LA GRANDE DAME
SPECIAL STORY


「礼、礼ったら、起きてっ。遅刻しちゃうわよ」

パリでのサプライズ挙式から、10日あまり。
まだまだ、セルフォンプロジェクトは始まったばかりで、甘い新婚生活とはいきそうになかった。
―――でも、礼ってこんなに朝が弱かったのかしら?
毎朝この調子で、伊万里が何度も起こしに行かないと絶対自分では起きて来ない。
社長が始業ギリギリに出社するという話は聞かないし、高柳からもそういったことは聞いたことがなかった。
それがどうだろう、今は伊万里が起こさなければ遅刻間違いない。

「もうっ、礼ったら。起きてっ」
「…っ…伊万…里…おは…よぅ…」
「おはようじゃないでしょ。いつまで寝てるつもり?遅刻するわよ」

―――まったく、暢気なんだから。
やっと目覚めたのを確認した伊万里が部屋を出て行こうとすると、咄嗟に腕を捕まれてベットに引き込まれる。

「やっ。ちょっと、礼っ」
「おはようのキスは?」

―――何が、おはようのキスよ…。
そんな余裕なんて、ないんだから。

「そんなことより、早く起きてよ。コーヒー冷めちゃうし」
「コーヒーよりもキスが先」

―――はぁ…。
これは今に始まったことではないが、朝の忙しい時間なのに…。
ここで言い返しても、彼が起きてくれるわけではない。

「おはよう、礼」

伊万里は仕方なく…そう思っていても、極上の笑顔で軽く唇を重ねる。

「おはよう」
「早く起きて。今日は、朝から大事な役員会議なんだから」

「そうだった」と思い出したように礼は、やっとベットから起き上がった。
独身だった時は二人とも朝食を取ることはあまりなかったけれど、年齢も30を超えているし礼も社長という立場から伊万里が体を気遣って毎朝きちんと朝食を作ってくれる。
ウィークデーは時間的にも洋食、週末は和食という感じ。
焼きたてのパンが、香ばしい匂いを漂わせていた。



「おはようございます。社長、副社長」

会社に着くと出迎えてくれたのは、高柳 元庶務課長。
現在、彼は取締役経営企画室室長 兼 セルフォンプロジェクト室副室長である。
是非専務にと申し入れたのだが、今のままで十分だと彼は最後までうんとは言ってくれなかった。
そこで、社長直属のセクションとして経営企画室を設け、高柳に室長になってもらったのだった。
肩書きは取締役だが、業務的には以前とそう変わらない。
ちなみにシステム管理部課長の宮坂も専務を断ったため、やはり社長直属のセクションとして設けたIT推進室の役付室長となり、しっかり礼と伊万里を支えている。

「高柳さん、おはよう」
「おはようございます。高柳さん」

二人が揃って出勤する姿を見る度に高柳は本当に良かったと思うし、これからの三谷貿易はより一層の発展を遂げるに違いないと確信していた。



朝から役員会議、経営会議と会議が続き、伊万里はクタクタになってしまう。
お昼もそこそこに自室の椅子に戻ったのは、午後だいぶ過ぎてからだった。

「副社長、だいぶお疲れのようですね」
「朝から会議会議。こんなことなら、副社長なんて引き受けるんじゃなかったわ」

さっき、高柳が副社長と呼んだのは伊万里のことだった。
礼に頼まれて断ることができなかったのだが、副社長ともなれば代わりに取引先の社長に会わなければならないことも度々で。
これでは、肝心なセルフォンプロジェクトに手が回らない。

「大変なのはわかりますが、私は伊万里さんが副社長になったことは社長にとって非常に良かったと思っています。1人では、無理があり過ぎましたから」

それは、伊万里もわかっていたこと。
内部での不正取引など、色々なことがあって役員を一掃したが、それでも礼の負担が減ることはなかった。

「そうなんだけど、これじゃセルフォンに手が回らないんだもの」
「プロジェクト室のメンバーもよくやってくれていますので、大丈夫ですよ」

プロジェクトはみんなで作り上げていくもの、伊万里1人の力でここまできたわけではない。
何か問題が起きたのであれば別だが、ここにいる高柳もみんなで協力して順調に進んでいたのだから。

「そうね。自分1人でやってるんだなんて、思っちゃダメなのね」
「そうですよ。伊万里さんは、社長を支えることが一番なんですから」

高柳の言う通りなのかもしれない、セルフォンも大事だけれど今は礼を支えることが伊万里にとって一番しなければならないことなのだと。

「そう言えば、高柳さん」
「なんでしょうか?」
「私と結婚する前の礼は、遅刻したりしなかったのかしら?」
「遅刻ですか?いえ、社長はいつも8時前には出社していましたから、そういうことはないと思いますが」

高柳の知っている限り、礼は毎朝誰よりも早く会社に出社して何社もの新聞をチェックしていたし、運転手も早めにマンションに迎えに行くようにしていたと聞いている。

「そうなの?」
「どうかしましたか?」
「毎朝、起こすのが大変で。私もそういう話は聞いたことがなかったから、もしかしてと思ったんだけど」

その話を聞いてピンときたのは、高柳だからこそ。
というのも、彼も若かりし頃そうだったから…。

「それは甘えているんでしょうね、伊万里さんに」
「甘えてる?」
「そうですよ。本当は、目が覚めているのかもしれませんね。でも、伊万里さんに起こしてもらいたくて」

―――はぁ?そうなの?
毎朝、私に起こしてもらいたくて、そしてキスをせがむのも…。
呆れる反面、嬉しいと思ってしまう自分がいる。

「高柳さんも、もしかしてそうだったの?」
「えっ、私は…」

不意を突かれて、高柳は答えに困ってしまう。
―――やだ、高柳さんが?
礼ならやりそうなことだけど、高柳さんがねぇ。

「高柳さんもそうなら、礼だけを責めるわけにはいかないわね」
「男なんて、そんなものですよ」

高柳に言われると妙に説得力があるのは、なぜだろう。
でも、夫に甘えられるのも悪くない…かな?

「なんとなく、理由がわかってよかったかも」
「私が言ったことは、内緒にしておいていただけるとありがたいのですが」
「わかったわ」
「では、私は戻ります」

1人になった伊万里は椅子に深く腰掛けて、じっと壁を見つめる。
―――今頃、礼は何をしているのかしら?
電話かしら?パソコンの画面に向かってる?それとも書類に目を通してるかしら…。
その壁の向こう側には、愛しい夫がいる。
以前、ドアを塞いでと言ったことがあったが、今はそのドアもない。
逆側に副社長室を新設した関係で、構造上ドアを付けられなかったから。
―――ドア、あった方が良かったかな…。

トゥルルルルルル―――
  トゥルルルルルル―――

そんなことを考えていると電話が鳴り出した。

「はい。三谷ですが」
『伊万里』

何をしているのだろう…そう思っていた矢先の礼からの電話。
仕事の話だとはわかっていても、声が聞きたかった。

「礼」
『今、何してた?』
「え?何って、さっきまで高柳さんが来ていたから」
『そっか』
「礼?仕事の話じゃないの?」
『やっぱり、無理してもドア付ければ良かった。ほんの数十センチの壁なのに…』

一度廊下に出なければならないから受付の女性の目もあるし、今はそう簡単に部屋を行き来できないのである。

「何、言ってるの」

口ではそんなふうに言っても、心の中で思っていることは礼と同じ。
声も聞きたいし、顔だって見たいのだ。

『ごめん。なんかさ、結婚してもあんまり一緒にいられないから』

朝も慌しく家を出て、帰りは遅くなることが多いから食事をしてすぐに寝てしまう。
休みの日に出勤することも少なくないし、お互い用事があって思うように時間が取れていないのが実情。
これなら、結婚する前の方が一緒にいられる時間は多かったのかもしれない。

「ねぇ、そっちに行ってもいい?」
『え?それは、構わないけど』
「すぐに行くから」

電話が切れて、暫くするとドアをノックする音。

コンコン―――

「どうぞ」
「失礼します」

伊万里が社長室に入るや否や、礼にきつく抱きしめられる。
彼は席を立って、彼女が来るのを待っていてくれたのだ。

「伊万里から来てくれるとは、思わなかった」
「たまにはね」

クスッと笑う伊万里の唇を、礼はすかさず奪う。
社長室でのキスも、かなり久し振りだったかもしれない。

「…っ…っん…」
「…伊万…里…」

何度も何度も角度を変えて、それは段々と深いものへと変わっていく。
一応、機密漏えいの観点から防音設備は整えてあったが、こういうことをするためのものではないので、後ろめたさがないわけでもない。
それでも、お互い止めることができなくて…。

「…ぁっ…っ…ん…」
「そんな声を出されると本気でヤバイな」
「そういうこと…言わないで…」
「伊万里が悪いんだぞ」
「なんで、私が…」

こうなることがわかって来ているのだから、あまり強く言えないけれど…。

「三谷 伊万里にしたくらいじゃ、済まないな。俺の腕の中にずっと抱きしめておかないと」
「そんな」
「それくらい、好きだっていうこと」
「礼ったら」

その日は午前中に会議が詰まっていたものの、午後は空いていたから、伊万里はずっと社長室から出て来なかった。


END


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