あいつとあたし。
1

1

「よっ。久し振りっつうか、相変わらず化粧が濃いなお前」
「なっ、何よ失礼な!化粧が濃いですって?」

いきなり人の前に現れて、『化粧が濃い』などと失礼極まりないことを言う男に、乃木 可憐(のぎ かれん)は呆然とその場に立ち尽くす。

「何で、あんたがここに…」
「さぁ、何ででしょう?」

おチゃらけるように言うこいつの名は、平井 恒星(ひらい こうせい)。
何を隠そう、って隠す必要もないんだけど、家が近所で幼稚園から大学までず〜っと一緒、なぜか就職した会社まで同じという超腐れ縁。
そして、いっつもあたしをイジメて楽しんでた、最低なやつ。
だけど、入社して早々こいつは北海道支社に行っていたはず。
やっと離れられたとセーセーしていたのに、どうしてここにいるのかしら?

「惚けないでっ!」
「そんなにカッカすると、シワが増えるぞ?」
「あんたねぇ」

ったく、人の神経逆なでするようなことばっか言ってからに!!

「本日付で、本社勤務になったんだ。それも、可憐ちゃんと同じ部にね」
「はぁ?」

なんですって?こいつがあたしと同じ部に?
って、その前に今、可憐ちゃんって言った!?

「ヨロシクな。か・れ・ん・ちゃん」
「ダっー、可憐ちゃん言うなっ!」

「だって、可憐ちゃんじゃん」とすっ惚けてるこいつに、呆れて言葉も出てこない。
よりによって、どうして今更この男と同じ部に…。
そんな大きく溜め息を吐くあたしの隣で、あいつは嬉しそうに笑っていた。

2

「可憐ちゃん。これ、お願いなコピー10部。急ぎだから、あと30分以内に頼むわ」
「はぁ?何であたしが」

だ・か・ら・可憐ちゃん言うなっ!っつうの。
この男は性懲りもなしに人を子供扱いした上、いきなり10cmはあろうかという分厚い資料を10部コピーしろとぬかしやがった。
それも、30分以内で。

「ん?そういうこと言うんだぁ。可憐ちゃんは」

そう言って、平井は課長の方へ視線を送る。
そうなのよ。
昨日、うちの部に異動してきたこの男の、なんとあろうことかあたしはアシスタントをすることになったのだ。
どうして、あたしが?と思っても、あいつは主任であたしはしがない事務員。
同じ大学を出ているのに、やっぱり男女差別はあるってことを物語ってる。

「わかったわよ。やればいいんでしょ?やればっ」
「なんだか、その言い方。俺が無理矢理、やらせてるみたいじゃん」

違うのかっ!
まぁ、仕事だからさすがに言い返すことはできなかったけど、もっと早く言ってくれれば専門の部署にコピー依頼を出せたのに。
くそっ。

「わかりました。すぐにやります」

あたしは、精一杯の作り笑顔で可愛らしく答えてみる。
はらわた、煮えクリかえってたけどっ!

「あぁ。悪いけど、それB会議室に持って行っておいてくれる?あと、コーヒーも10個、ヨロピク。特別、美味しいやつな」

何が、『ヨロピク』よ。
これをコピーするだけでも、どれだけ時間が掛かると思ってんの?
その上、コーヒー10個だと?特別、美味しいやつですって?
ふざけるなぁっーーー!!

あたしは、その言葉をあいつの背中に思いっきり投げつけてやった。
悔しいけど、心の中で…。

3

「可憐、一人で大丈夫?手伝おうか?」
「うん、大丈夫。手伝ってもらいたいのは山山なんだけど、後であいつに何を言われるかわからないから」

あたしは30分間、誰にも使わせないようにコピー機を占領し、その間にコーヒーを入れる準備をしていると話を聞いていた一期上の水亜(みあ)が手伝いに来てくれたのだが、取り敢えずもうちょっと一人で頑張ってみることにする。
あいつのことだから、一人でやらないと何か言いそうなんだもの。

「ところで、可憐って平井君と同期だったの?」
「そうなの。ここだけの話、家も近所で幼稚園から大学と会社までず〜っと一緒の超腐れ縁」
「えぇ!?幼稚園から?それまた、すっごい。そこまでいくと、もう運命的ね」

水亜が驚くのも無理はないが、運命的っていうのはどうなの?
もっと、素敵な人と運命的な出逢いをしたかったわ。

「もうっ、最悪ぅ。あいつは北海道に行ってくれたから離れられてセーセーしてたのに、いきなり戻って来るんだもん」
「いいじゃない。あんないい男が同期で幼馴染なんて、羨ましいわぁ。で、今まで何もなかったなんて言わないでしょうねぇ」
「なかったって?」

水亜ったら、目が怖〜い。
っていうか、あんなやつと何かあるわけないでしょ?

「惚けて〜。それだけ長いこと一緒にいたんだったら、何かあったでしょ」
「あるわけないでしょ?あんな、サイテーな男」

あたしの大事な大事なファースト・キッスをあんなふうに奪った男なんて…。
思い出しても、悔しくって鳥肌が立つわ!!

コピーを終えると山のように積まれた書類の束を、何度かに分けてあたしはB会議室へと持って行った。

4

忘れもしない、あれはあたしが中学生になったばかりのある日のこと。
その日は良く晴れた気持ちのいい朝だったが、あたしはまだ誰も来ていない教室の窓からうっとりと校庭を眺めていた。
そこでは陸上部が練習していて、その中の一人憧れの先輩が真剣な表情で走っている姿が見える。
あたしより1年先輩の彼は、学校中でも注目の的。
成績優秀、スポーツ万能、おまけにカッコいいと3拍子揃ったアイドル的存在。
もちろん、あたしも例に漏れず彼のファンだったから、こっそり練習姿を見るためにこうして早起きして学校に来ていたのだ。

――― 先輩、カッコいいなぁ。
まだ、口をきいたこともなかったけれど、毎朝あたしが教室の窓から眺めていることを知っているのか、たまに目が合ったりして…。
そんな日は、1日中幸せな気分で過ごすことができる。
―――あぁ〜こっち見てくれないかなぁ。

などと思いながら彼を目で追っていると、一瞬目の前が暗くなった。
そして…。

「可憐ちゃんの唇、いただき!」

何が起きたのか、すぐには理解できなかったあたしの耳にリフレインするのは、『可憐ちゃんの唇、いただき!』という聞き覚えのある声。

「ちょっ、今…何したの?」
「ん?可憐ちゃんがキスして欲しそうだったから、いただきましたぁ」

ここは1階にある教室だから、通学して来たあいつは外からあたしの唇を…。
っていうか、唇ってまさか…あたしのファースト・キッス…。
唇に微かに残る感触…。
こいつがぁ…。

「何すんのよ!!何であんたなんかに!ファースト・キッスだったのに」
「え〜可憐ちゃん、俺とのキスが初めてだったんだぁ。ラッキー」

平然とぬかしやがったあいつは、嬉しそうにその場を去って行ったが…。

―――何で、あいつが…。
あたしは急いで唇を手で拭ったが、なぜか涙が止まらなかった。

5

「可憐ちゃん、おはよ」

あいつはあたしにあんなことをしておきながら、ニコニコと笑みを浮かべ、性懲りもなく平然と話し掛けてくる。

「・・・・・・(無視)」
「可憐ちゃんったらぁ。無視しないで挨拶くらいしてくれたって、いいだろ?」

あいつが覗き込むようにしてあたしの顔を見るものだから、昨日のことを思い出してわけのわからない気持ちにかられる。
もうっ、なんなのよ…。

「うるさいっ!あんたなんか、大っ嫌いっ!顔も見たくない。二度とあたしの前に姿を現さないでっ、話し掛けないでっ!!」

後になってひどいことを言ったって思ったけど、あの時のあたしにはそれどころじゃなかった。
あいつに大事な大事なファースト・キッスを奪われたことの方が、重大問題だったのだから。

それからというもの、あたしはあいつと一切口をきかなかったし、顔を合わせることもしなかった。
あいつもあたしがものすごく怒っているということをわかっていたからか、これ以上神経を逆なでするようなことはしたくなかったのだろう。
大人しくしていたと患う。

そんな時だろうか?
あいつに彼女ができたって、噂が流れたのは…。

『平井君に彼女が出来たんだって』
『えっ、そうなの?誰よ誰?』
『3組の森さん、らしいの』
『えぇっ、森さん?あぁ、やっぱりカッコよくて優しい人には可愛い彼女よね?羨ましいわぁ』

あちこちで、そんな会話が聞こえてくる。
―――森さんは可愛いって思うけど、あいつのどこがカッコいいの?
それに優しいって、絶対間違ってる。
あたしには、いっつも意地悪だしぃ。

でも、何なんだろう…。
ファースト・キッスを奪われた時とはまた違う、この気持ちは…。


NEXT
BACK
EVENT ROOM
TOP


Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.