イヴまでの距離
EPILOGUE


『西嶋さんへのプレゼント、何がいいかな』

もう、イヴはすぐそこまで来ているっていうのに香里はまだ西嶋さんへのプレゼントを用意していなかった。
大人な彼へのプレゼントなんて今まで渡したことがなかったから、何にしていいかわからない。

「香里ったらぁ。何、溜息なんて吐いてるの?」

香里が給湯室でコーヒーを入れながら彼へのプレゼントのことを考えていると、純子が入って来た。
3時を過ぎるとここへやって来るのが、二人の間での暗黙の了解。
忘年会の日はボーっとしていたし、やっぱり合コンが上手くいかなかったことを気にしているのだろうか?
彼女はあっけらかんとしているように見えるけど、本当はとっても繊細で傷ついていることを純子は誰よりもわかっていたから。

「あぁ、純子」
「香里にも、きっと素敵な王子様が現れるわよ。焦って変な男を掴むよりも、今はじっくりと品定めをした方がいいと思う。あたしがいるんだから、まだまだ大丈夫よ」

何も知らない純子は香里を一生懸命慰めようとしてくれていたのだが、それがなんだか可笑しくて…。

「ちょっとっ!人が心配してるっていうのに笑うことないでしょ?」

「失礼ねぇ」と、純子はクスクスと笑っている香里を押しのけるようにして自分の分のコーヒーを入れ始めた。
純子は何にでもこだわるタイプで、コーヒーも香里のようにインスタントではなく、わざわざドリップして入れるこだわりよう。
大ざっぱな香里には面倒で毎回そんなことはしていられないと思うのだが、彼女は違うらしい。

「ごめんね純子、怒らないでよ。実は、クリスマスのプレゼントを考えていて。30ちょっと過ぎた男の人なんだけど、何がいいかなって」
「クリスマスのプレゼントって…男の人?えぇぇっ香里、もしかして」

「うん」と頷くと純子は驚いた表情で、目をまん丸にしながら香里を見ている。
相手の人の名前を出していいものか、それが西嶋さんだって知ったら、今以上に驚くに違いない。

「やだぁ、そういうことは早く言ってよ。てっきり、合コンが上手くいかなくて落ち込んでるんじゃないかと心配したじゃない」

シンクの角に寄り掛ってコーヒーの入った缶の蓋を開けながら、純子はホッとしている様子。
何も言ってくれなかったし、いつの間にという思いもないでもないが、まぁひとまず彼氏ができて良かった。

「ごめんね。あたしもこういう展開になるとは思っていなかったから、言うのが遅くなっちゃって」
「それはいいんだけど、30過ぎたって随分年上の人なのね」
「まぁね」
「どこで、知り合ったの?それくらい、聞いてもいいわよね」

純子には遅かれ早かれ言おうと思っていたから、これは白状するしかない。
香里は棚からコーヒーのビンを取り出すとスプーンで小さじ3杯を紙コップに入れて、湯沸かし器のお湯を注ぐ。
―――インスタントでも、いい香り。

「知り合ったというか」
「いうか?」
「純子も知ってる人だから」
「えっ?あたしも知ってる人って、まさか…。その人、イニシャルがNで始まる人?」

―――うわぁっ、純子鋭い。

「うん」
「香里の上司でぇ」
「うん」
「うそ…ほんと?ほんとにほんとに西嶋さんなの?」

もう一度「うん」と頷くと、純子は思わずスプーンで入れようとしていたコーヒーの缶を床に落としそうになった。
自分はまだ彼氏を作ろうとは思わないが、人の恋路に関しては妙に勘の鋭い純子は何となくそんな予感はしなくもなかったが、本当にその相手が西嶋さんだとは…。
大人な彼だからこそ、そしてずっと側で香里のことを見てきたからこそ、きっと彼女のことを大事にしてくれるに違いない。

「そっかぁ、でも良かったね。素敵な彼氏ができて。クリスマスの話は、後でじっくり聞かせてもらうわ」
「え…」

―――そんなぁ…。
根掘り葉掘り聞かれそうで怖いけど、その時は純子がもういいっていうくらい思いっきりノロケてあげるから。
それより、プレゼント何にしたらいいのかな。

+++

朝から予約していた美容室で満足のいく髪型にしてもらった香里は、目一杯おしゃれして家を出た。
約束の時間は18時だったけど、30分くらい早く着いてしまった。
―――張り切って、来過ぎちゃったかな。
周りを見れば自分と同じ、恐らく彼氏彼女とイヴを過ごそうと待ち合わせをしているであろう人達が目に入る。
手には大事そうにプレゼントを抱えて、
今年も一人で過ごすとばかり思っていたのに、こんな日が来るなんて思いもしなかった。
その中に自分がいると思うと、すごく不思議な気がしていた。
もちろん、香里も同じように両手で抱えていた彼へのプレゼントを悩んだ末にネクタイに決めたのは、スーツ姿の彼が一番好きだったから。
気に入ってくれるといいんだけどな。
そんな幸せなひと時に浸っていると、生暖かいものが頬に触れた。

「ひぇっ」

香里が素っ頓狂な声を上げたのは、背後からぬぅっと出てきた手が両頬を挟むようにして触れたから。

「ごめん、待たせて」
「西嶋さん。もう、びっくりさせないで下さいよ」

心臓が止まるくらい驚いた香里に西嶋さんは謝りながらも、「こんなに冷たくなって」と正面から両手で頬に触れる。
彼の手は大きくて暖かくて、とっても心地いい。

『こんなに可愛かったら、ヤバイだろ』と思っても西嶋は声に出さなかったが、多分いや確実に自分のために目の前の彼女は可愛くして来たに違いない。
この前の合コンの時とは違う飾りを付けた少し大人っぽい髪形に、袖口が大きく開いた短か目の袖が特徴の白いコート。
ふんわりした素材のスカートからは、ブーツを履いていても誰もが目を向けてしまうスラッとした足が丸見えだ。

「行こうか」
「はい」

西嶋さんは自然に香里の手を取るとゆっくりと歩き出す。
流行のロング手袋が今はとっても邪魔な存在に感じられたけど、その微妙な距離感が今の二人にはちょうどいいのかもしれない。

ほんのちょっと歩いただけなのに都会の街並みから一本奥の道に入っただけで、ガラリと景色が変わる。
西嶋さんのことだから『誰にも教えていない店なんだ』と言いそうな、そんな雰囲気のある森の一軒家みたいなレストラン。
本当のことを言うと、香里はすっごく楽しみにしてきたのだ。
ラーメンといい、モダンなショットバーといい、西嶋さんは絶対素敵なお店に連れて行ってくれるに違いないと。

「ここは、俺の取って置きの場所なんだ。一人で来る感じじゃないから誰にも教えてないとは言わないが。言っとくけど、今まで来たのは男だけだからな」

気にならないと言ったら嘘になるけど、女性と来たからといって、それは仕方がない。
人生経験が長いのだから普通のことなのに、こんなところが西嶋さんの良さなのかなと思う。

「気にしないで下さい。西嶋さんが過去に誰と来ても、今はあたしと一緒なんですから」

「入りましょ」とニッコリ微笑む香里に、西嶋さんはどうしたことか立ち止まってしまう。
―――あたし、変なこと言った?!

すると唇に柔らかいものが…。

「いただきっ」
「・・・・・・・」

何が起こったのかわからなかった香里の手を引いて、何事もなく中に入って行く西嶋さん。
それが、キスだとわかったのは随分と時間が経ってからのことだった。

既にカップル達で賑わっている店内の中央には大きなツリーが飾り付けられていて、それを取り囲むように座席が配置されていた。
壁には暖炉もあって、見ていると心の中までポカポカと暖かい気持ちになってくる。
席に案内されて西嶋さんとは向かい合って座ったけれど、緊張を和らげてくれる薄暗い照明がありがたかった。

「今夜は、たくさん食べていいぞ?俺しか見てないからな」

冗談っぽく言う西嶋さんだったが、せっかくの料理も胸が一杯で食べられそうにない。
西嶋さんは会社で着るのとは違うカジュアルっぽいスーツにノーネクタイだけど、デザインされたシャツがとっても似合っててすごくカッコいい。
仕事をしている時の彼とは全然違ってて、鼓動がどんどん早くなる。

「胸が一杯で、食べられそうにありません」
「どうした。桜木らしくない」

「ほら、乾杯しよう」と、細長いグラスに注がれたゴールドに輝くシャンパンを西嶋さんが片手に持つ。

「メリー・クリスマス」

香里も前に置かれたグラスを持ってカチンと合わせた。


シュワシュワッとシャンパンの泡が、喉を通り抜ける。
―――あぁ〜美味しいかも。
お酒好きの香里だったが、すぐ顔に出てしまうところがあってほんのりピンク色に染まる。

そんな彼女は胸元の大きく開いたパフスリーブのワンピースが妙に色っぽくて、西嶋は目のやりどころに困ってしまう。
これで合コンが上手くいかない方がおかしいくらいだと思うのだが、おかげでこうして聖夜を共にできるなら彼女を見過ごしてくれた男達に感謝しなければいけないだろう。
2年以上ずっと一緒に仕事をしてきたのに、お互いまだまだ知らない部分がたくさんある。
それを少しずつでも埋めていくことができるなら。

「あっ、これすっごく美味ひぃですぅ」
「そうか、良かったな」

さっきまでは胸が一杯で料理も喉を通らないんじゃないかって思ったけれど、やっぱり美味しいものは人の心も優しく解きほぐしていくのかもしれない。
シャンパンの後に頼んだワインのせいか、段々調子を取り戻した香里はいつもみたいに話し始めたけれど、それが全然嫌じゃない。
いつまでも聞いていたい、そんなふうに思えるほど西嶋にとっては心地いいものだった。

「えっ、こんなに?」

最後のデザートになると、香里の前にはこれでもかというくらい盛られた皿が置かれ、思わずそう言ってしまったほど。
「女性には、サービスなんですよ」とお店の人に言われると、これ以上ない笑顔を向ける。
こういうところが子供だなって本人もわかっているけど、嬉しいものはやっぱり嬉しい。

「なんなら、俺のも食べる?」
「西嶋さん、甘いものダメですか?」
「出されれば食べるけど、これはどちらかっていうと俺より桜木の胃袋に入った方がいいような気がするから」
「それ、よくわからないですよ」

「いいから」と言って、西嶋さんは香里の前に自分のデザートのお皿を差し出した。
こんなに食べたらそれこそブタになっちゃうと思ったけれど、なんと西嶋さんのお皿と香里のお皿では盛ってあるものが違うのだ。
演出のつもりなのだろうが、これじゃあ断れない。
――― 一日くらい食べたって、大丈夫よね?
という香里の理論で、ありがたく頂戴することにする。
西嶋にとってはその顔を見ていられるだけで、他には何もいらなかった。

そして、危うく忘れそうになっていたが、お腹も満足したところで思い出したのはプレゼント。

「西嶋さん、気に入ってもらえるかどうかわからないんですけど」
「俺に?」

「はい」と言って香里が西嶋さんに渡したのは、薄くて細長い箱。
クリスマス用にラッピングされたそれは香里が彼をイメージして、これだ!と選んだもの。
「開けてもいい?」と西嶋さんが言うと香里は黙って頷き、それはまるで受験の合格発表を見ているようだった。

「ありがとう。バッチリ、俺の好み」
「本当ですか?」
「あぁ」
「良かったぁ、気に入ってもらえなかったらどうしようかと思ってたんですぅ」

『そんなことあるわけない』、彼女からのプレゼントならどんなものだって嬉しいに決まってる。
自分好みと言ったことは、もちろん本当だ。

今度は西嶋の番、ジャケットのポケットから彼女のために選んだプレゼントを取り出す。

「今度は俺から」

そう言って西嶋さんに差し出されたのは、白い包装紙にワインレッドのリボンが掛けられた箱。
リボンに書いてあるブランドネームを見れば、女の子なら誰もが憧れるフランスの有名宝飾店のものだと一目でわかる。

「いいんですか?」
「あぁ、そのために持って来たんだから」

ここに連れて来てもらっただけでも嬉しいのにプレゼントまでもらってもいいのかな。
香里は申し訳ない気持ちで受け取ると「開けてみて」と言われて、そっとリボンを解く。

「わっ、可愛い」

その反応だけで西嶋は十分だった。
彼が香里に選んだプレゼントはリングでもネックレスでもない、イエローゴールドの端にスリーゴールドのボールが付いた細身のブレスレット。
リングのサイズもわからないし、彼女はピアスもしていなかったから、ネックレスよりも何となく思い浮かんだのがこれだった。
仕事中にしていても邪魔にならないようにという、シンプルな細身のものを選んだのは、いつも身に着けて欲しいという思いから。

「気に入ってもらえた?」
「はい。でも、本当にいいんですか?こんなに高そうなものをもらっても」

―――初めてのクリスマスにこんなに高そうなものをもらっちゃって…。
あたしがあげたネクタイが、何本買えるかわからないのに。

「ずっと身に着けて欲しいから」

「手を出して、着けてやるよ」と言われてなんだか恥ずかしかったけど、そっと左手を出すと西嶋さんがブレスレットを着けてくれた。

「ありがとうございます。大切にします」

顔のあたりで腕を少し動かしてみると、キラキラと揺れてとても綺麗だった。



楽しいひと時はあっという間に過ぎ、レストランを出ると外は透き通るような冷たい空気にいつもより星が輝いている見える。

「ご馳走になってしまって、すみません」
「いいんだよ。桜木は気にしなくて」

来る時と同じように手を繋いで歩いていると同じ道のはずなのに気付かなかったが、遠くに綺麗なイルミネーションが見えた。

「西嶋さん。あれ、見て行きませんか?」

西嶋が香里の視線の先を追ってみると、道の両端に植えられた樹に飾られた無数のイルミネーションが光のトンネルのようだ。

「あぁ、いいよ」

香里は早く見たくって、本当は走り出したいくらいだったのをこれでも大人を装って我慢しつつ、西嶋さんの腕を引っ張るようにして歩いて行く。

「わぁ〜すっごい綺麗ですね」
「あぁ、ほんとだ。こんなの見るの初めてだ」
「あたしもですぅ。テレビでは見たことあったんですけど、こんなに綺麗だったなんて」

寒さも忘れて、うっとりするくらい綺麗なイルミネーションに見入っていた香里。
そんな彼女を背後から包み込むように西嶋が抱きしめた。
一瞬、ビクッとしたが、香里は彼の胸に凭れ掛かるようにして体を預ける。

―――こんなロマンチックなクリスマスは、生まれて初めてかもしれない。
そう思えるほど、素敵な夜。

「西嶋さん」
「ん?」

耳元で囁くように言われて、それだけでも体がゾクゾクしてくる。

「あの、来年も一緒にクリスマスを過ごしてもらえますか?」
「来年だけなのか?」
「えっ、あ」
「いいよ。来年も再来年も、その先もずっと桜木と一緒だから」

―――西嶋さん…。
抱きしめられたまま、正面に向き合うと優しく微笑む西嶋さんが…。
静かに瞼を閉じた香里の唇には、彼の啄ばむようなくちづけが降ってくる。
寂しかった香里の心を甘く溶かしていくように。


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