鎧を纏った美女
2


「今日は誘っていただいて、ありがとうございました。とても美味しいお料理でした」

彼女の堅苦しい礼に不満を感じつつもケビンはそれが本心だと感じ、もっと他の言葉も言って欲しかったという思いは心の奥に押し込めた。

帰路の車中は静まり返って重苦しい空気が漂っていた。
予定では落ち着けるバーにでも寄って親交を深めるはずだったが、ここまでくるのに3ヶ月掛かったことを思えばなんてことはないだろう。

「ここで結構です。あの…さっきは言い過ぎました反省してます」
「いや、僕が大人気なかっただけさ。気にしないでくれ」
「来週会社で。お休みなさい」

さっさとドアを開けて車を降りるキャシー。

「キャシー、こういう時はコーヒーでも飲んでいきませんか?とか言うもんじゃないのかい」

ウィンドウを開けると、見送りところか振り返ろうともせず行ってしまうキャシーに向かってケビンは言う。

「たった今、飲んだばかりじゃないですか」
「だからっ」

社交辞令だということがわからないのか。
返す言葉もなく宙に視線を泳がせるケビンを見て、意地悪し過ぎたとキャシーは仕方なく折れた。

「コーヒーは飲まないので、紅茶でよければどうぞ。部屋は狭いですけど、文句言わないで下さいね」

そういえば、キャシーはさっきコーヒーではなく紅茶を頼んでいたが、彼女がコーヒーを飲まないことを知らなかったなと思いながらケビンは後に付いてアパートメントの中に入っていった。
2階にある部屋はこじんまりとしていたが、きちんと整理された清潔感溢れる正しく彼女の性格を現しているような空間だった。

「その辺に座ってて下さい。今、お湯を沸かしますから」

ケビンは中央にあったソファーには座らず、窓際に立って外の通りを眺めた。
月桂樹の並木が通りの両端を挟むように連なる静かな住宅街の一角にあるせいか、車の往来はほとんどなく、湯を沸かすガスの音が微かに聞こえるくらいだった。
何か話をしようと頭の中を駆け巡らせたが口を開くタイミングを計りかねていた頃、シューシューっとやかんが鳴き始め、続いてポットに注ぐ音が聞こえる。

「紅茶を蒸らすまで、少しだけ待って下さい」

カフェテーブルに紅茶の入ったガラス製のポットと同じデザインのガラス製のカップを2つ並べると最後に置いたのは砂時計だった。
彼女はいつもこれを使っているのだろうか?

「何を怒ってるんですか」

苦虫を潰したような顔で家の中にいられても、じっと砂時計を見つめたままの無言の彼に痺れを切らしたキャシー。

「別に怒ってるわけじゃないさ」
「怒ってないのにそんな顔をなさるんですか?」

だったら、何しに来たの?キャシーはそう聞きたいのを堪えてソファーに座ると砂時計の砂が全部落ちたのを確認して紅茶を2つのカップに注ぐ。

「いや、怒ってるな」

彼女ではなく自身に言い聞かせるように言うとケビンはキャシーの隣に座り、勢い良くカップを口にしたものの熱かったのだろう思わず声を上げたが、そんな仕草に彼女は笑いそうになるのを必死に堪えた。

「さっきは許してもらえたと思っていたのに」
「君を雇ったのは間違いだったと後悔している」
「はっ、なんですって!!」

目をパチクリさせて口を金魚のようにパクパクさせながら彼が今言ったことを冷静に受け止めてみたが、全く思い当たる節が見つからない。

「私のどこがいけなかったというんですか?仕事はきちんとやってきたつもりですし、まさかさっきの…」

誘いに乗らなかったからこんなことを言い出したのではないか、食事での態度が気に入らなかったから、考えたくないことが次から次へと浮かんでは消えた。

「違うんだ」
「何が違うんですかっ」

頬を真っ赤に染めて、頭に血が上ったキャシーには何を言っても無駄だろう。

「頼むから落ち着いて」
「これが落ち着いていられますかっ!!」

今にも殴りかからん勢いの彼女にこんな面もあったのかと気付かされることばかりだが、早く誤解を解かないと取り返しのつかないことになりそうだ。

「月曜日に辞表を書いて出しますから。わざわざ、これを言わせるためにコーヒーを口実に家の中まで来るなんて」

食い込んだ爪の痛さも感じないほど、膝の上で指が白くなるはど力いっぱい拳を握りしめる。
こんな屈辱を味わうのは人生始まって以来だろう、この3ケ月というもの、重要な会議にも出席さてもらったし、意見も真剣に聞き入れてくれていた。
キャシーの実力を買ってくれていると自信にもなっていたのに、ここへきて一気に谷底に突き落とすようなことを言われるとは夢にも思っていなかった。

「もう帰って下さい。何とかしてもらおうなんてこれっぽっちも思っていませんし、女を武器に取り入ったりもしませんから。とはいっても、CEOは私になど興味はないでしょうけど」
                                                                                
極めて潔く身を引こうと努力したが、最後くらい嫌味の一つでも言わなければ気持ちが収まりそうにない。
短期間で辞めたとなれば転職にも支障が出るのは間違いないし、キャリアに傷が付いたのは痛いが、だからといって何とかして欲しいとすがるはど落ちぶれてもいない。
しかし、それが彼の琴線に触れてしまうとは思いもしなかった。

「だから、間違いだったと言ってるんだ。確かに履歴書を見た時には君なら仕事以外の面倒なことに巻き込まれずに済むと思ったよ。申し分のない経歴に誰もが太鼓判を押した。僕も君に会うまではそう信じていた。だけど」
「けど?」

この聞き返し方は、彼がキャシーに向かってよく使うものだ。

「せめて一度、面談くらいしておけばと後悔したよ。そうしていれば」

君は気付いていないだろうが、隠すことが返って男を虜にすることもある。
その鎧を今すぐにでも外してしまいたいと思わずにはいられないんだ。

「なっ、何を」

いきなり、お団子髪を留めていたピンを抜かれて、束ねた髪が背中にするりと落ちた。

「髪を全部下ろしてくれないか」

真剣な眼差しに素直に従い、キャシーはゴムを外すとストレートの髪が肩に広がる。
こんなに綺麗な髪なのにどうして、ベッドに横たえたらどんなに美しいだろうと想像するだけでケビンの下半身はうずき出しそうになった。

「僕は君の本当の姿を見たくてたまらなかったんだ。いつか、その鎧を取り払いたいって」

髪の先をそっと指先に絡める。
思った通りの感触にシルクのような白い肌にも手を滑らせた。
反射的に彼女がケビンの手を避けようと上げたその細くしなやかな手を捕まえると、指先に口づけた。
キャシーの身体の中を一瞬にして電流が駆け抜けた。

「言っている意味がよくわかりません。私が気に入らないから」

じっと見つめられて我慢できずに顔を背けたが、握られたままの手から熱が伝わってきて妙に落ち着かない。

「あぁ、全くもって気に入らないよ」
「だから、辞めるって言ってるじゃないで───」

言い終わらないうちに身体を引き寄せられて唇が重なった。
夢の中で何度も交わされたキスとはまるで違う、なんと優しくてそれでいて情熱的なんだろうか。
もうこれで彼とは二度と会うこともないというのに神様はなんて残酷なのか、一生の思い出どころか一生この想いを引きずっていかなければならないほど官能的だというのに。
それはケビンも同じ、料理を食べている時の彼女の艶やかで柔らかそうな唇を味わったらどんな感じだろうとずっと想像していたが、言葉では言い表せないほど彼女の唇は素晴らしかった。

「キスは、君のその口を塞ぐいい方法だとわかったよ」
「どうして?」

「どうしてキスなんて」するのよ。
嫌いだと言われた方がどんなに気楽だっただろうか、女扱いされない方が。

「ずっとキスしたかった。それじゃダメなのか?」
「ダメ?決まってるじゃない。だいたい、キスしたかったって、私がもの珍しかったから?食事の誘いに3ヶ月応じなかったから意地になってるだけ」

目頭が熱くなった。
泣くもんか、私は悪くないんだから。
顎をツンと上げて涙を堪える。

「いや、どんな女性よりも魅力的だったからさ」
「ウソばっかり」

「嘘なもんか。この僕が3ヶ月間、君を誘うことだけに夢中になって、さっきはシェフに嫉妬して。これを───」恋と言わずして…ハっとした。

僕が恋だって?
そんなはず。

「キャシー僕は」

ケビンは彼女から手を離すと何も言わず部屋を出て行った。
走り去る車の音が聞こえ、キャシーはただ呆然とソファーに腰を沈めて天井を見つめていた。



週が明けた月曜日、ケビンがいつものように出社すると出迎えてくれるはずのキャシーの姿はない。

「おはようございます、ミスター・ブラウン。突然でしたね、キャシーは今までの秘書の中で一番でしたのに急に辞めてしまうなんて」

代わりに出迎えたのは人事担当のベテラン女性社員だったが、ひどく残念そうだ。
辞めた?
僕はそんなことを認めた覚えなどないが。

「辞めただって?」
「えぇ、今朝早くに。既にミスター・ブラウンには話していると聞いてましたけど」

ケビンの狼狽ぶりにそうでなかったとわかったが、だとすれば一体、何があったというのだろうか。

「確か、契約更新していたはずだが」
「はい。3ヶ月の試用期間後に一年毎の契約更新ですが、彼女はまだ契約書にサインしておりませんでした」
「なんだって?」

なんてことだ。
ケビンは頭を抱えたが、これで彼女を引き止める理由がなくなったということか。
とはいっても、今すぐどこかに消えてしまうわけじゃないだろう。

「ちょっと出てくる」
「ミスター・ブラウン。どちらへ」



職を失い、こんなところでくつろいでいる場合ではないが、こうなったら女を磨いていい男を誘惑してやるぞ!!
キャシーが高級リゾートホテルに泊まるのは初めてだったが、ずっと頑張ってきた自分へのご褒美も必要だ。
エステにスパで身体を癒し、着飾って見知らぬ男性と魅惑の夜を過ごす。
まだ若いんだから、一度くらい危ない橋を渡ったっていいじゃない。
サラサラストレートの髪をなびかせ、大胆なビキニに着替えてプールサイドを歩くだけで男性の視線を感じるのは気のせいだろうか?
しかし、背が高くブロンドヘアの男性を見る度にケビンのことを思い出してしまうなんて…。
私がここにいることすら知らない彼がいるはず───。

「やぁ、キャシー」
「げっ、ケビン?」

「げっ、はないだろう?ダーリン。探したよ」腰に腕を回して羽根が触れるようなキスをする。
どうして、ここがわかったのだろう?
その前に会社はどうしたの?今日は朝から重要な会議が何本も入っていたはずなのに。

「どうしてここが」
「僕を誰だと思ってるんだい?」

茶目っ気タップリに言う。
ケビンの力を持ってすればできないことなんてないのかもしれないが、それでも彼女を探すのは至難の業だったことは言わないでおくことにしよう。
必死で捜し求め、ようやっと見つけ出したのだから。
今の彼女を見てもう少し遅かったら他の男の餌食になっていたかもしれないと思うだけで頭がおかしくなりそうだ。

「私はもう、あなたの部下じゃないんだから」
「そうだね」
「だったら、お互い関係ないでしょ。探される筋合いもないし、離れて」

もがけばもがくほど彼の腕の力が一層強まるばかり、素肌が触れ合いとても平常心ではいられそうになかった。
この人は私のような女がもの珍しかっただけ、本気になるはずなんて絶対ないのだから。

「嫌だね」
「は?大声を出して人を呼ぶわよ」
「こうすれば、声は出せないさ」

全てを封じ込んでしまうような甘くとろけるキスに反抗しようとする方がムダだった。
膝の力が抜け、無意識に彼の首に腕を回していた。

「ここじゃダメだ。部屋に行こう」

エレベーターで二人きりになると押さえきれずに唇を重ね合った。
部屋は彼女の予約したスタンダードルームとは違うスィートルーム、絡み合うようにして入ったベッドルームの脇には専用のジャグジーが付いていた。
お互いキスしたまま、彼女のビキニの紐をほどいて大きな手で柔らかな膨らみを包み込む。
敏感な先端に触れられると甘美な声が口から漏れた。

「お願い、やめて」

本当はやめて欲しくないけれど、これ以上進んでしまったら、それこそ取り返しのつかないことになる。

「この前のことを怒っているのなら」
「こんなふうに探されたら勘違いするわ。あなたが私のことを」

『好きなんじゃないかって』怖くて、とても声に出してなど言えなかった。
この人は、本気で人を好きになったことなんてないプレイボーイなんだから。

「愛しているんだ」

愛している?
聞き間違い?

「今、なんて」
「何度でも言うよ。キャシー、君を愛しているんだ」
「信じられない。そんなこと」

この私を愛しているなんて!!

「あの時は僕自身も気付いたばかりで、どうしていいかわからなかったんだ。だから、あんなふうに部屋を出て行って。君を傷付けたことは謝るよ」

思えば、初めて会った時から惹かれていたのだ。
彼女の言う通り、誘っても応えてくれないことに意地を張っていた部分もあったかもしれないが、それだけならあのまま押し倒していたはずだし、大事な仕事を放ってまで必死になって探し回り、挙句こんなところまで追って来たりはしないだろう。

「本当なのね」
「どうしたら信じてもらえる?今すぐ指輪を買って、ひざまずけばいいのかい?だとしたら、喜んでそうするよ。ダーリン」

あぁ、なんていうことなの!!
ケビン・ブラウンたる者が、私の前でひざまずくなんてっ。

「その前にもう一度言って」
「愛してるよ。キャシー」
「私もよ、ケビン。愛してるわ」

むさぼるように唇を合わせ、二人はベッドになだれ込む。
彼は着ていた服を脱ぎ捨てると一糸纏わぬ姿で彼女の上に覆いかぶさった。

「あぁ、なんて綺麗なんだ」

今更ながら、鎧を脱いだ彼女の美しさに目を奪われた。
グレーの瞳は誰をも引きつけ、その艶やかな唇は男を狂わせる。
スラリと伸びた長い脚に丸みを帯びたヒップの上には細く引き締まったウエスト、ついさっき触れた膨らみは限りなく柔らかかった。
わずかに残っている彼女の下半身を隠していた布の横に付いていたリボンを解き、生まれたままの姿で抱き合い存在を確かめ合う。
再び唇を重ね、首筋からゆっくり愛撫して胸の先端を温かいものが包み込む。

「ケビン…」

キャシーはのけぞって彼に応えた。
彼女の脚を割り、最も熱を帯びた部分に手を滑り込ませる。

「ダメ、変になりそう」

ケビンはあえぐ彼女に口づけ、我慢できずに硬くなった自身を沈める。
何度も何度も突き上げてくる波にさらわれながら、二人は離れないようにしっかりと溶け合って最後は同時に弾けた。
気だるい心地良さに暫らくの間、浸っていた。

「大丈夫なの?CEOがこんなところでのんびりしていても」
「僕一人いなくても会社は動くさ。それより、君といる方がずっと有意義で大切なことだからね」

彼女を腕に抱き寄せるとキスを交わす。
心も身体も満たされるというのはこういうことを言うのだと改めて思い知った気がした。

「私は、もう2〜3日ゆっくりしていくつもりなんだけど」
「2〜3日と言わず、一週間でも一ヶ月でも君がいたいだけ一緒にいるよ」
「まぁ」

そんなことをしたら大変!!

「ダメよ、帰らないと」
「君も一緒ならね」

「そうそう、辞表は受け取らないからそのつもりで」クスクス笑いながら、ケビンは彼女の顔中にキスの雨を降らせた。
自分がここまで独占欲の強い男だとは思わなかったが、恋に溺れるということはこういうことなんだろう。
もちろん、彼女限定だけど。

END

JUNE'S CLUBを開設して2年半あまり、たくさんの方に会員になっていただき4000名様達成いたしました。
なかなか更新が進みませんが、これからも頑張りますので応援よろしくお願いします。
HQ風、楽しんでいただければ嬉しいです。

朝比奈じゅん
2010.5.30

続きが読みた〜い、良かったよ!と思われた方、よろしければポチっとお願いします。
福助

※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


NEXT
BACK
EVENT ROOM
LOVE STORY
TOP


Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.