「あっ、ティナちゃん」
「帆波さんも休憩ですか?なんだか、とってもお忙しそうですね」
「そうなのよ。朝からバタバタしてて、疲れちゃった」
朝から忙しく働いていた帆波は、ようやく休憩時間が取れて自販機に行くと先客で来ていたのははティナだった。
「そう言えば、ティナちゃん。引越しの準備は、バッチリ?」
「はい。と言っても、あまり持って行くものもないので」
実家とはあまり離れていないので、いつでも帰ることができるからと、荷物は最小限に留めるつもり。
それに、引っ越し代も馬鹿にならないから。
「じゃあ。海さんに気付かれないよう、こっそりね」
「内緒にしてて、大丈夫でしょうか?」
湊にはすぐにバレてしまったけれど、海にはまだ知られていなかった。
あの二人のことだから、つい湊が話してしまうのでは?と思ったが、そこは彼も口は堅い。
しかし、内緒で隣の部屋にティナが住むことを知ったら、海の反応はどうなんだろうか?
好きな子が隣の部屋に住むのだから、喜ぶことはあっても、怒ったりすることはまずないと思うが…。
「大丈夫よ。海さん、すっごく喜ぶから。まぁ、湊やあたしが黙ってたってのは、不服に思うかもしれないけど」
「そんな感じします。特に湊さんには」
あれだけ仲がいいのに兄が黙っていたとなれば…。
知った時の彼の顔が、目に浮かぶようだった。
「何、楽しそうに笑ってんだ。湊がどうかしたのか?」
話に夢中になっていて、帆波もティナも後ろに海がいたことに気付かなかった。
かろうじて、肝心な部分は聞かれていなかったようで、助かったが。
「海さん。いえ、湊さんはいつも美味しいスィーツをお土産に買ってきてくれて、帆波さんが羨ましいってお話をしてたんですよ」
「あいつも、マメだよな。まっ、俺も隣にティナが住んでたら、毎日買って帰るのにな」
「え…」
―――住んでたらって言ってるんだから、海さんは知らないのよね。
ホっ…。
でも、海さんは隣にティナちゃんが住んでたら、湊と同じようにお土産買って来てくれるのね?
兄弟揃って、マメ男なんじゃないねぇ。
「なんだ?二人して。俺が、兄貴と同じことをしたらおかしいか?」
「そっ、そんなことないですよ。ねぇ、ティナちゃん」
「はっ、はい。帆波さん」
「変なやつ」と首を傾げながら、コインを自販機に入れる海。
マジマジと彼を見つめると、随分髪も伸びてきたなと思う。
短く切ってきた時にはどうしたのかとみんな驚いたものだが、髪が伸びる間にすっかり日向 湊の弟ではなく、日向 海という存在が定着したように感じる。
兄に負けないように頑張っていたことを湊も帆波も、そして一番ティナがわかっているに違いない。
―――そうだ。ティナちゃんの引っ越しのお祝いに何をあげよう。
すっかり、忘れてたわ。
帰ったら、湊に相談しなきゃ。
◇
いつものように帆波の家に夕食を食べに来ていた湊に、ティナの引っ越しのお祝いを何にするか聞いてみる。
「ねぇ、湊。ティナちゃんのお引っ越しのお祝いに何かあげようと思うんだけど、何がいいと思う?」
「そうだなぁ」
腕を組んで真剣に考える湊だったが、相手は女性だし、なかなか思い浮かばない様子。
一人暮らしの必需品といえば、家電品とかそんなものになってしまうだろうし…。
そういうものは自分で持参するか、海の部屋に行けば一通りは揃っている。
「マグカップとか考えたんだけど、好みもあるから困っちゃうのよね」
「だな」
「今度のお休みに買いに行こうと思うんだけど、付き合ってもらってもいい?」
「もちろん。あっ、てことは帆波とデートできるんだ」
―――よく考えてみれば、あまりデートらしいデートをしたことがなかったかも。
「おしゃれして、どこかで美味しいものでも食べたいなぁ」
帆波はわざと甘えるようにして言ってみたのだが、湊にはそれがひどく嬉しかった様子。
いつになく、顔が緩んでいる。
「いいよ。じゃあ、帆波の気に入りそうなところを予約しておくよ」
「うん」
―――ヤッタ!
たまには、甘えてみるのもいいかも。
趣旨はちょっと違うかもしれないけど、なんだかとっても楽しみな帆波だった。
+++
それから暫くして、202号室の住人は海によろしくと言って引っ越して行った。
すぐに家主さんは部屋の修繕等を済ませてくれるという話なので、一週間ほどすればティナが越して来ることができるだろう。
「ティナちゃん、いつ越してくるの?」
「はい。金曜日に1日お休みをいただこうと思ってるんです。色々、手続きもあるので」
「そうね。それなら、海さんにも気付かれないし。でも、一人で大丈夫?」
「それは、お母さんが手伝ってくれるので大丈夫です」
「じゃあ、その日の夜にパーッと引っ越しパーティーやろう?その準備は、湊とあたしでやっておくから」
「すみません。えっと、海さんには」
「任せて、うまく誘うから」
―――とは言ったものの、海さんをどうやって誘おうかしら?
何か、いい方法はないものか…。
帆波は仕事そっちのけで、海を誘う方法を考えていた。
+++
そして、金曜日。
『あれ?今日はティナ、休みなのか』
毎日会社で顔を合わせられるのが楽しみだった海は、ティナが休みでちょっと寂しかったりして。
体調でも悪いのか?
携帯を見ても、メールさえ入っていない。
「海さん。今日はティナちゃん、お休みなんですね?どうしたんでしょうね。風邪かな」
ティナが何で休んでいるか知っているのにもかかわらず、帆波は知らないフリをして海に聞いてみる。
「俺には、何も連絡がないんだ」
「そうなんですか?」
「後で、電話してみるよ」
―――あらら、どうしよう…。
海さん、随分とまぁ心配している様子ね。
ここまで、演出するつもりはなかったんだけど…。
◇
『何で、出ないんだ…』
何度も電話を掛けているのにティナが電話に出ない。
好きという気持ちは変わらないが、近くにいることが当たり前になっているせいか、ちょっと連絡が取れないだけで、心配でたまらない。
『あ〜ぁ…ティナのやつ、どうしちゃったんだよ…』
結局連絡がつかないまま、仕事を終えて家路に着く。
こんな日に限って、課長に捕まって残業になるとは…。
『ん?何だ?』
暗い気持ちで玄関のドアを開けると一枚のメモが落ちていた。
「荷物をお預かりしています。なるべく早く取りに来て下さる様お願いします。
202号室の住人より」
『荷物?』
そんなものを頼んだ覚えはなかったが、預かっているというのだから取りに行くしかないだろう。
海は家の中に入らずにそのまま、隣の202号室へ行くことにする。
ピンポーン―――
ブザーを押すと中から「は〜い。どなたですか?」と女性の声が聞こえてきた。
「あの、203号室の者ですが、荷物を預かってもらっているそうで、取りに来たんですけど」
『ちょっと、待って下さいね。今、開けますから』
どこかで聞いた声のような…。
そんなことを考えながら待っていると、カチャッと静かにドアが開く。
「えっ、何で…ティナが…」
目の前には今日、会社を休んで何度電話してもメールを入れても連絡がつかなかった、ティナが…。
それに…。
「海さん、遅〜い」「遅いぞ、海」と口々に見知った顔が…。
「海さん、お帰りなさい。待ってたんですよ」
「いや、待ってたって…」
「ほら、海さん。そんなところに突っ立ってないで。中に入って下さい」と帆波が海の腕を引っ張るようにして中に入れる。
そこはすっかり片付いて、若い女の子らしいインテリアで囲まれていた。
「黙ってて、ごめんなさい。私、今日からこのお部屋に住むことになったんです。湊さんと帆波さんとで、海さんを驚かせようって」
「あ?そうなのか?だから、会社を休んだのか。全然連絡もつかないし、スッゲェ心配したんだぞ。それに俺に黙って、こんな―――」
嬉しい反面、心配させてという思いもなくもない。
それに、兄貴も黙ってたなんて…。
「海、そう怒るなって。高畑さんも帆波も、悪気があってやったわけじゃないんだから」
「そうだけど…」
「ごめんなさい。言い出したのは、あたしなんです。だから、ティナちゃんは悪くなくって…」
「いや、俺もごめん。ほんと、驚いた。ここ、いつ空いたんだ?」
海はこの部屋の住人が、越したことも全く気付かなかった。
「2週間ぐらい前です。帆波さんが、偶然この部屋に住んでいる人が越すのを聞いて、私に教えてくれたんです」
「そっか。前にティナも越してくればなんて話をしてたから、それがまさかほんとになるとは思ってなかった。だけど、これだったら逢いたい時にいつでもティナに逢えるんだ」
「だからって、高畑さんを壊すなよ?」
「兄貴に言われたくないな」
4人の笑い声が、部屋中に響き渡った。
- *** -
「なぁ、これ兄貴と浅倉がくれた引っ越し祝いなのか?」
「はい。すっごくロマンチックで、素敵ですね」
「ロマンチックっていうか、エロチックだろ」
「もうっ、海さんったらっ」
湊と帆波が引っ越しのお祝いにくれたのは、二人のロマンチックな夜を演出するスタンドライト。
実をいうと同じものを湊と帆波も買っていたとは…。
「…湊っ…ぁっん…っ…」
「今夜の帆波は、えっちだね。このライトのせいかな?」
「…ちがっ…っ…んっ…」
これから、メゾン塚田で2組のカップルがどんな恋愛を繰り広げるのでしょうか…。
おしまい
※ 206号室…湊、205号室…帆波、204号室は欠番です、203号室…海、202号室…ティナ、201号室…他の住人が住んでいるという設定です。
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※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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