JUNE BRIDE
2/E

R-18



「あの、鷹科さん」

まさか、彼の言いなりになって、のこのこマンションに来てしまうなんて…。
一歩中に足を踏み入れてしまえばどうなるか、そのくらいは子供じゃないんだから紗弥加にだってわかっているはず。
なのに強く拒めないのは、自分の中にどこか彼のことを受け入れてもいいと思っているからなのか。

「ちょっ」

「待って」とこの期に及んで往生際が悪いと思われても仕方がないが、尻軽女と決め付けられたらたまらない。
今更だけど…。

「こういうのは、よくないと思うんです。勢いっていうか、流されてっていうのは」
「紗弥加ちゃんは、そうなわけ?」

鷹科さんの真剣な眼差しに少なくとも彼はそうでないと理解できるが、同じ時間を共有したはずの12年のトータルでいっても、たった今、過ごしたほんの数時間の方がよっぽど長いのだ。
だからこそ、それだけでお互いのことがわかるはずない。

「そういうわけじゃ、でも」
「一応言っておくけど、俺は誰とでも寝るような男じゃない。そんなふうに見えるかも知れないけどさ。これでも誘う時は、いつだって真剣なんだ。なのに女って薄情だよな、『あら?遊びじゃなかったの』なんて、しれっと言ってのけるんだから」

「フラれるのはいっつも俺の方なのに、それでも好きになっちゃうんだ。惚れっぽいっていうかさ、男のクセに」と苦笑する彼の言葉からもわかるように一途でバカ正直で。
だからこそ、こんなことをしてはいけないのではないか。

「だったら、尚更」
「感じたんだよ。紗弥加ちゃんだって、同じ気持ちだったからじゃないのか?」

運命の出会いとか、一目惚れとか、紗弥加自身も信じないわけではないが、実際にそんなことが起きるはずがない。
しかし、頭では思っていても、心は違うのかもしれない。

「わかんないわよ。そんなこと」
「なら、試してみればいいさ」

将来のことを見据えて選んだのだろうか?
玄関からリビングに入るまでの間にいくつものドアがあったし、このマンションは一人で住むには広過ぎる間取りのようにも思えた。
そして、軽々と抱き上げられて入った部屋には大きなダブルベッドが中央に鎮座している。

「試すって…」

「体の相性も大切だし」と紗弥加をベッドに沈めると自分は服を脱ぎ始めた。
服を着ていても、いい体格をしているとは思っていたが、裸はそれ以上に目を奪われる。
その前に、彼とこういう関係になってしまってもいいのだろうか?確かに体の相性は大事かもしれないが…。
なのに受け入れようとしている。
それは…。

「鷹科さん」
「こういう時は、名前で呼んで欲しいな」
「名前?」

紗弥加が首を傾げると、少しガッカリしたような表情を見せる鷹科。

「知らない?幸成」

―――幸成って、言うのね。
随分、お堅い名前…。
それに呼びにくい…。

『ほら、早く』と目で訴える彼に今は従うしかないのだろう。
可愛く名前を呼んであげたら、ニコっと少年のような笑顔を見せて紗弥加のおでこにチュッと音を立ててキスを一つ。
一歳年上の彼が可愛く思えてしまう、それ以上に愛おしいくさえ感じる。
彼の希望だったエロかわでないエスニック風プリントのシフォンブラウスのボタンを一つずつ外していく手の感触に紗弥加はそっと目を閉じた。
露になっていく彼女のシルクのような肌、華奢だと思っていたが、ここまでナイスバディだったとは…。
セクシーな黒いレースの下着に惑わされ、鷹科にとっては嬉しい誤算であった半面、欲望の渦は激しさを増すばかりだった。
大人の男を演出するはずが、そうもいかない情勢に…。
気付かれないように一呼吸置くと、彼女の背中に手を回してホックを外す。
窮屈に締め付けられていたふくらみを開放した代わりに鷹科の大きな手が優しく包み込み、ピンク色の頂に唇を寄せると我慢できなかったのか、目を閉じたままの紗弥加の口からくぐもった声が漏れた。
弓なりになったウエストに腕を回して抱き寄せるとお互いの肌が触れ合った瞬間、同じものが二人の中を駆け巡った。
ぴったりのジーンズを脱がすのに多少てこずったが、生まれたままの姿で絡み合い溶け合いこれ以上ないほどの高みへと押し上げていく。

「お願い、もう…」

こんなにジラされたのは。恐らく初めてだったと思う。
早く一つになりたい。
自分から言うことなんて、決してなかったけれど…。

「いいよ。俺も早く紗弥加の中に入りたい」

鷹科は彼女の大腿を掴むと一気に下半身を沈め、本能の赴くままに突き上げる。
欲求不満だったわけじゃないが、この歳になって無我夢中になるとは…。
気が付いた時には、二人ともベッドの上に荒い呼吸を残してぐったりと横たわっていた。

+++

一日のうち何度、携帯電話に目を向けるようになっただろうか。
それは、以前とは比べ物にならないことは間違いない。
―――彼からのメールを心待ちにしているなんて、こういうのを恋する乙女って言うのかしらねぇ…。
信じられないくらい、彼のことを思い浮かべている自分。
周りに気付かれていやしないか、社内恋愛などもっての外と軽蔑していた紗弥加には未だに慣れることはない。

「溝口マネージャー。長い間、お世話になりました」
「ねぇ、本当に辞めちゃうの?今ならまだ、私の方で何とかしてあげられるけど」
「いえ。実は」

「妊娠してしまって。こんなに早くとは思っていなかったんですけど、彼も喜んでくれてますし」と嬉しそうに話す彼女は、既に妊娠3ヶ月に入ったところだそう。
退職の話をした時にはまだ気付いていなかったようだが、もうすっかり母の顔になりつつあった。

「そうなの?おめでとう」
「ありがとうございます」
「元気な赤ちゃんを産んでね。お幸せに」
「来月の披露宴では、挨拶よろしくお願いします」
「あら、忘れてたわ」

「この後の送別会で、ゆっくりのろけ話を聞かせてもらうから」と返した紗弥加だったが、あら?そう言われてみれば他人事じゃない、来るものが来ないような…。
単に遅れているだけだとその時は思ったけれど、これがとんでもないことになろうとは…。

+++

―――やっぱり、来ない。
おかしいわね。
冷静を装ってはいるものの、本心はどうしていいかわからないくらい動揺しているし、その理由も、もちろん見当はついている。

あの時…相性、良過ぎなんじゃ…。
っていうか、どうするのよ。
こんなことになっちゃって。
私の人生計画が大きく狂っちゃったじゃないの。

一人で生きていくと決めたのにたった一度のことで、180度進む方向が変わってしまうとは…。
まず、事実を認識するところから始めなければ。

その夜、妊娠検査薬を買い求め、早速調べてみたが、より一層決定的なものに近付いただけ。
あぁ…病院に行ってから報告するべきなのか、それとも今、言っておいた方が…。

次の日、珍しく会社を休んだ紗弥加。
病院に行くから休むなど、聞いていなかった鷹科は何度も彼女の携帯にメールを入れてみたが、返事が来ないことに妙な胸騒ぎを感じていた。

―――確定かぁ…。
どうする私。
彼じゃないけど、両親は喜ぶと思うのよ?孫の顔が見られるってね。
常日頃から、『結婚はしない。子供も生まない』と断言していた娘に何も言わなかったが、内心は結婚して子供を生んで欲しいと願っていたに違いない。
紗弥加とて、お腹の中で息づいてしまった命を奪おうなどという気持ちはこれっぽっちもないが、彼と結婚して家庭を作り、子育てする自分がどうしても想像できないのだ。

「紗弥加、どうしたんだ。病院って、どこか悪いのか?」

「メール入れても返事がないし」と会社帰りに彼女のマンションまで、すっ飛んできた鷹科。
この優しさに寄り掛かってしまいそうになるけれど、これが二人にとって正しいことなのか。

「病院で携帯の電源切ったままだったの。でも、大丈夫。どこも悪くないから」

「コーヒーでいい?」とキッチンでコーヒーメーカーをセットするが、果たして彼にはなんと報告すればいいのだろう。
まだ、自身の心の整理もよくできていないというのに…。

「なら、いいけど。最近、元気ないみたいだしさ。仕事、頑張り過ぎなんじゃないか?」
「今のうちで頑張っておかないと。暫くしたら、仕事も休まなきゃならないわ」
「えっ、休むって。やっぱり、どこか悪いのか」

黒いレザーのソファーに座ってココと戯れていた鷹科は勢いよく立ち上がると紗弥加の側に来て、心配そうに彼女を見つめる。
隠してもいずれバレてしまうだろうし、きちんと話をしなければ。

「病気じゃないんだけど」
「けど?」

ゴボゴボと音を立てて抽出されるコーヒーのいい香りが部屋に漂う。
紗弥加も大好きなコーヒーだけど、体のことを考えたら、当分の間はカフェインレスのものに変えなければならないかな。

「産婦人科って初めて行ったんだけど、妊娠3ヶ月ですって」
「え?妊娠って…あっ、あの時か」

初めて結ばれたあの日、鷹科は避妊をしなかったことを思い出したのと同時に自分だけの欲望に任せて、彼女に望まない妊娠をさせてしまったことを深く後悔することに。
その表情の変化を紗弥加が見逃さないはずがない。

「一度で妊娠するって、よっぽど相性いいみたいね」
「で、どうするつもりなんだ」
「心配しないで。神様が授けて下さった命だもの、生んで立派に育ててみせるわよ。幸い、貯金も家もあるし、産休を取った後もバリバリ仕事して、今よりもっと上に行く自信もあるから」
「そこに俺は入れてもらえないのか?」

彼女の言い方では、まるで一人で生んで育てるというように聞こえるが。

「俺と紗弥加と、生まれてくる子供の3人での未来は」
「幸成が責任を感じる必要はないのよ」
「感じるさ。子供の父親は俺なんだから。だけど、俺自身のことは好きじゃないのか?どうでもいい、蚊帳の外なのかよ」

鷹科の足元でじゃれるココ。
なぜか、飼い主より彼になついているのは腑に落ちないが。

「妊娠したってわかった時、正直なんで?って。目の前が真っ暗になって、人生計画が狂ったわよ。でもね、今はこの子の父親が幸成で良かったって思ってる。だって、大好きな人の子供だから」

好きな人の子供だから生みたいという女性の気持ちが、やっとわかったような気がした。

「俺は子供が出来ていなくても、無理矢理、紗弥加と結婚しようと思ってた」

仕事をバリバリこなす彼女は周りからも一線を引いていて、どこか近寄りがたい部分もあったが、鷹科の持って生まれたチャラ男の性格が功を奏したのだろう。
素顔はとても可愛い、特にベッドの中では、たまらなく初心で。
実は料理も美味いし、結婚すれば、いい奥さんになると鷹科は思っていたから、なんとしてでも彼女にうんと言わせる方法はないか、日々、考えていたのだ。
思わぬ形で転がり込んできた幸運を掴まずしてどうする。

「無理矢理?」
「そう。俺が育休取るとか、主夫になるとかさ。最後は土下座でもなんでもして」
「え…」

―――主夫って…そこまで考えたの?
会社でそれを聞いたら、みんなどう思うかしら。
やっぱり…って、納得されそうで、それも嫌だわぁ。

「一人で頑張らないで。俺も一緒に紗弥加の人生計画に入れてくれよ」

鷹科は、紗弥加のお腹を気遣うように抱きしめた。

「そうだ。式は早い方がいいな。ジューン・ブライド」
「えぇっ、今月中に?空いてるところなんて、ないんじゃないの?」

「いや、何とかする」と彼は、どうしても今月中に式を挙げたいらしい。
両親にも報告していないし、プロポーズの言葉だって、どうせなら昔、憧れていた頃のように東京タワーで夜景を見ながら言って欲しかったのに。

子供みたいだって言われるのがオチだから、言わないけどっ。


END


※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。

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