高度4万フィートの恋
Jealous Flight


「下山様、お呼びでしょうか」
「あら、あなた?私は、男性の乗務員の方に来て欲しかったんだけど」

怪訝な顔で「ほら、ちょっと素敵な」と後ろを振り向いてチーフを探している、派手な装いでお水のお姉さまらしきお客様。
―――な〜にが、男性の乗務員よ。
私で悪かったわね。座席で担当が決まってるんだから仕方ないでしょ。
だいたい、隣の席にはお連れの男性がいるじゃない。

本日担当のローマ発ミラノ経由東京行きジャパン・スカイエアー012便のファーストクラスはほぼ満席だったが、訳ありのお客様も少なくない。
親子ほども歳の離れたこの二人も恐らくそうに違いないと思っているのは、寿珠(すず)だけじゃないはず。
ファーストクラスの座席はプライベートな空間を確保している設計上、カップルには不向きではあったが、さっきまで隣の男性にあんなに甘えていたのに寝ているのをいいことにチーフを呼び出すとは…。

「少々、お待ち下さい」

不本意ではあったが、お客様のご要望には応えなければ。
寿珠がギャレイに戻ると担当のお客様のコーヒーを入れていたチーフ、単なる上司と部下という関係から恋人に変わった今は、彼に色目を使う女性が気になって気になって。
本人の前では絶対、言わないけどっ。

「チーフ、2Dの下山様がお呼びです」
「え?そこは、君の担当じゃ」
「チーフに来て欲しいそうです。私ではご不満のようですから」

寿珠の妙に棘のある言い方が気になったが、角田は「わかった」とだけ言うと入れたコーヒーを持ってギャレイを出て行った。
追うようにして影からそっと覗き見ていると別のお客様に頼まれたコーヒーを置いてから、下山様の前で彼は腰を屈めて何やら随分長い間会話を交わしている。
―――まさか、あの女性はチーフを誘ったりしてないわよね。
仮にそうだったとしても、彼が乗るわけはないとわかってる。
わかっていても、胸の奥のモヤモヤした気持ちが寿珠の不安を募るのだ。

「どうかしたの」

ずっと一点を鋭い視線で見つめている寿珠に絵里子が声を掛けた。

「ねぇ、チーフが話してるあのお客様、どう思う?」
「どう思うって。確か、あの席って随分派手な女性だったような。そうそう、お父さんくらい歳の離れた男性(ひと)と一緒にミラノからでしょ?女性の方は水商売風だし、クラブか何かのお金持ちのお客さんと火遊び?ってとこかしら」

絵里子なら、いくら相手がお金を持っていても、あんな年配のオジイちゃんと二人で旅行はしたくない。

「そうじゃなくって、チーフによ」
「ん?」

…なるほど、さっきから怖い顔で見ていたのは、それだったわけ。
チーフと寿珠が付き合っているというのは薄々感じでいたし、後に本人からもきちんと報告は受けている。
てっきり、玉の輿を狙っているものとばかり思っていたから、本命がチーフだったことに正直驚いたのは事実。
誰にも本気になれなかった寿珠のハートを射止めたチーフがそれだけ、いい男だったということなんだろう。
でなければ、こんな彼女を見るなんてことはなかったはず。

「鼻の下なんか伸ばして、ニヤニヤしちゃって」
「ふふふ」
「何よ。その笑いは」
「だって、寿珠が嫉妬してる」
「はっ、誰が嫉妬」

「そういうとこ、今の寿珠はすっごく可愛いと思う」なんて、絵里子はおもしろがってるし!!
多分、こんな気持ちを抱いたのは初めて。
今まで付き合ってきた男性には感じなかった想いであることは間違いない。

「チーフって、そんなにいいわけ?」
「えっ…いいって、何が」
「またまた、トボケちゃってぇ。あっちに決まってるでしょ。男と女が一緒にいたら、やることなんて決まってるんだから」
「ちょっ」

―――やることって…絵里子、それは乗務中にする会話では…。

ピンポォーン

「あっ、お客様が呼んでるわよ」
「え?ナニヨォ、いいとこで」

「後で、きっちり教えてよ?」とブツブツ言いながら、お客様のところへ急ぐ絵里子。
―――良かった…。
寿珠にとっては、いいところでお客様が呼んでくれて。
危うく、根堀り葉掘りいらんことまでツっ込まれるところだったわ。
絵里子ったら、大〜好きだもんね、こーいうエロ話。
考えただけでも、カァーッと顔が熱くなるほど。

私ったら、何をっ。
パンパンっと両手で顔を数回叩くと寿珠は、仕事モードに切り替えた。



「お疲れさん、どうする?今夜は、一緒にうちに来るか?」

無事に滞りなく成田空港に到着したジャパン・スカイエアー012便から降りた二人、仕事でも一緒、休みの日もほぼ一緒の日々を過ごしているが、これが全然嫌じゃない。
むしろ、もっと一緒にいたいと思ってしまうから不思議。

「一度、家に帰ってからにしようかな。洗濯もしたいし」
「なら、夕飯作って待ってるよ」

これが付き合ってびっくりしたのが、彼はものすごい料理上手。
決して寿珠が下手とかそういうことではなくて、彼女が和食に対して彼は本格的なイタリアンを作ってしまうのだ。
もちろん、ソムリエの資格を持っているからワインセラーまで家にあるし。

「遼介のパスタ、美味しいから大好き」
「なんだ、寿珠が大好きなのはパスタだけか」

もちろん、彼のことが大好きなのは変わりないが、調子に乗るといけないからやっぱり言わないことにする。

寿珠は一旦、自宅に帰ってから夜になって彼のマンションへタクシーで。
実を言うと彼女はペーパードライバー、免許は取っただけで車の運転を随分していない。
それもこれも、付き合った男性が迎えに来て出掛けるというパターンだったからで、そろそろ自分の車を買った方がいいかもしれない。
玄関のブザーを押すと彼が迎えに出てくれたが、それより奥から漂ういい匂いの方につられてしまう。

「お腹、空いちゃった」
「俺より、食い気か」
「もうっ、どうしてそういうことばっかり言うわけ?」

本当は機内で下山様と何を話したのか、問い詰めたかったけど、そこは寿珠の変なプライドが邪魔をする。

「だってさ、俺がこんなに会いたかったっていうのに寿珠は平気な顔してるから」
「そんなこと。私だって」
「だって?」

「お鍋、茹ってるわよ?」と誤魔化したが、寿珠だって同じ気持ちなのだ。
つい、つっけんどんに返してしまうのは、甘え方がよくわからないから。
テーブルの上にはモッツァレラとトマトにバジルが添えられたサラダが置かれ、オーブンからは鯛とじゃがいもを焼く匂いが。

「私も手伝う。今夜のパスタは何?」
「チキンとほうれん草のクリームパスタ」
「あぁ〜ん、美味しそう」

対面式のキッチンから、彼が嬉しそうに微笑むのが見えた。
本当なら、10数時間のフライトを終えて疲れているはずなのに彼はそんな素振りも見せずに腕を振るってくれている。
彼女として相応しいのだろうか…自分ばかり…。

「どうした?」
「うん」

寿珠はキッチンへ入ると、遼介の広い背中にそっと体を預けて顔を埋める。
振り返ろうとする彼の腰に腕を回したのは、なんとなく今の自分の嫌な顔を見られたくなかったから。

「寿珠?」
「邪魔して、ごめんね」
「いや、構わないさ」

何も言わずに遼介はパスタを茹でている。
触れ合う体から、言葉などなくても分かり合える気がした。

「下山様と何を話していたの?」
「ん?あぁ、クラブで働いてるらしい。サービスするから、店に来てってさ。名刺をもらった」
「そう」

―――それだけ?
今の私、すっごく嫌な女になってるかも。
遼介を信じていないわけじゃないの。
でも…仕事だってわかってても、私以外の女の人と話してるのを見ていられないんだもん。

「嫉妬したの、絵里子にも言われた。遼介が私以外の女の人と話してるのを見るのが嫌。こんなこと、今まで思ったことなかったのに。迷惑だって」

一度口に出してしまうと、次から次から思っていることが溢れ出す。

「全然、迷惑なんて思ってない。むしろ、その逆だな。俺にしてみれば、そういうとこがツボっていうか、めちゃめちゃ可愛いぞ」
「絵里子も同じようなこと言ってた」

遼介は茹で上がったパスタをフライパンに作ってあったチキンとほうれん草のクリームソースとあえる。
ちょうど、鯛とジャガイモのオーブン焼きも出来上がったようだ。

「さぁ、出来たぞ。食べよう。おっと、その前にいただきます」

遼介は向き合って寿珠を抱きしめると唇を奪う。

「いくらでも我が侭、言っていいんだ。寿珠なら、俺が一生甘やかしてやる」

「まって…」
「待てそうにない」
「ダメっ。せっかく作ったんだから、食べてから。夜は長いんだし」

はいはい。
夜は長いからね。


END


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福助


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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