新緑の季節、木漏れ日が差し込むオープンテラス席にはとても心地いい風が吹き抜ける。

「緑が綺麗になってきましたね」
「そうだな」

由人(よしひと)にとってみれば新緑はもちろん綺麗だけど、斜向かいで日差しに目を細めながら天を仰ぎ見ている彼女の方がずっとずっと輝いて見える。
しかし、そんなこっ恥ずかしいことを彼がここで言えるはずもなく、そっけいない返事しか出てこない。
それに…。


頑張れ!ドジ子。
−緑の中で−


「あのさぁ、季子(としこ)」

そう言ったものの、暫く次の言葉を待っていても、どうしたことか黙ったままでいつもの歯切れの良さが感じられない。

「小野寺さん、どうかしました?」
「あっ、いや」

―――どうしたんだろう?由人さん。
何か悩みでもあるのかな。

今日は午前中、由人に付いて季子は初めて顧客先の打ち合わせに同行していたのだが、ちょうど終わったのがお昼前だったからと二人でおしゃれなオープンテラスのあるカフェレストランに入ったところ。
仕事中にこうやって出ることもなかったし、お昼を一緒に取ることもなかったから、ドキドキしながらも季子はつかの間のデート気分でちょっと嬉しかった。
なのに彼の様子は…。

「あのさ、今週末なんだけど―――空いていたら、家に来ないか?」
「えっ、小野寺さんの家に?」

「そう、一人だしあんまり掃除もしていないんだけど」と言うや否や、恥ずかしさを悟られないように由人はグラスの水を一気に飲み干した。
ずっと家に誘おうと思いながらもなかなかそれができなかったのは、彼女がどういう反応を示すかが怖かったから。
即行過ぎて軽い男に思われるのは嫌だし、かといってあまり長く待てる自信もない。
こういうものは勢いも必要だしと、ちょうど二人っきりになれたこのチャンスに思い切って誘ってみたのだが、果たして彼女は『うん』と言ってくれるだろうか…。

「いいんですか?」
「えっ、あぁ。もちろん」

「はい。じゃあ、お言葉に甘えて」とちょっと伏し目がちにはにかむように返した季子が、いつの間にか可愛いから綺麗に変わっていた。
相変わらずのドジぶりを発揮していたが、失敗をカバーする術を身に付けたようで大きなことにはなっていない。
随分と成長したものだなと親鳥の気持ちで接してきた由人も、どんどん大人の魅力を増していく彼女がいつか自分の前から巣立ってしまうのでは…。
そんなふうに思えてならなかった。

「だけど、大丈夫か?泊まりなんてさぁ。ご両親は、心配しないのかな」

「男の家になんてさ」とあまりに彼女があっさりOKしたものだから、確認の意味で由人が続けると、季子はまるで地球の裏側と通信しているかのように一歩遅れて彼の言葉を理解した様子。

「えぇぇっ…とっととと…?!」

目をパチクリさせながら、口をパクパクわけのわからない言葉を発している季子と由人の前に若いウェイトレスが「お待たせしました」と頼んでいたパスタランチの水菜のペペロンチーノとサラダ、スープを手際良くテーブルの上に並べていく。
とっても美味しそうではあったが、今の彼女にはそれすら目に入っていないだろう。
………やっぱり。
由人の溜め息と共に道理で返事が早いなと思ったんだ。
彼女の頭の中には、“男の家に来る=泊まる”という図式が恐らくなかったに違いない。
もちろん、その先にあるものも…。

「ダメか?」
「あの…泊まるということは、その…」

季子にだって、大人の男女の付き合いくらいは知っている。
自分もいつか…。
愛する人との甘酸っぱい時間(とき)を夢見てきたのだし、今はその相手も…。

「俺は、季子とそうなりたいと思ってる。でも、待っていて欲しいというのなら、いつまでだって」

………矛盾してるよな。
こんなことを言っておきながら、さっきはあまり待てそうにないと思っていたクセに。

「私は…私も小野寺さんとそう…」
「えっ?」

「好きだから」と消え入るような声で言った後に俯いてしまった季子。
今この空間に自分と彼女しか存在しなかったら、胸に抱き寄せてその柔らかな唇を奪っているところだろう。
それをグッと抑えながらテーブルの下で彼女の手をそっと握り締めると、微かに動いた指が由人の手を握り返す。

「いいのか?」

黙って頷く季子に飛び上がらんばかりの思いを堪え、「伸びないうちに食べようか」と由人が言うと、今度は子犬のように彼女の後ろから左右に揺れるしっぽが見えたような気がした。



「大丈夫なんですか?真っ直ぐに帰らなくて」
「ちょっとくらい平気平気。俺を誰だと思ってるんだ?」

こういう言い方が彼らしくて、季子から笑みがこぼれる。
あの後、無花果(いちじく)を使ったデザートまでたっぷりとランチを堪能して、もちろん彼の奢りで。
そして、今は仕事をサボって?いや、しっかり上司の許しも得て、こうして近くの街路樹の中を二人で散歩していた。

「気持ち良いですね」
「だな。たまには、こうしてただ歩くだけっていうのもいいもんなんだ」
「そうですね」

あれからは、デートも頻繁にするようになっていたし、ついさっきはお泊まりまで約束済み。
なのに手を繋いで歩いているだけで、こんなにも安心できるのはなぜだろう。

ピロピロ〜〜〜
  ピロピロ〜〜〜
    ピロピロ〜〜〜

………せっかく、いいムードだっていうのに誰だよ電話なんて。
人通りが途絶えたところを狙ってキスでもしようとしていたのだが、まるでどこかで見ていたかのように電話が入る。

「もしもし」
『こら、いつまでほっつき歩いてるんだ。2時から会議だぞ。進行役のお前がいなくてどうする』

『まさか、忘れてましたとか言わないだろうな。峰村さんとデートしてる場合じゃないぞ』と聞き覚えのある声にハッと我に返った由人。
………げっ、課長。
慌てて時計を見て、そうだった…2時から会議だったのをすっかり忘れてた。
ヤバっ。

「その声は、課長…」
『今頃、課長じゃないだろう。バカタレが。ちゃんと相手を確かめてから出ろ。気を使って携帯から掛けてやったのに』
「すみません。すぐに戻ります」

ブチっ。

電話を切ると、大きく溜め息を吐く由人を心配そうに見つめる季子。

「小野寺さん」
「課長から。2時から会議だったのすっかり忘れてた。資料も用意しなきゃならないから、悪いけど手伝ってくれるか?」
「はい」

しっかり手を繋いだまま、走り出す二人。
帰ったら課長にまたお小言を言われると思うけど、今だけはこの瞬間を大切にしたいから。


おしまい


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