不意に握られた手にハッと視線を前に移すと、目の前にはグレーの瞳を持ったとても綺麗な顔立ちの外国人?みたいな若い男性が…。
「あの…あなたは?っていうか、手を離していただけますか?」
―――日本語で聞いていいものか、この際そんなことはどうでもいい。
待ったく知らないのにいきなり目の前に現れて、人の手を握るなんて…。
この人、一体誰なの?
「とても、綺麗な手ですね」
「えっ。あぁ、どうも」
―――流暢な日本語にやっぱり日本人だったのねって、そうじゃなくって。
未だかつて、手が綺麗などと言われたことは一度もない。
自称、手美人?な〜んて自分では思ったりしてるけど、お世辞にもそんな気の利いたことを言う男性は今の一度もなかったのに…益々、わからない。
ナンパ?にしては、少々クサい台詞だし、第一この男性はものすごくいい男なのよ?
何も、あたしに声を掛けなくても…。
「僕は、ネイルアーティストをしているんです。すぐそこでサロンを経営してますから、よろしければ是非あなたの爪を―――」
「けっ、結構です。勧誘ならお断り、他をあたってもらえますか?あたし、人と待ち合わせをしてるんです」
―――ネイルアーティストなんて言って、人を騙してどこか変なところに連れて行くつもりなんだわ。
道理でおかしいと思ったのよ。
手が綺麗ですねなんて、あたしは絶対騙されないんだからっ。
「勧誘なんて、とんでもない。僕は正真正銘ネイルアーティストですし、あなたのその綺麗な手に一目惚れしてしまったんです」
「一目惚れって言われても…」
困っているあたしを他所に彼はずっと握っていた手をそのまま引っ張るようにしてあたしを立ち上がらせると、そのまま歩き出してしまう。
見掛けによらず強引なのね?と思いながらも付いて行ってしまうあたしは、彼のあまりに魅力的な瞳に断り切れなかったから。
そんな不安を抱えつつも彼の言う通り、本当に目と鼻の先にネイルサロンは存在してガラス扉を開けると中へ。
真っ白な室内にズラーっと並ぶ色とりどりのネイル、こういう場所に無縁のあたしには見るもの全てが初めての世界。
「へぇー、こんなにたくさん」
まだ完全に疑いが晴れたわけじゃないけど、彼がネイルアーティストだということに間違いはなさそう。
「さぁ、こちらへどうぞ」と彼にお姫様のようにエスコートされて、居心地の良さそうな椅子に腰掛ける。
手を握られたまま、さっきと同じようにすぐ目の前に彼の顔があって、忘れていたドキドキ感が生まれてくるような…。
―――確かに何なの?とか思ったけど、こんな素敵な人にネイルアートをしてもらえるなんてある意味ラッキーなのかも。
でも、後で高額な金銭を請求されたりしないわよねぇ。
「あの、これっておいくらなんですか?」
「代金は要りません。僕が、勝手にあなたをここへ連れて来てしまったんですから」
「こういうのって相場がわからないんですけど、結構高いんじゃ」
―――タダっていうのは嬉しいけど、なんかものすごく高いんじゃないの?
「気にしないで下さい。ところで、何か希望はありますか?」
「希望?だったら、日常生活に支障の出るようなものはちょっと。仕事もあるので」
「わかりました」
彼はにっこり微笑むと、まず整爪を始めた。
爪なんて伸びて邪魔になったら切るくらいで何の手入れもしていなかったあたしには、へぇと感心するばかり。
甘皮ケアや爪磨きにマッサージなんてされれば、正に女王様気分。
―――それにしてもこの人、何歳くらいなのかしら?
20代後半か、30ちょっとくらいかしらねぇ。
あたしの手が綺麗とか言ってたけど、この人の顔の方がずっと綺麗なんだから。
でもねぇ、男性でネイルアーティストっていうのはあんまり聞いたことがないんだけど、実を言うと男性のこういう職業はちょっと納得できないの。
メイクアップアーティストもそうなんだけど、どうして女性の美に興味を持つのか。
美容師だってファッションデザイナーだって男性は普通だし、偏見ってわけじゃないんだけど…。
「こんなに綺麗な手をしているんですから、もう少し手入れをした方がいいですよ」
「はぁ。そうなんですけど、つい面倒で」
「後で簡単にできる手入れ方法を教えますから、これから毎日やってみて下さい。せっかくの綺麗な手がもったいないです」
真剣な表情の彼には美を追求する意識が、自分とは根本的に違うのだろう。
―――面倒だからって、努力を惜しまない心は忘れてはいけないわね。
みるみるうちに彼はまるで魔術師(マジシャン)のように爪にアートの花を咲かせていく。
その様があまりに見事だったから、あたしは食い入るようにそれを眺めていた。
「うわぁ、綺麗」
「あなたの手の美しさを最大限に生かすようにデザインしてみました。気に入っていただけるといいのですが…」
「すっごく気に入りました。あたし、勧誘なんて失礼なことを言ってごめんなさい」
「突然、あんなことを言われたら誰だって疑いますよ。でも、気に入ってもらえて良かったです」
ネイルアートされた手を間近で見るのも初めてだったけど、こんなに綺麗なものだとは思わなかった。
それに希望通り、日常生活にも会社でもこれなら違和感なくいられそう。
彼の実力がどのくらいなのか、恐らく相当なものなのではないかしら…。
「え…ちょっ…」
見惚れているといきなり手にくちづけられて、慌てて引っ込めようとしたが彼がそれを許さない。
両手を握ったまま、じっとあたしの顔を射抜くような目で見つめている。
「手に一目惚れをしたって言いましたが、手だけじゃありません」
「へ?」
―――手だけじゃないって、どういうこと?
あのグレーの瞳は、コンタクトかしら…。
どうでもいいことを考えていないと、手から伝わる熱に体がどんどん溶けていってしまいそうだったから。
「やっ、ちょっ何をっ」
今度は彼の左手があたしの頬に触れて、思わず体がビクッと震え上がった。
親指で優しく触れるそれが嫌とか、そういうことじゃないんだけど…。
「あなたの全てに一目惚れしました。僕のモノになってくれませんか?」
「じょっ、冗談をっ。何、言ってるんですか」
―――そんな軽々しく僕のモノなんて、ぜーったい嘘に決まってる。
ネイルアーティストだってことは認めるけど、今の言葉は信じない。
信じるものですか。
「冗談なんかじゃありません、本当ですよ。あなたはとても美しい人だ」
触れ合う唇。
あまりに心地良い世界にあたしはそれ以上、何も言えなかった。
「ちょっとっ、何寝てるのよ。起きなさいって」
体を何度か揺すられて目を覚ますと、そこはネイルサロンでも何でもない。
―――彼は?
辺りを見回しても、それらしい姿は見当たらない。
今まで見たものは全部、夢…。
なぁんだ、そうよね。
あんなに素敵な人に告白されるなんて、あり得ないもの。
「もうっ、こんなところで眠って。予約の時間に間に合わないじゃない」
「予約?」
「忘れちゃったの?ネイルサロンよ。人気店だから、やっと予約できたのに」
「ネイルサロン…」
―――友達と待ち合わせて、ネイルサロンに行く約束をしていたんだった。
ふと自分の手を見れば、今までの何の手入れもしていない見慣れたもの。
それが夢とわかったけど、まさか…。
To be continued...
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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