―――あれ?繋がらない。
間違ってるのかしら…。
聞いていた携帯の番号に掛けてみたが、なぜか繋がらない。
何かあったのでは?と心配になって、こちらからは決して電話を掛けないという約束を破ってしまったけれど、一体、どうしたんだろう。
彼からの連絡をずっと待っていたが、毎日欠かさずくれていた電話がここ数日パッタリ途切れてしまったのだ。
いつも会うのは外か私の部屋だったし、彼の住んでいる場所も知らなければ、勤め先も不動産関係としか聞いていない。
そんな曖昧な付き合い方をしていたことに何の疑問も持たなかったのは、彼があまりにもマメに私のところへ連絡を入れていたから。
「あっ、彼から」
一抹の不安を抱いていたところへ入った彼からの電話、一気にそんな気持ちも吹き飛んだ。
「直人、どうしたの?今、どこにいるの?ずっと連絡もくれなくて。心配でダメだって言われてたのわかって掛けちゃったんだけど、繋がらないし。会いたいの、すぐ来て」
『松元 塔子(まつもと とうこ)さんですね?』
「はっ、だっ、誰?」
―――誰?聞き覚えのない声、イタズラ?
でも、この人、今、松元 塔子って言ったわよね。
てっきり、彼からの電話だとばかり思って出たが知らない男性の声に恐怖が走る。
『申し遅れました。私は榛沢(はるさわ)リアルエステートの顧問弁護士をしております、涼川(すずかわ)と言います』
―――顧問弁護士?
榛沢リアルエステートって、あの有名な…待って?彼からの電話に間違いないし、同じ名前って言うことは何か関係が…。
「あの、顧問弁護士さんが私に何の御用で、榛沢リアルエステートと直人は何か関係があるんでしょうか?」
『演技がお上手ですが、知らないとは言わせませんよ。榛沢 直人(はるさわ なおと)氏は、榛沢リアルエステートの取締役をされています』
「取締役?知らないわよそんなの。直人からは、不動産関係の仕事をしているとしか聞いてないもの」
――― 全く、失礼な人ね。
人を財産狙いみたいな言い方して。
だけど、若いから彼がそんなすごい人とは思わなかった。
確かに言われてみれば、高級外車を乗り回し、デートは決まって一流ホテルのレストラン、プレゼントも高価なブランド物ばかりだったわね。
『榛沢 直人氏は来週、代議士のお嬢さんと婚約発表されます。この手の話はよくあることですが、あなたとのお付き合いは一時の火遊び、今後一切、彼には関わらないよう。ただでとは申しません、それ相応の代償はお支払いするようにと―――』
「ちょっと待って。言ってる意味が全然わからないんですけど」
―――直人が代議士の娘と婚約?火遊びって何よ。
私は単に遊ばれてただけだって、言いたいわけ?
代償?冗談じゃない。
お金さえ払えば、私が引き下がるとでも思ってるの?それも、こんな得体の知れない男にここまで言われなきゃならないなんて。
『詳細は後日、そちらへお伺いしてお話しますので』
「いいわよ、来なくって。お金なんかいらないし、私は直人本人の口から聞くまで納得しないから。そのつもりでっ」
ブチっ。
嫌なやつ。
あぁ〜それにしても、彼がそんな人だったなんて…。
本気で好きだったのに彼もそうだと信じて付き合ってた私って、なんて馬鹿なんだろう。
カッコよくて優しくて、何でも好きなものを与えてくれた彼は、単なる遊び、ニセモノの彼氏だったとは…。
フラれたとか、そういうことよりも、彼にとって私は遊びでしかなかったこと、お金で解決しようとするやり方が何より悔しかった。
+++
どんなに辛いことがあっても、日が昇れば以前と変わらぬ毎日がスタートする。
学生の就職したい企業で常に上位を占める大手電機メーカーの総務に所属する塔子は、会社の看板である受付嬢の中でもNo.1と称される美人。
知り合ったのは友人に誘われたパーティーだったが、二人が惹かれ合うのは極自然の流れだったし、恋に堕ちるにはそう時間は掛からなかった。
付き合って間もないが、彼は近い将来結婚しようと言ってくれていたのに…。
「すみません。松元 塔子さんをお願いします。涼川と申しますが」
差し出された一枚の名刺、そこに書かれていたのはインペリアル総合法律事務所 弁護士 涼川 陸(すずかわ りく)。
「松元は私ですが―――弁護士?涼川って、あっ」
―――あなたは、あの陰険な弁護士!!
のこのこ、会社までやって来るとはどういう神経してるのかしら。
目の前に立っていた涼川という男性は長身で、弁護士と名乗るだけあってビシッと決めたスーツ姿の襟元にはキラリと金色のバッチが光っていた。
それにしても30そこそこ、思ったよりずっと若いのには驚いたが、思わず自分の置かれた立場を忘れて見惚れるところだった。
随分とまぁ、甘いマスクだこと。
この顔で、何人の女性を示談させたのか。
だけど、その瞳の奥はなんて冷酷なんだろう…。
「何の御用でしょうか、こんなところまでわざわざ」
「お仕事中、すみません。少しお時間いただけないかと」
「無理です。見ればお分かりになるでしょう?頭のいい弁護士さんなら。だいたい、失礼でしょ。人の仕事中に突然現れて、時間をくれなどと」
―――弁護士ってのは、どこまで傲慢なわけ?
人が仕事中だっていうのに勝手なこと言ってからに!!
私は暇じゃないんですぅ。
塔子は男のことなど無視して、続々と現れる来客の対応に追われた。
そんな彼女を見かねてか、隣にいた同僚が耳元で「少しの間なら」と囁くが、甘やかしては相手の思う壺。
話があるなら定時まで待っていればいい、その前に直人本人が出向かない限り何も話す気などないのだが。
「いい加減、帰っていただけませんか。そこに立たれると、お客様の邪魔になります。営業妨害で警察を呼んでもいいんですよ?」
弁護士が警察に捕まる、間抜けもいいところだ。
「それは困るな。では、何時だったら、いいのかな?」
「仕事が終わるのは、17時30分です」
「わかった。君の言う通り、出直すとしよう」
「じゃあ、また」と出て行った男の後姿を見つめながら、同僚は「誰?あの人、めちゃめちゃいい男じゃない」と他人事。
―――何が、またよ。
出会いが直人絡みでなければ、そう思えたかもしれないが、今は違う。
これから、戦わなければならないかもしれない敵なのだから。
◇
時刻は、17時半を過ぎたところ。
仕事を終えた塔子は着替えてオフィス出ると、きちんと約束を守って待っていた男と目が合ったが、知らん顔してそのまま行ってしまう。
屁理屈と言われようがなんとでも、出直せとは言ったが、話に応じるといった覚えはない。
「おいおい、僕の前を素通りとはひどくないか」
「散々、待たせておきながら」と追かけてくる男は、初回と違って態度が妙に馴れ馴れしい。
そして、忠告するが、待たせておきながらという解釈は間違っている。
「・・・・・」
「黙秘権かい?」
何も答えず、そのまま塔子はスタスタと地下鉄の駅に向かうが、尚も後を付いてくる男。
「むくれてないで、食事でもしながら」
「生まれつきの顔で悪かったわね。それにあなたと食事する理由なんてないわ」
「そう言わずに。いい店があるんだよ」
「機嫌直して」なんて言いながら、人の腕を掴むと流れていたタクシーを捕まえて止め、塔子を中に押し込む。
「何、するの。誘拐犯で警察に通報するわよ」
―――今度こそ、誘拐犯で警察に突き出してやるっ。
「君が約束を破ったから」
「約束なんてしてないじゃない。仕事が終わるのは17時30分とは言ったけど。人の話、聞いてないでしょ。弁護士のクセに」
散々なことを言ってくれるなと涼川は思ったが、ここまでムキになって彼女と話をする必要も実際はないのかもしれない。
なのになぜか、食事に誘わないと気が済まない。
それは意地なのか、いや、素直に食事をしたかったからと認めざるを得ないだろう。
「あはは、確かにそうだな」
「いやにあっさり認めるじゃない」
―――この人でも笑ったりするのね。
ふんっだ。
もう、騙されたりしないんだから。
「そりゃあね。負けは負けで認めないと」
「だったら、車を止めなさいよ。こっちはあなたと食事をする気もないし、話す気もないんだから」
「懇願しても?」
「えっ」
「僕は榛沢 直人氏の代理人だから、少なからず君を傷付けてしまった責任を取らなければならない」
「責任なんてないわよ。もう、終わったことでしょ?百年の恋も一気に冷めたわ。大企業のお偉いさんなんかと私じゃ釣り合わないのは言われなくてもわかってる。心配しないで、幸せな二人の前に顔を出したりしないから。必要なら念書でも何でもサインするし。でも、お金は絶対受け取らない」
口約束が何の考慮も持たないことはわかってる。
だけど…。
―――負けを認めるのは嫌だから。
しかし、彼は押し黙ってしまい、そのままタクシーを走らせ、暫くして止まった場所はいつの間にか繁華街から離れた住宅街に立つ洋館。
「ほら、着いたよ」
いつまでも車から降りようとしない塔子の手を取ると、涼川は店の中へ入って行く。
直人とは違う感触に言いようのない感情が体中を駆け巡った。
気を落ち着かせるために店内に目を向けると木の温もりが心地いい洋食屋さんのようで、既にお客さんで満席に近く、家族連れやカップル、女性客で賑わっていた。
かろうじて空いていた席に向かい合って座ったが、まともに顔を見てしまうと、わけもなく鼓動が早まるのを認めたくなかった。
「何でも、好きなものをどうぞ。ここは全部美味いけど、やっぱり海老フライだな」
ちらっと周りを見ると、食べ始めている人の前には巨大な海老フライの山。
―――うわぁっ、デカっ。
海老好きの塔子には、たまらない風景だったが、彼の前で喜ぶのはどうだろう…。
「嫌いか?海老フライ」
「ううん、大好き」
―――あっ、つい本音が…。
食べ物には弱いのよねぇ。
直人は高級なレストランに連れて行ってくれたけど、緊張して何を食べたのか今思えば、ほとんど記憶に残っていない。
その点、この店は…。
おっと、これは彼氏とデートなわけじゃないんだからっ。
勘違いしてる場合じゃないのよ。
「生2つと海老フライ定食2つ、ライス1つは大盛りで」
オーダーを取りに来たウェイトレスにお勧めという海老フライを頼むが。
「生?」
「やっぱり、海老フライにはビールだろ」
―――まぁ、そうだけど。
なんか、上手く丸め込まれているような、いないような…。
「その前にまず、これを」
彼はカバンから、何やら一枚の紙を取り出すと塔子の前に置いた。
「これは?」
「300万円の小切手。少ないかもしれないけど、受け取って欲しいんだ」
「さっ、さんびゃくまん?!」
大きいな声を出してしまい、慌てて口を押さえたが、小切手を見るのも生まれて初めてなら、別れさせるために300万円用意されたのも初めてだ。
「お待たせいたしました。生ビールをお持ちしました」
300万円の小切手を前にビールで乾杯もあったもんじゃないが…。
「君のその表情からは、乾杯って感じでもないな」
そう言って、涼川は軽く乾杯の真似だけするとグラスに口を付けた。
雇い主に言われた通りのことをしているだけの彼を恨んでも仕方がないとわかっている、だからといって『はい、わかりました』と簡単に受け入れられるものじゃない。
「おいっ、何を」
彼の目の前で、ビリビリと小切手を破いて見せる塔子。
―――ドラマとか、漫画で見たことあるけど、一度やってみたかったのよねぇ。
小切手を破るシーン。
かぁっ、すっきりしたぁ。
「かんぱーい」
そう言うや否や、塔子はビールをゴックン、ゴックン、一気飲みする。
その飲みっぷりたるもの、見ていて気持ちいいほどだ。
「カァーっ、一仕事の後の一杯は格別だわ」
「お替りしていい?」と言われ、「どうぞ」と答えるのが精一杯の涼川だったが、ここまで思いっきりのいい女性に会ったことは今まであっただろうか。
女性関係が派手な榛沢、顧問弁護士として幾度となく後始末をさせられてきたけれど、どの女性も小切手をチラつかせると喜んで受け取ったし、中には欲をかいて額を吊り上げてくる者さえいたが、目の前の彼女はどうだろう。
榛沢のしてきたことは決して正当化できるものではないが、この出会いを感謝したいくらいだ。
「お待たせしました。海老フライ定食になります」と目の前に置かれた巨大海老フライに塔子の目は釘付けだ。
「うわぁっ、美味しそう。いただきま〜す」
榛沢のこと、小切手のことも絶対許すつもりはないが、海老フライに罪はない。
こんなに美味しそうなんだから、味だって。
「おぃひぃけど、あっつぅ」
「それは、良かった」クスクスと笑って見ている彼、どうせお子様とか思ってるんでしょ。
―――いいもん、なんと思われようともう二度と会わないんだから。
あっ、でもこのお店には来てもいいわよね?
「ごめんなさい」
「ん?どうした、急に謝ったりして」
「小切手、破っちゃったから」
「あぁ」
「直人、榛沢さんには私がちゃんと受け取ったって報告してね。もちろん金輪際、二人の幸せの邪魔はしないって約束するから。この件は、これでお仕舞い」
「わかったよ。君の気持ちは、だけど気が変わったら」
「あなたって、ちっともわかってないみたいね」
今度、恋をする時は誠実で真面目な男性(ひと)にしよう。
私を一番に想ってくれて、大切にしてくれる男性(ひと)に。
+++
一週間後、直人と代議士のお嬢さんとの婚約の話が塔子の元へも伝わってきたが、もう何とも思わない。
「やぁ」
―――何が、『やぁ』よ。
性懲りもなく、私の前に現れるなんて。
あなたとは二度と会わないはずだったのに。
「まだ、何か?弁護士さんも色々大変ね。雇い主の元カノの監視まで、しなきゃならないなんて」
「今回は違うんだ」
「じゃあ、何しに?」
「君を誘いに」
「は?あなた。頭、おかしいんじゃないの」
仕事とはいえ、雇い主である直人のために手切れ金まで用意して別れさせた女を誘いに来て、どうするのよ。
「そうかもしれない」
「そうかもしれないって」
変なところで、あっさり認めるのね。
「好きになったみたいなんだ」
「何を?」
「君を」
「は?!」
―――私もとうとう、頭がやられたのかしら…。
好きになったとか、なんとか言われたような…。
「榛沢リアルエステートの顧問弁護士をついさっき辞めてきた。君を射止めるためには、それくらいしないと信用してもらえないから」
「辞めたからって、私のことを射止められるとは限らないでしょ」
―――その傲慢なところをまず、改めなさいよ。
まぁね、直人みたいな男の弁護士なんて辞めた方がいいとは思うけど、だからって…。
「なら、どうしたらいい?」
「どうしたらいいってねぇ」
―――言われても困るのよ。
少しは誠意ってものも、感じられなくもないんだけど…。
これでまた、あんな目に遭ったりしたら。
「小切手を用意して」
「小切手?」
「そう。私をフったら代償に500万円、いや、1,000万円かな」
弁護士に1,000万円も払えるわけがない。
直人だって、300万円だったんだから。
「わかった。1,000万円の小切手を渡せばいいんだね」
涼川は胸ポケットから小切手帳を取り出すとスラスラとペンで書き始めた。
そして、ビリッと破ると塔子の前に差し出す。
「はっ、マジ?!」
―――もしかして、この人もお金持ちなの?
待って、おもちゃかもしれないわ。
「これで、いいかな」
「私が持ち逃げするかも?」
「君は、そんなことをするような女性じゃないさ」
「あら、私も随分と信用度がアップしたものだわ」
あの時は、人のことを演技が上手だとか言って、財産狙いだと決め付けたクセに。
その手には乗らないわよ。
「僕の言葉が信じられないのはわかる。あの時は申し訳ない、失礼なことを言ったと反省している。でも、思いっきりの良さ、飲みっぷり、食べっぷりに惚れたんだ」
思いっきりの良さはともかく、飲みっぷりに食べっぷりって…。
変なところに惚れないでよ。
「私も、あなたのそういう素直に認めるところは嫌いじゃないのよ?」
「ほんとに?」
「まず、この小切手が本物かどうか確かめてから返事をするわ」
「破り捨てるんじゃないのかい?」
「何でよ。これは担保でしょ。あんな目に遭うのはコリゴリだし、私も悪女に変わらなきゃ」
―――あら?もしかして、焦ってる?
いいわよね、これくらいしたって。
「その前にお腹空いてるの。美味しいものを食べさせてくれるお店に連れて行って。海老フライ以上にね」
「わかったよ」
「君には敵わない」と諦めたのか、いや、それどころか益々、惚れてしまったなんて言ったら信じてもらえるだろうか?
To be continued...
お名前提供:松元 塔子(Touko Matsumoto)&涼川 陸(Riku Suzukawa)/榛沢 直人(Naoto Harusawa)…トモさま
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※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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