
「その件なら、もう済んだんだよ」
「え?済んだって…」
―――そんなはずない。
あんなに大きな問題になって、自分1人責任を取って辞めたとしても、会社に多大な損失を与えることになるのは確実なのに。
「早とちりだな、黛は」
「どういう意味よ、ちゃんと教えて」
「大丈夫だったんだ。黛は間違っていなかったってこと」
どうしたことか、美亜が直前になって仕様を変更したことが、佐山の前任者に伝わっていなかった。
もしも、仕様変更する前の状態であれば、システム障害が起こる可能性もあったけれど、美亜の適切な判断でそれは回避されていたのだった。
「ほんと?」
「あぁ、俺の前の人がいい加減だったんだな。そのせいで、黛を辞めさせるところだったよ」
「良かったぁ」
一気に力が抜けてしまった美亜は、佐山の胸に倒れこんでしまう。
「だから俺のこと、ちゃんと考えてくれよ。黛も仕事ばっかりで、男なんかいないんだろう?いいじゃん俺で、出世頭だし」
「失礼ね、男がいないなんて」
―――そりゃぁ、いないけど…。
でも、自分で出世頭とか言わないでくれる?否定はしないけどね。
「いるのか?」
「いないけど…」
「なら、決まりな」
嬉しそうに微笑む佐山を見ていたら、何も言えなくなる。
意地悪だけど、本当は誰よりも優しくて…。
仕事も私生活も、彼はきっと最高のパートナーになってくれるはず。
―――でも、細かいところはちょっと直して欲しいかも…。
To be continued...
続きが読みた〜い、良かったよ!と思われた方、よろしければポチっとお願いします。

NEXT
BACK
INDEX
PERANENT ROOM
TOP
Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.