『西嶋さんにあんなふうに言われちゃったけど、どうしよう…。』
香里は一晩寝ないで考えてみたものの、結論はそんな簡単に出そうにない。
何も考えずに彼の胸に飛び込んでしまいたい自分と、素直にそう思えない自分。
―――だいたい、西嶋さんはどうしてあんなことを言ったのだろう。
かわいそうに思ったから?それとも…。
よく考えてみれば、本気で言ったわけじゃないのかもしれない。
あんな場面を見たから、きっとあたしを慰めるために…。
「香里、何ボーっとしてるの?ほら、早く帰る支度しないと。みんな、先に行っちゃったわよ」
定時を回っていたことに気付かないほど、考え込んでいた香里を呼びに来たのは同期の純子。
彼女は自身を磨くために英会話やフラワーアレンジメント、料理教室も通っていて、今はまだ彼氏はいらないのだとさっぱりしたものだ。
ちっともモテないくせに彼氏欲しさに合コンにすがっている自分より、彼女の方がよっぽど素敵に輝いて見える。
そして、今夜は部内の忘年会だったが、グルっとフロアを見回してみるとものの見事に人がいない。
誰もいない席であちこち電話が鳴り響いていたが、純子と香里はお構いなしでその場を後にした。
◇
「お二人さん、遅いっ」
「もう何度も、乾杯の練習しちゃったよ」と本日の幹事役は、既にほんのり顔が赤い。
会社近くにある元力士がやっているというちゃんこ鍋屋の座敷には全員勢揃いしていて、純子と香里がなかなか来ないから待ちくたびれて先に少しやっていたようだ。
「すみません。香里が、グズグズしているから」
「はっ?」
―――何で、あたし?!
そりゃあ、ボーっとしていて出遅れたけど、何だかんだいって化粧直しに時間食ってたのは誰よ。
と口から出かけたが、香里は面倒だったから「すみません」と謝るしかなかった。
ふと、近くに座っていた西嶋さんがクスクスと笑っているのが視界に入る。
―――あ〜やだ。
そしてあろうことか、隣の空いていた席をポンポンと手で叩くではないか。
『げっ、まさか。そこに座れっていうんじゃないでしょうねぇ』
とはいっても、純子はいつの間にか別の席に着いていて、どう考えても香里が座る場所はそこしかない。
―――何で、西嶋さんの隣なのよぉ…。
よりによって、こんな時にあまり顔を合わせたくなかった。
仕事では割り切っていたけど、飲み会の席ではどうも…。
まだクリスマスの結論も出ていないし、もしその話題に振られたりしたらなんて答えていいかわからないから。
香里が仕方なく隣に座ると互いのグラスにビールを注ぎ、幹事から指名された課長が立ち上がったが、みんな我慢ができなかったのか手短にという野次が飛んだため少々不満そうな課長は仕方なく短く済ませて乾杯する。
お酒好きの香里はもちろんビールも一気に飲み干したが、目の前に並んでいるちゃんこ鍋を中心にお刺身の盛り合わせなどが目に飛び込んで来て、ゲンキンな話だがモヤモヤした気持ちもすっかりどこかに飛んで行ってしまっていた。
「食ってばっかりいないで、ほら飲めよ」
西嶋さんがビールのビンを香里の前に差し出して、グラスを持てと目で合図する。
―――食ってばっかりなんて、ひどくない?
実際そうなんだから言い返せないけれど、ちょっと腑に落ちない。
「すみません、ありがとうございます」
ありがたく注いでもらったビールをグイッと飲み干すと、まるでわんこそばを食べているかのように彼はすぐにグラスに注ぎ足す。
「西嶋さんも、飲んで下さい」
「やっと気付いたか。俺は、ずっとお前が注いでくれるのを待ってたんだけど」
―――げっ。
どうせ、気が利かない女ですよ。
半ば開き直りとも取れる心の言葉に、自ら言っておきながらハッとした。
自分ばかり食べて飲んで、隣の上司に気を使うこともない。
きっと、あたしのこういうところがダメなんだ。
神様は不公平だなんて、神様のせいにして…。
「桜木?どうした」
「いえ、何でも。さぁ、グイッと飲んで下さい」
「あぁ」
西嶋さんのグラスにビールを注ぐと、彼は美味しそうにそれを飲み干した。
―――西嶋さんって、ビール好きだったんだぁ。
2年間ずっと一緒に仕事をして来たのに、そんなことすら眼中にないほど周りに目を向けていなかったことに改めて気付かされた。
「西嶋さん、ビール好きだったんですね」
「何だよ、今更」
彼のグラスに再びビールを注ぐと、気持ちいいくらいにそれを飲み干す。
―――でも、そんなに飲んだら明日に響かないかしら?
今年の忘年会は週末ではなく平日になってしまったから、あまり飲むと次の日に残ってしまうのでは。
「大丈夫ですか?そんなに飲んでも」
「俺?全然平気」
「そんなこと言って、もう若くはないんですから」
「あ?あのなぁ、俺はまだ31だぞ?ジジイ扱いするなって」
ちょっと拗ねたように言う西嶋さんが、なんだか可愛く見えたりして。
31歳ということは、香里は早生まれだから7歳年上ということになる。
彼氏いない暦数年になるが、これでもそこそこ付き合った相手はいるにはいるわけで…まぁ、自慢できるほどの数でもないし、すぐにフラれてはいたけれど、一番年上の人でも2歳だった。
大人だから、香里がこんなでも受け入れられるのだろうか?
「西嶋課長、ビールでよろしいですか?」
彼女は、お酌をして回っていたのだろう。
うちの部には他に5人の女性がいるが、その中でも中間の位置にいる彼女は確か20代後半で独身だったはず。
「ありがとう。ビールで構わないよ」と西嶋さんは、彼女に注いでもらったビールをやっぱり美味しそうに飲み干した。
西嶋さんの隣にいても違和感がないのは、多分彼女くらいの年齢の女性なのだろう。
「課長は、イヴはもちろん予定が入っていらっしゃるんでしょうね」
―――えっ、イヴ?
彼女は何気なく言ったのか、もしかしてそれとなく探りを入れるためにそう言ったのかはわからなかったけど、香里は変に反応してしまう。
「俺?さぁ、どうかな」
「上手くはぐらかされちゃいました?実はみんなでクリスマスパーティーをするんですけど、よろしければ課長もと思いまして」
―――なるほど、やっぱり…。
そういうことだったのかと香里は聞いていないフリをしつつ、鍋に手を付けながら耳をダンボにして会話を盗み聞く。
「誘ってくれてありがとう。もしもの場合は是非、参加させてもらうよ」
―――もしもの場合はって…。
それは恐らく、いやほぼ間違いなく香里の返事次第ということなのだろう。
思わず、あたしのことは気にしないで…。
そう言ってしまいそうだったけど、なんとも複雑な心境だった。
『彼女は、西嶋さんのことが好きなのかもしれない』
考えたら、ものすごく胸が痛かった。
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