Happy Happy Whiteday
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R-18

「雅巳、ホワイトデーのお返しはもう考えたのか?」

講義の合間に缶コーヒー片手に休憩していると一郎が、思い出したように雅巳に問い掛けた。
今のところ特定の彼女がいない一郎には、雅巳の代わりにもらい受けたチョコレートのお返しを数人の女の子達にする程度、そんなに深刻に考えることでもないが、雅巳にとってはそうはいかないだろう。
あの日バレンタインすらすっかり忘れていた雅巳に一郎もまさかとは思ったが、愛する恋人からの連絡もなくひどく落ち込んで家に帰って行った姿はあまりにも痛々しかった。
しかし次の日、あの落ち込みとは打って変わって明るい笑顔の雅巳を見た時には、それが違ったのだとすぐに理解できた。
―――あんなにもわかりやすい男だったとはな。
大学に入ってから3年の付き合いではあったが、初めて知った雅巳の一面だった。

「それがさぁ、雑誌を見たりしてチェックはしてるんだけど、あんまりピンとこなくてさ」

雅巳だって、あの日あんなふうに美花が来てくれるとは思ってもみなかった。
美花のことだからバレンタインなんて忘れてるんだろうなと一郎の前では軽く流しながらもやっぱり落胆は隠せなくて、足取り重く家に帰ると玄関前に美花が待っていたのだ。
手作りのチョコレートをもらったお返しにと雑誌を見たり、ショップをあれこれ見て回ったりしたが、どれもピンと来ない。
どうしたものかと悩んでいたところだった。

「だったらさ、これなんてどうだ?」

一郎が差し出したのは何かのパンフレットのようだが、受け取って見ると表紙にはホワイトデー・クルージングと書いてある。

「ホワイトデー・クルージング?」
「あぁ。東京湾を一周するナイトクルージングなんだけどさ、ホワイトデーの特別企画らしいぞ。こういうのって、女の子は喜ぶんじゃないかなって」

常時運行しているクルージングらしいのだが、3月14日ホワイトデーの日はカップル限定で特別に企画して運行するらしい。
こういうのもあるんだなと雅巳は思ったが、しかしなんでこんなものを一郎が?!

「で、なんでお前がこれを?」
「俺の親戚に旅行会社に勤めてる人がいてさ、一郎も彼女を誘ったら?なんて、俺にそういう子がいないのを知ってて持って来る嫌味なのがいるんだよ」

そう言えば、前に一郎には世話焼きの従姉がいると聞いていたが、これは旅行会社の宣伝も兼ねてなんだろうなと雅巳は思った。

「まぁ、これはひとつの案だから。聞き流してくれていいぞ」

そう言う一郎だが、自分に気が乗らないものを人に薦めるようなヤツでないことを雅巳は知っている。
きっと雅巳が悩んでいるのを知っていて、気を利かせてくれたんだろう。

「いや、これ使わせてもらうよ。単に物をあげるだけじゃあなって思ってたところだし」
「そうか、それならいいけど」

雅巳は一郎の好意に感謝しつつ、すぐに従姉に予約を入れてもらうことにした。

+++

「もしもし、美花?」
『雅くん』
「今、話しても平気?」
『うん、平気』

早速その日のうちに雅巳は美花の携帯に連絡を入れて、予定を確かめる。
せっかく計画したのに美花の都合が悪かったら、どうにもならないから。

「あのさ。3月14日の夜なんだけど、美花空いてる?」
『14日って、火曜日?うん、空いてるけど』
「よかった。じゃあ、夜空けておいて。それとちょっとだけ、おしゃれしてくれるかな」
『うん、わかった。でも、おしゃれって?』
「それは内緒」
『え〜、なんか気になるぅ』

雅巳の意味深な言い方に美花が、少し不満の声をあげる。
その気持ちもわからないでもない雅巳だったけれど、やはりできれば当日まで黙っておきたい。

「それは、当日までのお楽しみってことで」
『う…ん、じゃあ楽しみにしてる』

美花が喜んでくれることを祈りつつ、雅巳は電話を切った。

+++

雅くんに誘われた時、『ちょっとだけ、おしゃれしてくれる?』と言われていたので、あたしは彩那に付き合ってもらって普段はあまり着ないワンピースを買った。
シフォン素材で、春らしいサーモンピンクのふわふわした感じのもの。
まだ寒かったけどおしゃれは一足先にって言うから、その上にスプリングコートを羽織って約束の場所に向かっていた。
―――当日までのお楽しみって、一体なんなのかしら?
結局、雅くんは14日に何があるのか教えてはくれなかった。
案外、口が堅いのよね。
初デートの時にスカウトされたっていう経緯があったから、あれ以来雅くんはあたしに待ち合わせ場所に早く着いてもどこかお店に入るかして絶対人の多い場所で待ったりしないようにと言っていた。
だから、約束の時間きっかりに着くように家を出て来ると既にそこには愛しい人の姿があった。
雅くんは、背が高くて俳優やモデルなんかよりずっとカッコいい。
あたしなんかがスカウトされるのが、おかしいくらいだなって思う。
それに今日はスーツではないけれど、ジャケットに初めて見るネクタイ姿だった。

―――うわぁっ、雅くんのネクタイ姿カッコいいなぁ。

遠くからでも目がいってしまうくらい、ついつい見惚れてしまう。
周りに歩いていた女の子達も、自然に雅くんの方に視線がいっているのがわかる。
幼馴染っていうのがあったからそんなに気にはならなかったんだけど、こうして見ると自分には釣り合わないのでは、と思うくらい雅くんは素敵だったのだ。
暫く声を掛けられなくてボーっと見つめているとあたしに気付いた雅くんが軽く手を上げて駆け寄って来た。

「美花、どうしたんだ?」
「ううん、ごめんね遅くなって。雅くんがあんまりカッコいいから、つい見惚れちゃった」

意表をついた美花の言葉に、雅巳も思わず表情を緩めずにはいられない。
が、見惚れるのはこっちの方だなと雅巳は思った。
美花は春らしい淡いベージュのスプリングコートに身を包み、いつもは緩くウェーブがかっている髪も、今日は少しアップするようにヘアクリップで留めていた。
数段大人っぽい美花に、一瞬にして釘付けになってしまう。

「雅くん?」

あたしを見つめたまま無言の雅くんに声を掛ける。

「あっ、ごめん。俺も美花に見惚れてた」
「もうっ、冗談言わないでっ」

赤くなってる美花を他所に雅巳は、すっと手を取ると指を絡めて歩き出す。

「雅くん、まだ今日何があるのか教えてくれないの?」
「もうすぐわかるから」

―――もうすぐって、ほんとなんなのかしら?
普段降りることのない駅を降りて暫く歩いて行くと先はすぐ海だった。

「海?」
「そう、これからあの船に乗るんだよ」

え、船?
雅くんの視線の先には、わりと大きな船が見えた。
船なんて見るのは、横浜にある氷川丸以来じゃないかと思うくらい久しぶりのこと。
それに乗るのなんて、小学生の時に行った箱根の遊覧船以来だわ。

「あれに乗るの?」
「そうだよ」

おしゃれしてって言うからどこに連れて行かれるのかと思っていたけど、まさか船だったなんて。

「うわっ、すっご〜い」

――― 子供みたいって思われても、この際いいんだもんっ。
予想以上にはしゃぐ美花に雅巳も、嬉しさ以上に安堵が込み上げてくる。
今日は、美花に喜んでもらなければ意味がないのだから。

デッキを上がるところで、お髭の似合うとてもダンディな紳士って感じの船長さんと女性が出迎えてくれた。
そして中に入るとホワイトデーらしい、お花やいっぱいのキャンディー等の可愛らしい飾り付けが所狭しと施されている。

「いゃ〜ん、可愛いっ」

美花のこの声が出れば間違いなく合格点なのだが、『お願いだから、こんなところでそんな甘い声を出さないでくれ〜』が、雅巳の本音であった。

さすがカップル限定だけのことはあって別の意味で甘い雰囲気が漂っていたが、若い人たちだけではなくて熟年の夫婦なんかもちらほら見受けられる。
―――あんなふうにあたしも素敵に年をとって、いつまでも仲良くしていられたらなって思う。
その相手が雅くんだったらなぁ。
そっと雅くんの方に視線を送るといつものように優しい目で見つめる彼の顔があった。

ディナーまでの時間が少しあったので、船が出航するとデッキに出て夕日が沈むのを暫くの間眺めることにした。
少し肌寒かったけれど、潮風が心地いい。

「雅くん、素敵なホワイトデーをありがとう。あたし、すっかり忘れてた」
「いいえ、どういたしまして。でも、まだまだこれからだからね。ディナーの後は、有名なパティシエが作ったデザートバイキングがあるらしいから」
「デザートバイキング!ほんとっ?」

美花の大きな目が、一段と大きく開く。
――― ゲンキンだって言われてもしょうがないじゃない。
有名なパティシエが作るデザートが、食べ放題なんてっ。

雅巳が一郎にパンフレットを見せられた時、真っ先に目についたのが、この有名なパティシエの作るデザートバイキングがあることだった。
美花は大の甘いもの好きだから、絶対喜んでくれるはずだと思ったからこそ、これを選んだのだから。

「でも、こんな贅沢してもいいの?あたし、雅くんにはチョコレートしか渡していないのに」

バレンタインに雅くんには、チョコレートしか渡していない。
それも有名なお店のものでもなんでもない、あたしの手作りだったし…。
きっとこんな素敵なディナークルージングなんて、高価に決まってるのもの。

「いいんだよ。俺にとっては、美花の心のこもったものが一番だからね。そのお返しにこれは全然贅沢なんかじゃないんだよ。美花が喜んでくれる顔を見られることが、俺は嬉しいんだから」

雅巳も、これは少し気になっていたことではあった。
イベントということもあって、確かにそれなりの金額はしてしまう。
それは雅巳にとって特にたいした問題ではなかったのだが、美花のことだから気にするんじゃないかという心配があったからだった。
だから、そうではないのだということを言葉にするしかないと思っていた。

「ほら、見てごらん。陽が沈んでいくよ」

雅くんに言われて視線を向けると、水平線に今にも消えそうな夕陽が見える。
なんだか寂しい気もするけれど、そのすぐ後には綺麗な夜景が目に飛び込んできた。

「うわぁっ、綺麗」

デッキから少し身を乗り出すようにして、夜景を見つめる美花。
雅巳にとっては夜景も綺麗だけれど、それにもまして今日の美花の方が数倍綺麗だと思った。
無意識に美花の腰に腕を回すと自分の方に抱き寄せて、そのままうなじに唇を寄せる。
『周りに人がいるのにっ!』て、いつものように抵抗されると思ったけれど、今日の美花はやけに素直だ。

「美花の方が、ずっと綺麗だよ」

耳元で囁くように言うとくすぐったいのか美花は身をよじって雅巳の腕からすり抜けようとする。
―――やっぱり、耳は弱いんだな。

「もうっ、雅くんったら。恥ずかしいから、そういうこと耳元で言わないでっ」
「どうして?本当のことだし」

今日の美花はやけに素直だなと思ったけれど、やっぱりいつもの反応に笑みがこぼれる。
それから船内に戻ってディナーをいただいたが、美花は終始ご機嫌だったけれど、雅巳はワインを飲んでほんのりと赤みを増した美花が気になってゆっくり堪能している場合じゃなかった。
そして、最後はお楽しみのデザートバイキング。
美花はどれを選んでいいのか迷っているようで、さっきからあっちこっちに目を泳がせている。

「美花、食べないの?」
「だって、どれにしていいか迷っちゃうんだもん」

どれもこれも、すっごく美味しそうなものばかりでどれにしていいか決められない。

「全部、食べたら?」
「えっ、こんなに食べたらデブになるぅ〜」

ただでさえ、少し太り気味なのにこれ以上はちょっと…。

「大丈夫だよ。運動すれば、すぐに消費するからね」
「そうかな?」

―――そうよね、食べた分運動すればいいのよ。

雅巳の言った運動の意味をそのまま受け取ってしまった美花は、やっぱり一番好きなフルーツタルトをお皿に載せた。
雅巳は見ているだけでお腹一杯だったが、美花はどこにそんなに入る余地があるのかと思うくらい、多分あれは全種類食べたのではないだろうか?

―――迷う必要なかったのに…。

本当に幸せそうな美花の笑顔を見ていると、数年ぶりに偶然会った時の涙の痕のついた美花の顔が嘘のように思える。

―――俺が側にいる限り、二度と泣かせない。
そう心に誓う雅巳だった。


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