「常務、大丈夫ですか?」
聞き慣れた心地いい声にゆっくりと目を覚ました崇だったが、いつもと違う風景にイマイチ状況がつかめない。
…俺は、どうしてここに?
だいたい、仕事中のはずなのに何でベッドに寝てるんだ。
そして、心配そうに覗き込む梨華の表情。
崇は再び瞼を閉じて、過去の記憶を呼び戻す。
確か、彼女と会話をしていて何か重要な部分を聞き逃したような…。
「どこか、痛むんですか?」
真っ白で統一された室内。
そこに居るのは、幸いにも彼女だけ。
「えっ?いや、俺は一体、どうなったんだ?」
「急に倒れたので、びっくりしましたよ。でも、何でもなくて良かったですね。寝不足と過労が原因だとお医者様も言ってましたし、今日一日ゆっくり休めば元気になるそうですよ」
「先生に目が覚めたことを連絡してきますね」と部屋を出て行く梨華の後姿をじっと見つめる崇。
彼女のことを考えて眠れなかったのは確かだが、まさか倒れて病院に運ばれたとは…。
…まったく、何やってんだか。
今までの自分にはとても考えられないが、彼女を前にすると自分が自分でなくなってしまう。
というか、本当の自分はきっとこんな単純な男だったのかもしれない。
単にカッコつけていただけで、一人の女性を前にして呆気なくポロを出してしまう。
ふっと笑みを漏らすと、崇は窓の外の綺麗な青空を見つめた。
+++
―――常務が倒れるなんて。
あの時は本当にびっくりして何がなんだか…取り敢えず、大事に至らなくて良かった。
ただ、彼を悩ませてしまったとしたならば、反省しなければならないだろう。
『君が、いつ合鍵を使ってくれるのかなって思ったら、夜も眠れなくて』と言っていた常務の顔が、頭から離れない。
それにあれから、どことなくよそよそしいし…。
―――やっぱり、私のせいなのかな。
「その後、常務の具合はどうなの?」
「いきなり、倒れたって聞いてびっくりしちゃったわよ。まぁ、何でもなくて良かったけど」と社員食堂でお昼を一緒に食べていた嘉葉(かずは)は気になっていた質問をを早速、梨華にぶつけた。
「うん、元気よ?」
「何よぉ、元気よって言ってる梨華の方が元気じゃないみたいね」
自分ではそんなつもりはなかったけれど、嘉葉が言うのだからきっとそうなんだろう…。
―――まるで、他人事みたい。
「そうでもないんだけど」
「食欲もあんまりないみたいだし、ダメよ?ちゃんと食べないと。梨華が倒れたら、常務の面倒は誰がみるのよ」
スプーンを持ったまま、手を付けられていない彼女の目の前にあるカレーライスのルーには、薄っすらと膜が張っている。
「だったら、嘉葉が代わりにみて」
「な〜に言ってるの!!常務が他の秘書なんか、付けるわけないじゃない」
最近メニューに加わったパスタのボンゴレをフォークを起用に使って食べる嘉葉だったが、もしかして常務が倒れたことと、どことなく元気のない梨華の間に何かあったのだろうか?
嘉葉には二人の関係はよくわからないけれど、彼女の変化といい、単なる常務と秘書以上のものがあるに違いないとふんでいたのだが…。
「私が秘書なんてやってるから、常務の疲労のもとを作ってるのかもしれないし…」
「やっぱり、何かあったんでしょ。常務と」
「えっ?何かって」
「またまた、とぼけちゃってぇ。私に隠し事なんて、ひどくない?」と言って、梨華とは正反対に綺麗にパスタを平らげた嘉葉はフォークを置いた。
友達のはずなのに彼女が何も話してくれないことに対して、ほんの少しのはがゆさを込めて。
「そうだ。明日、梨華の家に泊まりに行ってもいい?」
「明日?!」
「ダメ?週末だし。実は梨華の家って、すっごくお金持ちっぽい気がするのよね」
「ちょっと見てみたくって」と鋭いところをつかれて、返す言葉が見つからない。
梨華は社長と常務以外、誰にも自分の素性は明かしていなかったから…。
あの家を見れば、それは確定的なものに変わるだろうが、森永製薬社長の娘だということまでは知られないだろう。
「いいわよ。お泊りの準備してきてね」
「やった!!」
まるで、子供のようにはしゃぐ嘉葉に梨華は心なしか救われたような気がしていた。
自分一人で考え込んでも始まらない。
―――お母様に言って、ご馳走を用意してもらわなきゃ。
+++
お泊りセットなるものが、まるでどこか旅に出るのかと思うほどで、一体何が入っているのだろう…。
「嘉葉、何が入ってるの?」
「これ?えっと、パジャマでしょ?あと枕と―――」
「枕??」
―――嘉葉ったら、枕まで持ってきたの?
道理で大きなバッグだと思ったが、まさかそんなものまで持ってきたなんて。
嘉葉らしいけどっ。
「だって、枕が変わると眠れないんだもん」
「そういう話、聞くけど。毎回、お泊りする度に持ち歩くの?大変じゃない」
「まぁね。でも、しょうがないから」
おかげさまで、梨華はどんな枕でも熟睡できるが、嘉葉のように枕が変わると眠れなくなるという人は大変だ。
そんな会話を交わしながら二人は歩いていると、駅から数分ほどのところに見えてきた梨華の家。
大都会の真ん中にある立地もさることながら、家の大きさに嘉葉だけでなく普通の人なら誰もが驚くに違いない。
「えっ、梨華の家って…」
お金持ちとは思っていたが、その予想をはるかに上回る大豪邸に嘉葉は言葉も出ない。
…只者じゃないと思ってたけど、梨華って超お嬢様なんだわ。
「さぁ、入って。今夜はご馳走よ?」
「えっ…うん」
なんだか場違いの自分に気後れしながらも、嘉葉は梨華の後に続いて門を抜けて玄関へと向かう。
…こんな家の夕食って、フォークとナイフとかなのかな?
メイドさんとか、いっぱいいたりして―――。
これは、さすがに漫画やドラマの見過ぎではあるが、そう思っても仕方ないくらいの状況だったのだから。
「どうしたの?」
「なんか、すごくない?」
「そう?普通だけど」
『ちっとも、普通じゃないからっ』と心の中で叫ぶ嘉葉。
住む世界が違うというか、世の中にはまだまだ未知の部分がたくさんあるということなのだ。
予想外だったのは、メイドさんもいなければ、夕食はフォークとナイフではなかったということ。
とはいっても、嘉葉が普段口にしたことのない豪華な食材やメニューに驚かされたことは確かだったけれど…。
初めは借りてきた猫のような嘉葉だったが、上品だけど気さくな母親とその日は早く帰宅したという父親にすっかり和んでいた。
「そうそう。うちのお風呂大きいんだけど、良かったら一緒に入っちゃう?」
「え?一緒にって…」
いくら大きいといっても、一緒に入るほどって、どうなんだろう…。
この家なら、わからないでもないけれど…。
「梨華の裸、見ちゃってもいいのなら」
「見世物じゃないわよ。っていうか、嘉葉だって見られちゃうんだからね?」
クスクス笑いながら、二人はバスルームへ。
そこは、ホテルのスィートルームにさながらのジャグジー付のバスタブが。
「うわぁっ、すごっ」
「薔薇の花びらとか浮かべて、シャンパンを飲んだら最高っ」っとロマンティックなバスタイムを想像する嘉葉。
あまりのゴージャスさに興奮してしまったが、本来の目的は常務とのことを聞き出すためということを忘れるところだった
「ねぇ、ところで常務とはどういう関係なの?」
「え…」
「付き合ってるんじゃないの?」
「あぁ〜極楽、極楽」と年寄りのような口調だが、返ってお風呂で話す方が梨華にとっても良かったかもしれない。
「まだ、そこまではいってないんだけど」
「けど?」
言わずとも嘉葉には、彼女が躊躇っていることくらい理解できた。
何をそんなに迷っているのだろうか?
「嫌いなの?常務のこと」
「そんなことっ」
「だったら、問題ないじゃない。私が常務と付き合うとなったら、住む世界が違い過ぎるとか思うけど。梨華と常務ならお似合いだし、その前に好きなんでしょ?常務のこと」
『好きなんでしょ?』
巨哉の想いを受け入れられなかったのは、常務のことが好きだから。
それなのに…。
「私なら、告白されたら、即「はい」って言っちゃうけど、梨華はそういうタイプじゃないもんね。だけど、躊躇ってたらせっかくの恋も逃げちゃうわよ?こんなに可愛いんだもの、早く好きって言ってあげなきゃ」
「私だけ、梨華の裸を見たってねぇ。常務も早く見たいと思うのよね」なんて言うものだから、恥ずかしくって顎まで湯の中に浸かる梨華。
今までのことを全部洗いざらい話したら、二人ともふやけてヘロヘロになってしまったけれど、この前言おうとしていた本当の気持ちをもう一度、常務に話そう。
梨華はこの時、そう決心したのだった。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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