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Chapter5


今日は、久しぶりに同期が集まっての飲み会だ。
上野 詩帆吏(うえの しほり)もその中のひとりで、参加予定だった。

「詩帆吏、今日の飲み会楽しみだね」

まだ始業したばかりだというのに心は定時後の飲み会に飛んで行ってしまっているのは、やはり同期の金田 美穂(かねだ みほ)。

「美穂ったら、何をそんなに楽しみにしてるわけ?」

詩帆吏が呆れ顔で問い掛けても人の話なんて聞いていないというか、美穂には聞こえていないようだ。
部署や執務場所が違って滅多に会えない仲間と会うというのは楽しみと言えば楽しみだが、美穂が浮かれる理由がわかっているだけに複雑だった。
詩帆吏が今の会社に入社したのは2年前、就職氷河期と言われた時代だったけれどなんとか世間で言われるところの一流企業に勤めることができた。
新入社員の数も男性8名に女性3名と会社の規模からしては非常に少なかった年だったことから、結束も固く仲もとてもよかった。
こうやって集まって飲み会を開くことは度々あったけれど、今回は少し様子が違う。
それは、入社半年ほどでアメリカの大学に社費留学していた高杉 渉(たかすぎ わたる)が、帰って来たからだ。
渉は同期でもダントツで顔がいい、それに成績も優秀で社費留学したぐらいなのだ将来出世が約束されたも同然という完璧な男。
同期というだけで他の女子社員から羨ましがられ、合コンをセッティングしろとそれはそれは大変だった。
詩帆吏にしてみれば、渉が留学してくれて半ばホッとしていたくらいなのに…。
―――また、周りに色々聞かれるんだろうなぁ。
部が違って良かったわ。

「詩帆吏は、嬉しくないの?あの高杉君が、戻って来たんだよ?」

―――美穂には、学生時代から付き合っているラブラブな彼氏がいるっていうのに…。

「別にあたしには、あの男がどこにいようが関係ないし」
「相変わらず詩帆吏は、冷めてるわね。でもあんないい男、そうそういないわよ?同期ってだけで一緒に飲めるんだから、ありがたく思わなきゃ」

詩帆吏だって渉がいい男だということは認める、認めるけれど素直じゃない性格がどうしても正反対のことを言ってしまうのだからしょうがない。
それに渉は顔や頭がいいだけじゃなく性格もいい、誰にでも優しくてそれが上辺だけの優しさではないとわかるだけに厄介だった。
だから、極力関わらないように心がけていたわけだけれども。

+++

ところは、会社近くの居酒屋奥の座敷。
同期全員が集まっての飲み会が始まっていた。
美穂と詩帆吏は同じ部署だったけれど、別の部署に配属されたもう1人の女子である中田 紗弥香(なかた さやか)とは久しぶりの再会で、3人は近況報告で既に盛り上がりを見せていた。
紗弥香はおしとやかなやまとなでしこタイプのとても綺麗な子で、同期の間でも人気が高かった。
でも、しっかり優しくてかっこいい彼氏がいるらしく、みんな残念がっていたのを思い出した。
―――彼氏がいないのは、あたしだけか…。
こんな可愛くない性格だもの、彼氏なんてできるわけないわよね。
ひとりセンチメンタルに浸っていると今日の最大の目的である渉に矛先が向いた。
1年振りに見る渉は入社時とさほど変わっているようには見えなかったけれど、相変わらずの優しい笑顔に優しい物腰だった。

「ねえ、高杉君。向こうでダイナマイトな金髪美女とのロマンスは、なかったの?」

美穂が口火を切ったけれど、それは男子も同じだったようで一斉にみんなの視線が渉に集まった。

「全然そんなのなかったよ。周りは男ばっかりだったし、それがさ日本人の男って可愛く見えるらしくって、ゲイに迫られて参ったけどな」
「ほんとかよ」

みんなはそんなことあるのか?って口々に言って疑いの眼差しで見ているけれど、詩帆吏だけは妙に納得している部分があった。
―――あぁ、確かに高杉だったらゲイが好むのもわかる気がするわ。
うんうん。

「上野さん。そこで何、納得しているのかな?」

急に渉に話しかけられて、それも思っていることをずばり言い当てられて、思わず飲んでいたビールを噴出しそうになった。
この男は、いつもそうだ。
詩帆吏が、言葉を発しなくても思っていることを言い当ててしまう。
それはよく詩帆吏は思っていることがすぐ顔に出るからねとは言われるけれど、ここまで人の心の中をいとも簡単に言い当ててしまう男は渉以外にはいなかった。

「べっ、別にあたしは何も」
「まぁそういうとこ全然変わってなくて、俺としては嬉しいけどさ」

ヒューヒューという野次が飛ぶ。

「ちょっとあんたね、そういうわけわかんないこと言うのやめてくんない!みんなが誤解するでしょ!」

―――もう、頭きた。
一体、なんなのよ。

「ごめん、冗談だよ。怒ったのなら謝るからさ」

詩帆吏はこの場に居づらくてただトイレに行くために立ち上がっただけなのだが、渉は詩帆吏が怒ったと勘違いして慌てて謝った。

「別に怒ってなんかいないわよ。トイレに行くだけ、勘違いしないでくれる?」

そう吐き捨てると詩帆吏はトイレに行き、洗面所の鏡に映る自分の顔を見ながら小さく溜め息を吐いた。
―――あいつ、絶対あたしをからかって面白がってるよ。
あいつこそ、そういうところ全然変わってないっつうの。
あーぁ、もう帰りたいな…。
あまり長い時間ここに居るわけにもいかず、詩帆吏は宴に戻って行った。
その後は相変わらず渉を取り囲んでいるみんなを尻目に詩帆吏は、ひとり端でビールを飲んでいた。



「じゃあ、俺は悪いけどこれで帰るよ」

一次会も終わり、会計を済ませて店を出た時に突然渉が帰ると言い出した。
二次会に流れるとばかり思っていたのに言わば今日の主役でもある渉が、いきなり帰ると言い出して周りからはブーイングの嵐が巻き起こる。

「何だよ。今日は、金曜日だろう?まだ、いいじゃないか」
「そうだよ」

みんなは、渉の言葉に納得できない。
そんなみんなを尻目にやっと帰れると思った詩帆吏にまたもや渉が、とんでもないことを口にした。

「ほんとごめん、今夜は二人だけでゆっくり話したいんだ」

そう言って、渉は詩帆吏の腕を掴むとみんなを無視して歩き出した。

「はぁ?何、ちょっと離してよっ」

渉は、まったく詩帆吏の言葉など聞く様子もなく腕を引っ張ってどんどん行ってしまう。
気になって後ろを振り返ると呆気に取られたみんなの顔が見えたが、渉は手を上げると止まったタクシーに詩帆吏を押し込んだ。

「ちょっと、勘弁してよ。あたしが何したって言うの?何の恨みがあってこんなことするわけ?あんたアメリカ行って頭おかしくなったんじゃないの?」
「こうでもしなきゃ、上野さんと二人きりになれないだろう?」

全然悪びれた様子がない渉に詩帆吏は、怒りを通り越して呆れるしかない。
それとタクシーの中ということもあってこれ以上は大声で文句を言うこともできず、詩帆吏は黙って渉に着いて行くしかなかった。
暫くしてタクシーが止まった場所はとある一件のマンションの前、タクシーに乗っている間ずっと手を握られていたのでそのまま車から引きずるように降ろされた。

「ここは?」
「俺の家」

―――嘘…、高杉ってこんなすごいところに住んでるわけ?
見れば会社からはさほど遠くない場所にあるリバーサイドに建つ、高層マンションだった。
驚いて言葉も出ない詩帆吏を気にも留めず、渉はマンションの中に入りちょうど1階で止まっていたエレベーターに乗り込んだ。

「え?何であたしが、高杉の家に行かなきゃなんないわけ?」
「落ち着いて話ができる場所って言ったら、家しかないだろ?」

―――そりゃそうかもしれないけど…って、納得している場合じゃないのよ。

「あたしは、高杉と話すことなんてないわよ。ヤダ、帰る」

咄嗟に渉が押していた20階よりも下の階のボタンを押そうとしたが、あっけなく彼の手によって制された。

「こんなことしていいと思ってるの?大声出すわよ」

今度は、詩帆吏の口を彼自身のそれによって塞がれた。
何をしても渉には敵わなかった。
エレベーターが止まり、何個かドアを通り過ぎてあるドアの前で足を止めると渉がポケットから取り出した鍵でそれを開けた。
渉に腰を抱かれるようにして長い廊下を抜けてリビングに入るとそこは、まるでホテルのスィートルームのように広かった。
ものすごく素敵なインテリアだったけれど、そんなものは今の詩帆吏の目には入るどころか何を考えているのかさっぱりわからない渉に恐怖心すら覚えていた。
渉は、そっと詩帆吏をソファーに座らせると「今、温かい物を入れるから」と言い残してキッチンに消えた。
その間、詩帆吏はただ黙って待っているしかなかった。
暫くして渉が湯気の立ったカップを両手に持って戻って来ると1つを詩帆吏の前に差し出すが、しかしいつまでも受け取ろうとしない詩帆吏に持っていたもう1つをテーブルの上に置き、渉は隣に座ると詩帆吏の手を取ってその上にカップを乗せた。

「そんな悲しい顔しないで。俺、そんなつもりで上野さんをここに連れて来たんじゃないんだ」
「じゃあ、どうしてこんなことするの?」
「一年前、俺がアメリカに行く前に言ったこと覚えてる?」

一年前…アメリカに行くことが決まってすぐに渉は、詩帆吏に自分の気持ちを告白した。
今まで自分から告白なんてしたことがない渉にとっては初めての一目惚れというやつだったが、全然なびかない詩帆吏にそれが却って渉の気持ちに拍車をかけたのだ。
結局最後まで詩帆吏には何の返事ももらえないまま、ただ一年待っていて欲しいという言葉だけを告げて渉はアメリカに旅立った。
その間中、ずっと詩帆吏のことを忘れる日などなかったから、こうやって日本に戻って来れて詩帆吏に会えたことが渉には嬉しくてたまらなかった。
一年前もすごく可愛かったけれど、それに少し大人の色気も加わって綺麗になった詩帆吏に目が釘付けになったのは言うまでもない。

「俺の気持ちは、あの時と変わらない。アメリカに行っても、ずっと上野さんを想ってたよ。だから、今度こそ上野さんに返事を聞かせて欲しいんだ」

ずっとカップを見つめていた視線をゆっくりと渉の方に向けると射抜くような強い視線の裏に切なそうに詩帆吏を見つめる渉の顔があった。
あの時のことは、忘れたくても忘れるはずがない。
だけど、詩帆吏には渉の言葉が信じられなかったのだ。
口は悪いし素直じゃない、そんな自分がそこまで想われるような人間でないことを誰よりも詩帆吏自身が一番よくわかっていたのだから。

「どうしてあたしなの?高杉ならあたしなんかより、もっと相応しい子がいるでしょう?」
「俺が好きなのは、世界でただひとり上野さんだけだから。上野さん以外の子を好きになれないし、ならないよ」
「え?」

―――なんで、そんなこと言うわけ?
本当は、詩帆吏も渉のことが好きだった。
けれども一年離れればお互いの気持ちも変わっていくだろう、だから敢えて返事をしなかったのだ。
それなのにこんな自分をずっと想っていたなんて…。

「馬鹿ね。あたしのことなんて忘れて、金髪美人を見つければよかったのに」
「そんなことできない、っていうかできるはずないよ。俺には、上野さんしかいないんだから」

渉は、詩帆吏の手に乗せたカップをテーブルの上に置くとぎゅっと抱きしめた。

「好きだよ。だから、俺のモノになって」
「あたしって、モノなの?」
「そう」
「何それ、なんか納得できないわね」

拗ねたように詩帆吏は言ったけれど、顔は微笑んだままでそれが本心ではないことを渉はわかっていた。

「俺は、上野さんのモノだからそれじゃあダメ?」
「高杉は、あたしのモノなの?」
「そうだよ、俺は上野さんのモノ」
「だったら…いいかな」
「本当?」

詩帆吏は、黙って頷いた。

「じゃあ、俺のこと好きって言って」
「―――好き、高杉が好き」

見る見るうちに高杉の顔が破顔したかと思ったら、さっきよりも一層強く詩帆吏を抱きしめた。

「あぁ、やっと聞けた。夢じゃないんだよな」
「高杉―――」
「渉って、呼んで」
「はぁ?何、調子に乗ってるのよ」

せっかく自分の気持ちに素直になれたというのについ、いつもの癖でついぶっきらぼうに返事を返してしまった。
―――だって、高杉ったらいきなり渉って呼べなんて言うからいけないのよ。

「そういう口の悪い詩帆吏も好きだけど、名前で呼んで欲しいんだ」

―――ちょっと、いきなり人のこと名前で呼ばないでくれる?
恥ずかしいったら、ありゃしないわ。

「…んっ…」

不意に渉が、詩帆吏にくちづける。

「…んっ…ちょっ…っ…」

―――ちょっ、なんなの?
それは、言葉どころか息も吸えないほどの荒々しいもので、詩帆吏は彼から離れようと胸を思いっきり手で押してみたが、ビクともしない。
さっきのエレベーターの中でもそうだったが、彼は思っていたより大胆な行動に出る男のようだ。

「名前で呼んでくれるまで、ずっとこうしてるから」

―――え…。
詩帆吏は暫く躊躇っていたけれど、言わなきゃ言うまでしつこくキスするに決まっている。
そういう渉の性格を知っているだけに素直に従うしかなかった。

「んっ…はぁ…わた…る…」
「もう一回、言って」

苦しいのと恥ずかしいのを堪えてやっとの思いで言ったのに調子に乗るなと心の中で叫んでみたが、知らず知らずのうちに詩帆吏は何度も渉の名を口にしていた。
すると渉は、ゆっくりと詩帆吏の唇から離れて満足気に微笑んで囁くように言う。

「詩帆吏、愛してる」

詩帆吏の頬を両手で包み込むようにして、再び唇を重ねた。
さっきまでのものとは全く違う優しいくちづけで、何度も何度も角度を変えて行われる官能的な行為に詩帆吏は、今にも溶けてしまいそうだった。


To be continued...


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