「すみませんでした、わざわざ送っていただいて。それに私のせいで、お仕事も中断させてしまって…」
あれから暫くして二人はオフィスを出ると、崇(たかし)の行きつけだというこじんまりとしたレストランに連れて行ってもらった。
仕事のために戻って来た崇(たかし)は、明日の朝にすると切り上げてくれたのだ。
二人っきりで食事をしたのは今回が二度目だったけれど、前回の高級料亭とは違ってだいぶリラックスできたと思う。
「いや。本当は家までお持ち帰りしたかったけど、やはり今の君と普通に接するのは難しいだろうから」
相変わらず恥ずかしいことを平然と口にする崇。
―――だけど、もう常務に何を言われても驚かないわよ?
いちいち反応していたら身が持たないし、慣れないとこれから先付き合っていけないもの。
「良かったんですよ?お持ち帰りしても」
「えっ」
たまには、こういう反撃もしておかないと。
クスクスと笑う梨華に“やられた!!”という表情を見せる崇だったが、こんな彼女もらしいというか、少しは自分のことを受け入れ始めていると思ってもいいのだろうか。
崇は車から降りると助手席のドアを開けた。
『あら?あれは確か…右京さんの』
車の止まる音に梨華が帰って来たのだろうと、門のところまで出てきた母。
いつもなら遅くなる時は電話を入れる彼女が、今日に限ってなかったので少し心配していたのだ。
しかし、その相手が崇と知れば、それも無用だったということ。
『まぁまぁ、若いっていいわねぇ。でも、あの人がこんなところを目撃したら…』
助手席から降り立った梨華を崇は抱き寄せ、ほんの一瞬触れる程度にくちづけるとすぐに運転席に戻り、車を走らせた。
車が見えなくなるまで見送る梨華に、母は娘が子供から大人の女性に変化していく姿に嬉しくもあり、少しだけ寂しさも感じていた。
「梨華ちゃん、お帰りなさい」
「え…お母様…たっ、ただいま…」
―――何で、お母様がここに…。
うそ…まさか、今の見られちゃったの?!
うわぁどっ、どうしよう…常務と一緒にいるところをそれより、キスしてるところをよりによってお母様にバッチリ見られるなんてぇ。
恥ずかしいったら、ありゃしないわ。
「お母さんが崇さんを最後に見たのは、いつだったかしらね。益々、男前になって」
母が崇を最後に見たのは、ニューヨークに行く前だっただろうか?
あれは知人の結婚式に招待されて夫婦で出席した際、同様に招待されていた右京夫妻だったが、どうしても都合で来れなくなった父親の代理で出席した崇と顔を合わせて以来になる。
あの時は社会人になって日が浅かったからか、まだまだ若さが前面に出ていたように記憶しているけれど、今の彼は常務という地位に就き貫禄も出てきたようだ。
「だから、梨華ちゃん。急に眼鏡を取ったり、服装を変えたりしたのね」
「おっ、お母様っ。そういんじゃなくって…」
「いいのよ?隠さなくても。好きな男性(ひと)の前で可愛くありたいって思うのは当然だもの。それに、お母さんは若い二人の恋に口を挟んだりはしないわよ?」
―――好きな人なんて…。
まだ、そういうのはよくわからないのに…。
「大丈夫よ。お父様には当分、内緒にしておくから」
「お母様ったら」
まだまだ娘には男の影などないと思い込んでいる父には、この事実は衝撃的過ぎるかもしれない。
「でもね。てっきり、梨華ちゃんは巨哉(なおや)君とお付き合いしているものだとばかり思ってたんだけど」
「え?巨哉は(なおや)…」
幼馴染みでずっと一緒にいて仲の良かった巨哉(なおや)のことを母がそう思っていても不思議ではないのだが…。
だけど、あんなことがあったばかりで梨華も言葉に詰まってしまう。
「巨哉(なおや)とは今も仲は良いけど…。それに常務ともまだ…」
「若いうちはたくさん恋をしなきゃ。梨華ちゃん、もったいないわよ。こんなに可愛いくてスタイルもいいのに」
「お母様?いくら娘だからって」
『褒め過ぎよ』と思いつつも、そんな母の若い頃はどうだったのだろう?
父との馴れ初めについてはっきり聞いたことはなかったけれど、今も美しさを保ち続けている母はきっと男性達の憧れの的だったに違いない。
その母を射止めた父は。
「さぁ、こんなところで立ち話も」
「中に入りましょう」と二つの影は、家の中に消えていった。
+++
「おはようございます」
「コーヒーをお持ちしました」といつもより幾分早い時間だったが、崇が朝早く来て昨日残して帰った仕事を済ませると言っていたので、梨華も何か手伝えることがあればと早めに出社していた。
「おはよう。今朝は随分と早いが、大丈夫か?」
「はい。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。私でできることでしたらお手伝いしますので、何でも言って下さい」
「そうか。なら、このチェックの付いている項目について、わかる範囲でいいから調べておいてくれないか」
「わかりました」
書類を受け取り梨華は席に戻ろうとすると、「あっ、ちょっと」と崇に声を掛けられた。
―――何か、言い忘れたことでもあったのかしら?
そう思って振り返ると立ち上がった崇に机越しに腕を引き寄せられて、唇が重なる。
『これから毎日どうするんだ?』
以前、崇が言っていた言葉を思い出す。
自分のせいで残していった仕事がたくさんあったのだろう、梨華がいつもより早めに出社してもそれより早く来ていた崇に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
だから、朝のキスがなくても平気だったはずなのに…。
やっぱり、どこかで待っていたし、嬉しいと思ってしまう自分がそこにいる。
「常務」
「この部屋にデスクとパソコンを用意するように言ってある」
「はぁ」
「離れていると仕事もやり難いし、今後は忙しくなりそうだから、君にも協力してもらわないとならないんでね。それ以外でも何かといいだろう?」
―――え?
ここにデスクとパソコンを?
確かにここに居れば仕事はやりやすくなるかもしれないが、それ以外というところが妙に引っ掛かるのは気のせいだろうか…。
「ここにですか」
「何か不満でも」
「いえ、そういうことでは…」
「だったら、問題ないな」
もう一度軽くキスして、崇は椅子に腰掛けるとパソコンのキーを叩き始めた。
梨華は静かに部屋を出たが、ずっと二人っきりであの部屋にいなければならないことを思うと…。
―――前言撤回、やっぱり身が持たないわよ。
慣れないとこれから先付き合っていけないと言い聞かせたばかりだけど、無理だわ。
はぁ、大きく溜め息を吐くと、自身のデスクの上に置いてあった携帯がメールだったのだろう数回震えて止まる。
差出人は―――。
巨哉(なおや)。
昨夜はあれから何の連絡もなかったけれど、躊躇いながらもメールを開く。
『昨日はごめん。あんなふうにするつもりなんてなかったんだ、信じて欲しい。梨華とこのままじゃ嫌だから、どうしても会ってきちんと謝りたい。5分でいいから時間を作ってくれないか』
梨華だって、巨哉とこんなキマヅイままで過ごすのは嫌だけど…。
何と返事をしていいかわからず、ただ少しの間、携帯を握り締めたままだった。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
誤字が多く、お見苦しい点お詫び申し上げます。お気付きの際はお手数ですが、下記ボタンよりご報告いただければ幸いです。
NEXT
BACK
INDEX
SECRET ROOM
TOP
Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.