「ねぇ、季子ちゃん。その後、彼氏とはどうなの?」
お昼休みに社員食堂で部内の女子社員数人と食事を取っていると、季子(としこ)の前に座っていた先輩の十和子(とわこ)が思い出したように言葉を発した。
彼女は由人(よしひと)や寛(ひろし)と同期のとても綺麗で優しく季子の憧れの女性でもあり、新人歓迎会の時、由人にビールをこぼしてしまった時も助けてくれたのだった。
「あたしも聞きた〜い。小野寺さんって、仕事もできるし、でもなんか私生活がよくわからないっていうか。季子ちゃんの前ではどうなのかなぁって、すっごく気になってたの」「デートは?どこに行ったの?」と、興味津々でみんなが次々に質問してくる。
あの日から季子と由人が付き合っていることは、部内のほとんどの人が知っていること。
しかし、みんなの期待に反して由人はたまにメールを送る程度で、まだ季子をデートにも誘ってこない。
だから、週末も学生時代の友達と食事をする約束をしているくらい。
それがちょっぴり寂しくもあったが、毎日会社で顔を合わせられればそれでいいと季子は思っていたのだった。
「えっと…まだ…何も」
「えっ、季子ちゃん…まさか、デートもしてないの?」
言った十和子だけでなく、その場にいた女子社員も驚きを隠せない。
まさか、まだデートにも誘っていないとは…。
一体、彼は何をグズグズしているのだろうか…。
「小野寺君何やってるのかしら、こんなに可愛い彼女を放っておくなんて…」
「きっと、小野寺さんも忙しいんだと思います」
口ではこう言っているものの、季子の表情は少し寂しげだ。
こんなふうに健気に由人をかばう季子が、十和子やみんなはかわいそうに思えてならなかった。
「そんなことないわよ。いくら忙しくたって付き合ってる彼女がいるんだから、デートくらい誘うでしょ」
周りのみんなも、その言葉に深く頷く。
いくら忙しいとはいっても、それでも付き合い始めたばかりの彼女がいるのなら、ほんの短い時間でも会いたいと思うはずなのに…。
何とか由人からデートに誘うよう仕向ける方法はないものか…十和子は顎に指をあてて考えるのだった。
◇
「季子ちゃん、忙しいところごめんね。ちょっとだけ、いいかしら?」
季子がパソコンの画面を食い入るようにして覗き込んでいたところへ、悪いと思いつつも十和子はそっと声を掛けた。
もちろん、隣に由人がいることを確認の上で。
「はい、十和子さん」
「あのね。今度の土曜日なんだけど、季子ちゃん予定なんて空いてるかしら?」
「土曜日ですか?はい、空いてますけど。何か…」
念のため季子はシステム手帳を開いてチェックするも、今週末は友達との約束もない。
ましてや、由人との約束もないわけで…。
「だったら、新しく出来たビルに行ってみない?みんなで行こうって言ってたんだけど、季子ちゃんもどうかなって」
最近は都市の再構築とやらで色々なところで高層ビルが建設され、ショッピングやグルメなどが充実して楽しめる話題のスポットなのだ。
中でも最近出来たビルは季子も気になっていて、行ってみたいところだった。
「はい。行きたいですぅ」
「じゃあ、オッケーね?えっと、あたしの友達も来るけどいいかしら?男性なんだけど」
………何?男?
ずーっと十和子と季子の会話に聞き耳を立てていた由人だったが、女性同士で出掛けるならともかく、そこへ男と聞いては黙っていられない。
「峰村。それ、急いでるんだ。3時までに出来そうか?」
「え…あの…」と季子も男性が一緒と聞いて返事に困っていると、すかさず由人が言葉を挟む。
「あっ、はい。すぐにやります」
…うふふ。
これで、小野寺君も季子ちゃんをデートに誘うわね。
もちろんこれも、十和子の計算だったとは…そんなこととは、露知らず…。
由人の心情が手に取るようにわかる十和子は、笑いをグッと堪えて「季子ちゃん、詳しい話は後でね」と季子の肩をポンッと軽く叩いて自分の席に戻って行った。
3時までと言われて季子は再びパソコンの画面を食い入るように覗き込んでいると、隣でボソッと由人が言う。
「土曜日、行くのか?」
「えっ…」
―――この声は、ちょっと怒ってるかも…。
それは、彼の声のトーンでわかる。
どうしよう…。
「行きたいなら、俺が連れて行ってやるよ。だから、土曜日は断ること。いいな」
―――それって、もしかして…もしかしなくても、デートのお誘い?!
てっきり怒っているものとばかり思ったが、季子がそっと由人の顔を見ると心なしか照れくさそう。
「小野寺さん、それって…」
「まっ、デートってやつか?」
前髪をガシガシ掻き上げながら、「ごめんな。一度もデートに連れて行かなくて」と続ける彼。
本当は会社だけでなく、それ以外の時だって彼女と一緒にいたい。
メールだけでなく、電話で声を聞きたいと思う。
でも、由人にはなんだか恥ずかしくてそれができなかった。
自分だけが季子を好きな気がして…ただ、カッコつけて強がっていただけなのかもしれないが…。
「本当ですか?」
「あぁ。嫌でなければ」
「嫌なんてこと、ないですっ。十和子さんには、後で断ってきますから」
嬉しそうに言う季子。
………こんな顔、ここでするなっ!抱きしめてキスしたくなるだろうがっ。
とは、由人の心の叫びである。
初めから素直に言えば、彼女の笑顔を独り占めできるのに…。
まんまと十和子の策略に引っ掛かってしまったが、週末が楽しみな由人だった。
+++
約束の時間より、相当早く着いてしまった由人。
今までだって付き合っていた彼女とデートくらいしたことはあったが、こんなにも落ち着かなかったのは初めて。
ろくに眠れないなんて…中学生のガキじゃあ、あるまいし…。
それだけ、彼女に嵌っているということなんだろう。
こんなことは、自分でも信じられないことだが…。
そんなことを考えていると、走って来る彼女が見える。
………ダーッ!走るな、ドジ子っ!転ぶだろうがっ。
危なっかしくて見ていられない、っつうかその前に可愛い過ぎだぞ?
会社ではいつも長い髪を留めている彼女だったが、今は下ろしていてるせいか、だいぶ印象が違う。
服装もスーツがほとんどで、それはそれで知的な感じが由人の好みではあったが、やっぱり女性らしいラインのワンピース姿は可愛いのひと言に尽きる。
「ごめんなさいっ、遅くなって」
「こらっ。そんなに走ったりしたら、危ないだろう?」
まるで、お父さんみたいな由人の言い方に季子はクスクス笑い出す。
「小野寺さん、お父さんみたいですぅ」
「あ?」
確かに言われてみれば、そうかも…。
………でもなぁ、危ないんだよ。
「ほら、行くぞっ」
由人は季子の手を掴むと、徐に歩き出す。
「迷子になるといけないからな」と、またまた父親的発言が季子のツボに嵌ったのかクスクスと笑ってるし…。
その笑顔が、また可愛い…。
………っていうか、俺はこういうヤツだったのか?!
女性と付き合っても長続きしない。
もしかして、女嫌いなのか?と思うこともあったが、甘えられたり構われると引いてしまう。
それがどうだろう…どうやら本人にも気付かなかったらしい部分が明らかになって、季子との出会いがどんどん自分を変えていく。
「小野寺さん」
「ん?」
「ありがとうございます」
「なんだ。急に礼なんか言って」
「嬉しかったです。デートに誘ってもらえて」
嬉しくて、由人が前の日眠れなかったように季子だってそれは同じ。
初めてのデートだから、どの洋服を着て行こう、髪型はどうしよう。
彼の隣では、誰よりも可愛い彼女でありたいと。
「そんなこと…俺も、もっと早く誘えば良かったよ。こんな可愛い季子を独り占めできるなら」
「え…」
―――今、可愛いって…ううん、それより季子って名前を呼んでくれた?
「俺こそ、謝らなければならないな」
「謝る?」
「ドジ子なんて、言ってごめん」
自己紹介で『通称ドジ子です』なんて言っていたが、本当はそんなふうに呼ばれて少なからず傷ついていたに違いない。
なのについ、呼んでしまって…。
「いいんです。みんなそう呼んでましたし、でも本気じゃないこともちゃんとわかってましたから」
「え?」
ずっと、あだ名は“ドジ子”だったけれど、由人を含め誰一人本気でそう思って呼ぶ人はいなかった。
みんな温かい気持ちを込めて呼んでくれていたことを、季子はちゃんとわかっていたから。
「失敗した時は、ドジ子って呼んで下さい。私、小野寺さんにそう呼ばれるの嫌いじゃないですよ」
ここが人の多い場所でなかったら、間違いなく抱きしめてキスしているところ。
せめて…。
掴んでいた手を離すと、季子の腰に腕を回して体を密着させる。
小さく「あっ」と声を上げた彼女の顔は、きっと真っ赤に違いない。
「二人の時は、小野寺さんはナシ。由人でいいよ」
「でも、呼び捨てなんて…」
―――いくらなんでも、会社の上司でもある小野寺さんのことを呼び捨てはちょっと無理。
それに私、器用じゃないし…。
人前でも言っちゃいそうだもん。
「ダメだ。これだけは譲れないな」
「そんなぁ…」
「あと、敬語もナシだな」
「むっ、無理ですぅ。呼び捨てに敬語もダメなんてぇ」
困った顔をしている季子。
それでも、由人はこれだけは譲れない。
あぁ、こんなにも独占欲が強いとは…。
「ほら、季子。大丈夫、こんなの慣れればたいしたことないさ」
「慣れ…」
「ですから、慣れません」って言ってみたところで、由人もこういうところは頑固だった。
どころか、どんどん体を密着させてくる。
季子の心臓は、ドッキンドッキン…今にも破裂しそう…。
だけど、彼のことだから呼ばなければ、より一層離してもらえないに決まってる。
「由人」
耳元で、やっとの思いで小さく囁くように言う季子。
もっともっと呼んで欲しいと思ったが、今の彼女にはそれが精一杯。
まだまだ時間はたっぷりある、これからゆっくり進んで行けばいい。
「季子、好きだよ」
お返しに頬にチュッってキスすると、目を見開いたまま固まってしまった彼女。
それがまた可愛らしくて…思わず、ぎゅっと抱きしめた。
おしまい
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