あなたの隣


「彼女ですか?」
「こらっ!早瀬(はやせ)、勝手に人の携帯を覗くんじゃない」

「いいじゃないですかぁ。ちょっとくらい見せてくれても、減るもんじゃないしぃ」と口を尖らせている晶(あきら)から逃げるようにして榊(さかき)は慌てて後ろを向いて携帯を閉じる。
今夜は部長の異動が決まり、会社近くにある馴染みの料理店に部員他関連部署の関係者も集まって盛大な送別会が開かれていたのだった。

「彼女とは、どれくらい付き合ってるんですか?」

晶は榊の空いたグラスにビールを注ぎながら、さっき彼が見ていた携帯にメールを送って来た彼女であろう女性のことが気になってそれとなく探りを入れる。

「あっ、ありがとう。えっと、そうだな3年くらいか?」
「じゃあ、一番危ない時期ですね」
「お前なぁ、そういう縁起でもないこと言うか?」

榊は不満顔で、晶に注いでもらったビールのグラスを一気に空けた。

「よく、そんなことを言うじゃないですか。3年目の浮気とか、なんとか」
「だからってなぁ、俺達に限ってそんなことはないんだよ。お陰様で、上手くいってるんだから」
「結婚するんですか」
「ん?それは…彼女は今、仕事がおもしろいらしくってさ。もう少し落ち着いたら、考えようと思ってる」

聞かなければよかった…そう思いながらも、今は仕事が夢中の彼女にホッとしたりもして。
これがもし、『実は近々、結婚する予定なんだ』などと言われたりしたら、とても平静でなどいられなかっただろうから。
晶は榊をジッと見つめながら、人を好きになることがこんなに苦しいなんて…。
どうしたら、こんな辛い恋に終止符を打てるのか、誰か知っているなら教えて欲しい。

***

「ったく、こんなに飲みやがって」

―――榊さん…。
気のせいだろうか?
遠のいていく意識の中、確かに自分のアパートに帰って来たはずなのに…とうとう末期症状で、幻聴まで聞こえてくるようになってしまったのだろうか…。

「早瀬、大丈夫か?」
「えっ…さ…かき、さん?どうして…」
「どうして、じゃないだろ。ったく、立てなくなるまで飲むなんて、女の子の飲み方じゃないだろ」

「バカタレが」と榊におでこをデコピンされてやっと目が覚めた晶は、飲み過ぎて歩けなくなっていたところを彼がアパートまで送って来てれたのだと知って申し訳なく思う。

「ごめんなさい」
「ちゃんと反省してるのか?」
「はぃ」

「そっか。なら、もう無茶な飲み方はするなよ」と榊は今までにないくらい優しい声を掛けてくれて、晶を抱きかかえながらベッドの端に座らせる。
そんな彼の胸は、大きくて温かくて…。

「早瀬、どうしたんだ」
「何でも…ありませっ…っ…」

こんなところで…そう思っても、涙が勝手に瞳から溢れ出して止めることができなかった。
ただでさえ迷惑を掛けて、これ以上…。

「…やっ…離し…て…帰って下さい…あたしのこと…は…放って…」
「放っておけるわけないだろ。いいから黙って、俺の胸で思いっきり泣けよ」
「…さ…かき…さっ…」

ひっくぅ…ひっく…っ…

本当に子供みたいにわんわん泣き続け、その間もずっと榊さんはあたしの背中をゆっくりポンポンって叩いてくれて…。
いつしか心地いい眠りについていたあたしは、彼の想いにまだ気付いていなかった。

+++

「おはようございます。榊主任」
「おはよう」

「大丈夫か?」と心配そうに聞き返してきた榊に「はい。ご迷惑をお掛けして、すみませんでした」と元気に言って晶は榊の斜め前の自分の席に座る。
その表情は晴れやかで、今までの自分とはさよならして、新しい自分に生まれ変わった。
そんなふうにも取れるほど。

「おはよ。晶、大丈夫だった?」

「ちゃんと帰れた?」と同期で一番の仲良しである山内 樹里(やまうち じゅり)が、出社早々晶の姿を見付けると自分の席に行くよりも先にやって来た。

「おはよ、樹里。うん、大丈夫。ごめんね、みんなに迷惑掛けて」
「そんなことは、いいんだけど」

樹里は晶が榊に片想いしていることを知っているだけに心境は複雑だ。
恐らく当の榊も晶が自分に好意を抱いていることに気付いている、いや、気付かない方がおかしいくらいだろう。
飲み会となればぴったり付いて彼の隣りから離れないし、周りに人がいないと自分の分のコーヒーを入れるついでに彼の分も入れて持って行く。
それはもう、健気というか、樹里にしてみれば見ていて痛々しいくらいだが、そうまでしても想い続ける彼女を応援したかった。
決して振り向いてはくれないかもしれないが、ほんの少しの希望を胸に…。



榊 櫂斗(さかき かいと)の元へ新人として配属されてきた早瀬 晶(はやせ あきら)は、明るくて元気で本当に可愛らしい子だった。
周りの同期にも散々羨ましがられるほどだったが、その時既に今の彼女と付き合っていたから、晶を一人の女性として見ることはなかったし、あり得ないと思っていた。
しかし、そんな榊の思いとは裏腹に晶は自分へ好意を抱き始め、付き合っている彼女の存在もそれとなくほのめかしていたし、一時的なものだと。
ところが、そうではなかったということ。
…どうして、俺なんか。
あいつには、俺なんかよりもっとふさわしいヤツがいるはずだ。
何度、心の中でどうか俺のことは諦めてくれ、そして幸せになって欲しいと願ったことだろう。

あの涙を見るまでは…。



「ねぇ、樹里。合コンのセッティングしてよ」
「合コン?!」

通り掛かった樹里を呼び止め、晶はワザと榊の耳に入るように合コンのセッティングを依頼する。
チラッと気付かれないように視線を向けてみたが、彼の様子はちっとも変わらない。
樹里は云わずと知れた合コンの女王で、晶も何度か誘いを受けたことはあるが、頑なに断ってきたのは榊への想いを断ち切ることができなかったから。
それがどういう風の吹きまわしなのか、晶から合コンのセッティングを頼んでくるなんて。
「ちょっと」と樹里は晶をフロアから連れ出して、真相を確かめる。

「何よ、いきなり合コンなんて。いいの?主任のことは」
「適わぬ恋ばかり追い掛けても仕方ないって思ったの。色々な人と出会って、あたしのことを好きになってくれる相手を見つけようと思ってね。きっと、いるわよね?あたしにも」
「晶…」

樹里にしてみれば、早く榊のことを忘れて新しい恋を始めた方がいいとは思う。
思うけれど、無理をしていやしないだろうか?
彼を諦めるために無理に他の男の人を好きになろうとしているのなら…それは本人も辛いことだし、晶のことを好きになった人だって同じこと。
まだまだ若いのだから、もうちょっと心が癒えるまで時間をおいてもいいのではないか。

「無理してない?」
「してないって。あたし、彼のことは綺麗さっぱり諦めたの。だから、樹里も気にしないで」

そう言われてしまうと、樹里だって晶の気持ちに応えてあげたい、力になりたいと思う。

「わかった。メンバー探しておくから」
「お願いね」

「合コンかぁ」とか言いながら、自分の席に戻って行く晶の後姿を見つめながら、樹里は彼女のために素敵な人を探してあげようと思うのだった。

+++

それから一週間ほどして、樹里が早速合コンのセッティングをしてくれた。
相手の男性は大手銀行に勤める人で年齢は少し上だとだけ聞いていたが、晶の方が敢えてそれ以上のことを聞かなかったのは会う前からあれこれ詮索してしまうのはよくないと思ったから。

「何か、緊張するかも」
「別に一度で決めることでもないし、楽に考えればいいのよ。美味しいものも食べられるしね」

樹里の目的は、合コンよりも美味しいものにありつけるということの方が重要だったのかもしれない。
指定されたレストランに晶と樹理の大学時代の友達だという女性1人が加わって到着した時には、既に相手の男性陣は3人のことを首を長くして待っていた。

「すみません、遅くなりまして」

樹里が言うと「いえ、僕達もついさっき来たところでしたので」と一人の男性が謙虚にそう答えた。
対する相手の男性陣は4人で、どの人もさすが銀行マンらしく、きっちりした感じのエリートという雰囲気を漂わせている。
どちらかというと、口が悪くておもしろいタイプが好みの晶には微妙に合わない気がしたが、さっき樹里も言っていたように一度で相手を決める必要もないのだから、今夜は美味しいものを食べて帰るくらいの軽い気持ちで臨むことにした。

「ですよね〜あたしも、好きなんですよ。クラシック系は」

―――やだっ、合コンって意外に楽しいじゃない。
お堅い銀行マンかと思えば、そこは話題が豊富な彼らは同期と飲むよりよっぽどおもしろい。
お馬鹿な話もそれはそれで楽しいけれど、たまには知的な会話もいいもの。

「あっ、晶。あんた、そろそろ時間でしょ?」
「え?なっ、何よ。いきなり」

「ほら、帰る支度しないと間に合わないでしょ」と、樹里にコートとバッグを押し付けられて背中を押される。
―――ちょっと、待ってよ。
どういうこと?
あたし、帰るなんて言ってないのに…。

仕方なく席を立って振り返ると、なぜかみんなであたしに向かって手を振っている。
あたし一人を追い出すなんて、ヒドクない??

「全くぅ、あたしだけ除け者にするなんて、ヒドイわよ」
「何が、ヒドイんだ」
「えっ、ど…して…」

―――何で、榊さんが…。
こんなところに…。
晶が店を出ようとしたところで、両腕を組んで仁王立ちしていた榊さん。
っていうか、ものすごく怖い顔で睨んでるし…。

「どうしてじゃないだろ。勝手に合コンなんか」
「勝手にって。いくら上司でも、榊さんにいちいち合コンの報告をしなきゃならないんですか?」

―――そうよね。
いくら、上司だからってそんなことを報告する義務なんてないんだから。
何で、ワザワザこんなところまで。

隣をすり抜けようとすると腕を掴まれて、榊の胸に引き寄せられた。

「ちょっ、何をっ」
「ったく、俺にどれだけ心配掛ければ気が済むんだよ。お前は」

その声はすごく悲しそうで、悪いことをしているつもりはないのになぜか罪悪感でいっぱいになる。

「ごめんなさい」
「本気で、そう思ってんのか?」
「思ってるというか、あたしは悪いことをしたんでしょうか…」
「当たり前だ。俺に内緒で合コンなんかに出やがって」

―――だ・か・ら・そこんとこ、違うでしょ!
どうして、榊さんに内緒で合コンに出たらいけないの?
榊さんには、彼女がいるわけで…。

「怒られる理由が、わからないんですけど…」
「あ?」

榊は晶があまりに楽しそうに男性達と会話をしている姿を見て、つい頭に血が上ってしまい、肝心なことを話していなかった。

「取り敢えず、出るか」

二人は店を出ると、榊が行きつけの静かなバーへ。
カウンター席に並んで座ったけれど、あまりに静か過ぎて、晶は妙に手持ち無沙汰で困ってしまう。

「何がいい?」
「えっと、何でも」
「じゃあ、お前は悪酔いするといけないから、アルコールなしな」

勝手に決め付けられて、ジンジャーエールと榊はバーボンを注文する。
―――だけど、どうしてあの店に榊さんが来たのだろうか?
樹里に店を出された意味もわからないし…。

「別れたんだ」
「そうですか、別れたんですか―――別れたって…えぇぇっ、彼女とですかぁ?!」

「声がデカイんだよ」と榊に口を塞がれたが、これが冷静でいられますか?と逆に問いたいくらい。
だって、ついこの間は結婚を考えていると話していたばかりなのにどうして…。

「お前の言った通り」
「えっ、3年目の浮気ですか?」
「バカッ、違うっつうの」

おでこをデコピンされて、大げさに「痛っ〜」と言って両手でそこを押さえる晶。
―――浮気じゃないってことは、フラれたってこと?

「フラれたんですか?」
「コラっ」

今度は反射的に避けたからデコピンは免れたが、だったら別れた理由は何なのだろう。

「すっげぇ、可愛くて元気な子がいてさ」
「え?どこに」

「どこ、どこ?」と辺りをキョロキョロと見回す晶にガックリ肩を落とす榊だったが、それすらも可愛く思えてしまうのは惚れた弱みか…。

「いいから、最後まで聞けって」
「は…ぃ」
「彼女と付き合い始めてすぐの頃だな、俺の前に現れた一人の子がいてさ。可愛いっていうのもあったんだけど、一日中見てても飽きないっつうのか。子犬みたっいて、言ったらいいのかな」

『子犬…ですか…』
晶は前に出されたジンジャーエールのストローをクルクルと回しながら、榊の話にジッと耳を傾ける。

「初めは親の気持ちだよな。それがいつからか、その子が女で、俺を男として見てるって気付いたのは。俺には彼女がいたし、どうしてやることもできない。俺のことなんて忘れてくれ、嫌いになってくれとずっと願ってた」

榊は氷をカラカラさせてバーボンのグラスを何度か傾けながら、それを口に含むとフーっと大きく息を吐いた。

「っていうのは、カッコつけ過ぎか」
「え?」

晶が榊の方へ顔を向けるとバッチリ視線が絡み合う。
まるで、金縛りに遭ったように体が動かない。

「彼女とは初めから男と女ではなかったんだ。付き合うなんて、そんなもんだと思ってたし」

友人の紹介で知り合った二人だったが、彼女は榊より一つ年下でちょうど仕事がおもしろくなり始めた頃だった。
お互い束縛しない関係が何となく居心地が良くて、好きという気持ちよりもその状況を崩したくなかったという方が大きかった。
いくら、晶の想いを知っていても、榊にはそれを受け入れるだけの技量がなかったということだろう。

「それがさ。この前、お前の涙を見た時に何かが俺の中で弾けたんだ。人を好きになるって、こういうことなんだって」

3年目の浮気ではないと言ったが、厳密に言えば当たっているのかもしれない。
切り出したのは榊ではなく偶然なのか、察してなのか、彼女の方からで、驚いたことに男ができたからと言われた時には、思わず笑ってしまったくらいだ。
こんなことなら、早く気付くべきだった。
そうすれば、大切な彼女に辛い思いをさせずに済んだのに…。
なにわともあれ、円満に別れたわけだが、榊は恐らく本気ですぐ隣にいる彼女を愛するだろう。
だからこそ、別れた彼女にも相手の男と本気の恋愛をして欲しい。

「もう、一人で泣いたりするな」
「榊さんっ…」

肩を抱き寄せられて、泣くなと言われても勝手に涙が出てしまうのを止めることができなかった。
―――夢じゃないのよね。
あたし…。

「お前、ワザと俺に合コンの話を聞こえるようにしただろ」
「だってぇ…」
「だってもクソも、ないんだっつうの。いいか、今後一切合コン禁止」
「しませんよ」

―――榊さんがいるのに合コンしてどうするんですかぁ。

「俺以外の男と口もきくな」
「はぁ?そんなの無理に決まってます。それじゃあ、仕事できないじゃないですか」

―――そんな無理なこと。
だいたい、榊さんはいつからそんなに俺様になったんですかぁ。
口は悪いけど、あたしが好きになった人はこんな人じゃなかったはずなのにぃ…。

「なら、辞めて専業主婦になるんだな。それくらい、俺が面倒みてやる」
「今、何て…」
「榊 晶、いい名前じゃないか」

―――それって…。
やっと引っ込んだ涙が、泉のように湧き出してくる。
絶対適わない恋だと思ってたのに…こんな…。

「泣くなって言ってるだろ」
「榊さん…が…ひっくぅ…泣かすような…こと…言うか…ら…っ…」
「俺は、笑ってる早瀬が好きなんだよ。ほら」

泣き笑いになった晶の頬を伝う涙を、榊はそっと指でなぞる。
いつだって、彼女には隣で笑っていて欲しいから。

「あたしで、いいんですか?」
「今更、何を。決めたんだよ、俺は一生、お前だけだって」

それ以上の言葉なんて、晶には嬉し過ぎてどうにかなってしまいそう。
でも…自分は、彼に何をしてあげられるのだろう。

「あたしは…」
「隣にいてくれればいいさ」

この人はどうして、欲しい言葉をこんな簡単に与えてくれるんだろうか。

「はい」
「なら、行くぞ」
「行くって?」

―――行くって、どこへ…。

「隣にいるってことは、決まってるだろ」

耳元で囁くように言われた言葉に晶は真っ赤になって抗議するが、彼はそんな彼女を見てニコニコと笑ってる。

あたしの側にいつまでも、居て下さいね。


その後、拉致されるように連れ去られた晶だったが、二人は熱〜い幸せな夜を過ごしたのでした。


To be continued...


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