さくら



「日本に出張することになった。」


桜はびくっと体を震わし、隣に座っていたマックを見上げた。

――――― あれから2年の月日が過ぎた

毎日が夢のようで、朝、目が覚めるたびに、生きていることの幸せをかみしめる。

ジュリアも、もう不安定になることはなく、明るくまっすぐに育っている。

そして、半年前にジャックが生まれ、家族がみんな夢中になっている。

終ったはずの人生が、こんなに愛に溢れたものに変わった。

でも、日本にいる家族と連絡はしているけれど、会うことはなかった。


「日本の企業との契約が決まりそうなんだ。まだ、ジュリアも学校がはじまらないから、みんなで行こう。」

マックは、桜の気持ちが分かっているように、優しい笑みを浮かべて肩を抱きよせた。

桜は過去を思い出し、遠くを見つていた。

「――――― 私が日本へ行くことは許されるかしら。今こうして、あなたたちと一緒に家族になれて、
 
 兄や妹とは連絡が取れる。それだけで幸せなことなのよ。その上・・・」

遮るように、そっと桜にキスをする。

「あの時でさえ許されたんだ。今、連絡が取れる、会えるのに、会わないことは、やっぱり苦しいことだよ。
 
 ずっとこの先会わないでいるつもりかい?創平や春菜は待っていると思うよ。」

桜の目から涙がこぼれた。マックは、向き合うように桜を向かせ、目と目を合わせた。

涙を拭うように、瞼に、頬に軽いキスをする。何度も、顔中に桜がくすぐったくなって微笑むまで。

そして、深く唇を重ねた。何度も、角度を変えて。

桜の体から、力が抜けてきて、すがりつくようにマックの首に腕をまわした。

ゆっくりと唇が離れ、桜は荒い息をしながら、マックの肩に顔を預けた。

マックは嬉しそうに笑い、桜を抱き上げた。

あの頃と変わらず、桜は恥ずかしがって、顔を隠そうとする。

寝室に入り、そっと桜をベッドの上におろした。

「愛してるよ。」

マックは桜を見つめてささやき、桜も首にまわしていた腕に力をいれ、マックにささやき返した。




「日本に行こう。家族で。」

マックは桜の耳元でささやいた。腕の中で気持ち良さそうに髪をすかれながら、桜は頷いき微笑んだ。

「ええ。行きましょう。家族で。」

マックは軽いキスをして、向かい合うように抱き寄せた。

桜は、幸せそうなため息を一つつき、ゆっくりと眠りに落ちていった。




*英語「」、日本語『』で会話されています。



――――― 2年前

まだ天使としてマックたちと過ごしていた頃、数ヶ月がたち、ジュリアも桜になついて、元気な明るい子になっていた。

本来なら起るはずのないことが起った。

それが、日本への出張である。マックの会社は日本とは契約していなかった。

しかし、今回新たに事業を拡大するにあったって、マックが日本の企業をえらんだ。

桜は、生前日本で生まれ暮らしていた。両親は亡くなっているが、兄妹は生きている。

死んでから天使になり、こうして暮しているが、祖国に入ること、もちろん会うことも許されていない。

しかし、神はただ見守る存在であり、心を支配し、未来を変えることはできない。

桜との出会いにより、マックが日本に興味を持ち、取引先に日本の企業を選んだこと、家族を連れて行こうと決めたことは、

小さなことが積み重なって、生まれた軌跡だった。

・・・桜は、家族以外の1人とだけ会うことが許された。




――――― 帰国する前日

仕事を終えたマックとジュリアは、朝早くから出かけていった。

桜が友人と会うことになっていたので、マックが気を遣ってくれた。

桜は二人を見送ると、窓際の椅子に座って外をただ眺めていた。

『ピンポーン』

部屋のベルが鳴って、桜はビクッと体を震わせた。

どれぐらいの時間そうしていたのだろう。緊張して気が付かない間に、ぎゅっと握っていた手をゆるめて、一呼吸した。

ゆっくりとドアに近づき、大きく深呼吸をして、ドアを開けると、かつての親友だった坂本友香(さかもと ゆか)が立っていた。

しばらく、二人は動けず、見つめあっていた。

『・・・また会えて嬉しいわ。』

桜は、すこし緊張した笑顔を見せ、友香を部屋に入れるために一歩後ろにさがった。

友香はまだ信じられないように、目を見開いて見つめている。

ドアがパタンと閉まると、二人はどちらかともなく近づき抱きしめた。

『本当に桜なのね。』

友香は桜の存在を確かめるように、背中にまわした手に力をこめた。

『ええ。・・・天使だけど、飛んだりできないわよ。』

桜は、冗談を言って緊張を緩めようとし、ため息をついた。

少し体を離し目が合うと、二人はくすくす笑い出した。

ソファに座って一息つくと、二人は話し始めた。

友香は、桜が死んでからのこと、家族や友人たちのこと。

桜は、天使になってからのこと、今の家族のことを少しだけ話した。

話せることは限られていたし、友香も詳しくは尋ねなかった。

『創平(桜の兄)さんや、春菜(桜の妹)ちゃんには会わないの?』

桜は悲しそうに顔をゆがめ、首を横に振った。

『会わないわ。・・・会えないの。許されたのは、家族以外の誰か1人だけ。

 突然死んだもの、言いたいことも言えないままだった。それがこうやって、友香と話ができるだけで、良かったと思える。

 ・・・本当は会おうか迷った。1度だけなんて・・・私がどこかで存在していて、また会えるかもと期待させてしまう

 ・・・知っていることはつらいでしょう?』

『そんなことない!!・・・連絡をもらったとき信じられなかった。でも、もう会えるはずなかったんだよ。

 それなのに会えたんだからこれほど嬉しい事はないよ。』

すこし潤んだ瞳で、しかし迷いない瞳で言った。

『でも、もう会えることはないんだね。』

『ええ。今回は本当に奇跡なのよ。・・・これほど幸せなことはないわ。二度と会うことはできないし、生きているだろうということしか分からない。

 私に出来ることは、みんなの幸せを祈るだけ。』

桜は寂しげに笑った。




*英語「」、日本語『』で会話されています。



窓から、オレンジ色の陽射しが入り、気が付くともう夕方だった。そろそろ、マックたちが帰ってくる時間だ。

桜はため息をついた。

『もう時間ね。・・・明日アメリカに帰るの。』

『明日の出発時間・・・教えてくれないのね。』

首を横に振る桜をみて、友香は苦笑した。

『ええ。友香は、創平たちを呼んでしまうでしょう?今の家族とも、あと少しだと思うの。余計な出会いはせずに別れたいの。』

桜は自分が今の家族と別れるとき、記憶が失うことは分かっている。友香の記憶も夢となるだろう。

でも、後に何かつながりを残すような事はできない。

友香は、桜をじっと見つめて、諦めたようにふーっとため息をつき、苦笑した。聞いても教えてくれないことは分かっていた。

『じゃ。帰ろうかな。』

まるで永遠の別れを思わせないように、帰る支度を始めた。

桜は、悲しげな映見を浮かべながら、深く聞かないでくれる友香に感謝していた。


友香は扉の前で振り返った。

『たとえ一度でも、天使でも、会えてよかった。』

桜は目に涙を浮かべてうなずいた。

『うん。・・・元気でね。』

『・・・またね。』

『またね。』

お互い『さようなら』は言わなかった、言えなかった。

涙を流しながら、抱き合う。


友香が扉を開けようと手を伸ばそうとしたとき、反対側から扉が開いた。




「「ただいま。」」

マックとジュリアが帰ってきた。

マックは扉の前にいた二人に驚き、立ち止まった。

扉とマックの間から、ジュリアが入ってきて、桜に抱きついた。

「楽しかったよ!!たくさん見たの。写真もたくさん撮ったよ。」

桜はジュリアの頭をなでながら、微笑んだ。

「よかったね。あとでお話し聞かせて。・・・・・・彼女は坂本友香さん。私の親友。」

桜は、マックを見て紹介した。マックが自己紹介し、ジュリアを紹介する。

友香は三人をジッと見た。本物の家族のような幸せそうな光景。マックの桜を見る瞳。

この家族の別れを思うと苦しくなる。

友香は桜の方を見た。

『本当にいい家族ね。』

桜は嬉しそうにうなずいた。

『私もそう思うわ。』

もう一度抱き合うと、マックに送られて友香は帰っていった。

桜は、じっと友香の後姿を見つめ、一つ深呼吸をすると、ジュリアの話を聞きながら、部屋の中に戻っていった。




*英語「」、日本語『』で会話されています。



空港で、桜は、ジュリアとおしゃべりしながら、マックが搭乗手続きをするのを待っていた。

ジュリアが、顔をキョロキョロさせ、マックの姿を見つけると手を振った。

「パパ!!」

その声に顔を向けると、マックの姿を桜も見つけ、目が合った。

マックは、笑みを浮かべながらも、どこか緊張しているようだった。

ふと、横に目をずらすと、友香がいた。

驚いて、目を見開く。友香と目が合うと、彼女は苦笑いしていた。



『来ちゃった。マックを怒らないでね。私が聞いたの。』

桜も困ったように、眉を寄せながら笑った。

『ええ。マックに教えないでとは頼めなかったの。昨日、会わせることもないと思っていたし、見送りに出て行くとき言う間もなかった。・・・もしかして、連れてきた?』

友香はもちろんというようにうなづいた。

『ええ。私だけ会うなんてできない。創平さんも春菜も、話したら会いたいって。一度だけ。でも、これほど幸せなことはないわ。』

友香は後ろを振り返った。桜も、友香の肩越しに少し離れたところで立っている二人を見つけた。

動かずに立ったままでいる桜に、マックが話しかけた。

「桜?」

「すべて、あなたね。友香に教えたのも、家族に連絡を取るようにすすめたのも。友香は、あきらめたと思っていたのに。」

「アメリカにいて、いつ会えるかわからない家族に今会わないでどうする?俺もあいさつしたかったし。友香に会っていないと聞いて驚いたんだ。だから、時間も教えた。」

桜は、苦笑いしてため息をつく。怒られるかと思い身構えたマックだが、桜は笑みを浮かべていた。

そこにあったのは、感謝と哀しみと、今にもこぼれそうに涙を浮かべた瞳だった。

「ありがとう。マック。」

桜はゆっくりと二人に向って歩き出した。



『本当は会わないほうがいいと諦めていたんだけど・・・・・・会えて嬉しいわ。』

桜は、瞳に浮かべていた涙をこぼして、二人を抱きしめた。

『愛してるわ。二人とも。いつでも幸せを願ってる。』

『俺も。お前がいないのが寂しいよ。・・・だが幸せだよ。今度、桜も叔母さんになるんだよ。』

桜は、嬉しそうに笑いながら、創平を見上げる。

『ほんとう?おめでとう!!叔母さんって呼ばれるのは嫌だな。私はいつまでも若いんだから。』

創平はクスクス笑って、隣の春菜を見た。

『来年、春菜も結婚するんだよな。』

春菜は、笑顔でVサインをする。

『おめでとう。幸せにね。』

春菜は肯いて、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

『桜もよく知ってる人だよ。今日、ついでだから連れてきちゃった。』

春菜が横を見ると、ベンチに座っていた人が立ち上がった。

『ついでとはなんだ。ついでとは。』

その男の人が春菜の横に立つと、桜を見た。

『よお。』

桜は驚いて、呆然とした。

そこに立っていたのは、かつて桜の大学の友人であり、大学の楽団の仲間だった天野聡(あまの さとし)だった。

『驚いただろう?』

ニヤッと笑って、春菜の肩を抱く。

『驚いたも何も、いつもあなたたちケンカばかりしてたのに。・・・二人とも幸せなら、よかったわ。』

二人を交互に見ながら、微笑んだ。

『楽団も続いてるよ。毎年、あの桜道の向こうで。』

『そうなの!?嬉しい。・・・久々に聞きたかったな。聡の”さくら”』


「桜。」

振り返ると、マックたちがいた。

『時間ね。・・・・・・会えてよかった。』

桜は笑顔で抱きしめ、さようならを言った。まだまだ、話したい事はお互いにあったが、その代わりに強く抱きしめあった。

桜がマックたちと歩み出した時、歌声が聞こえた。



♪〜  さくら さくら 〜♪



桜は振り返って、涙をこぼしながら笑って手を振った。


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