恋の十番勝負
Vol.1


「週末だってのに1人でバッティングセンターかよ。寂しいやつだなぁ」

酒井 雫(さかい しずく)は、一通り打ち終えると声の主の方へ振り返る。
ネットの向こう側でへばりつきながらこっちを見ている男の名は杉山 慧(すぎやま さとし)、雫の会社の同僚兼同期である。

「うるさいわね。あんたに言われたくないって言うか、あんたこそ何でここにいるのよ」
「俺?俺はあんまりモテ過ぎて困るから、逃げて来た。それにさぁ、健康週末とやらでみんな定時で帰っちまったしな。ここなら、知ってるやつにも会わないだろうし」

そう言いながら、慧は雫の隣に場所を確保すると投げられる球を次々と遠くへ打ち返す。
それがあまりに豪快なものだから、つい雫もそれに見惚れてしまっていた。

「何だよ。俺ってそんなにいい男か?」
「はぁ?馬っ鹿じゃない?自惚れるのもいい加減にしたら?」

この男はいつもそうだ。
喧嘩売ってるのか!と言いたくなるほど、雫の癇に障るようなことばかり言ってくる。

「素直じゃないな」

ニヤっと笑みを浮かべながら慧はまたバットを構えるとさっきより速度を増して投げられる球をやはり次々と遠くへ打ち返していた。
高校時代に野球をやっていたとは言っていたが、社会人になってもその感覚は衰えていないようだ。

「大きなお世話」

そう捨て台詞を吐くと雫もバットを握り、慧と同じくらい気持ちいい音を響き渡らせていた。

さっき、慧が第一声を発したように今日は金曜日。
なのになぜ雫はこんなところにいるのかと言うと、直前になって付き合っていた彼氏にフラれたからだった。
実際は、フラれたと言うと少し語弊があるかもしれないが…。
相手のことはものすごく好きだったわけでもないし、だからと言って嫌いでもない。
でも雫の方から別れようと思ったことは一度もなかったし、相手からもそんなことを言われるとは思ってもみなかったのだ。
しかし突然、『君の瞳には、僕ではない別の誰かが映っているようだね』と言われ、もう逢わない方がいいと彼はそれ以上言わずに去って行った。
彼は、気付いていたのだ。
雫の中に存在する別の男の影を…。
その男というのは、人の心の中に平気で土足で入って来るような失礼なやつだし、人を怒らせるようなことばかり言う本当にムカツクやつなのに時折見せる優しい笑顔が落ち込んでいる時に元気をくれる。
悔しいけれど、気が付けばやつのことばかり考えるようになっていた。
知らぬ間に目で追っていたのだ。

「なぁ、勝負しないか」

そんなことを考えていると不意に慧が、勝負しようなどと言い出した。

「何を賭けるの?」
「俺が勝ったら、お前は俺の女になる」
「はぁ?何言ってるの?どうしてあたしがあんたの女にならなきゃなんないのよ!」
「嫌なら、お前が勝てばいいだけだろう?」
「そんなの無理に決まってるでしょ!」

この男に勝てるわけがない。
確信犯、それをわかってて言っているに決まってる。

「当たり前だ。俺が負ける勝負をすると思ってるのかよ」

平然と言ってのけるこの男が、ある意味すごいと思うのだが…。

「あたしのこと好きなら好きって、言えばいいのに。そっちこそ、素直じゃないのね」
「ごちゃごちゃ言ってないで、どうするんだよ。受けるのか受けないのか」
「受けるに決まってるでしょ!」

間髪入れずに雫が言うと慧はにっこりと笑ってバットを構えた。



結果は言わずと知れず、10本勝負8-10で慧の勝ち。

「俺の勝ちってことで、お前は今日から俺の女な」

慧は雫のボックスに入って来ると持っていたバットを手からスルリと抜き取って、雫を自分の胸に抱き寄せた。
耳元で囁くように言われ雫にとってはずっと待っていた言葉だったのかもしれないが、面と向かって言われると何だか気恥ずかしい。

「返事は?」
「・・・・・・・・」
「雫」

―――ズルイ…。
何で、こんなふうに優しい声で名前を呼んだりするのよ。
雫がそっと顔を上げると少し不安げに見つめる慧の瞳と目があった。

「あたしのこと、好きって言って―――」
「雫、好きだよ」
「あたしも、好き」

雫が静かに目を瞑ると柔らかいものが唇に触れたがすぐに離れてしまい、なんだかすごく名残惜しい。
すると、慧は代わりに額と額をコツンとぶつける。

「お前が彼氏と別れなかったら、奪うつもりだった」
「え?」
「っつうか、俺のこと好きなくせに何でとっとと別れないんだよ」
「だって…」

―――『好きな人が出来たから、別れて…』なんて、あたしには言えないわよ。
そんな簡単にいけば、苦労しない…。

「だってじゃないだろ?相手の男の気持ちも考えろ。彼女が自分じゃない別の男のことを想ってるなんて…悲し過ぎるぞ」

慧の言う通り、雫は自分のことしか考えていなかったのかもしれない。
彼の気持ちも考えないで…。
そして…。

「あたし…」
「まぁ、元彼には悪いがそれだけの男だったってことさ」

―――やっぱり、俺様。
だけど、好きになっちゃったんだからしょうがないわね。

「杉山…」
「慧だろ」
「慧…」

「よろしい」って慧はニッコリ微笑むと、再びお互いの唇が重なって…。
今度はすぐに離れることなく、周りに見られていたことにも気付かずにいつまでもそこでキスしていたのでした。


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