契約愛
1


「社長っ!!たっ、大変なことになりましたっ」

ドアをノックもせずにいきなり大声を上げて入って来たのは経理部長の秋野だったが、いつも冷静な彼がこんなにも取り乱すとは一体、何事が起きたのか。

「秋野さん、どうしたの?そんなに慌てて。ノックくらいしてよね?」
「申し訳ありません。ですが社長!! 野村課長が───」

余程急いで来たのだろう、呼吸が詰ったのか肝心なところで言葉にならず、膝に手をあててゼーゼーしている。

「落ち着いて。野村課長が、どうしたの?」
「横領です。そっ、それも10億」
「はっ、横嶺!?10億!?」

開いた口が塞がらないないとか、寝耳に水とは正しくこのこと。
野村課長には社内の会計について全てを任せていたが、それは彼に対する絶対の信頼からだった。
それなのに横領ですって?10億も…。

「本当なの?間違いないのね」
「はい。残念ながら間違いありません。まだはっきり確認していませんが、少なくとも数年前から架空の口座を作っていたようです。部長の私が気が付かなかったとは…誠に申し訳ありません」
「で、本人はどこに」
「それが、感づいたのでしょう。雲隠れしたようです。警察には」
「すぐに告訴してちょうだい。それから、今すぐ部長以上を臨時召集して」
「わかりました」

彼が部屋を出て行くと愛莉(あいり)は、窓の外へ目を向ける。
何て、ことなの….
今まで順調に立ち上げてきたはずの会社が信頼していた部下の裏切りによってこんな目に遭うなんて。
10億という大金を横嶺されたとなれば、いくら優良企業とはいえ、これ以上の借り入れを銀行が受け入れるとは思えない。
急速に資金繰りが悪化して、自力での債権は恐らく不可能だろう。
こうなるまで気付かなかったのは部長のせいではない、社長である私の責任だ。
例え、課長を捕まえたとしても、もうお金は戻ってこない。
社員達を守るために今、できる限りのことをしなければ。


突然、会議室に集められた部長以上の者達、ただならぬ雰囲気に困惑の色を隠せない。

「忙しい中、急遽みなさんに集まっていただいたのは、残念ですが社内で重大な事件が発生したことをこの場で報告しなければならないからです。たった今、経理課長を業務上横領の疑いで告訴いたしました。被害総額は、現段階で10億に上ると思われます」

一斉にどよめきが上がり、表情も一変した。
とにかく、社員達に動揺させてはならないことと、この窮地をどう乗り切っていくか、それをみんなで考えなければならない。

「静かに、落ち着いて。次の決済までに10億という資金を用意できなければ、残念ながら我が社は倒産します。しかし、この責任は全て私が取ります。世間にこの事実が知られるのは時間の問題、みなさんには社員達に動揺しないよう冷静に対応するようお願いします」
「社長が責任を取ると言ったって、どうするんですか。融資だって急に受けられるはずないでしょう」
「初めからダメだと決め付けるのは、まだ早いと思います。とにかくできる限りの手を尽くし、必ずみなさんを守ります」

この若き女性社長の言葉を信じ、今まで付いてきたのだから、これからだってそれは変わらない。

それからすぐに事件が明るみになると逃げ切れないと思ったのか、元課長は自ら警察に出頭し、逮捕された。
横領の経緯が明らかになると共に会社存続の危機は刻々と迫っていた。

「社長、この不況の中ではとても銀行からの追加融資を受けられそうにありません。我が社がどんなに優良企業だと主張しても管理能力の甘さを指摘されては」

要するに信用の問題だと言いたいのだろう。
愛莉が銀行側の立場だったとしても、しっかりした後ろ盾がなければ10億もの大金をポンと差し出すはずがないのだから。
こちらはある意味被害者なのだが、同時に加害者をも生み出してしまった。
全く、社長失格だ。

「後は身売りしか」
「待って、一つだけ方法があるの」
「方法?」

残された手段は、ただ一つだけ。
自分が犠牲になることで社員が救われるなら本望だ。

「一日だけ待って」
「わかりました」

彼は彼女の目を見て悟ったのだろう。
何も言わずにその場を静かに立ち去った。


お名前提供:高輪 愛莉(Airi Takanawa)&水野 遊(Yuu Mizuno) … さゆきさま

※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。


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