「おはよう、加奈。ところで来週の土日ってもう予定入ってる?」
月曜日の朝、会社に出社すると先に来ていた同期で同じ部に所属している橋本 萌(はしもと もえ)に挨拶とともに唐突に週末の予定を聞かれた。
萌は同期の中でも一番仲が良いから、こういう誘いは初めてじゃない。
「萌、おはよう。何?いきなり」
「あのね。来週、軽井沢にある悠(ゆう)の別荘に行くんだけど、加奈も一緒にどうかなって思って」
悠(ゆう)と言うのは児島 悠(おじま ゆう)さんと言って、萌の幼馴染で2歳年上の彼氏のことである。
父親が輸入食品会社を経営していて、今はその会社の常務になっているらしい。
萌の父親と悠(ゆう)さんの父親が親友だとかで、いわゆる許婚ってやつね。
軽井沢に別荘を持っているなんて、まったく羨ましいったらありゃしない、それに幼馴染で付き合いも長いのに今もラブラブなのよ?
なのにどうして、そんな萌とその彼氏にあたしが加わるのかしら?
カップルの間に入るなんて、どうなのよねぇ。
「何で、あたし?二人で行けばいいじゃない」
「それはそうなんだけど、広い別荘に二人じゃつまらないでしょ?たまには、お互い友達を連れてワイワイするのもいいかなって」
―――ってことは、あたし以外に男の人が来るってことよね?
だけど、普通別荘に二人っきりの方がいいんじゃないのかしら…。
「児島(おじま)さんはまだしも、知らない男の人と旅行なんて、どうかなぁ」
児島(おじま)さんとは何度か会って話したことがあるからいいとしても、その友達という人は初対面である。
そんな人と上手く話なんて、あたしにはとてもできそうにないし…。
「大丈夫よ。悠(ゆう)の親友で森さんって言うんだけど、すっごくかっこよくて優しいし、それに面白い人だから。加奈もきっと気に入ると思うんだけど」
「気に入るって、見合いじゃないんだから」
萌はあたしに彼氏がいないのを知っているから、紹介しようとでもしているのだろう。
あたしにはそんな気、全然ないのに。
「いいじゃない。加奈、可愛いのに彼氏がいないなんてもったいないわよ。そんな深く考えないで会ってみたら?」
「ね?」って言われてもねぇ。
断ろうにも特に予定も入っていなかったし、あたしは萌の押しに負けて、つい行けばいいんでしょなんて言ってしまったのよね。
はぁ…。
+++
萌に誘われて軽井沢に行く当日はまさに快晴という言葉がぴったりの朝だったが、あたしの心は天気とは裏腹に曇り空だった。
いっそのこと、雨でも降ってくれた方がまだマシだったかもしれないのに。
一緒に来ることになった森さんという人は一級建築士で、父親の設計事務所で働いているそうだ。
お父様は海外でも名を知られている程、建築家としてはとても有名な人らしい。
萌の彼氏である児島(おじま)さんとは、中学からの親友だと言っていた。
―――そろそろ、電話が来る頃ね。
時計を見れば約束の10時になるところ、車で迎えに来てくれるというのであたしは支度をして萌からの連絡を待っていた。
すると見計らったように携帯が鳴り出したが、ディスプレイには見慣れない番号が表示されていた。
一瞬、間違い?と思ったが、萌が同じ頃に掛けてきていたら困ると思い、あたしはすぐに電話に出た。
「もしもし」
『おはよう、加奈ちゃん』
―――はぁ?加奈ちゃんって、あなた一体誰よ?
開口一番いきなり名前を呼ばれて、あたしはどう答えていいものかわからなかった。
「あなたは?」
『ごめんね、自分の名前を名乗るのが先なのに。今日、加奈ちゃんと一緒に軽井沢までお供することになってる森 拓実(もり たくみ)です。今、加奈ちゃんの家の前に車付けてるんで準備できたら出て来てくれる?』
―――え、森さん?
てっきり、萌が電話を掛けてくるものとばかり思ってたから、びっくりしたじゃないねぇ。
「はっ、はい。今すぐ行きますから」
『急がなくていいから、ゆっくり出ておいで』
そうは、言われてもねぇ…。
あたしは、急いでバッグを持つと、グルっと戸締りを確認して家を出た。
道路に止めてあったあまり街で見かけない車から降り立った男性が、あたしの姿を見つけて軽く手を上げて微笑んでいる。
「初めまして、加奈ちゃん」
「こちらこそ、初めまして」
「花藤 加奈(はなふじ かな)です」と挨拶したあたしだったけど、森さんは一体何センチあるのかと思うくらい背も高いし、萌の言っていた通りすっごくかっこ良い。
それに建築家だからなのか、洋服のセンスもいいと思う。
ただし、話口調からしてかなり軽い感じの男性に見えなくもないのだけれど…。
あたしが挨拶をすると同時に「荷物はそれだけ?」と持っていたバッグをさっと取って車のトランクに入れた。
そして、右側のドアを開けてあたしに乗るように勧める。
「あの、児島(おじま)さんと萌は?」
車内を覗いても誰もいないし、辺りを見回してみたが、他に車はなく二人の姿もどこにも見当たらない。
「あれ、加奈ちゃん聞いてない?二人は先に行ってるからって、現地集合なんだよ」
―――はぁ?何それ、そんなこと全然聞いてないわよ。
あたしはヤラレタ…と思いながらも、森さんに勧められるままに車の助手席に乗り込んだ。
後で聞いた話だが、この車の名はかの有名なポルシェのもので、カイエンという4WDの車だそうだ。
ポルシェと言えばスポーツカーしかないものと思っていたあたしには、こんなアウトドア系の車もあったのかと驚きだったけど、さすが名の知れた建築家の息子は選ぶものが違うなと感心してしまう。
それに細いけれどガッシリとした腕に着けられた時計は、パッと見それとはすぐにはわからないけどロレックスのデイトナ。
それも、コンビの物より高価だと言われてるステンレス製。
時計好きのあたしはすぐに腕を見ちゃうんだけど、同じロレックスでもボーナスでやっとこさ買ったアンティークを大事に使ってるのとは大違い。
どうも、住む世界が違い過ぎる。
児島(おじま)さんにしても萌にしてもそれは同じで、あたしみたいな庶民が一緒にいるってことの方が間違ってる気がするわ。
「萌ちゃんが言ってたけど、加奈ちゃんはほんと可愛いね」
―――は?何よ、突然。
今、この人あたしのこと可愛いとかなんとか言わなかった?
それにそのちゃん付けは、どうにかならないかしら?
「あの…森さんは、初対面で可愛いとかそういうことを平気で言える人なんですか?それとちゃん付け、何とかなりません?あたし、子供じゃないんですから」
言ってから後悔しても、もう遅い。
思ってることをすぐに口に出してしまうこれがあたしの悪い癖だってわかってるんだけど、こんな軽い男に媚を売る気もない。
がっ、この男、反省するどころかクスクスと笑ってるし…。
「何が、可笑しいんですか?あたしは、真面目に言ってるんですけど!」
「ごめん、ごめん」
口では謝ってるわりにまだ笑ってるし…あたしは、怒ってるんですからね。
「ごめんね、笑ったりして。でも、俺は加奈ちゃんがほんとに可愛いって思ったから、そう言っただけなんだけどな」
森さんは、苦笑しながらも話を続ける。
「それと加奈ちゃんって呼ぶのは、何も子供扱いしてるわけじゃないよ。初対面で馴れ馴れしいって思うかもしれないけど、せっかくこうして縁あって知り合えたのに“花藤さん”や“加奈さん”じゃぁ何だか他人行儀だし、無理に垣根を作る必要もないと思うんだ」
―――まぁ、確かにそうかもしれないけど。
先入観からついこんなふうに思ってしまったけれど、森さんは最初からわかっててあたしにこういう接し方をしていたのだ。
「ごめんなさい。あたし、そういうの鈍くて勝手なこと言ってしまって」
「加奈ちゃんが謝ることなんてないよ。俺が初めにきちんと言えば良かったんだし、加奈ちゃんでなくても普通そう思うよね」
「そういうところがダメなんだ」って、森さんは笑う。
萌が言っていたけど、森さんはかっこ良くてそれに優しいって。
本当にそう思う。
それに気配りもできる人なんだって、2歳しか違わないのになんだかものすごく大人に見えてしまう。
「そんなことないです。あたしこそ、思ってることをすぐに口に出してしまって…可愛くないって、わかってるんですけど」
「加奈ちゃんは、聞いていた通りの子だね」
信号待ちで車が停車したのと同時に、森さんは顔をあたしの方へ向けた。
その顔は冗談を言っている顔ではなく、あまりに綺麗なブラウンの瞳に思わず引き込まれてしまう。
「思ってることを言うことは決して悪いことじゃないと思うし、それが可愛いくないってことにはならないんじゃないかな」
今までこんなことを言われたことなど一度だってなかったし、もう少し大人しくしていれば可愛いのにって…。
「俺は媚びてる子よりも、加奈ちゃんみたいにはっきり言う子の方が好感が持てるし、素直で可愛いって思うけどな」
あまりにストレートに言われて、顔がカーッと熱くなるのがわかる。
信号が青になって車が動き出してくれたから良かったものの、今のあたしはきっと蛸みたいに真っ赤になってるはずだ。
―――あぁ、何だか調子狂っちゃう…。
そのまま真っ直ぐ正面に視線を向けると、どこまでも続く道をあたしはジッと見つめるしかなかった。
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