曖昧な関係


午後に入ってすぐ、デスクの上に置いてあった携帯が震え出した。
周りの目を気にしながらディスプレイを確認すると、新庄 恒貴(しんじょう こうき)からのメール。
すぐに中山 亜由(なかやま あゆ)は席を立ってトイレに行き、携帯の受信BOXを開いた。


今夜、時間あるか?
話したいことがあるんだ。


書いてあったのはこれだけだったけれど、話したいこととは一体何なんだろうか?
少しだけ嫌な予感がしたが、すぐに返事を入れる。
亜由は一般事務員のため、ほとんど残業などというものはない。
プライベートな予定でも入っていない限り、恒貴の誘いを断る理由などみつからなかった。

+++

恒貴との待ち合わせ場所は、いつも繁華街にある大型のブックセンターと決まっている。
何時の頃からそうなったかは覚えていなかったが、恒貴が毎回遅刻するから、亜由が暇を潰すための回避策になっていた。
彼は時間にルーズだったけれど、それでもこれだけ付き合いが長続きしたのは、性格的に細かいことに干渉してこなかったからだろう。

恒貴と付き合うようになったのは、本当に偶然からだった。
亜由はそれまで大学時代から付き合っていた彼氏がいたし、その時は恒貴にも彼女がいた。
お互いパートナーがいたからこそ、何の気兼ねもなく接することができたのかもしれないと今となっては思う。

「ごめん。待った?」

これも、いつもの決まり文句。
―――待った?って、何分過ぎてると思ってるのよ。

「もう待ちくたびれて、足に根が生えそう」
「ごめんごめん。今夜は、好きなものを選んでいいから」

恒貴は、さり気なく亜由の肩に腕を回して歩き出した。

『好きなものを選んでいいから』との恒貴の言葉に甘えて入ったのは、なぜかお好み焼きのお店。
―――だって、好きなんだもん。

「好きなものって言ってんのに、何でここなんだ?」

普通、好きなものと言えばお寿司とかフレンチとか高級な店を選ぶはずなのに、なぜお好み焼きなのか?

「好きなものだから」
「亜由らしいけどさ、そういうとこ」

取り敢えず、ビールの生大と豚キムチと亜由の好きな豚・イカ・タコを注文する。
二人が食事をする場所といえば、煙が店内に立ち込めるような焼き鳥屋さんとか女将さんが1人で切り盛りするようなおでん屋さん。
とてもおしゃれなデートとは言えないような場所だったけれど、お互い飾らないその場所がとても心地よくて好きだった。

「ねぇ、話したいことって何?」

そもそも今夜会うことになったのは、恒貴が『話したいことがあるから』というメールを送ってきたからだった。

「あぁ。まぁ、その話は食べてからにしよう」

恒貴の様子からして、あまり話したくないことなのか?
それほど気にもしていなかった亜由は、彼が言うように食べてから聞くことにした。
初めにお好み焼きを1つずつ頼んだにも関わらず、モダン焼きとねぎ焼きを追加するという豪快な食べっぷり。
それに対してお酒の方はいつもより少なめだったかもしれないが、それでも生大を2杯ずつとはすごい。

「美味しかった。ごちそうさま」
「どういたしまして」

お腹一杯になって満足したところだったが、肝心な本題にはまだ入っていなかった。

「で、話って?」

やっぱり気になるのか、亜由は結構ビールを飲んでいても忘れてはいない。

「あぁ」

恒貴は、煙草に火を点けるとふぅーっと煙を吐いた。

「あのさ。ここで言う話じゃないかもしれないんだけど、俺達もうこういう関係は止めた方がいいと思うんだ」
「え?」

―――それって…別れるって、こと?
メールをもらった時点で何か嫌な予感がしていた亜由だったが、まさか別れ話をされるなんて…。

束縛しない、楽な関係…。
付き合いが長くなると、どうしても相手を束縛するようになってくる。
亜由の場合もそうだった。
特に嫉妬深い元彼は、就職して社内や顧客先との付き合いが多くなると誰と一緒なのか?早く帰って来るようにと電話やメールで確認してくるようになったのだ。
そんな時、顧客先との接待にたまたま誘われた亜由は、その中の1人だった恒貴と席が隣だったことで話をしたのが知り合うきっかけだった。
恒貴にも彼女がいて、亜由の彼氏と同じようにあれこれ探りを入れてくるのだという。
意気投合した二人はすぐに携帯のメルアドを交換して悩みを相談し合うようになり、結果付き合っていた相手とも別れ、今のような関係になったのはごく自然の流れだったのかもしれない。
お互いが別れた理由を知っていて始まった関係だったが、付き合ってみて知ることも多かった。
恒貴は外見的にも仕事の面でもとてもきっちりしているように見えるが、実は時間にルーズで案外ズボラなこと。
また、亜由はというとおっとりしているようで、450ccのバイクを乗り回してしまうような行動派。
そういうギャップが、より心を惹き付け合ったのだと思う。
先のことは考えていなかったけれど、別れることも想像すらしていなかった。
なのに…。

「わかった。恒貴がそう思ってるなら、あたしは何も言わない。恒貴と一緒にいた時間はすごく楽しかったし、一生忘れない。好きだった」

「さようなら」と言い残して、亜由は席を立った。

『好きだった』

一度も口にすることはないと思っていた言葉。
なんとなく、言ってはいけないような気がしていたし、言ってしまったら終わってしまうように思えたから。

外を歩きながら、何かが頬を伝って下に落ちる。
それが涙だと気付いた時。
―――泣くほど、好きだったなんて…。
離れてみていいところばかり思う浮かぶという話は聞くけれど、まさにその通りだと思った。

恒貴―――。


「おいっ」
「ひぇっ」

急に腕をぎゅっと誰かに捕まれて、亜由は変な声を上げてしまった。

「お前、彼氏に向かってその驚きと声はないだろう」

そう言って苦笑しているのは、さっきまで一緒にいた恒貴だった。
―――何で付いて来るの?それに彼氏って…。
別れたはずなのに、どうしてよ…。

「何?」
「何って。お前、わけわかんねぇこと言って出て行っちゃうからさ」
「わかわかんないって、何よ。恒貴が『別れる』っていうから、『わかった』って言っただけじゃない」

―――わけわかんねぇって、何よ。
これでも、後腐れないようにきっぱりさっぱり、別れてあげたんじゃない。
失礼ね。

「そこが間違ってるだろ。俺がいつ、別れるって言った?」
「え?『俺達もうこういう関係は止めた方がいいと思うんだ』って」
「あぁ、ごめん。俺の言い方がマズかったのか」

髪の毛をガシガシと掻き上げる恒貴。
―――マズかったって?

「言ってる意味が、全然わからない」
「俺が言いたかったのは、今の関係。付き合ってるけど、自分の気持ちを敢えて口に出さないっていうかさ。そういうのを止めたいってこと」
「もっとわからないわよ…」

確かに恒貴の言うように付き合ってるけど、好きって言葉に出したことはなかった。
でも、そういう関係を止めたいっていうのは…。

「じゃあ、きちんと言う。俺と結婚を前提に付き合ってください」
「え?」

―――結婚?付き合う?
てっきり別れたとばかり思っていたのに、結婚を前提に付き合うなんて…。

「ダメ?っていうか、それはないな」

恒貴は、そっと亜由の頬についた涙の跡を指で拭う。
『好きだった』という最後の言葉に泣くほどなのだから、それは聞かなくてもわかること。

「恒貴…」
「俺も亜由が好きだよ」

亜由を自分の胸に引き寄せると、強く抱きしめる。
「苦しい…」という声が聞こえたけれど、その力を緩めることはできなかった。

「亜由。もう一度、好きって言って?」

耳元で囁くように言われて、亜由の体は一気に熱を帯びる。
ここが、外だということも忘れてしまうくらい。

「恒貴が、好き」

二人は建物の影に移動すると、容赦なく恒貴の貪るようなくちづけが降ってきた。
もう二度と感じることがないと思っていた感触。
暫くの間、唇を離すことができなかったのだが…。

「ちょっとっ、何?」
「早く帰ろう」
「はぁ?」

亜由の腕を引っ張るようにして、突然歩き出した恒貴。
―――帰ろうって、何よ。
こんな、いい場面で…。

「決まってるだろ。愛を確かめ合うんだよ」
「え…」

曖昧な関係から正式な恋人へ、そして。
お互いの、もっともっと知らない部分を知っていく。
不安もあるけど、それ以上に幸せな時間のはずだから。



To be continued...


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