「よろしければ、店内もご覧になってみて下さい」
「えっ、あぁ、すみません。実は、強請られましてね。僕はこういうのが、どうも苦手で」
そう言って苦笑する男性は、30代半ば?後半くらいの長身でモデル張りの容姿にその洗練されたファッションから、只者ではない様子。
本来、この店では客引きのようなことは絶対にしないのだが、ちょうどもう一人の女性店員が休憩に入ったところで自分だけだったし、彼があまりに長い間、外のショーウィンドーをじっと見つめているものだから、つい声を掛けてしまったのだ。
「ご希望などは、ございますか?」
「いや、特には」
「差し上げる女性は、おいくつ位の方なんでしょう?」
「えっと、ちょうど君ぐらいな感じかな」
―――へぇ、私と同じくらいってことは25歳前後ってこと?
苦手とか言いながら、10以上も離れた随分とまた若い子に手を出したものね。
大事なお客様だとわかっていても、心の中では一人で店に買いに来るこの年代の男性は、ロクなヤツじゃないと思ってる。
児嶋 由羽(こじま ゆう) 26歳。
フランスに本店を置く、有名な宝飾ブランド店に勤める店員だ。
客層は様々だったが、特に由羽(ゆう)の勤める店舗は場所柄もあって、芸能人に始まり、各界の著名人に成金からホストまで、ありとあらゆる人が訪れる。
「こちらは最近女優さんが身に着けていたことでも話題の新作で、若い女性に人気があるタイプなんですが」
「君に任せるよ。何か適当に選んでくれないかな」
―――何か適当にって、いいの?彼女にそんなことで。
こっちは買ってくれればそれでいいけど、大事な女性だったらもっと真剣に選んで欲しいわよねぇ。
「リングのサイズなどは―――おわかりにならない。当店は申し訳ございませんが、サイズのお直しができないものですから。でしたら、ネックレスなどはいかがでしょう?」
個人的に好きなものばかり何品か選んで首元にあててみたものの、彼は「どれも似合うね」とそればかり。
―――私に似合っても、しょうがないでしょ!!
結局、「君はどれが一番好き?」って聞かれて選んだ物をあっさり購入。
気に入っていたことには間違いないけど、ワザと高いダイヤ入りを選んだのに…。
その間、わずか10分足らず。
恐らく、外で立っていたのも同じくらいではなかっただろうか。
「ありがとうございました。よろしければ、またお待ちしております」
由羽(ゆう)は店の出入口まで付き添うと、綺麗にラッピングされたネックレスが入った小さなペーパーバッグを彼に手渡す。
「こちらこそ、助かったよ」
「ありがとう」と軽く会釈して去って行ったお客様の男性と入れ違いに戻って来た同僚の石原 紅美子(いしはら くみこ) 28歳。
彼女は年上だけど、同じ時期に採用されたので、とても仲がいい。
「ねぇ、今の超いい男じゃないっ。あぁ、何で私ったら、こんなチャンスに休憩なんてしちゃったのかしら」
ひどく悔しがっていた彼女は、何を思ったか咄嗟にカードの控えを探しまくる。
「でっ、あの男性(ひと)、名前何て言うの?」
「さぁ」
「さぁって、どれよぉ」
どうやら、カードの控えを見て名前を見つけようとしているのだろうが、残念なとことに…。
―――その前に個人情報保護違反でしょ!!
「いくら探してもないと思うわよ。だってあの人、キャッシュで買っていったもの。58万円」
「は?」
今時、高額な品をキャッシュで買っていく人がいるのかと疑うが、現にいたのだから。
それも、どこかの銀行の封筒に入ったままポンっと渡されて、由羽(ゆう)もそれはさすがに初めての経験だった。
「残念ね。でも、また来るんじゃない?贈る相手、私と同じくらいの彼女らしいから」
「由羽(ゆう)と同じくらいの彼女がいるの?だったら、私も入れてくれないかなぁ」
「馬鹿なことを言ってないで、ほらお客さんが見てるわよ」と由羽(ゆう)が耳元で言うと、紅美子はきゅっと姿勢を正していつもの颯爽とした店員の顔に。
―――それにしても、あの人は何者かしら?
+++
『ねぇ、大塚さんって男の人から昨日電話があったけど』
『大塚さん?』
―――誰かしら、大塚なんて名前のお客様はいなかったはずだけど。
『児嶋さんはいますか?って聞かれて、今日は休んでますが明日は出ますよって言ったら、明日行きますって言ってたんだけど、もしかしてあのいい男なんじゃない?』
興奮気味に言われたのは出勤してすぐの話だったが、閉店時間まで1時間を切った時刻は18時を回ったところ。
別にあの人が“大塚”って人かどうかわからないし、例えまた買いに来てもそれだけのこと。
わざわざ電話で由羽(ゆう)を確認したのも、きっと特別理由があったわけじゃない。
―――まったく、気を持たせて。
「電話したら、昨日は休みだって聞いて」
「いらっしゃいませ。この間は、ありがとうございます。いかがでしたか?」
「おかげさまで、彼女もすごく気に入ってくれたよ」
「それは良かったですね」
―――電話したらって、やっぱりこの人が大塚さんなのね。
だけど何よ、散々待たせたクセにわざわざ私がいるのを確認したのはノロケを言うためだったわけ?
相変わらずの洗練されたファッションにいい男ぶりを発揮して、紅美子も気付かれないようにしながら目は釘付けだ。
「それでまた、君に選んで欲しいんだけど」
「えぇ、喜んで」
―――ついこの間、58万円使ったばかりなのにまた買うの?!
お金持ちは次元が違うんだろうけどっ。
私なんて利息無しの社員特権で、やっとこさこのリングを買ったっていうのにね。
「リングのサイズなどは―――おわかりにならない。でしたら、ピアスなんて、いかがでしょうか?あっ、されてなかったらすみません。自分がしているもので、つい」
「それにしようかな」
―――リングのサイズを聞いてこないのはちょっと腑に落ちないけど、彼女はピアスをしてるのね。
「こちらなど、前回お買い求めいただいたネックレスとも相性がいいですし、日常のジーンズにTシャツというシンプルなスタイルにもさり気なく着けていただけると思いますが」
しかし、ピアスといっても侮れない。
小さなダイヤがあしらわれたそれは、45万円也。
自分も買える身分じゃないし、買ってくれる彼氏もいないから、擬似的にこのお客様に買ってもらってる。
「これにするよ」
「ありがとうございます。こんなふうに素敵な方に選んでもらえる彼女が羨ましいです」
―――おっと、2回目でこれはちょっと早過ぎだったかしら?
「どうかな」
―――かぁーっ。
思わせぶりな態度なんかとっちゃって!!
こんないい男を弄ぶなんてっ、どんな女性なのよ、相手はっ。
それからというもの、大塚様は何度となくお店に現れては数十万円のジュエリーを由羽(ゆう)に選ばせて買っていく。
『彼女にあげるためとかいって由羽(ゆう)がいる時に限って来店する辺り、かなり怪しいわね。だけど、あの歳であれだけ羽振りがいいってことは、結構危ない仕事をしてたりして』
他人事だとおもしろがっているとしか思えないが、紅美子の言葉が気にならないわけではない。
そして、恐らく贈る相手の女性は変わっていないはずだが、一度もお店に連れて来ないのとなぜかリングのサイズはわからないまま。
「確かこの辺に」
「あるはずなんだけど」と仕事が休みの平日、由羽(ゆう)は雑誌に載っていたスィーツ・ショップを探してとある住宅街に来ていた。
休みの日となれば、甘いものに目がないだけに雑誌で目に付いたショップを巡っては買って帰るのが彼女のライフスタイルになりつつあった。
紅美子曰く、よく太らないわねとは自分でもそれだけは不思議だったのだが、甘いものをいくら食べても太らない体質に感謝なければならないだろう。
「うわぁっ、ちょっ何?!」
迷いながら道を歩いている途中、突然横から何か動く物体が由羽(ゆう)に体当たりしてきた。
「こらっ、ジっとしてろって言っただろ。すみません、ペンキは付かなかったですか?ご迷惑をおか―――あっ!!」
「え…」
―――何、この人。
人の顔を見て、素っ頓狂な声を上げるなんて失礼なっ。
元は多分、白いTシャツにジーンズ姿であろうその男性は、全身ペンキ塗れで毛むくじゃらの物体を抱えている。
それは、よく見ると由羽(ゆう)に体当たりした犬?!
「児嶋さん」
「は?どうして、私の名前を」
―――何で、私の名前を知ってるわけ?
年齢は40歳くらいで頭にはペンキの付いたタオルを巻いて、顔にも薄っすらペンキの跡が。
誰よ、あなたっ。
「あれっ、覚えてません?僕は大塚、大塚 敦司(おおつか あつし)って言います。いつも、お店に買いに行く」
「えぇぇっ?!大塚様ですかぁ」
今度は、由羽(ゆう)が素っ頓狂な声を上げたのも無理はない。
誰がどう見たって、目の前のペンキ塗れの男性は、お店に現れては何十万円というジュエリーを女性のために買っていくあの素敵なお客様にはとても見えないのだから。
「こんな格好じゃ、わからないのも無理はないか」
「どうなさったんですか?」
「実は、作品の製作中でね。こいつがジッとしてくれないから。おかげであなたに会えましたが、あまり見られた姿ではなかったでしょう」
「作品と言いますと」
彼は、世界中で活動しているアーティストだということ。
今は個展に向けての作品制作中で、愛犬をモチーフにした物らしいのだが、芸術に無関心の由羽(ゆう)には何がなんだかさっぱり理解できない代物ばかり。
「あの、お詫びといっちゃなんですけど、お茶でもどうですか?」
「いえ、行くところがありますので。大塚様、この辺にスィーツ・ショップがありませんか?」
「このお店なんですけど」と雑誌を見せるとすぐ裏手にあるということがわかった。
彼に会わなければ、また違う道に入ってしまいそうだったから、これはラッキーだったかもしれない。
「それなら、今届けてもらうように連絡するよ。だから、どうぞ」
―――届けてって…。
お知り合いなのかしらねぇ。
そこまで言われてしまうと断るわけにもいかず、彼の後に付いて家の中に入ったが、アーティストというのはこんなに儲かるものなのか?と疑ってしまうほど広い家。
いつも高価な品を買っていくくらいだから、そうなんだろうけど…。
「おじゃまします」
「遠慮なさらずにどうぞ」
通されたリビングは一体どれくらいの広さがあるのか想像すらできないほどで、インテリアもさすがアーティストというだけあって、専門誌にでも出てくる部屋のようだ。
彼は着替えてくるから少し待っていて欲しいと部屋を出て行ったが、こういう場合に自分はどこに居ればいいのかわからない。
―――家の中で、ランニングができそうだわ。
大げさに聞こえるかもしれないが、本当にそれくらい広いのだ。
取り敢えず、グルっと辺りを見回してみると、見知ったペーパーバッグが中身の入った状態で数個並べて置いてあるのが視界に入る。
あれ…。
悪いと思いつつも中を覗いてみると、それは綺麗にラッピングされたままの今まで彼が買い求めたであろうジュエリーに間違いない。
どうして?だって、彼女は気に入ってくれたっていつも私に自慢げに話してたじゃない。
それとも、喧嘩したとか…。
だとしても、包みくらい開けているはず。
こんな手付かずの状態で放置されているにはワケがあるのかもしれないが、今の由羽(ゆう)がそこまで詮索するのは間違いだろう。
「児嶋さん、お待たせして。コーヒーでいいかな」
「えっ、どうかお構いなく」
「もしかしてそれ、見られちゃいました?」
シャワーを浴びてきたのだろう、髪は濡れた状態だったが、さっきまでのペンキ塗れの彼ではなくかといっていつもお店に来るのとも違う別の意味で魅力的だといっていいかもしれない。
「すみません、勝手に。でも、これ…彼女に贈ったものでは」
「彼女なんていませんよ」
「えっ、でも」
―――彼女がいないって、どういうこと?
だったら、何のためにこんなに無駄なお金を使ったりしたの。
「でも、初めに買ったネックレスは本当というか、あれも微妙に嘘に近いかな。妹が来月結婚するからとお祝いに強請られたんです」
「親父の再婚相手の連れ子なんで、血は繋がってないんですが」と話す彼。
ジュエリーの相場がわからず、あんなものなんだろうと贈ってみたら、随分高価なものをと驚かれたと言っていた。
「じゃあ、その後に買いにいらしたのは」
「君に会うため、かな」
「え?」
「冴えない中年男のほんのひと時の夢ってやつ。君のように若い子と話ができるのが嬉しくて、ジュエリーを選ぶ時の君はとても輝いて綺麗だったから」
女性のために買い物に行くなど、そんなマメなことをしたことがなかった敦司が妹に頼まれたあの時だけは仕方がなかったのだ。
彼女が敦司に向かって言ったのは、憧れのあのジュエリーショップで何でもいいから自分のために選んで欲しいと。
嫁ぐ前の妹として、最後のお願いを聞かざるを得なかった。
「良かったら、それもらってくれないかな。全部、君に似合う物ばかりだし。気持ち悪かったら、ほら買取ショップとかに持っていけば結構な金額にもなるん―――」
「夢で終わりなんですか。その先の未来が、私たちに繋がることはないんですか」
―――勝手に自己完結しないでよ。
良かったらもらってなんて、まるで手切れ金みたいに…。
大体、まだ何も始まっていないのに…一人だけ、夢なんか見ちゃって。
「それは…僕はもう、夢も未来も見るような年齢じゃないんだ」
「だから、益々オジさんになっちゃうでしょ?」
「君に言われると、まるで妹に言われているみたいだな」
『だから、お兄ちゃんはダメなのっ!!顔はいいんだけど、恋愛には疎いんだからっ』と、いつも会う度に怒られて…。
血は繋がらなくても歳の離れた妹は本当に可愛かったし、敦司にとっては一番怖い存在だったといっていい。
「嫁ぐ妹の代わりに、これからは私がなります。でも、妹扱いはしないで下さいね。ちゃんと恋人として私と一緒に未来を見つめて下さい」
「君には敵わないな」
由羽(ゆう)がキスを強請ると恥ずかしがって、それはまるで中学生くらいの男の子のようだったけど、大人で何でも決まって見えた彼とは全然違う。
だけど、そんなところが好きになった理由かも?!
+++
「へぇ、それが戦利品」
「そういうこと、言わないでよ。ちゃんと彼が私のために選んでくれたものなんだから」
敦司が買ったジュエリーを全部引き取った由羽(ゆう)は、毎日それを身に付けていた。
そして、新たに加わったのは左手の薬指にさり気なく輝くリング。
「まさか、彼があんなに有名なアーティストだとは知らなかったわ。あの時、由羽(ゆう)が休憩に行っていたら今頃は…」
「何て、ことはないかっ」とおチゃらけたように言う紅美子。
後で聞いてびっくりだったが、大塚 敦司と言えばA.Oの名で知られた世界的に有名なアーティストで、彼の作品は至る所で目にしたし、その価格を聞いて二度びっくりだったということ。
ただ、その素性は明らかにはなっていなくて本人を知る人物は非常に少なかった。
そんな彼の心を虜にしてしまったのは、きっと由羽(ゆう)だったから。
そうそう、彼の実年齢は40歳だったんだけど(思ったよりオジさん?)、妹って私と同じとか言っておきながら、な・ん・と!!20歳だったの。
私って、そんなに若く見えたのかしら…。
To be continued...
お名前提供:児嶋 由羽(Yuu Kojima)&大塚 敦司(Astushi Ootsuka)/石原 紅美子(Kumiko Ishihara)… 玲衣 さま
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※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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