伊藤 樹梨亜(いとう じゅりあ)は大手商社に勤めて3年目の極々普通のOLだったが、普通でないことが1つだけあった。
それは、樹梨亜の類稀なる容姿。
身長170cm、バスト88cm、ウエスト58cm、ヒップ90cmのナイスバディに加え、大学時代にはミスキャンパスにも選ばれたという美貌の持ち主。
どこに行っても目立つ樹梨亜は、モテモテで注目の的。
もちろん会社に入ってもそれは続いていたのだが、ある人物だけは別だった。
その人物の名は、松久 歩(まつひさ あゆむ)。
同じ部に所属する、樹梨亜の同期である。
彼は、身長180cmを越す長身で仕事もできる。
同期一、いや社内一のイケメンだったから、樹梨亜もそれなりに意識していた。
しかし、彼はそんな樹梨亜に一向にナビく気配すらなかったのだ。
「ねぇ。樹梨亜、知ってた?松久くん、マレーシアに転勤だって」
「えっ、マレーシア?」
「5年は帰って来られないって、話だけど」と教えてくれたのは、1年先輩の森山 千津(もりやま ちづ)。
彼女は部長秘書をしていたので、こういう情報を得るのは誰よりも早い。
樹梨亜の同期でこの部に配属されたのは歩だけだったので、一番年の近い千津が唯一心を許せる相手だった。
「そうなんだ…」
「いいの?」
「え?」
「隠してもダメなんだから。樹梨亜、松久くんのこと好きなんでしょ?」
プライドの高い樹梨亜は自分が彼を好きだということを悟られたくなくて、仲良しの千津にさえもこのことは話していなかった…。
どうして、わかってしまったのか?
「千津、どうして?」
「そんなことわかるわよ。私を誰だと思ってるの?」
自信満々に言い切る千津が、なんだかおかしくて…。
「私が思うには、彼も樹梨亜のことが好きなんじゃないかしらね」
「そんなこと…松久くんは、まともに私の話も聞いてくれないのに…」
歩は同期や部内の飲み会などに参加しても樹梨亜の側には絶対に来ないどころか、樹梨亜がお酌をしに行っても『ありがとう』のひと言だけ。
趣味や休みの日に何をしているの?と尋ねても、適当にはぐらかされてしまう。
ここまでくると嫌われているとしか思えないのだが、それでも樹梨亜はそれを認めたくなかった。
いつか振り向いてくれるとどこかで思っていたけれど、それももう無理なのかもしれない。
「それは、きっと恥ずかしいからじゃない?」
「恥ずかしい?」
「そうよ、そうに違いないわ。だって、樹梨亜のことを嫌いなんて男の人がいるわけないもの」
千津の言うように、恐らく樹梨亜を嫌いだと思う男性はいないだろう。
もちろん彼女の魅力は、容姿だけではない。
明るいところに、誰とでも楽しく話ができる気さくさ。
だからこそ、男女共に人気があるわけで、そんな彼女を嫌いになどなるはずがないと千津は思う。
「そんなふうに言ってくれるのは、千津だけね」
「私もできる限り力になるから」
「ありがと」
千津の言葉はありがたかったけれど、こればかりはどうにもならない。
せめて別れの時くらい、きちんと話せたらいいのに…。
そう願う、樹梨亜だった。
+++
歩のマレーシア行きの話を聞いてから間もなくして正式に転勤の辞令が出ると、彼の周りはにわかに慌しくなり同期や部内での送別会の話も出るようになった。
―――行っても、また話もしてもらえないんだろうなぁ…。
彼と接する最後のチャンスなのに…なぜか、臆病になってしまう。
そんなことを考えている時…。
「隣、空いてる?」
「え?」
今日はいつも一緒にお昼を食べている千津が休みだったのと、休憩時間寸前に掛かって来た電話の対応で出遅れてしまい、他のみんなとお昼を一緒にすることができず樹梨亜1人だった。
時間的にも混雑は過ぎて、食堂に人はまばら。
なのに…。
「ダメ?」
「うっ、ううん」
―――松久くん、何でいきなり…。
今まで、一度だって声を掛けてきたことなんてなかったのに…。
「今日は、1人なのか?」
「うん。千津がお休みなのと、急に掛かって来た電話で出遅れちゃって」
「そっか。俺も会議が長引いてさ、すっかり出遅れた」
歩があまりに自然に話し掛けてくるものだから、樹梨亜も面食らってしまう。
「なぁ。それ、もらってもいい?」
「え?」
彼が指差したのは、小鉢に入ったきんぴらごぼう。
樹梨亜はごぼうが苦手で、全く箸をつけていなかった。
「松久くん、きんぴらごぼう好きなの?」
「大好き。その代わり、これあげるよ」
そう言って差し出されたのは、もう1種類あったほうれん草のおひたしの入った小鉢。
こちらはすっかり空になっていたのを見て、樹梨亜が好きだと思ったのだろう。
「好きなんだろう?これ」
「うん」
「俺、ほうれん草は嫌いなんだ」
―――松久くんって、きんぴらごぼうが好きで、ほうれん草のおひたしが嫌いなんだ。
何も知らなかった彼のほんの一部でも知ることができて、樹梨亜はそれだけで嬉しかった。
「マレーシアに行ったら食べられるかな、きんぴらごぼう」
「大丈夫よ。今は日本食なんて、どこにいても食べられるんだから」
「そうかなぁ…」
真剣に心配している歩がなんだかおかしくて、ついつい笑ってしまう。
「送別会、来てくれるんだろう?」
「え…どうして?」
正直迷っていたのは事実、でも歩からそんなことを言われるなんて…。
「伊藤さん、来られないかもって聞いたから」
「ちょっとその日は用事があって、まだわからないんだけど」
「そっか」
―――ヤダ、そんな悲しそうな顔しないでよ。
別に私が行かなくたって、困らないでしょ?
「元気でね」
「え?」
「送別会に行けないかもしれないから、ここで言っておく」
「あっ、あぁ…」
「じゃあ。私、行くね」
とても食事など喉に通る気がしなくて、樹梨亜は急いで席を立った。
自分の席に戻って来ても、胸の鼓動は収まりそうにない。
―――あんなふうに話し掛けられるとは、思わなかった…。
彼がなぜ急に樹梨亜に話し掛けてきたのかはわからなかったけれど、別れたくないもっと話がしたいという叶わぬ願いだけが募るばかりだった。
+++
「樹梨亜、本当に出ないの?」
「うん」
結局、同期での歩の送別会も欠席した樹梨亜は、部内での送別会にも出ないつもりだった。
「どうして?意地張ってないで、出ればいいのに。今日が最後なのよ?これを逃したら当分彼には会えないかもしれない、もしかしたら…」
もしかしたら、二度と会えないかも―――。
「いいの。もう、松久くんにはお別れの言葉も言ったし」
あの時、言えただけでも樹梨亜には満足だった。
―――これでいいのよ、これで。
千津は樹梨亜の気持ちを察してか、それ以上言うことはなかった。
◇
定時になって、みんなは送別会に出るために早々に仕事を切り上げる。
本当は残業などしなくてもいいのに真っ直ぐ家に帰る気にもなれず、樹梨亜はそのまま会社に残っていた。
帰り際に千津に『気が変わったら来てね』と言われたけれど、初めからその気はなかった。
誰もいないオフィスですっかり片付けられた彼のデスクにうつ伏せると、食堂で話した時の笑顔が浮かぶ。
―――今頃はみんな、お酒もすっかり回って盛り上がっているところかな?
その中に自分が入っていないことを、今更悔やんでも遅いんだけど…。
「伊藤さん」
「・・・・・・・」
―――え?嘘…。
どうして、松久くんがここに?
うつ伏せていた樹梨亜は、慌てて起き上がる。
「森山さんに聞いたんだ。伊藤さんが、まだ会社に残ってるからって」
「それで、戻って来たの?」
黙って頷きながら、歩は樹梨亜の隣の席に腰を下ろす。
「どうしても、話したいことがあったから」
「話したいこと?」
歩がここへ戻って来てまで話したいこととは、一体何なのだろう?
「うん。あのさ、あの…」
なかなか言葉が出てこない歩を、樹梨亜は彼の瞳を見つめながらじっと待つ。
「あの…一緒に来て欲しいんだマレーシアに。今すぐでなくてもいいから」
―――え?今、なんて言ったの?
マレーシアに一緒に来て欲しいって、聞こえたような…。
「ヤダ。何、冗談言ってるの?」
「冗談なんかじゃないよ。もっと早く言うつもりだったんだけど、なかなか言い出せなくて」
「だって、松久くん私のことなんて―――」
「何とも思ってないんじゃ…」なかったの?
「そんなことないよ。俺、ずっと意識してた伊藤さんのこと」
「嘘、だって私が話し掛けても全然答えてくれなかったのに」
「恥ずかしかったんだ」
「え?」
『それは、きっと恥ずかしいからじゃない?』
そう言った、千津の言葉が思い出される。
―――松久くんほどの人が、恥ずかしいなんて…。
「伊藤さんの顔をまともに見ることができなくて、あの日食堂でやっとの思いで話し掛けたんだよ。俺の気持ちを聞いてもらいたくてデートに誘おうと思ったんだけど、伊藤さんすぐに席を立っちゃったから」
「あ…」
―――だって…。
私こそ胸が苦しくて、あの場にいられなかったんだもん。
「待ってるから。考えてくれないか?」
「その前に」
「うん?」
「私、松久くんに好きって言ってもらってない」
「え…それは…」
急に黙り込んでしまった歩。
一緒に来て欲しいと言いながら、どうして好きだと言ってくれないのか?
「ねぇ。どうして、好きって言ってくれないの?」
「それは…」
俯いている歩の頬は、心なしか赤いように思えるのは気のせい?!
「ごめん。俺、こういうの慣れてなくて」
「恥ずかしいんだ、とっても…」と最後は消え入るように小さな声に。
歩は、外見とは裏腹にものすごく恥ずかしがりや。
実を言うと、女性に話し掛けることもままならないほどで…それが、意識していた樹梨亜となればなおのこと。
そんな純粋な彼が樹梨亜にはとても可愛らしいというか、愛おしく感じられて…。
思わず抱きしめてしまった。
「ちょっ、伊藤さんっ」
「言って?好きって。そうしたら私、今すぐにでも松久くんに付いて行くから」
歩の顔にくっ付きそうなくらいの至近距離に樹梨亜の顔があって、益々真っ赤になってしまう。
しかし、ここで言わなければ彼女は一緒に来てくれないだろうし、男として失格だ。
「伊藤さんが、好きだよ」
「私も、松久くんが好き」
今度は、歩の方が樹梨亜をきつく抱きしめる。
幸い誰もいないとはいってもここは会社の中だったが、そんなことは今の二人には関係ない。
そっと樹梨亜が目を瞑ると、柔らかくて温かいものが唇に触れた。
それはほんの一瞬のことだったけれど、彼らしさを感じて胸の奥がジンっと熱くなってくる。
すごくカッコいいのに、とっても恥ずかしがりやの彼。
―――そんな松久くんが、大好き。
To be continued...
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