恋占い
中編


『もう少し時間が欲しい』と言ったものの、それをいいことに時間を稼いで返事を遅らせようとして
いる自分がいるのも確か。
このままいくと今まで通りの関係でいられなくなるような気がして、実紗はその方が辛かった。

「実紗さん、確認後に職印をお願いします」
「えっ、あ…うん。随分、早いわね」

そんな実紗の気持ちを他所に昌紘が元気いっぱいに実紗の元に差し出した見積に関する資料は、今朝、彼に依頼したばかりのもの。
急いでいないと言ったら嘘になるが、いつもより昌紘が張り切っていたのは確かだし、それは少なからず昨日のことも影響しているのかもしれない。

「はい。頑張ってやりましたから」
「あんまり項張り過ぎて、倒れたりしないでね」
「体だけは、丈夫に出来てますんでっ」

大きな声で言う昌紘に実紗は「もうっ、紘(こう)ちゃんったら。声大きいって」と周りを見回しながら注意すると、「すみません、つい…」と申し訳なさそうに謝る彼がやっぱり憎めない。
30年近く生きてきた中でも、年下の彼と付き合った経験はまだ一度もなかったし、これから先もそれはないと思っていた。
自分は面倒見がいい方ではないし、いつだって年上の男性(ひと)に甘えていたかったから。
それがもし、紘(こう)ちゃんと付き合うことになったらどんな感じなんだろう。
彼は、あたしに何を求めているのだろうか…。
考えれば考えるほど頭の中がぐちゃぐちゃになっていって、答えなどすぐに見つかるはずもなかった。

+++

「実紗」
「え?やっだぁ、聡志(さとし)じゃない」

「どうしたのよ、こんなところで」と実紗が彼の背中を思いっきり叩くと大げさに痛がってみせたのは、同期で大学時代からどういうわけか付き合いのある聡志(さとし)だった。
彼はおもしろいし、なかなかの男前ではあったが、長い間一緒にいてもなぜか男女の関係にはならず、友達という線を超えなかった理由は今もわからない。
まぁ、実紗からしてみれば、自分に魅力がなかったからだと思うしかないのだが…。

「お前こそ。一人か?」
「悪かったわね。一人で」

辺りを見回している聡志(さとし)に脹れっ面で返す実紗だったが、「そう、怒るなよ。目尻のしわが増えるぞ」なんて失礼なことをぬかすから、もう一回背中を思いっきり叩いてやった。

「痛ってえなぁ」
「そういう時は、「お一人なら、食事でもいかがでしょうか」くらい気の利いたことは言えないわけ?」
「あ?お前は、俺に夕飯を奢らせようとしてるのかよ」

「当たり前でしょ?レディに対して、失礼なことを言ったんだから」と半分冗談、半分本気で言ってみたのだが、聡志(さとし)は案外あっさり承諾してくれた。
もちろん、カップルが足を運ぶようなこじゃれた店などではなく、普通の居酒屋チェーン店だったけど。
二人は案内された席に向かい合って座ると、すぐにおしぼりとお通しを持ってきた若い女性店員にビールの生大を2つ注文する。

「好きなものを頼んでいいぞ?鶏のから揚げでも、揚げだし豆腐でも」

写真入りのメニューを開いて見せる聡志(さとし)がなんだか可笑しくて、実紗の顔には笑い漏れた。
彼とだから、気兼ねなくこんなふうに話したり笑ったりできるのだなと。

「笑ってないで、さっさと決めろ」
「はいはい」

ビールを持って来たさっきの若い女性店員に向かって、実紗はメニューを見ながら次から次へというよりも、順番に全部言ってるんじゃないのか?というくらい注文する。
「そんなに食うのかよ」と聡志(さとし)の突っ込みが聞こえてきそうだが、この際、無視。

「じゃあ、取り敢えず乾杯」
「かんぱ〜い」

実紗はジョッキからビールがこぼれてしまいそうなくらい強くガツンっと聡志(さとし)のジョッキにぶつけると一気に1/3くらい飲み干した。
それを見ていた聡志(さとし)は、女性と飲んでいるというよりは男同士で飲んでいるような錯覚に陥っていたが、それを言うとまた怒られるというか、手が飛んできそうだったので、喉の奥に引っ込めた。

「で、どうなんだ?」
「どうって?」
「男はできたのかよ」
「ぶはっ…」

ビールを噴き出した実紗に「汚ねぇなぁ」と、慌てて聡志(さとし)はおしぼりでテーブルの上を拭く。

「ゲホッゲホッ―――」
「大丈夫かよ」
「聡志(さとし)が変なことを言うからでしょっ。ゲホッゲホッ」

―――もう、何なのよ。
昌紘の告白があったばかりだったから、いきなり『男はできたのかよ』と聞かれて、変に動揺してしまう。
いつも決まって会えば口にする言葉だったけれど、こういうことがあると咄嗟にごまかすのは難しい。

「お?できたのか、ついに」
「ついにってねぇ、まだそんなんじゃないわよ」

適当に返すと実紗は残りのビールを飲み干して、同じものを追加注文する。
このペースでいくと、今夜はかなり飲みそうだ。

「まだって、どういう意味なんだ」
「どうって…」

聡志(さとし)は実紗の隣の席に座っている昌紘のことを知っているし、告白されたことを言ったらどういう反応をするだろうか?
そんな時、「お待たせしました〜。生大一つと、鶏のから揚げに揚げだし豆腐―――」と次々に注文した品がテーブルの上を埋め尽くすように並べられ、お腹が空いていた二人は話よりも腹ごしらえの方が先とばかりに箸をつけた。

「それで?」
「え?」
「だから、男ができたって話の続きだって」

―――だ・か・ら・まだだって、言ってるのにぃ。
そこを突っ込んでいる場合ではなく、この件は忘れてくれたと思ったのにそうではなかったということ。
きちんと聞くまで、彼はしつこく言ってくるに違いない。

「だから、まだそういうんじゃなくて。告白されただけなの」
「迷ってるのか」
「うん。身近に居過ぎてそんなふうに思ってもみなかったし、年下っていうのもね」
「俺が今、お前に告白したら、どうする?」
「えぇぇ…聡志(さとし)が、あたしに告白?!」
「あぁ」

「本気で言ってるの?」と聞き返すと黙って頷き、真剣に実紗を見つめる聡志(さとし)。
―――いきなり、そんなことを言われても…。
聡志(さとし)は気兼ねなく何でも言い合える相手だし、好きだけど、それは恋とは違う。
相手のことを想って、ドキドキしたり、胸が苦しくなったり、嫉妬したり、不安になったりして、初めてその人が好きなんだと思うから。

「ごめん。聡志(さとし)のことは好きだけど、そういう関係にはなれないと思う」

「ごめんね」と実紗は、ビールをちょっとだけ喉に流し込む。
こんなことを言ってしまって、ずっと仲のいい友達できたのに男と女はどうしてこうも気持ちが変わってしまうものなのか。
言ってしまってから後悔しても遅いのだが、だったら他になんて言えば良かったのだろう…。

「何、マジに受け取ってんだよ。冗談、冗談に決まってるだろ」
「え?!」

―――冗談って…。
「すみませ〜ん。お姉さん、生大一つ」と大きな声で叫ぶ聡志(さとし)に実紗は呆気に取られて開いた口が塞がらない。

「お前なぁ、そいつのことが好きなんだろうが」

「俺のことは、はっきり断りやがって」と言われて、初めて聡志(さとし)がワザと実紗の気持ちを試すようなことを言ったのだと気付く。

「聡志(さとし)…」
「隣の若い野郎なんだろ?その相手って」
「どうして…」
「普通、わかるだろ。あいつ、すっげぇ光線出してたぞ」

追加注文した生大を聡志(さとし)は豪快に流し込む。
―――光線って…。
どんな光線よ。
その前に聡志(さとし)も、紘(こう)ちゃんの気持ちに気付いていたなんて…。

「確かに紘(こう)ちゃんのことは嫌いじゃない。でも、好きかって言われるとわからないんだもん」
「迷ってるってことは、好きな証拠だろ?」
「そうとも、限らないでしょ?」
「それは相手が年下だってことと、同じ職場でましてや隣の席にいるやつと付き合って、もし別れたらとか。そんなどうでもいい理由を考えるからだ。初めから、怖がってどうする。逃がした魚は大きいって、後悔しても遅いんだからな」

全部、聡志(さとし)の言う通りだった。
30近くなると、いつの間にか恋に対して受け身な自分がいるのも確か。
素直に彼の胸に飛び込めたら、どんなにいいだろう…。

「あたし…」
「もしも、フラれるようなことがあったら俺がいるさ」
「聡志(さとし)?」
「まだ、30だろ?40になっても一人なら、俺が引き受けてやるっての」
「ちょっと待ってよ。言っとくけど、あたしはまだ、29歳なんですからね?それに40になってもなんて。さすがにその頃までには何とかなってるわよ」
「俺もあと10年一人ってわけにもいかないんでね。せいぜい、頑張るんだな」

聡志(さとし)の優しさに感謝しつつ、昌紘(まさひろ)の想いを真剣に受け止めてみよう。
実紗は、そう心に誓うのだった。

+++

「紘(こう)ちゃん、これ今日中にできるかしら?」

聡志(さとし)と話したら、なんだか随分と楽になった実紗がいつものように昌紘(まさひろ)に仕事を頼む。
すると、彼からは予想だにしなかった言葉が返ってきて…。

「すみませんが、今ちょっと立て込んでるんですよ。それと、その紘(こう)ちゃんっていうのも止めてもらえませんか?俺は、子供じゃないんで」

昌紘(まさひろ)が、こんな強い態度に出るのは初めてだった。
どんなに仕事が詰まっていても、決して実紗の依頼を断ることはなかったし、呼び方に対しても初めは嫌がっていたが、ずっとこうだったのに…。

「ごめんね、忙しかったのに。名前も、もう呼ばないようにするから」

寂しそうに席を立った実紗に視線を合わせることすらしなかった昌紘(まさひろ)の心も、張り裂けそうなくらい痛かった。


NEXT
BACK
EVENT ROOM
LOVE STORY
TOP


Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.