「みんな、ちょっとこっちに集ってくれるかしら」
天沢 菊音(あまさわ きくね)の呼びかけに、社員たちは一斉に手を止めると急いで彼女の前に集合する。
それも物の見事に女性ばかり、ところどころ申し訳程度に男性社員が混ざっているだけだった。
だからなのか、理一(よしかず)に注がれる視線は半端なものじゃない。
身なりからしても、『誰なの?この人』という軽蔑の眼差しを向ける者もいれば、女性ばかりの職場に若い男性が来たことで、目を輝かせている者もいる。
「えっと、今日からここでみなさんと一緒に働いてもらうことになりました、石動 理一(いするぎ よしかず)君です。慣れない点もあると思いますが、優しく時には厳しく指導してあげて下さい」
結局、理一(よしかず)は彼女の毒に侵されたのか、ここで働くことにあっさりと同意していた。
しかし、借金の肩代わりについての件は保留ということにしてもらっている。
それはなぜかというと、簡単に言ってしまえば男としてのプライドだろう。
どこの誰ともわからない女性にそこまでしてもらう謂われはないし、例えどんなことがあっても自分の力で必ず乗り越えてみせるから。
まぁ、周りの社員達にしてみれば、理一(よしかず)の方がどこの馬の骨ともわからない若造に映っているのだろう。
社長の言葉にも曖昧な返事しか返さない。
「じゃあ、石動(いするぎ)君、一言お願いします」
「あ?」
――― 聞いてないぞ、そんなこと…。
一言と言われても、今まで会社勤めというものをしたことがないのだから、交わしたのはせいぜい挨拶程度だけ、理一(よしかず)は何と言っていいかわからない。
『どんな挨拶をするのか、見てやろうじゃないか』そう、今にも口に出しそうな彼らを真っ直ぐに見据えると理一(よしかず)は小さく息を吐いた。
「本日より、こちらでお世話になることになった石動 理一(いするぎ よしかず)です。みなさんの足を引っ張るかもしれません。ただ言えるのは、今の俺には失うものなんて何一つないということです。それを胸に一生懸命頑張ります」
「どうぞ、よろしくお願いします」と頭を下げた理一(よしかず)に初めは驚きのあまり無言だったみんなだったが、パラパラと拍手が起こる。
そんな理一(よしかず)を天沢 菊音(あまさわ きくね)は、黙って見守っていた。
◇
と、理一(よしかず)大きなことを言ったものの、これが俺の仕事かよっ!と突っ込みを入れたくもなる。
「石動(いするぎ)君、早速だけどこれお願いね」と年の頃は30ちょっとというグラマラスな先輩女性に頼まれたのは、何と女性用下着の検品チェック。
社名のPRIMAVERILE(プリマヴィリーレ)とは“若々しい”という意味があるらしく、この会社はオリジナルオーダーメードと海外から選りすぐって集めた年齢層の高いセレブをターゲットにした高級女性下着を扱う専門の会社だったのである。
道理で社内はどこを見ても、女性ばかりだと思ったのだ。
急だったこともあって、入社の手続きは明日にすることにして、人出が足りないとフロアの隅にある誰もいない段ボールが山積みされていて中央には長机とパイプ椅子が数個あるだけの倉庫のような場所で、理一(よしかず)はひたすらブラジャーやショーツなどの商品を検品表と照らし合わせてのチェック作業。
レースがこれでもかというくらい付いているものもあれば、スケスケでかなり大胆なものまである。
ある意味、楽しい仕事といえばそうなのかもしれないし、実を言うといまどきパソコンもロクに使えないということがバレても困るから、理一(よしかず)にとってはこの方が都合が良かったのかもしれない。
―――しっかし、何でこんなことになったかな。
考えてみれば、未だに経緯がよくわからない。
天沢 菊音(あまさわ きくね)はどういう意図で、わざわざ宅配便の会社をクビにさせてまで理一(よしかず)を自分の会社に連れて来たのか。
単にあの時かくまったくらいのお礼にしては、ちょっとやり過ぎのような気がした。
ましてや、借金の肩代わりまでするというのには、何か別の理由があるのだろうか…。
そんなことを考えながらも、言われた通り理一(よしかず)は黙々と検品の作業を続けていた。
「石動(いするぎ)君、それが終わったらコーヒーを入れて欲しいんだけど」
さっき、検品作業を依頼してきた女性がノックもせずにドアを開けると、開口一番それだけ言ってまたすぐに出て行ってしまった。
男というものは時としてアホな行動に出る生きものであって、理一(よしかず)も例外ではなかったから、ブラジャーを胸にあててみたりも、ショーツをジーパン越しに股間のところに持っていって、こんなに小さな布でカバーできるのか?とかロクでもないことをやったりするわけだ。
ドアノブが理一(よしかず)の居た側に付いていなかったことが、これ以上彼の株を下げることにならなくて良かったと思う。
それにしても、『コーヒーを入れて欲しい』などとは、雑用係だな。
新入りなのだから仕方がないと思いつつも、これでどれだけの給料がもらえるのだろうか…。
宅配便会社のバイトよりも上でなければ生活が成り立たないのだから、少々、心配にならなくもない。
後で確認しなければと、理一(よしかず)は引き続き作業を続けるのだった。
◇
「このコーヒーを入れてくれたのは、誰かしら?」
そんな声が、あちらこちらから聞こえてくる。
―――ヤバい、俺何かやったか?
変なものは入れてなかったはずなんだけど…。
理一(よしかず)が入れたであろうコーヒーを飲んだ人達が、一人また一人と加わってくる。
コーヒーを入れてくれと言われて『ミルク砂糖入りが5つにミルクだけが2つ、砂糖のみが1つにブラックが―――』とややこしい注文をつけるものだから、とっ違えたのかもしれない。
「それなら、石動(いするぎ)君が」
「すみませんっ、俺が入れました」
早めに自首した方がよさそうだと先輩女性の言葉を遮るように理一(よしかず)が言葉を挟む。
「石動(いするぎ)君?あっ、別に怒ってるわけじゃなくて。美味しかったから」
「へ?」
周りの人達も『うんうん』と頷いているが、普通にインスタントのコーヒーを入れただけで、特別なことをしたわけでも何でもない。
だいたい理一(よしかず)が、そんなワザを持っているはずもないというのに。
「今度からお願いね」
ポンっと肩を叩かれて、不思議な感覚とほんの少しだったけど距離が縮まったような気がした。
すると…。
「そんなに美味しいコーヒーなら、石動(いするぎ)君、私にも入れてくれない?」
そこへ現れたのは、天沢 菊音(あまさわ きくね)だった。
「インスタントですけど」と理一(よしかず)が言うと、「構わないから、持って来てくれる?」と微笑む彼女。
すぐに理一(よしかず)は普通にインスタントコーヒーを入れたカップを持って、社長室へ。
ノックと共にドアを開けると、彼女は真剣な表情でデスクのパソコンを見つめていた。
「あの、コーヒーをお持ちしました。こちらに置いておきます」
「ありがとう。あっ、石動(いするぎ)君ちょっと待って」
忙しそうだったから、そのまま部屋を出て行こうとした理一(よしかず)を彼女が引き止めた。
「はい?」
「その格好ではねぇ。これから買い物に行きましょう」
「買い物?ですか…」
天沢 菊音(あまさわ きくね)は、理一(よしかず)が入れたコーヒーを「みんなが言った通りだわ」と美味しそうに飲んでいる。
「先に下に行って待っていてくれる?すぐに車を出すから」
机の上を片づけ始めた彼女にそう言われて、理一(よしかず)はわけもわからず部屋を出た。
To be continued...
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