「清良(せいら)ちゃん、久しぶりっ。会いたかった」
「うぎゅぅ。沙良(さら)お姉ちゃん、苦…しい」
そう言って抱きついてきたのは、実の姉である水城 沙良(みずき さら)。
この春、英和女子大学に入学したばかりの18歳だが、今や雑誌やテレビで売れっ子の超人気モデルだ。
仕事が忙しく都心にマンションを借りているので、実家にはたまにしか帰ってこないのだが、こうやって帰って来た時にはまっ先に妹の清良をハグする。
沙良は妹の清良が可愛くて仕方がない、いわゆるシスコンというやつである。
これだけは、清良には全くもって理解不能なのだが…。
と言うのも、沙良と清良はとても姉妹とは思えないくらい、似ても似つかない。
清良は私立の名門、華ノ宮女学園高等部に通う才女であるが、スカートは今時珍しいくらいの膝下丈で、肩までの墨黒の髪はきっちりと三つ編み、更にここまでくれば大体見当がつく、お決まりの分厚い眼鏡ときたものだ。
華ノ宮女学園は中高一貫で、この学校に入学してから今までずっと成績は常に学年トップ、将来は日本で最高峰の大学入学を目指している。
「ねぇ、清良ちゃん。明日の撮影、一緒に来てくれない?」
「え、私が?」
首を傾げて何でという清良に沙良は、愛犬のクッキーと一緒にいるところを撮影したいからだと告げる。
愛犬のクッキーとは、水城家に3年前にやって来たオスのヨークシャーテリアだったが、清良が世話しているせいかとてもよく懐いていたのだ。
「そう、たまたまクッキーの写真を見たカメラマンの人がね、是非にって言うから。清良ちゃんが一緒の方が、クッキーも安心するだろうし」
「わかった。そういうことなら、協力するね」
清良は本当に素直でいい子だから、沙良が困っていればいつも力になってくれる。
実はクッキーと一緒に写るのは沙良ではなく、清良なのだが…。
騙すのは心苦しいが、こうでもしなければ清良は絶対沙良の仕事場へは来てくれないだろうから。
+++
次の日の朝、自宅の前まで車で迎えに来た事務所のスタッフと一緒に清良とクッキーは撮影スタジオへと向かう。
「クッキー、大丈夫かな?沙良お姉ちゃんに迷惑掛けないかしら」
「大丈夫よ。心配しなくても、清良ちゃんが一緒だもの」
───そうだと、いいんだけど…。
クッキーは人見知りが激しく、散歩していて見知らぬ人に“可愛い”なんて手を差し出されると清良の後ろに隠れてしまうのだ。
スタジオのような場所で大勢の人達に囲まれたりしても、うまく撮影できるだろうか?
膝の上に乗せたペットキャリーの中から不安気な顔をして見つめるクッキーに、清良は安心させるように微笑んだ。
清良はスタジオというところに入るのは初めてで、見るもの全てが目新しいものばかりだったが、なんとか沙良からはぐれないように後に付いて行く。
「清良ちゃんは、このお姉さんと一緒にいてくれる?後で、あたしと合流するから」
「うん」
清良は沙良に言われた通り、紹介されたお姉さんに連れられてある部屋に入ると中にはたくさんの洋服や小物が並べてあった。
「すっご〜い」
清良はすっかり夢中になって、それらを眺めている。
普段は地味な優等生だけど、やっぱり年頃の女の子に変わりはない。
「清良ちゃん、どれか気に入ったものとかあった?」
「はい。どれも可愛いですけど、私はこれが」
清良が部屋に入って真っ先に眼に付いたのは、膝丈くらいの胸元に可愛いお花のコサージュの付いたワンピース。
淡いピンク色に柔らかそうなシフォン素材で、胸元の開き具合や小さなパフスリーブの袖がすごく可愛い。
「やっぱり?清良ちゃんなら、これを気に入ってくれると思ったのよね。ねぇ、良かったら着てみる?」
「え?いいんですか?」
「えぇ、いいわよ」
クッキーを入れたキャリーケースを近くの椅子に乗せると、清良はさっき選んだ洋服を試着してみる。
───どうせ、似合わないってわかってるんだけど、一回着てみるくらいいいわよね。
「清良ちゃん、どう?」
「はい」
取り敢えず着替えてお姉さんの前に出ると、用意されていたミュールを合わせてみる。
ヒールの付いた靴を履くのは慣れていないから、何だかとってもぎこちない。
「さすが、沙良ちゃんの言った通り。清良ちゃん、スタイルいいわね」
お姉さんは私の全身を上から下までくまなく眺めると感心したようにそう言ったが、確かに鏡を見ると首から上がなければ、そう思えなくもないと思うけど…。
「せっかくだから、ヘアメークもしてみましょうか?」
「でっ、でも…」
───今日は、沙良とクッキーの撮影にくっ付いて来ただけなのに。
「いいのよ。今頃、沙良ちゃんもヘアメークしてるはずだから、一緒に行きましょう」
言うが早いか、お姉さんに引っ張られるようにして、沙良のところまで連れて行かれた。
部屋に入ると清良に気付いた沙良が、鏡越しに話し掛ける。
「清良ちゃん、やっぱりその服選んでくれたんだ、そうだと思ったのよね。すっごく可愛い、似合ってる」
「そう…かな?」
「後は、ヘアメークね。うんと、可愛くしてもらうのよ」
清良は沙良の隣の椅子に座ると別のお姉さんが来て、トレードマークの三つ編みを解く。
「清良ちゃん、綺麗な髪ね。こんなに綺麗なのにどうして三つ編みにしているの?」
「はい、わたしの髪の毛サラサラしてて授業中黒板の内容をノートに書き写しているとすぐ落ちてくるんです。だから」
「そっか、高校生だものね。でももったいないな、こんな綺麗な髪なのに。シャンプーのCMとかピッタリなのにね」
───シャンプーのCMかぁ。
それも顔がなかったら、出られるかもね。
三つ編みをしていたせいで、ウエーブができてしまった髪に整髪剤をつけてドライヤーで延ばしていく。
どうせ、三つ編みにしてしまうからとあまりブローをしたことがなかったが、プロにしてもらうとなんでこんなに綺麗になるのだろう?
「清良ちゃん、眼鏡、取ってもいいかしら?」
「え、眼鏡取るんですか?」
清良はものすごく目が悪い、だから眼鏡がないと1m先の物さえもボヤけてしまう。
「メークする時、だけだから」
眼鏡を取られてしまうと鏡の中の自分もボヤけてしまい、一体どんなふうにされているのかもさっぱりわからない。
大体、今まで化粧なんてものを一度もしたことがないのだから、後で見るのも怖いし。
「はい、完成。清良ちゃん、すっごく可愛いわよ」
「ほんと、すっごく可愛い」
自分のメークを終えた沙良も清良の顔を覗き込んでいるようだが、ボヤけてよく見えない。
「あの、眼鏡を」
「せっかく、綺麗になったのに眼鏡なんか掛けたらもったいないわよ」
「でも、沙良お姉ちゃん。それじゃあ、クッキーも見えないもの」
「大丈夫よ。あたしが、連れて行ってあげるから」
ほとんど手探り状態で、クッキーを抱き上げると沙良に手を取られて撮影スタジオに向かう。
自分がどんなふうになっているのかまったくわからないから、この格好で歩くのも恥ずかしい。
「清良ちゃんのことすっごく可愛いから、みんなが見てるわよ」
「えっ、嘘」
耳元で囁くように言う沙良だったが、そんなことを言われると余計恥ずかしいのに…。
よくわからないまま、スタジオの中に入ると男の人の声が聞こえてきた。
「やぁ、沙良。今日も可愛いね」
「相変わらずですね、相馬さんは」
沙良も清良も背だけは高かったけど、相馬(そうま)さんという人はそれよりも少し高い感じで、線が細く、長髪スタイルが印象的だ。
声の感じからは、20代後半というところだろうか。
「清良ちゃん、こちらはカメラマンの相馬さんよ」
「はじめまして、水城 清良(みずき せいら)です」
沙良に紹介されて顔はよく見えなかったけど、清良は慌てて挨拶を返した。
「やぁ。どこの可愛い子かって思ってたけど、君が噂の沙良の妹の清良ちゃんか。今日はよろしくね」
いきなり握手されて、清良の頬は一気にピンク色に染まる。
だって、男の人に手を触れる機会なんて、今までなかったんだもの。
「相馬さん、あたしの清良ちゃんに気安く触らないでください。びっくりしてるじゃないですか」
「ごめん、ごめん。つい、癖でね」
相馬さんはごめんねって思いっきり顔を近付けて言うのものだから、さすがにこれは焦点が合ってしまって、私の顔は余計真っ赤になった。
「じゃあ、そろそろ撮影に入ろうか」
相馬さんの一言で場の雰囲気は一気に緊張ムードに変わる。
清良は撮影の邪魔にならないように誰もいない隅で、クッキーの緊張を解すために持って来ていたボールで遊んであげることにした。
クッキーはなぜかすごくボール遊びが好きで、これさえあればご機嫌なのだ。
「あっ」
眼鏡を掛けていなかったせいで、うっかりクッキーが口で投げ返したボールを取り損なってしまった。
───まいったな…これじゃあ、ボールがどこに行ったのか全然見えないじゃない。
やっぱり、眼鏡を返してもらえばよかった。
そう思っても仕方がないわけで、クッキーを抱き上げると辺りを探すが、なかなか見つからない。
どこに行っちゃったのかしら…。
「もう、クッキーったら、ちゃんと返してくれないとダメじゃない」
クッキーに八つ当たりするのは場違いだとわかっていても、つい口に出さずにはいられない。
「そんなに怒ったら、かわいそうだよ。はい、君の探し物はこれかい?」
清良の手の上に載せられたのは、探していたボールだった。
目の前に立っている男性は、ぼんやりした輪郭だったが、かなり長身で清良でさえも見上げなければ顔を見ることができない。
「ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。その犬の名前、クッキーって言うの?」
「はい」
「抱いてもいい?」
「えぇ、でも…この子、人見知りが激しくて」
取り敢えず、クッキーを彼の方へ差し出すと驚いたことにクッキー自ら彼の腕の中に飛び込んで行ったのだ。
「可愛いね」
「はい。でも、ちなみにクッキーは男の子ですよ」
「あはは、そっか。いや、俺が言いたかったのはクッキーもそうだけど、君のことだったんだけど」
「え?」
清良はクッキーが可愛いと言われたのだと思っていたが、どうやら彼は清良のことをそう言ったようだった。
まだ自分の姿を見ていない清良には可愛いと言われてもピンとこないし、第一今までそんなことを言われたことがなかったのだから、恥ずかしい限りである。
「君、初めて見るけど、新人さん?」
「いえ、わたしは姉の付き添いで来ただけなんです」
「そうなの?いや、ほんと可愛いから、てっきり新人モデルかなって思ったんだけど」
また、可愛いなどと言われて清良の頬はりんごみたいに真っ赤になった。
それをまた可愛いと思ってしまった彼だったが、これ以上言うと余計赤くなるだろうから敢えて言葉にはしないでおこう。
「俺の名前は、川波 空良(かわなみ そら)。これでも、一応モデル。君の名前は何て、言うの?」
「私は、水城 清良(みずき せいら)と言います」
「君、もしかして水城 沙良さんの」
「はい、妹です。川波さんは、姉を知ってるんですか?」
「あぁ。たまに雑誌で一緒に写ってるんだけど、見たことないかな?」
───沙良お姉ちゃんと雑誌で一緒に写ってる人?
もしかして、すごくかっこいいあの人かしら?
清良はそういうのには全くと言っていい程疎かったから、彼の名前さえも知らなかった。
「ごめんなさい。私、眼鏡がないとぼんやりとしか見えないんです」
「そっか、じゃあこれくらい寄ればわかる?」
空良(そら)はグーっと清良の目の前に顔を近づけたのだが、あまりに度アップ過ぎて清良は後ろに仰け反った瞬間そのままその場に尻餅をついた。
「いったーい」
「ごめん、ごめん。大丈夫?」
空良に手を差し伸べられて、躊躇いながらも清良は手を出すとぎゅっと掴まれて立ち上がる。
今日はやけに男の人に手を握られる日だなと思いながらも、また顔が熱くなってくる。
「清良ちゃん、こんなところに居たの?」
撮影が一段落したのか、沙良が清良を探しに来た。
「あっ、川波くん」
「沙良」
沙良と空良はモデル仲間の中でも歳も近く特に仲が良かったが、清良と空良が手を繋いでいるのを見て顔色が変わる。
「川波くん、あたしの大事な清良ちゃんに何してるの?」
「あっ、いやこれはね。単なる事故で…」
沙良は二人の間に割って入ると、清良の身に何かなかったかチェックする。
「清良ちゃん、大丈夫?川波くんに何か、されなかった?」
「うん、大丈夫。私が尻餅をついちゃって、それを川波さんが起こしてくれただけだから」
「そう?」と、まだ半信半疑の沙良だったが、そろそろ撮影に戻らなければならない。
「清良ちゃん、次はクッキーとの撮影だから一緒に来てくれる?」
「うん」
「川波くんもね」
どうやら、これから先は空良も一緒に沙良と撮影をするようだ。
清良はクッキーを抱き上げると沙良の後に付いて行く。
白いセットにライトがいっぱい当ててあって、相馬さんがカメラの準備をしていた。
周りにはいっぱいスタッフもいるし、沙良お姉ちゃんはよく緊張しないなと感心するばかり。
「それじゃあ、清良ちゃん愛犬と一緒にここに来てくれるかな。それと空良くんも」
空良が清良の背中に手を添えようとしたが、沙良にギロっと睨まれた。
「清良ちゃん、頑張ってね」
「え?沙良お姉ちゃんは?」
「あたしは、もう終わったから」
───終わったって、どういうこと?
この状況が把握できていない清良は、沙良に背を押されて白いセットの前に立たされた。
クッキーも、少し怯えているようだ。
「クッキー、大丈夫だからね」
不安そうに見上げるクッキーに、清良は優しく声をかける。
だけど沙良は、スタッフのみんなと一緒にセットの前に立っている清良を微笑みながら見つめているだけ。
「空良くん、清良ちゃんと初デートって感じで手を繋いでくれるかな」
───はっ、初デートっ?手を繋ぐ?!
相馬さんの言ってる言葉を理解する間もなく、空良は清良の手を握る。
それも軽くとかじゃなくて、指を絡めるように。
───うわぁっ、やだっ、何なのよ。
なんて清良の言葉なんて届くはずもなく、視線をどこに向けていいのかわからなくて困っているところをバシバシっとカメラのフラッシュが光る。
何でこんなことになってしまったのか…クッキーと一緒に写真を撮るのは、沙良ではなかったのか…。
などと思っていると相馬さんの「いいよぉ、初々しくて〜」という声が聞こえてくる。
そして、ゆっくりと空良の方へ顔を向けると、少し屈む格好で満面の笑みを湛えて自分を見つめる彼が視界に入り、思わず俯いた。
あんなふうに見つめられたら、どんな子だって一瞬でノックアウトだろう。
沙良はよくこんな撮影に耐えられるものだと、改めてモデルというのは思っているよりも大変な仕事なのだと感じる。
「清良ちゃん、こっち向いて」
不意に相馬さんではなく、空良に呼び掛けられて、再び彼の方へ顔を向けるとボヤける視界が一気に鮮明になるのと同時に柔らかくて温かいものが額に触れた。
それがキスだとわかったのはだいぶ後のことで、その場の状況が掴めない清良の顔はまたもやりんごのように真っ赤に染まっていたことは言うまでもない。
お名前提供:水城 清良(Seira Mizuki)&川波 空良(Sora Kawanami)… 桜花 さま
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
誤字が多く、お見苦しい点お詫び申し上げます。お気付きの際はお手数ですが、下記ボタンよりご報告いただければ幸いです。
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