Intersection
25


結局、あの時彼女は何を言おうとしたのか、わからないままだったが、それがもどかしくてまた寝不足になってしまいそうだ。
いっそ、指輪でも渡して告白してしまった方がいいのだろうか…。
しかし、彼女がすんなり受け取るとは到底思えないことを崇も容易に想像がついた。
恐らく、現時点で巨哉のように拒絶されるということはないだろうが、形に拘ることに彼女がどれだけ…。

「常務、お先に失礼します」

定時の鐘が鳴ると身の回りの整理整頓をして立ち上がる梨華。
彼女がこんなに早く帰るのは、最近では珍しい。

「あぁ、お疲れ様。今日は早いんだね、どこかに―――」

「出掛けるのか?」と言い掛けて、言葉を詰まらせた。
セクハラと取られることはないと思うが、女性に対してプライベートな質問は控えるのが正しいだろう。

「ちょっと行くところがありまして」
「そうか。たまには食事でもと思ったんだが」
「今度、是非お願いします」
「期待しても、いいのかな?」

果たして、次はあるのだろうか…。
目の前にいるのに、いつだって抱きしめられる距離にいるのに捕まえられない彼女。
もしかしたら、もう自分のことなんかより…そんな不安にかられる日々を過ごしながらも、鍵を返されないだけかろうじて蜘蛛の糸は繋がっていると思いたい。

「楽しみにしてます。それでは、お疲れ様です」

バタンと閉まるドアの音。
彼女の残り香を感じながらの一人は辛い。
このまま、仕事を続けてもはかどるものもはかどらないだろうし。
…久し振りに蒼井君でも誘ってみるか。
この前みたいに二日酔いで次の日休むなどという失態は犯せないが、たまには男同士で羽目を外したい時もある。
早速、崇は携帯を取ると巨哉(なおや)に電話を掛けた。



彼の行きつけだという3つ星の付いた寿司屋で待ち合わせると、カウンター席奥で先に来ていた巨哉は待っていられなかったのだろう、一人で一杯やっていた。

「遅れてすまない」

巨哉の隣に座ると女将がお絞りを持ってきたので、ついでに彼と同じ生ビールを注文する。

「しっかし、いいのかよ。俺なんかとこんなところにいてさ」
「そういう、君だって」

「まぁ、そうなんだけど」と巨哉はビールのグラスを早々に空にすると同じ物を追加する。
こうやって呼び出すところを見れば、二人の仲はまだ暗礁に乗り上げたままなのか…。

「体の方は、もう大丈夫なのか?」
「おかげさまで。心配掛けたけど、体はもう元気さ」

体は回復したが、心の方は…。
「おまたせしました」と女将がビールを持ってきたので、ひとまず乾杯を。

「取り敢えず、元気になったってことで。乾杯」

なんとも盛り上がりに欠けるが、独り者の巨哉とまだグズグズしている崇のコンビには、こんなものだろう。
傍から見れば、これ以上ないいい男なのだが、だいたい、声を掛けてすぐ誘いに乗ってくれるなんて、親友である佐久間 晴貴だったら、ありえない。
それに予約の取れない店で有名なのになぜか、彼にかかれば、即入ることができる。
支払いは崇持ちでとちゃっかりしているが、どんな裏ワザを使っているのか。
料理はコースがメインだったが、二人は適当に見繕ってもらい、最後にお好みで寿司を握ってもらうことにした。

「彼女、俺が倒れる前に何か言いかけたんだよ」
「言いかけたって?」

『常務のことが───』
確かに彼女は、そう言った。
あれから、ずっと気になっていたのだが、こちらから聞き返していいものか迷っていたのだ。

「そうだ。『迷惑なんて思ってません。私、常務のことが───』って。あの日、俺は彼女に素直な自分の気持ちを伝えようと」
「いい場面で倒れちまったってわけか」

「なるほど」と新鮮なお作りを口にする巨哉。
さすがの腕に感動しながらも、倒れていなければ梨華は、その後なんと言つもりだったのだろう?
こういう時こそ、自惚れたっていいと思う、崇のことを同じように想っているのだと解釈してもいいはずだ。

「梨華も同じ気持ちなんだろうな」
「そうなのかな」
「だろ?まぁ、富士山でいえば8合目あたりか?あともう一頑張りすれば、必ず御来光が拝めるさ」
「だといいけど」

二人の気持ちが同じ方へ向いているとするならば、焦ることはないのかもしれない。
機が熟するのを待てば、きっといい結果が付いてくる。

「さぁてと。早速、握ってもらおうかなぁ。“大トロ”と“ウニ”と…」
「オイオイ、高いものばっかり頼むなよ」
「天下の右京コーポレーション常務様が、何を言いますか。これくらいで」

「ったく、調子いいんだから」と呆れ顔の崇も巨哉だと許せてしまうのは、彼の人柄のせいなんだろう。
本来なら、一番一緒にいたくないであろう相手に呼び出されてもこうして親身に?(多少の語弊がないでもないが)なって聞いてくれるんだから、“大トロ”や“ウニ”くらい。

「自分ばかり頼むなよ」



「まったくぅ、何でこんなに飲むかな」

「でもって、俺がマンションまで連れ帰るハメになろうとは」と一人ブツブツ言いながら、酔っ払ってヘロヘロになっている崇をタクシーから引きずり降ろすと、乱暴に肩に担いで部屋へと連れて行く。
寿司屋でたらふく食べた後にもう一軒と行ったのが、倶楽部 華という高級会員制クラブ。
知り合いに連れて行ってもらってからというもの、すっかりハマって…誘ったのは巨哉の方だから、これは仕方がないのだが。

「ほら、鍵出して」
「あぁ〜鍵?鍵鍵っとぉ」

暫く、ポケットの中をまさぐってようやっと出てきたお目当ての物をドアの鍵穴に差し入れる。
…あれ?
誰もいないはずの室内に灯りが点り、二人の物音を聞いたからか、誰かが急いでこっちに向かって来るのが。

「巨哉ぁ、常務?」「梨華ぁ?」

こんなところで梨華に会うとは思わなかったが、崇が知っていたら、巨哉を誘ったりはしなかったはず。
真っ直ぐ帰っていたら、今頃は…。

「それより、右京さんをベッドに運ぶの手伝ってくれないか」
「うん」

急いで梨華は、崇を挟んで巨哉と反対側に立つと彼の腕を肩に掛ける。
―――道理で遅いと思ったら、巨哉と飲んでたのね。
こんなになるまでぇ。
明日だって、会社はあるのよ?また、二日酔いで休みなんて、常務としてあるまじき行為よね?
ベッドに寝かせたものの、あまりにも気持ち良さそうに眠っている崇の寝顔を見ていたら、怒る気にもなれなかった。


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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