「ねぇ、彼と何かあったの?」
たまたま二人のやり取りを聞いていた百恵が、実紗の後を追い掛けて来た。
彼女もまた、昌紘が実紗へ想いを抱いていることに気付いていた一人だったから、一体何があったのか、心配でたまらない。
「何も」
「何もないってことないでしょ。彼が、あんなことを言うなんて…」
「そんなこと言われても、あたしにはわからないんだから。しょうがないでしょ!」
百恵に八つ当たりしても仕方がないのに、ついこんな態度を取ってしまう実紗。
自分が悪いことはわかっているけど、昌紘がなぜあんな言い方をしたのか…。
何が気に入らなかったのだろう。
きっと、実紗の態度に業を煮やしたのかもしれない。
「ごめんね、百恵」
「ううん。あたしのことはいいんだけど、大丈夫?」
「紘(こう)ちゃん、きっとあたしのことが嫌いになっちゃったのね。いつまでも、子供扱いするから」
「そんなこと…」
「あたしは、大丈夫だから。心配しないで」
「実紗」
いくら心配しないでと言われても、百恵が実紗のことを放っておけるはずなどなかった。
◇
「おかしい、どう考えてもおかしいのよね」
「何がおかしいんだ?」
「自販機が壊れてんのか?」と、やって来たのは聡志(さとし)。
首を傾げて腕を組んだまま、百恵は知らぬ間に声を出していたことに今更気付いて顔を赤らめた。
実をいうと百恵は聡志(さとし)にほのかな恋心を抱いていて、どこで買っても同じなのにワザワザ彼のいるフロアの自販機まで買いに来ていたのだ。
こうして会えるかもしれないことを密かに願いながら。
「そうじゃなくて。実紗がね」
「あいつが、どうかしたのか?年下君と何か」
「どうして、知ってるの?」
「やっぱり、そうか」と聡志(さとし)はポケットから500円玉を取り出すと、自販機にそれを入れて百恵に好きな物を選ぶように言う。
彼女はありがたく、ミルクティーのボタンを押すと同時にガチャンと缶が出てくる音が響いた。
「この前、あいつに会って聞いたんだよ」
「偶然な」と聡志(さとし)は自分の分のブラックを買うと、近くに椅子に足を投げ出して座る。
「聞いた?」
「あ?告白されて、迷ってる話をさ」
「告白?告白って」
仲のいい、百恵ならとっくに知ってる話だと思って口走ってしまったが、彼女の驚きの表情を見ればすぐにそうでないとすぐにわかる。
「実紗ったらそんな話、一言も言ってなかったのに…」
聡志(さとし)には話していて、どうして自分には言ってくれなかったのか…。
大学時代から付き合いのある二人を疑わなかったわけではないが、もしかして…。
「話の成り行きっつうか、あいつって何でも一人で考え込むタイプだろ。変に人に気を使ったりしてさ。そのくせ、決断できなくてウジウジ悩んでるんだ」
マズイと聡志(さとし)は慌てて取り繕うが…
「実紗のこと、何でもわかってるんだ」
百恵は少し離れて聡志(さとし)の隣に腰を下ろす。
こんな言い方、よくないことはわかってる。
わかってるけど、嫉妬してしまう自分をどうにも抑えることができなかった。
「まぁ、付き合いだけは長いからな」
しみじみと言う聡志(さとし)に自分がどんなに彼を想っていても、埋められない時間があるのだということを百恵は突き付けられたような気がしたが、それを恨んでみても始まらない。
それより…実紗は告白されて迷っていると言っていたが、昌紘のあの態度はそれを断ったからなのだろうか?
だからって、あんなあからさまに態度に示さなくても…。
「迷ってるって、実紗は断ったのかな?」
「それはないだろ。俺さ、あいつに鎌掛けてみたんだよ。俺がもし、実紗に告白したらどうするって」
…えっ、実紗に告白。
百恵は思わず、自分の耳を塞ぎたくなった。
聡志(さとし)の気持ちがこの先一生自分に向かないとわかっている、わかっていても…。
「もちろん冗談に決まってるのに、あいつマジに受けて『ごめん。聡志(さとし)のことは好きだけど、そういう関係にはなれないと思う』だってさ」
「実紗が?」
「あいつ、年下君のことが好きなのに余計なこと考えやがって」
ホッと胸を撫で下ろす百恵。
…何か変ねぇ。
実紗は彼のことが好きということはお互い想ってるのに、どうして彼はあんな態度を取ったのかしら…。
「どうした」
「彼がさっき、実紗が仕事を頼もうとしたら、珍しく拒んでね。それと呼び方も子供じゃないんだからって。実紗は彼のことをずっと紘(こう)ちゃんって呼んでたの。今まで、そんなこと一度だって言ったことなかったのに…。実紗、すごく寂しそうだった」
これで百恵が首を傾げていた理由がわかったが、何があったにしても好きな相手にそんな態度を取る昌紘が聡志(さとし)には許せなかった。
「子供じゃねぇか」
「え?」
「何があったか知らないけど、好きな相手にそんな態度を取りやがって。ガキ、以下だな」
聡志(さとし)は缶コーヒーを飲み干すとダストボックスにそれを弧を描くように投げ入れたが、あまりにも見事だったので思わず手を叩きたくなった。
あんな小さな穴によくもまぁ、と百恵は感心している場合ではないのだが…。
「聡志(さとし)は、実紗が彼と上手くいけばいいと思ってる?」
「当たり前だろ。百恵は思わないのかよ」
「そういうわけじゃないけど…」
…人の幸せを望む気持ちはわかるけど、自分自身が辛過ぎるでしょ?
「俺も困るんだよ。『40になっても一人なら、俺が引き受けてやる』って言っちゃったんだけどさ、好きなやつがいるから」
「え?」
実紗のことが好きなのだとばかり思っていたが、他に好きな人がいる?!
ホッとしたのもつかの間、どっちにしても百恵の出る幕はないということに他ならない。
「今度、飯食いに行くか?」
「へ?」
地獄に突き落とされたところへ、聡志(さとし)のあまりに唐突な誘いに百恵は素っ頓狂な声を上げて固まった。
「何、固まってるんだよ。断るわけないよな」
「何で…」
「知ってんだよ。お前が、ここの自販機に来る理由をさ」
このフロアの自販機に百恵が来る理由を聡志(さとし)はちゃんと知っていたのだ。
そして、彼もまた同じ想いだった。
「聡志(さとし)…」
「返事は?」
「いいけど、うんっと豪華なレストランにしてね」
「わかったよ」と嬉しそうに微笑む聡志(さとし)だったが、その前に男としてあいつに一発くらわせないと気が済まない。
◇
あれから、仕事に関しても必要最小限しか口をきいてくれない昌紘に、実紗は胸が詰まって食事も喉を通らないほど。
それは誰が見ても一目瞭然で、羨ましいとさえ思われていたスレンダーなボディが百恵や聡志(さとし)から見れば、痛々しくさえ感じられた。
「紘(こう)ちゃ…あっ、ごめん。あの…これなんだけど、明日中でお願いしてもいい?」
危うく、紘(こう)ちゃんと呼んでしまいそうだったのを何とか正したが、「わかりました」とだけボソっと言った昌紘の顔は不機嫌極まりない。
『逃がした魚は大きいって、後悔しても遅いんだからな』
聡志(さとし)に言われた言葉が、重く胸に突き刺さる。
どうして、こんなことになったんだろう…。
―――紘(こう)ちゃん…。
もう二度と向けられないであろう笑顔が、今も脳裏から離れない。
今更かもしれないけど、大好きだった。
色々なものがいっぺんに込み上げてきてその場にいられなかった実紗は、静かにフロアを出ようとすると、ちょうど入って来た聡志(さとし)とぶつかりそうになった。
「実紗。オイっ、どうしたんだよ」
「何でもない」
「何でもないって、泣いてるのか?」
俯いていてはっきりはわからなかったが、実紗の瞳に確かに光るものが聡志(さとし)には見えた。
こんなに痩せて…その上、泣くほど辛いことがあったのか…。
ふと、視線をフロア内に向けると一人の人物と目が合った。
…あいつ。
鋭い視線、まるで敵意を露わにしたような…。
あっ、もしかして俺と実紗のことを疑ってるのか―――。
思い当たる節がないでもなかったのは、あの日、偶然会って実紗と居酒屋に行った時に昌紘に似た人物を見掛けたような気がしたのだ。
気のせいだと思っていたし、そんなことで二人がどうこうなるものでもないと思っていたが、そうではなかったらしい。
あの野郎―――。
百恵に用があってここへ来た聡志(さとし)は実紗を彼女に任せて昌紘の元へ行くと、一言二言交わして外へ連れ出す。
その様子を心配そうに見守っていた百恵に、聡志(さとし)はただだまって頷いただけだった。
聡志(さとし)と昌紘の間に何があったのかはわからないが、昌紘が席に戻って来たのはそれから1時間ほどしてから。
その頃には実紗もだいぶ落ち着いていたし、何より昌紘が彼女をを見る目がとても優しかった。
昌紘の変化を見逃さなかった百恵は、彼を信じてそっと見守ることにした。
+++
とうとう、今日で30歳―――
運命の相手とも出会えないまま、実紗は30歳を迎えることとなった。
好きな人に告白されたのにあんなことになって…最低最悪の誕生日と言って、いいかもしれない。
そして、残業となれば益々ツイていないと言うしかないだろう。
周りを見ても、今夜に限って人っ子一人いないとは…。
―――あたしの人生って、きっとこうなるようにレールが敷かれているんだわ。
静かなフロア内に実紗の叩く、キーボードの音だけが響いていた。
その瞬間…。
「えっ、停電?」
いきなり照明が消えて驚いたが、なぜかパソコンの画面は消えていない。
―――ん?
部分停電なんてこと、あったかしら?
調べようにも辺りは真っ暗で、あいにく懐中電灯などという気の利いたものを持ち合わせていなかった実紗は、そのまま電気が点くまで暫く待つしかなかった。
そして…。
「ハッピバースデー トゥーユー ハッピバースデー トゥーユー ハッピバースデー ディア 実紗 ハッピバースデー トゥーユー」
突然聞こえてきた歌声にハッとして左側に振り向くと、そこにはロウソクが灯されたケーキを手に昌紘が立っていた。
「紘(こう)ちゃん…どうして」
「実紗さん、誕生日おめでとうございます」
「さぁ、ロウソクを吹き消して下さい」とデスクの上に置かれたケーキには大好きなイチゴが一周していて中央には“お誕生日おめでとう 実紗さん”と書いてあり、火が灯った太めの3本のロウソクが立ててある。
真っ暗なフロアに、そこだけ幸せのあかりが灯っているようだ。
実紗がフーっと一息でロウソクを吹き消すと再び辺りは真っ暗に、パソコンの明かり以外は何もない。
すると、左手に硬くて冷たい何かが…。
「受け取ってもらえますか」
薄明かりの中にも、それは格別の光を放つリング。
しかし、今の状況が飲み込めない実紗は、なんと答えていいかわからない。
「紘(こう)ちゃん、あたし…」
「俺、誤解してたんです。実紗さんは俺の気持ちを知っていながら、あの人と」
―――あの人って…。
頭の中で考えてみるが…。
えぇっ、それって、聡志(さとし)のこと?
聡志(さとし)のことを疑っていたから、急に態度が変わった。
紘(こう)ちゃんがそんなふうに思っていたなんて、ちっとも知らなかった。
「本当にごめんなさい。あなたに悲しい思いをさせて、苦しめて」と昌紘は実紗を背後から包み込むように抱きしめたが、そのあまりの細い体に自分の犯した罪の重大さを受け止めた。
聡志(さとし)から真実を聞かなければ、もっと実紗を苦しめたかもしれない。
殴られた痛みなどすぐに消えるが、心の傷が癒えるまでにはどれだけの時間がかかるのか…。
「もう、怒ってない?」
「それは、俺の台詞です。実紗さんこそ、怒って…」
昌紘は実紗を怒らせて当然のことをしたのだ。
こんなふうに謝って許してもらえるとは思っていないけれど、それでも想いだけはどうしても伝えたい。
「怒ってなんか、いないわよ」
重ねるように手を握る実紗に、昌紘の胸に熱いものが込み上げてくる。
「好きです」
耳元で囁くように言われて、実紗は涙が出そうになった。
でも、それは決して悲しいからなんかじゃなくて、その反対。
最低最悪の30回目の誕生日を迎えるとばかり思っていたのに、こんなに素敵な時を過ごせたのだから。
「あたしも、紘(こう)ちゃんが好き」
この言葉を何度、昌紘は夢の中で聞いただろうか。
いや、これは夢なんかじゃなくて正真正銘現実なのだ。
「実紗さん」
何度も何度も啄ばむようなくちづけに、ここがオフィスだということも忘れてしまいそう。
鼻と鼻をくっ付けたまま、名残惜しさを抑えて唇を離す。
「ねぇ、見て」
実紗が左の手のひらを昌紘に見せる。
薬指には、誕生日プレゼントのリングがしっかり納まっていて。
「手相。結婚相手は、年下だって」
「でも、晩婚は外れでしたね」
「え?」
「年内には、結婚しましょう」
「気が早いわね」
「でないと、俺また誤解してしまいそうだから」と、苦笑しながら話す昌紘に実紗が嬉しくないはずがない。
占いなんてと思ったけれど、あの時本屋さんで衝動買いをしなかったら、恐らくこんな日は来なかった。
左手のリングを見つめながら、微笑む実紗に昌紘はもう一度くちづけた。
To be continued...
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