───ボスの前ではあんなこと言ったけど、本当に大変なことになったわね。 副総監室を出ると一輝に気付かれないよう、恵は小さく溜め息を吐いた。 自分がどうしてここへ呼ばれたのか…。 その理由はやっとわかったが、心境は複雑だ。 「警視長、着きましたが」 「えっ、あっ、うん」 エレベーターのドアが開き、ほんの一瞬考え事をしていた恵は一輝に促されるようにしてフロアに下りる。 そんな彼女の様子に、彼が気付かないはずがない。 部屋に戻るとすぐに熱いコーヒーを入れた。 「少しいつもより薄目にしてありますから」と、一輝は恵のデスクにコーヒーカップを置く。 「ありがとう」 ───こんなに気が利く男性は、他にはいないわね。 奥さんにしたら最高!なんて、思ったりして…。 彼は男の人だけど、それくらい一輝は恵の気持ちを何も言わなくても察してくれる。 まだ、会ったのは昨日のことなのに…。 「SSRのことは私も耳にしていましたが、まさかこの日本に…」 一輝もSSRのことは聞かされていたが、相手が相手だけに連邦警察としても内密に捜査している事項。 まさか、日本に極秘入国していたとは…。 「ボスや私が急にここへ呼ばれた理由がわかったけど、厄介な相手だから。高梨警視も───」 「わかっています。私は、警視長に付いて行くだけですから」 真剣な眼差しで答える一輝。 何があっても彼女に付いて行くし、命を掛けて守る覚悟もできている。 体の中に湧き上がる何かに、身震いさえ覚えたのだった。 +++ それから暫くの間、SSRも特別表立った動きを見せていなかったが、各機関の上層部にはAAAレベルでセキュリティ強化を徹底するようにとの通達を流す。 それだけでは不十分だとはわかっていても、今は彼らの動きが読めないだけにこうするより方法がない。 中心人物と言われる者も入国した形跡はあるが、今どこで何をしているかという足取りは残念ながら掴めていないのが実情だ。 「警視長。SSRの目的は一体、何でしょうか?」 「それが、全く読めないのよね」 こればかりは、恵にもわからない。 一輝の言うように彼らの目的は一体、何なのか…。 窓の外から見える街並みからはとても想像できないことが今、起きようとしている。 ───こんなにも平和なのに…。 「ところで、警視長。先程、総務課から連絡がありまして、マンションが見つかったそうです。今週末には越せるということですので、そのように手配してもいいでしょうか?」 「まさか、ボスと同じマンションじゃないでしょうねぇ」 そろそろホテル暮らしにも飽きてきたころだったので、マンションが見つかったというのは正直ありがたいが、ボスと同じマンションというのだけは勘弁して欲しい。 「生憎、副総監の住むマンションは当分空きがないそうです。庁舎にもそうですね、車で30分くらいでしょうか?交通の便もいいですし、都会でありながら周りに緑もあってとてもいい場所だと思います」 「高梨警視の家からは、遠いのかしら?」 「えっ、私の家ですか?!」 どうして、こんな質問をしたのか…。 当人には全く無意識のことだったから、一輝の大げさな反応に何か変なことを言ったのか?と逆に聞きたいくらい。 「私、変なことを聞いたかしら?」 「いっ、いえ…。そうではないんですが…」 妙に動揺している一輝。 今度、恵が住むことになるマンションと一輝の住むアパートが近かったらどうなるのだろう…。 それは…一輝だって、遠いよりは近くの方がいいけれど…。 「あの…警視長は、私が近くにいる方がいいと…」 「え…」 ───だって、私には友達もいないし…。 高梨警視が近くにいてくれれば、美味しいお店にも連れて行ってもらえそうなんだもの…。 恵の考えることはこの程度のことだったのだが、一輝にとってはまた別の意味も含まれているわけで…。 「ほら、高梨警視って美味しいお店もいっぱい知ってるし。それに私、日本には友達がいないから」 恵の日本での生活が、中学の2年間だけと言っていたことを思い出した一輝はハッと我に返る。 一見、華やかに見える彼女の中に隠された孤独。 ───俺は、何を考えているんだ…。 自分の浅はかさが、ほとほと嫌になる。 「マンションは原宿にありますから、私の家には近いと思います」 「ほんと?」 「えぇ。警視長に何かあってはいけないと、副総監からの強い要請があったようですね」 ───ボスったら、気が利くというかなんというか…。 でも、彼が側にいてくれたら心強いわね。 「よろしければ、今夜でも帰りに寄って行きましょうか」 「なんだか、いつも悪いわね。これじゃあ、高梨警視のプライベートも私が奪っちゃう。場所さえ教えてくれれば、今度こそ一人で行くわよ」 毎日ホテルに送り迎えしてくれて、いくら仕事とはいっても何から何まで世話になり過ぎる。 恵がマンションに越せば彼もやっと自由になれるんだし、その場所くらい自分で確認しておかなければ。 「それと、マンションには駐車場はあるのよね?車も買わないと。通勤もそうだけど、何かと困るから」 「駐車場に関しては、大丈夫だと思います。念のために確認しておきますが」 「あぁ、でもこれで高梨警視に送迎してもらわなくて良くなるわね」 「その件に関してですが、新しい車を用意してもらったんですよ。警視長の送迎用にと」 「え…」 ───これも、ボスの仕業? 何も、私の送迎用に車まで用意しなくたって…。 ってことは、もしかして…。 「今度の車はすごいです。ポルシェですよ。私もあんな車を運転することになるとは思ってもいませんでしたので、今から楽しみなんです」 車が好きな一輝にとって、これは願ってもないこと。 早く納車されないかと待ち遠しい。 「ポルシェ?!それも、ボスの趣味なの?」 「恐らく」 ───あぁ…。 もうっ、ボスったら勝手に決めてぇ。 だいたいねぇ、仕事にそんなスポーツカーで出勤する人がどこにいるっていうの? このご時勢、そんな無駄遣いしたら、国民に非難を浴びるに決まってるじゃない。 っていうか、その前にやっぱり、彼に送迎させるわけ? 私はそこまで偉い人じゃないわよ。 こうなったら、ボスにひと言言わなきゃダメね。 「ちょっと、ボスのところへ行って来るわ」 そう言うのと同時に、恵は勢い良くドアを開けて部屋を出て行った。 ※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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