神様は不公平だ。
もう少し鼻が高かったら。
口だってもうちょっと小さくて、唇がぷっくりとして。
目もクリクリっと、バッチリ二重のぉ。
世の中に顔が良くてスタイルが良くて頭もいいなんて完璧な人間を作っておきながら、あたしみたいに顔もスタイルも頭も悪い人間も作るなんて…。
神様はやっぱり不公平だ。
この顔を好きになってくれる男性は、世界にたった一人もいないの?
あぁ…。
「あのさぁ、自分の顔に満足できた?そろそろ、車を動かしたいんだけど」
静かにパワーウィンドーが開くと、そんな言葉が耳に飛び込んできた。
そして、よく聞けばエンジンも掛かっている。
「えっ?ごっ、ごめんなさいっ。誰も乗っていないと思って」
―――やだぁ、恥ずかしい。
誰も乗ってないと思ってたのにぃ。
路上に停車していた車高が高いスポーツタイプの車のドアミラーを覗き込むようにして見ていた桜木 香里(さくらぎ かおり)だったが、まさか乗っている人がいたなんて…。
穴があったら、入りたいくらい…。
真っ赤になった顔を両手で覆いながら、香里はもう一度「すみませんでした」と車の主に謝ってそそくさと立ち去ろうとしたのだが…。
「お前さぁ。何、自分の顔を見てブツブツ呟いてんだ」
「え…」
『その声は…』
動揺していて全く気付かなかったが、その声は紛れもなく同じ会社に勤めるそれも上司である西嶋 祐斗(にしじま ゆうと)さん。
よりによって、こんなところを見られてしまうとは…。
神様は、どこまであたしを見放すつもりなの?
「ところで、桜木は何でここに?」
「あっ、あぁ。ちょろっと飲んでたんですけど」
「けど?」
―――深く聞かないで。
まさか、合コンしていてあぶれたあたしは仕方なく店を出てきたなんて言えないわよ。
たった今まで友達に誘われた合コンで飲んでいたのだが、女性が4名に対して男性が3名。
それもあたしがちょっとトイレに行っていた間に他の3組はすっかり意気投合してカップルになってしまったのだから出てくる以外にどうしようもない。
可愛くない自分を選ばないのはわかっていたけど、あんなにあからさまに態度で示されてしまっては落ち込まない方がおかしいくらい。
「何でもありません。西嶋さんは、どこかに行かれるんじゃなかったんですか?」
「あ?俺は家に帰るだけだし。取り敢えず、まぁ乗れって」
「ほら」と西嶋さんは、運転席から手を伸ばして助手席のドアを開けた。
これ以上触れて欲しくない話題、ワザと話を逸らせるように言ったつもりだったのに乗ったらもっと突っ込まれそう。
「いえ、歩いて帰ります」
「何、遠慮してんだよ」
「一人になりたいんです」
本当は、ドアミラーに映る自分を見ながら涙が溢れそうになった。
今だってかろうじて抑えているけど、心の中はザーザー音を立てて雨が降っているというのに…。
だから、お願いだから一人にして。
「ったく、そんな顔してるやつを一人になんかできるか」
「早くしろ、ここ駐車禁止なんだ」と急かすものだから、仕方なくあたしは車に乗せてもらうことにする。
―――今夜は週末の土曜日、夕方から合コンのために出て来たけど、西嶋さんこそこんなところで誰かと待ち合わせとか、もしかしてデート…。
『そうだ』なんて言われたら余計に凹みそうだったから、今は聞かずに黙っていることに決めた。
西嶋さんは何も言わずにジッと前を向いたまま車を運転していたのが、せめてもの救いだったかもしれない。
香里が今の会社に入社したのは2年前のこと。
新人で配属された先が当時主任だった彼の下、隣の席で一から面倒をみてくれて、冗談を言って笑わせたりちょっと意地悪なところはあったけど優しい?!人。
現在では課長職に就いてしまった彼とは席も離れてしまい、仕事上では前ほど親密な関係でもなくなってしまったけれど、良き上司であることには変わりない。
年齢は香里よりも6歳か7歳か年上の大人の男の人という感じだから、恋愛対象に思ったことはなかったけれど、背も高いしキリっとした目の端正な顔立ちでなかなか、ううんかなり素敵な人だと思う。
なぜか、香里が課長って呼ぶと自分には似合わないから名前でいいと。
そんな気さくなところも、甘えてしまうところなのだろう。
―――でも、こんなところで逢うなんて…。
それより、何も聞かずに車を走らせているけど、あたしの家がどこにあるかなんて知らないはず。
「あの…西嶋さん?」
「着いたぞ」
「着いたぞって…」
エンジンを切ると、西嶋さんはさっさとシートベルトを外して車から降りてしまう。
どこに着いたのかわからなかったけれど、香里も車から降りると彼の後を付いて行くと、どうやらお店の駐車場のようだ。
「さっき飲んだって言ってたけど、お前なら入るよな」
「え?」
何も書いていない生成りの暖簾を潜りガラガラっとガラス戸を開けて店の中に入る西嶋さんの後に続いて香里も中に入るといい匂いが漂っていて、横にカウンターとテーブルがいくつか並んでいるのが見えたが、かなり込んでいる。
―――ラーメン屋さん?
お前なら入るってどういうこと?一人毒づいてみたが、当たっているだけに否定できないところが悔しい。
かろうじて空いていたカウンター席に並んで座ると、「へい、いらっしゃい。何にしますか?」という店の親父さんの威勢のいい掛け声が飛んできた。
「何にする?何でも、好きなものを頼んでいいぞ」
「はぁ」
―――好きなものと言われても…。
何でも好きだし、とか思っているとそんなあたしを無視してというか、待ちきれなかった西嶋さんは勝手に頼んでいるし…。
だったら、聞かなくていいじゃない。
そういうところが、西嶋さんらしいんだけど。
「せっかく、綺麗な服着てるのにこんなところで悪かったな」
「いいえ。西嶋さんらしいです」
「そうか?」って柔らかい表情を見せる彼には、彼女はいないのだろうか?
―――ううん、いないはずはないと思う。
年齢的にも、そろそろ結婚なんて話も出ている頃なのでは。
あたしが、あんな顔してたから…。
きっと、気を使ってくれたに違いない。
悪いことしちゃったな。
「すみません。西嶋さんにご迷惑を掛けてしまって」
「あ?迷惑なんて思ってないけど、心配はさせたな」
今にも溢れそうなくらい目にいっぱい涙をためて、ドアミラーを見つめていた彼女。
ちょこっと飲んでいたとは言っていたが、髪型も会社で見るのとは違っていっぱい飾りがついているし、スラッとした足が丸見えのミニスカートにマント風のコートという服装から見ても恐らく合コンか何かに決まってる。
ちょくちょく誘われているのを耳にしたこともあったし。
経緯は大体見当はつくが、あんな顔をされた後に一人にして欲しいなんて言われたら心配しない方がおかしいだろう。
「ごめんなさい」
「お前さ、周りなんて目に入らずに食ってただろ」
このラーメン屋さんはセルフサービスみたいで、西嶋さんは氷水の入ったポットから香里の分もグラスに水を注いでくれた。
「へ?」
唐突な言葉ではあったが、それもバッチリ当たってる。
合コンに参加した相手の男性3名は、まあまあ香里の好みだったと思う。
一流企業に勤めていて年齢も同じか1〜2歳年上という理想の彼らに期待を込めていたわけだけど、その前に食べるものは食べておかないと。
合コンの場所に選ばれたイタリア料理店のメニューは、食べることが大好きな香里にとって非常に魅力的だった。
話し掛けられたのは覚えているが、ほとんど答えなかったのだ。
それは、腹ごしらえが済んでからでいいかしらと。
「やっぱりな」
「やっぱりって、どういう意味ですか?」
「へいっ、お待ちっ」と親父さんが豪快にどんぶりをカウンターの隅に乗せた。
湯気が立ち込める醤油ベースのスープに薄くて大きなチャーシューが並び、半熟の卵に目が釘付けになる。
上には背油が掛かってて、視覚から聴覚から香里の全てに刺激する。
「美味いから、食ってみろって」
西嶋さんは、箸立てから2本抜き取るとそのうちの1本を香里の前に差し出した。
『やっぱり』の続きが気になったけど、その前にまずこちらを賞味してから。
「いただきま〜す」と言うやいなや、箸を2本に割ってスープをいただく。
―――うわぁっ、美味しい。
続いて箸で、麺を取るとズルズルツと啜る。
喉越しがいい縮れ麺はあっという間に香里の胃袋へと収まっていった。
「すっごい、美味しいですぅ。今まで食べた中でベストワンですよ、これ」
「だろ?ここは俺の一押しだから、誰にも教えてないんだ」
―――誰にも?
いいのかな、そんなところに連れて来てもらっても。
「いいんですか?あたしに教えちゃって」
「いいよ。これで桜木の笑顔が見られるなら、いくらでも連れて来てやる」
「え?」
香里は反射的に西嶋さんの方へ顔を向けたが、彼は何事もなかったようにラーメンを啜っている。
やっと香里らしい笑顔に戻ったのに胸の奥がジンっとなって、そんなことを言われるとまた涙が溢れそうになった。
「ほら、ラーメン伸びちゃうぞ?」
「はい…」
湯気で刺激されたからか、それとも…。
鼻水を啜りながら、ラーメンを食べていた香里を西嶋さんは黙って横で見守っていた。
+++
合コンでは散々な目に遭ったけど、そのおかげなのか偶然逢った西嶋さんにすっごく美味しいラーメン屋さんに連れて行ってもらって。
そして、改めて彼の優しさとか心の広さとかを感じて、何だか不思議なんだけど今更、彼のことが気になったり。
本当に今更なんだけど…。
「よっ、俺にも入れてくれよ」
残業時間に給湯室で香里がインスタントのコーヒーを入れようとしていたところへ、たった今考えていた人が入って来て一瞬体がビクッと反応してしまう。
「インスタントですけど、いいですか?」
「何でもいいよ」
棚にしまってあったコーヒーの入ったビンを取ると蓋を開けて彼の分は小さじで2杯、香里の分は3杯それぞれ紙コップに入れると熱湯を注ぐ。
香里は濃い目が好みだが、彼は意外に薄目が好きらしい。
西嶋さんはたまにだけど香里がここでコーヒーを入れていると、後から入って来てついでに入れてと言うことがある。
こっそり、入るところを目撃していたからかもしれない。
「西嶋さん、土曜日はありがとうございました」
「俺は何も。っていうか、今後、合コンには出ないことだな」
「えっ…」
―――西嶋さん、何で合コンのこと…。
あたしはちょこっと飲んでいたとは言ったけど、合コンなんて言ってない。
『お前さ、周りなんて目に入らずに食ってただろ』って、あれは?
げっ、西嶋さんは全部わかってた?!
「どうぞ、熱いですから気を付けて」
「サンキュー」
コーヒーを右手に持って、左手はポケットに入れて壁に寄り掛かっている西嶋さん。
この前は始めて見るジーパンにダウンジャケットという私服姿だったけど、やっぱりスーツ姿の方がよく似合っているし、好きかもしれない。
「あの、どうして合コンのこと」
「お前さ。自分の顔を鏡で見てどう思ったんだ?」
「え?」
『どうして合コンのことを知っているの?』と聞いたはずなのに質問が飛んでいると思ったけれど、核心を付かれたような気がして答えに困る。
もう少し鼻が高かったら、口だってもうちょっと小さくて唇がぷっくりとして、目もクリクリっとパッチリ二重のぉ…。
神様は不公平だって思った。
「神様は不公平だって、思いました」
「どうして」
「西嶋さん、そんなことを聞いてどうするんですか?」
―――西嶋さんは、何が言いたいの?
「桜木の顔は好みだけど、少なくとも俺は。俺だけじゃない、男ならほとんどそう思ってるはずだぞ?」
「はい?!」
―――今、顔が好みだとかなんだとか…。
「顔だけじゃないな、大食いなところとか」
「お言葉を挟むようですみませんが、それって褒められているんでしょうか?」
「もちろん」
言い切る西嶋さんに香里は返す言葉が見つからない。
顔は好み、これはいいとして、大食いっていうのはどうなのかしら?
実際そうなんだからこれも否定はしないけど、仮にも乙女に向かってそんなはっきり言わなくても…。
「桜木は、俺の顔をどう思う?」
「どう思うって、言われましても…」
―――そんな面と向かって聞かないで。
チラっと盗み見るも、キリっとした目にすっと伸びた鼻筋、薄くも厚くもない唇に髭の跡もあんまりないし、それこそ誰が見てもいい男だと思うから悩みなんてないんだろうな。
「この細い目も、上を向いた鼻も、ちょっとデカイ口も全部嫌いなんだ。挙げればキリがない」
「えぇっ、嘘。西嶋さんは悪いところなんて全然ないですよ?素敵だと思います」
「そんなもんなんだよ。気にしてるのは自分だけ。周りは本人が思ってるほど、悪いなんて思ってないし、むしろその反対だと俺は思う」
―――そういうもの?
あたしの場合は違うと思う。
だって、どう見たって可愛くないもん。
「とにかく、合コンは禁止だ」
「業務命令ですか?」
「そうだ。そんなに男が欲しいなら俺で我慢しとけ。若くなくて、申し訳ないけど」
「・・・・・」
目をパチクリさせている香里。
―――西嶋さん。今、何て…。
「何、固まってんだよ」
「だってぇ」
―――いきなり、そんなことを言われても…。
でもでも、すっごく嬉しい自分がいるのも確か。
世界の誰もが自分のことを好きになってくれないと思っていたのに、そうじゃない人もいたなんて…。
「イヴ、一緒に過ごそう。それまで、考えておいてくれ」
「じゃあ、コーヒーありがとう」と言って、西嶋さんは給湯室を出て行ってしまった。
彼が立っていた場所を暫くの間、香里はジッと見つめていた。
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