JUNE BRIDE
1/2

R-18

「そう、結婚するの。おめでとう」
「ありがとうございます」

ほんのり頬を染めながら、会議室内で斜向かいに座る彼女は正に幸せの絶頂というところだろうか。
結婚だけが、女にとって人生の最終目標だとは思いたくないけれど、こんな表情を見せられたら認めないわけにはいかないだろう。
社内でも1、2を争う人気の美人。
相手は大学時代から付き合っているというエリート商社マンらしいから、披露宴もきっと盛大に行われるに違いない。

「急で申し訳ありませんが、来月で退職の手続きを取りたいんです」
「えっ、辞めるの?もしかして、おめでたとか」
「いえ、妊娠はしていません。ただ、仕事と家庭を両立するのは、私にはちょっと無理だと思いますし、子供も早く欲しいので」

今は共働きの夫婦など当たり前の時代、産休を取って子供を生んでも仕事に復帰する女性だって少なくないのに寿退社?
個々の人生だから、とやかくいうつもりはないけれど…。

「残念ね。あなたには、将来を期待していたんだけど」
「すみません。仕事も好きですし、責任ある業務を任せていただいて、マネージャーには感謝しています。でも、やっぱり、彼とこれから生まれてくるであろう子供との生活が大切なので」

―――私だって、学生の頃はあなたみたいに思っていたのよ?
それが、いつの間にこんなふうになっちゃったのかしらね。
今まで、そういう相手に巡り会わなかったというのが一番大きいのだろうか。

「わかったわ。総務には私から話しておくから。だけど、寿退社って男性社員が聞いたら嘆くわね」

+++

外資系証券会社に入社して12年目になる溝口 紗弥加(みぞぐち さやか)は、2年前にマネージャに昇格したやり手のキャリアウーマンだ。
年収はゆうに2,000万円を超えて、都心の高層マンションに住み、休日はのんびり愛犬のシルキー・テリアのココを連れてオープンカフェで過ごすのがライフスタイル。
ブランド物の高価なものを身に付けるというよりは、個性的でチープなものを選ぶのが彼女流。
身長169cm、モデル並みのスタイル抜群の彼女なら、何を着ても絵になるし、それがまたステータスでもあったのだ。
実年齢よりはずっと若く見えたし、誰もが目を引く容姿、しかし、彼女の隣に特定の男性が落ち着くことはない。
というか、ここ何年も仕事の付き合い以外で男性と出掛けることすらなかったと言っていいだろう。
決して、男嫌いというわけじゃないけれど、寿退職する彼女ではないが、仕事と家庭のどちらかを選ぶとすれば、自分は前者を取っただけ。

「よっ、どこのセレブな奥様かと思ったら」

「紗弥加ちゃ〜ん」といきなり声を掛けてきたのは、長身でやたらにガタイのいい、目元の笑い皺がチャームポイントで甘いマスクの男。
―――なんで?この人が、こんなところに。
ちゃんはやめて!!ちゃんはっ。
30半ばの大人に向かって、子ども扱いはよしてよ。
だけど、この言い方って…どこぞの古〜いナンパ?

「鷹科(たかしな)さんこそ。あぁ〜彼女とデートですか?」

周りをキョロキョロ見回してみたが、なぜか、お連れの姿は見当たらない。

「んなわけ、ないだろ」
「じゃあ、ナンパですか?」
「ピンゴ!!」

―――なにが、ビンゴよっ!!
あぁ〜せっかくの休日が…。
休みの日の昼間っから、ナンパとは…。

このノー天気男の名は、鷹科 幸成(たかしな ゆきなり)。
同じ証券会社に勤める紗弥加より一期上の先輩だったが、未だにチーフ止まりなのは、噂では仕事よりもプライベートの方が忙しいからだとか。
隣にいる女性はいつも違う、超が付くプレイボーイ。

「ここ、空いてる?もしかして、男と待ち合わせだったか」
「いいえ〜鷹科さんとは違いますから、男だなんて。さぁ、どうぞ、ごゆっくり。私はお先に失礼させていただきますので」

立ち上がってココを抱き上げると、紗弥加はニッコリと作り笑いを浮かべた。
どうも、この手の馴れ馴れしいタイプの男は苦手だ。
彼はこれでもニューヨークやロンドンと海外経験が長く、親しく話すようになったのは、ここ1年はどのことだろうか。

「待て待て。なんでそう、あからさまに避けるかな」
「避けるなんて人聞きの悪い。あなたとは極力、関わりたくないだけです」

「あっ」と口を塞いでも、もう遅い。
―――私ったら、本当のことを言ってどうするの。
仮にも鷹科さんは先輩なのに…。
お世辞や冗談を言えるようなワザを持ち合わせていない紗弥加には、到底無理な話である。
そういうところが彼女の魅力だし、鷹科にしてみればツボなのだが。

「相変わらず、顔に似合わず、口はきっついねぇ」

苦笑する鷹科に向かって、すぐに「ごめんなさい」と謝罪する紗弥加。

「本当にそう思ってるんだったら、俺に付き合って」
「は?」

上手くハメられたような気がするが、今回は100歩譲って言うことを聞いてあげることにしよう。
ココを連れて行くわけにはいかないので、ひとまず家に帰ってから、出直すことにした。



時刻は、夜の6時を回ったところ。

「遅い!!」

―――遅い、遅い、遅い!!
自分で誘っておきながら、約束の時間は5時だっていうのに1時間以上来ないってどういうことよっ。
携帯番号も聞いてないし。
私はねぇ、あなたに付き合ってる暇なんて、本当はないんだから。

待ち合わせのテラスにあった植え込みの端に腰掛けて待つ彼女の姿は、デニムに合わせたエスニック風プリントのシフォンブラウス。
怖い顔で睨みをきかせていたせいか、いくら極上の美人でも異様なオーラが漂っていて、とても男性達が声を掛けられる状況ではない。
そんな中で約一名…。

「ごめん、ごめん。暇つぶしに入ったら、出るわ出るわ」

「途中で止められなくって」と散々待たせておきながら、全くこの男には悪気というものがないらしい。
ドサっと紗弥加の膝の上に置かれたのは、パチンコで勝ったであろう景品の山。
ぬいぐるみやら、お菓子やら…。
―――誰が、持って帰るのよ。

「バッチリ儲けたから、肉食おうぜ。A5ランクの松阪牛」
「松阪はいいんですけど、1時間以上ここで待たされた私はどうなるのかしら?」
「あっ。俺、エロかわで来てって言わなかったっけ?なんで、ミニスカじゃないんだよ」

―――ねぇねぇ。これって、私が悪いの?

「私は鷹科さんの彼女ではありません。よって、あなたのご希望である、エロかわいい服装をする理由はないと思いますが」
「あぁ〜もうっ。堅苦しい会話はナシ、ナシ。次回ってことで許すから、腹減った。早く肉食おうぜ、肉」

―――何なの?この人…。
人の話は全然っ聞いてないし、自分勝手だし。
さっきから、ペース乱されっぱなしじゃない。
っていうか、次回って何?二度目はないんですぅ。



「ほら、食べないのか?いいあんばいに焼けてるぞ」

彼はどんどんお肉を焼いては紗弥加の前に置かれた白い皿の上に載せていくが、さすが、A5ランクの松阪牛の霜降りの入り具合は只者じゃない。
一人では使い切れないくらいのお給料をもらっていても、滅多に口に入ることのない代物だ。

「ありがとうございます。では、遠慮なくいただきます」
「どうぞ、召し上がれ」

何で、この人と向かい合って焼肉をつつくことになったのか。
会社で顔を合わせることがあっても、個人的に出掛けるような関係でもなかったはずなのに…。
でも、美味しいものを目の前にして、そんな理屈などどうでもいいような気がした。

「すご〜い!!口の中に入れた瞬間、溶けちゃった」
「だろ?俺も勝った時しか来ないんだけどさ、ここの肉はめちゃめちゃ美味いんだ」

「他のやつらにはナイショな」なんて、子供みたいなことを言っているが、勝った時には一体、誰とこのお肉を堪能しているのだろうか?
なんて、聞かないけれど…。

「休みの日に一人で、それも犬が一緒なんて」

「オス犬じゃないだろうな」って、ココはメスですぅ。

「何が言いたいんですか?」

―――せっかく、美味しいお肉を食べているっていうのに、水を差すようなこと聞かないでよ。
そりゃあ、この歳で寂しくないって言ったら嘘になるけど、一人の方が気楽なんだもん。

「いや、もったいないなってさ」
「え?」
「紗弥加ちゃんほどの女性なら、いくらでも良縁があるだろうに」

「焼けてるぞ」と鷹科さんは、紗弥加の皿の上に焼けたお肉を載せる。
案外、マメなのね?と思ったりして。
こういうところからも、わかるでしょ?
だけど、良縁なんて簡単に言うが、なかなかあるものじゃないし、だいいち、紗弥加は家庭には向いていない。
仕事と両立など、絶対に不可能。

「良縁?ないない。っていうか、別に結婚しなくてもいいですから」
「何で?」
「何でって。そういう、鷹科さんはどうんですか?人のことを心配する前に自分のことを考えて下さいよ」

今度は紗弥加の方が、ほどよく焼けたお肉を彼のお皿の上に載せる。
女性で30半ばはかなり崖っぷちかもしれないけれど、鷹科さんのように遊んでいても男性だったらまだまだ余裕があるのだろう。

「俺?そうなんだよな。早く嫁さんもらって、親に孫の顔も見せてあげたいし」

―――あら、意外。
鷹科さんに結婚願望があったなんて。
だったら、何であっちフラフラ、こっちフラフラしてるのかしらねぇ。
ちゃんとしてたら、ピッチピチの若い子をゲットできるでしょうに。

「なんだよ。その変なものでも見るような眼は」
「そっ、そんなことないですよ?それより、ちゃんとお肉食べてます?」
「話、逸らそうとしてるだろ」
「そういうわけじゃないですけど。鷹科さんは結婚したら、奥さんには家に居て子育てして欲しいって思ってるんですよね?」

―――そこからして、私には無理だもん。
例え仕事に理解ある夫だったとしても、子供を生んだら仕事を休まなければならないし、少なからず制約が生じることは否めない。
ここまで頑張ってきたのに自分の居場所がなくなったりしたら…。
勤務先が外資系ということもあって男女の壁はないが、空白の時間を埋めるのは難しいだろう。

「そうしてくれるのが一番だけど、これは奥さんだけの問題じゃないからな。俺も最大限は協力するし」
「だったら、鷹科さんも、もっと真面目にならないと。女性をとっかえひっかえしてちゃダメですよ。ナンパなんかも」
「は?いつ俺がっ」

強く否定できない部分はあるが、『これでも、付き合う時は真面目なんだからな』鷹科は、そう心の中で呟くように言う。

お肉も散々食べて、飲んで、たまにはこういう休日を過ごすのも悪くないのかも。

「お腹一杯。今夜はごちそうさまでした。お肉、美味しかったです」
「こらっ、待て待て」

お腹も一杯、ほろ酔い気分で丁寧にお礼を言って家に帰ろうとした紗弥加の腕を慌てて掴む鷹科。

「えっ、なんですか」
「まだ、早いだろ」
「は?早いだろって。9時過ぎてますよ?」
「明日も休みなんだから、カラオケ行こうぜ」
「えっ…」

―――カラオケ?二人で?
っていうか、私は歌なんか歌わないわよ。

「行くぞ」
「行きません」
「なんで?」
「歌なんて、歌いませんよ」
「大丈夫だって。俺しかいないんだから、ヘタでも」

―――そういうことじゃなくってっ。
また人の話、聞いてないしっ。



「女は女 夜もバラバラ 我はエロティカ・セブン♪♪」

隣で気持ち良さそうに歌っているこの人は一体、誰?桑田 桂祐さんでないことは確かだけれど、疑いたくなるほど上手で、そして、しびれる低い声にわけもなく体がゾクゾクしてしまう。
選曲にやや問題が無きにしも非ずだけれど…。

「乗ってるかい!!」
「イエーィ」

一人じゃ乗れないって…と思いながらも、こんなふうに羽目を外してはしゃいだのは何年振りのことだろうか?
こういうタイプの男性は苦手だったし、もちろん今まで付き合った男性にはいなかったが、彼のような人と一緒にいると、ほんのささいなことで悩んでいる自分が馬鹿らしく思えたり。
きっと、いい旦那さんになるのかもしれない。

「次は、紗弥加ちゃんの番」
「私はいいデス」
「ダメダメ。俺、聴きたいもん。紗弥加ちゃんの歌」

聴きたいもんと言われても、まともに歌える歌なんて紗弥加にあっただろうか?
それに彼の後だけに余計歌いづらいし。

「だったら、一緒に歌って?」
「あぁ、いいよ」

「じゃあ」と彼は少し悩んだ後に曲をインプットする。
そして、流れ始めたのは…。

―――銀恋って、いつの時代の歌よ。
お偉いオジサマ達はこぞって歌うけど、私はねぇ。
とか、ブツブツ心の中で思いながらも、いざ歌い始めるとこれがなかなか。
彼の低音が、ってその手は何?その手は!!
いつの間にか肩に回された腕、彼が妙に近くて、お願いだからそれ以上近付かないでっ。

「鷹科さん、そろそろ」
「うん?」

聞いているのかいないのか、それをこの人に問う方が間違っている?
肩に回された腕とは反対の手が紗弥加の頬を撫でる。
ちょっと待って!!これって…。

「ちょっ、鷹科さ―――」

軽く触れるだけの唇に、まるでファーストキスのような反応を示す紗弥加。
彼はどういうつもりで、こんなことをしているのだろうか?
単なる、都合のいい行きずりの相手?

「鷹科さん、酔ってますね?」
「俺、全然」
「なら、今のはなんですか」
「あまりに美味しそうな唇だったもんで、つい」

―――ついってねぇ。
人を食べ物みたいに。
行動が全くもって読めない男。

「もっとゆっくり味わいたいんだけど」

「嫌?」とか言いながら、有無も言わさず人が答える前に再び重なる唇。
ちっとも嫌なんかじゃない。
ずっとこの日を待っていたような夢心地にいつしか酔いしれていた。


お名前提供:溝口 紗弥加(Sayaka Mizoguchi)&鷹科 幸成(Yukinari Takashina) … SAYUさま

NEXT
BACK
EVENT ROOM
LOVE STORY
TOP


Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.