「お父様、どうして?倒れたって聞いたから、仕事を置いてすっ飛んで来たのに」
―――ピンピンしてて、全然元気じゃない。どういうこと?
ハメられたの?もしかして…。
黒部 智香(くろべ ともか)が3年振りに帰国した母国の地、23歳で家を飛び出してから一度も帰って来ることなんてなかった。
もう、この先もずっと…。
それなのに、こんな形で…。
その前にお父様は、何を企んでるのかよね?
娘を騙してまで呼び戻した理由は何なのか。
「倒れたのは嘘じゃないんだよ。単なる過労だったんだが、母さんが騒ぎ立ててな。でも、こうして智香(ともか)が帰って来てくれて嬉しいよ」
父の言っていることはどこまで本当かわからないけど、嬉しそうな表情の中にも3年という月日の間に髪にはすっかり白いものが混じっていた。
もう、若くはないのだから、無理だけはしないで欲しい。
―――まぁ、勝手に家を飛び出して決していい娘だとは言い切れないんだし、顔を見せられたことが親孝行と思えば仕方ないか。
「で、お父様。私を呼び戻した本当の理由は何なの?」
「あ?いや、それはだな…」
妙に歯切れの悪い父に嫌な予感は募るばかり。
「お前も、ゆっくりできるんだろう?」
「お父様が倒れたなんて、言うからでしょ」
父が倒れたなどと連絡をもらったものだから、周りの人達は心配して、それが『何でもなかったの。あはは』で2〜3日して戻るわけにはいかないだろう。
腑に落ちないが、1週間はここに居ることになるのは止むを得ない。
「そう言わずに。智香(ともか)は正月にもお盆にも帰らないし、家族水入らずは3年振りなんだから。母さんも、お前の帰りを心待ちにしていたし」
「そういう、お母様は?」
「張り切って、料理長と一緒に食事の買い物に行ってるよ。今夜は、ご馳走だ」
ずっと口にしていなかった懐かしい母の手料理。
ここに居ると甘えてしまう自分が嫌なのに…。
部屋はそのままにしてあると父に言われ、あちこちに手を触れては感慨を深めながら、古い洋館の軋む廊下を抜けて2階の自分の部屋までゆっくり歩く。
3番目の扉を開けると綺麗に片付いた室内、主がいなくても母が毎日掃除をしてくれたに違いない。
父がわざわざヨーロッパから取り寄せたという、使い慣らしたマホガニー材のデスクを愛し惜しむように撫でる。
ふと、目の前の小さな窓から外を覗いて見知った顔に慌てて身を隠した。
―――遼佑(りょうすけ)?
コツン
コツン
窓ガラスに何かが当たる鈍い音。
もう一度、窓の外に目を向けると彼が微笑みながら手を振っていた。
智香(ともか)は渋々、小窓をスライドさせ、デスクの上から身を乗り出すようにして彼を見つめる。
「智香(ともか)、お帰り」
「ただいま」
ぶっきらぼうにそれだけ言うと、智香(ともか)は部屋の中に身を戻す。
舘花 遼佑(たちばな りょうすけ)は智香(ともか)より2歳年上でいわゆる幼馴染というやつだったが、昔から人を子ども扱いするところがあって、そういうところが気に入らなかった。
それにプレイボーイ的な行動も。
常に彼の周りには、綺麗でセクシーな女性達が取り巻いているような。
見掛けによらず、一途な恋を夢見る智香(ともか)には近寄りたくない存在の一人だったのは確か。
「こらっ。勝手に飛び出して3年も音信不通の娘が、それだけか」
「あら、音信不通なんかじゃないわ。家族には、定期的に連絡していたし」
3年間一度も家に帰って来なかったが、月に一度は連絡を入れていた。
というより、何度も何度も職場に電話が掛かってきて、さすがの智香(ともか)も折れただけだが。
「一体、何の用?―――あれ、居ない。全く、何しに来たわけ?」
「別にいいけど」と一人呟くように言うと、智香(ともか)は椅子に腰掛けた。
コンコン
「はい、どうぞ。開いてるわ」
どうせ、お手伝いの由香(ゆか)だろうと、気にも留めずに言ったのが失敗だった。
「よっ」
「遼佑(りょうすけ)、何で人の部屋に」
「どうぞって、言ったじゃないか」
「言ったけど、遼佑(りょうすけ)だと思わなかったから」
―――いつの間に上がって来たのよ。
話してる側から勝手に中に入って来た遼佑(りょうすけ)は、脇にあるイタリア製のクラシカルなソファーに腰を下ろす。
相変わらずの甘いマスクに大人の男っぽさが加わって、見惚れてしまう自分にハっとして視線を外した。
「帰国は明日だと聞いてたから、帰ったならひと言言ってくれればいいのに。空港まで迎えに行ったのにさ」
「早い便が取れたから。それより、いいの?専務がこんなところで油を売ってて」
「今は社長だよ。去年、親父が早々に引退して俺が継いだんだ」
遼佑(りょうすけ)が専務だろうと社長だろうと智香(ともか)には関係ないことだったが、引退するにはまだ若い父親が呆気なく息子に会社を譲ってしまうあたり、彼は若くても経営の才能があるということなんだろう。
国内に留まらず、海外にも土地やビル、ホテルを所有し、リゾート開発以外にも多方面に事業展開している企業グループ。
智香(ともか)の父親の会社もいずれ傘下に飲み込まれるであろう巨大企業。
「いい、ご身分だこと」
「智香(ともか)は、ニューヨークの投資顧問で働いてるんだろ?バリバリのキャリア・ウーマンなんだ」
「遼佑(りょうすけ)の足元にも及ばないけど。ねえ、何の用?世間話なら、またにしてもらいたいわ。私、疲れてるんだけど」
彼とはこれ以上話をしたくない、疲れていたのも確かだし、智香(ともか)はそのまま天蓋付きのベッドにごろんとうつ伏せた。
「いや、ごめん。今後のことを少し話しておこうと思って」
「今後のことって?」
仰け反るように上半身だけ起こして彼を見る。
―――何?
話って、お父様が私を呼び戻した理由と関係がある?
「二人の結婚のことだよ」
「はっ?けっ、結婚?!」
今度は、がばっと起き上がると彼の前に立ちはだかる。
何を言われても驚かないつもりだったが、”結婚“という言葉には聞き返さないわけにはいかないだろう。
「結婚って、誰の?」
「やっぱり、聞いてなかったんだな。俺達の結婚の話」
どうして、私が遼佑(りょうすけ)と結婚しなきゃならないの?
―――あぁ、神様。冗談だと言って。
「全然、わからないんだけど」
「近々、お父上の会社と持ち株会社を作ることになってね。その条件として、君と結婚させてもらうことにしたんだ」
「は?会社と私の結婚にどんな関係があるっていうの」
―――冗談じゃないわよ。
会社なんか勝手にくっ付けばいいじゃない。
そこに何で、私と遼佑(りょうすけ)の結婚が出てくるの。
「あるんだよ。お父上の会社は、このままでは長くは続かないだろう。俺としても智香(ともか)のことを思うと手を洪いて見ているわけにはいかないんでね」
お父様の会社が、長くは続かない…。
―――知らなかった。
遼佑(りょうすけ)が嘘を言うはずないし、そこまで経営が行き詰まっていたなんて。
兄もいるし、上手くいっているものとばかり思っていたのに…。
そのためには、彼に助けてもらうしか道はないの?
なぜ、そこに私との結婚が条件に入っているの…。
「優しいのね。父の会社を救ってくれようとするなんて」
「当たり前だよ。大事な人の家族を守るのは」
「いつから、そんな偽善者になったのかしら?こんなちっぽけな会社でも、あなたにとっては結構な痛手よね。そこまでする価値なんて、私にはないと思うけど」
損をしても得をすることなんて何もないはず。
―――何のメリットもない取引をどうして遼佑(りょうすけ)がしようとするの?
「智香(ともか)ほどの女性を手に入れられるなら、ちっとも惜しくなんかないさ。君にはそれ以上の価値がある」
「信じられないわね。今まで、何人もの女性と付き合ってきておきながら、最後に私を選ぶなんて。頭がおかしくなったとしか思えないわ」
「俺がどれだけ君に夢中かなんて、知らないから」
腰を抱き寄せられて、彼は座ったまま甘えるように私に頭を預けた。
―――何を考えているの?
遼佑(りょうすけ)…心にもないことを。
「父は何て」
「喜んでくれたよ。最終的には智香(ともか)次第だと言っていたけど、もちろん君は拒んだりしないよね?っていうか、そんなことができるはずない」
私に選択肢が残されてないってこと…。
第一、こんな愛のない結婚なんて続くはずがない。
だとしたら…父や母、兄家族はどうなるのだろう…。
一生、この人の側で自分を殺して生きていかなければならないだろうか。
◇
その晩の夕食は、智香(ともか)の家族と遼佑(りょうすけ)とそのご両親も集まって盛大なものになった。
まるで、私の意思なんて存在しなかったかのように結婚に向けた祝福ムードが漂っている。
表向きは持ち株会社設立と言っておきながら事実上主導権を握るのは彼の会社で、父の会社は予想通り傘下に入ることになるのだろう。
潰さないだけ、情けを掛けたということか。
せっかく母が腕によりを掛けた料理もどこをどう喉を通ったのかわからないくらい、智香(ともか)は心ここにあらずだった。
「私は先に部屋に戻らせていただきます。失礼を言って、ごめんなさい。みなさんはどうぞ、ごゆっくり」
「まぁ、急なフライトで疲れが出たのね。遼佑(りょうすけ)さん、智香(ともか)さんをお部屋まで連れて行ってあげなさい」
遼佑(りょうすけ)の母親の親切心に、今の智香(ともか)はとても強い態度で返すことなどできやしない。
かといって媚びる気にもならず、会釈だけで黙って席を立った。
「自分の部屋くらい、一人で行けるわ」
「そうはいかないよ。顔色が良くない。部屋まで連れて行くから」
仮面に仮面をかぶって、智香(ともか)は大人しく彼に付き添ってもらう。
早急にニューヨークに戻って、身辺整理を済ませなければならない。
一人ぼっちだった智香(ともか)に親身になってくれた友人との別れ、好きでもない人との将来、考えてもみなかった事態に智香(ともか)はそのまま意識を手放していた。
お名前提供:黒部 智香(Tomoka Kurobe)&舘花 遼佑(Ryousuke Tachibana)… 壱 さま
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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