イヴまでの距離
Vol.3


「じゃあ、課長。桜木さんをしっかり家まで送り届けて下さいよ。連れ帰ったりしないで下さいね」
「あぁ、当たり前だろ」

「ったく。あいつら、いらんこと言って。とっとと行け」と口では言いながらも、西嶋さんは笑いながらみんなを見送った。
忘年会も無事に終わり、次は二次会へと繰り出すことになったのだが、香里は明日のこともあるし、どうせ西嶋さんも行くだろうからと帰ることにしたのに、なぜか『俺も帰るから』と香里を送って行くことになったのだ。
香里を送っていくことに誰も疑わないのがちょっと微妙だったが、それよりも二人っきりになって余計気まずかった。

「いいんですか?みんなと一緒に行かなくても」

部長も他の課長達もみんな行ったのに西嶋さんだけ行かなくてもいいのだろうか?
付き合いの悪い奴だとか、思われたりしないだろうか?

「せっかくのチャンスなのに、ワザワザあいつらと一緒に行くことはないだろ」
「チャンス?」

肩を並べて駅までの道のりをのんびり歩きながら話していたが、『チャンス』とは一体。
早く帰ると何かいいことでもあるのかしら?と香里は一生懸命首を傾げて考えているが、この状況がどういうことかをちっともわかっていないようだ。

「ちょっと一杯やってくか」
「はい?」
「こうして、誰にも疑われずに二人っきりになれたんだぞ?これをチャンスと言わず、何て言うんだ」

「誰にも教えてない、秘密のいい店があるんだ」と、西嶋さんは香里の意思など確認もせず腕を引っ張って歩き出してしまう。
―――案外、強引な人だったりする?
なんて思っている場合じゃなくて、あたしは二人っきりになりたくなかったっていうのに西嶋さんはそれを狙ってたなんて…。
それにあんなに飲んでおいて、まだ飲むの?

「ちょっ、西嶋さん」
「ん?どうした」
「まだ、飲むんですか?明日もあることですし、もう帰った方が…」
「飲むっていっても、水割り一杯くらいだから心配するな」

―――そうじゃなくって…。
あたしの言葉が今の西嶋さんに届くはずもなく…。
仕方なく彼に連れられて入ったのは、モダンな建物のショットバー
『誰にも教えてない、秘密のいい店があるんだ』と言っていたけど、こんなにおしゃれなところなのに本当に誰にも教えず、一人で来ているっていうのかしら?
ん〜信じられない。

奥に長い店内は全てがカウンター席で、楽しそうに会話の弾んでいるカップルや一人静かにバーテンダーと話しながら飲んでいる女性もいる。
―――あぁ〜きっと、こういうところで男女の恋物語が繰り広げられているのね。
そんなことを思いながら、空いていた席に並んで座る。
この間のラーメン屋さんもそうだったけど、向かい合って座るよりお互いの距離は近いが、この方が緊張しなくていいのかもしれない。

「桜木は、何にする?」
「軽い感じで甘めのが、いいんですけど」
「だったら、カシス・ソーダとかは?」

「はい、それで」と香里が言うと、西嶋さんはカシス・ソーダとさっき言っていた水割りを頼んだ。
その後、何だか会話が途切れてしまい、やっぱり気まずい空気が流れたけれど、バーテンダーの手の動きを見ていたら、ちょうど二人の前に飲み物が置かれて助かった。
どちらともなくカチンとグラスを合わせると、それを口に含む。
香里はビールばかり飲んでしまったから、さっぱりしたカシス・ソーダはほんのちょっぴり気分を明るいものにしてくれた。
―――でも、イヴまでもう日数もないし、ここで聞かれたらなんて答えればいいのかな。
この場で言うのが一番いいはずなのにまだ自分自身で結論が出せていない香里は、聞かれるのが怖かった。

「俺は、桜木を悩ませてるか?」
「えっ」

手の中でグラスをいじっていた香里は、反射的に西嶋さんの方へ顔を向けた。
彼はジッと前を向いたままだったが、そんな香里の気持ちを察していたのかもしれない。
―――あたしがはっきりしないから、西嶋さんに迷惑掛けて…。

「俺があんなことを言ったから、桜木に…」
「そうじゃないんです」

「え?」という西嶋さんと一瞬目が合ったが、避けるように香里の方からそれを外す。

「西嶋さんはどうして、イヴにあたしを誘ったんですか?」

何が引っ掛かっていたかというと、西嶋さんほどの人がなぜイヴに香里を誘ったのか?
その理由を聞かない限り、答えを出すことができないでいる。
単なる優しさからだったら、惨めなのは自分。
同情なんて欲しくない。

「西嶋さんは、優しいから―――」
「あのなぁ。言っとくけど、俺はそんな偽善者じゃない。優しさだけでイヴに誘うほどデキタ男でも、誰でも良かったらお前でなくてもいいはずだ」

香里の言葉を遮るように言う西嶋さんだったけど、『誰でも良かったらお前でなくてもいいはずだ』なんて、ちょっとひどくない?!

「桜木みたいに若い女性から見たら、俺なんて対象外だろ?いくら、気になる子だからって誘えばさ。ヘタすりゃ、セクハラなんて訴えられるかもしれない」

―――えっ、ちょっと待って。今、気になる子って…。
もう一度、西嶋さんの方へ顔を向けると真剣な表情で香里を見つめる彼の視線と絡み合う。
ウソ…。
イヴに誘われた時、西嶋さんは自分のことを好きでいてくれたんだと有頂天になっていたのは確かだったが、それを聞いてしまうと逆にうろたえてしまう。

「俺の言葉が足りなかったな。お前が入社したばかりの時は、さすがにそんな気持ちはなかったよ。ここ半年くらいかな、一人の女性として見るようになったのは」

新人で入って来た頃の桜木は可愛い子だな、くらいにしか思わなかった。
年齢差もあるし、西嶋にはその当時、付き合っていた彼女がいたからというのもあったが、お互いそういう関係にはならないと。
ところが付き合っていた彼女に結婚をほのめかされると、急に熱が冷めてしまったのだ。
別に結婚したくなかったわけじゃないけれど、それを真剣に考えた時にその相手が彼女じゃないとわかったから。
暫く一人でいたら、それも悪くないなんて思ったり。
そんな時だろうか?桜木が合コンに誘われては撃沈されてくる姿を見て意識し始めたのは。
学生気分が抜けきらなかった桜木も、会社生活を2年過ぎるといつの間にか大人の女性に変身していて。
まぁ、大食いのところは全然変わっていなかったが、仕事も一人前にこなし、つい目がいってしまう自分。
本人は何を気にしているのかわからないが、十分過ぎるくらい顔だって可愛いし、ここだけの話、スタイルだって抜群なんだ。
ただ、少し気が強いところとか、媚を売らないところが、合コンのように一発勝負の場所では可愛くない女性に受け取られてしまう。
そのどれもが、西嶋にとってはツボだというのに。
しかし、上司と部下なんて一番厄介な立場で、そう簡単に自分の気持ちを伝えることなどできるはずがない。
道で偶然会ったのは奇跡に近い出来事で、そこを狙わない手はないと思ったから。

「西嶋さんにはあたしより、久保さんの方がお似合いだと」

久保さんとは、先ほどの忘年会の席でそれとなく西嶋さんにイヴの誘いをしていた女性のこと。
香里だって気持は嬉しいが、どうしても自分より彼女の方がお似合いだと思ってしまう。

「俺が桜木の相手じゃ、似合わないのか?」
「いえ、あたしが西嶋さんに似合わないんです。子供だから…」

―――可愛くない上に、気配りもできない子供だから…。
こうして西嶋さんの隣にいても、あたしじゃきっと似合わない。

「似合うとか似合わないとかいうより、俺は桜木に隣にいて欲しいって思う」
「西嶋さん…」

―――そんなこと言われたら…。
どうしよう、嬉しくって泣いちゃうかも。

「俺の一方的な片想いだから、桜木がすぐに受け入れられない気持ちはわかる。でも、イヴだけは一緒に過ごしたい」

真っ直ぐに見つめられて、西嶋さんの想いがそのまま伝わってくるよう。
こんなふうに思われて、あたしは幸せ者だ。

「私でよければ、イヴを一緒に過ごして下さい」

香里の瞳にもう迷いはなかった。


NEXT
BACK
EVENT ROOM
LOVE STORY
TOP


Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.