「莉麻〜。お願いがあるんだけど」
「却下」
「もうっ、莉麻ったら人の話も聞かないで、つれないなぁ」
―――ひとりで言ってなさいよ。
盛大な溜め息を吐いて、隣の自分とは違う可愛らしい女の子を暫し見つめる。
どうにも憎めないこの女の子の名前は横田 綾子、莉麻こと里中 莉麻とは4年前にこの航空会社に入社した同期だった。
同じ部署に配属されたことから、公私共に仲がいい、言わば親友のような間柄。
しかし、こうやってしょっちゅうお願いをされると、そういう関係も改めなければならないなと莉麻は思う。
十中八九、とんでもないお願いに決まっているのだから。
「つれなくて、結構。もうあたしは、綾子のお願いにはうんざりしてるんだからね」
「そう言わないで、今回は莉麻にとっても悪い話じゃないと思うんだけどな」
今はお昼とあって、社員食堂はかなりの混雑だったが、綾子と莉麻はそこではなく、カフェテリアの方へと足を運んでいた。
こちらはパスタやサンドイッチなどの軽食が主だったから、それほど込んでいない。
綾子は和風きのこパスタとアイスティー、莉麻はボンゴレとコーヒーをそれぞれトレーに載せて空いている席に着く。
「それで、お願いって何なの?」
「やっぱり莉麻。お願いきいてくれるなんて、優しいなぁ」
「まだ、きくとは言ってないわよ。一応、話だけは聞いてあげるけど」
すっかりお願いをきいてもらえたと思った綾子だったが、世の中そう簡単にはいかないようだ。
「あのね、今度の土曜日なんだけど、あたしお見合いをすることになってて。で、あたしには淳(じゅん)がいるわけじゃない?」
「だったら、そう言って断ればいいでしょ?」
遠まわしに言う綾子の言いたいことは大体わかった莉麻だったが、敢えて意地悪く聞いてみる。
「そうなんだけどね。なんだか、言い出しにくくて」
詳しく話を聞くと、綾子と彼氏である淳とは些細なことで喧嘩をしたらしい。
見かけによらず短気な綾子は、やけになって知り合いから勧められた見合い話を受けてしまったというのだ。
それを知った淳はすぐに綾子に謝って二人の仲は元に戻ったのだが、今更見合い話の方を断れなくなってしまった。
と言うのが、ことの発端だった。
「そんなこと、あたしが知ったこっちゃないわよ」
莉麻は、クルクルと器用にフォークを回してパスタを口に入れる。
ここのパスタの味は会社の中といっても、かなりレベルは高いと思う。
値段も安いし、などと考えていると綾子の悲痛な声が聞こえてくる。
「そこをなんとか、ねっ莉麻〜」
「そこを何とかって、どうしろって言うのよ。まさか、その見合いにあたしに行けって言うんじゃないでしょうね」
ニッコリと笑う綾子に嫌な予感が走る。
「そう、その通り」
「その通りって…。綾子が行って、本当のことを話して来たらいいじゃない」
「相手の人ね、32歳であたし達より6歳年上だからちょっと年くってるんだけど、証券アナリストっていうの?年収1,500万だったか、2,000万だったかの超エリートなのよ。それに、写真を見たらものすごくいい男」
―――はぁ?年収1,500〜2,000万?噂には聞いたことあるけど、そんな人って本当にいるんだ…って、そこ突っ込みどころじゃあないんだけど…。
「エリートでもなんでも、あたしには関係ないのよ。それより写真見たって、綾子の写真は相手に渡してないの?」
相手に綾子の写真を渡していたら、仮に莉麻が出向いたとして、バレてしまうだろう。
「それは大丈夫。あたしは渡してないから。ね?悪い話じゃないでしょ。莉麻、彼氏いないって言ってたし、絶対莉麻好みだと思ったんだもの」
確かに悪い話ではないだろう、莉麻は相手の写真は見ていないから何とも言えないが、いい男には目がない綾子が言うのだから間違いない。
それに年収についても、申し分ないのだから。
ただ、話の本質はそこではない。
本来綾子が行くべきところに莉麻が行くということが、問題なのだ。
「そういう問題じゃないでしょ。仮にあたしが横田 綾子としてそこに行って、もしも相手の人があたしのことを気に入ったりしたらどうするのよ。実は、横田 綾子の代わりに来た友達ですって言うわけ?」
「それはそれよ。莉麻が気に入らなかったらあたしから断るし、もし気に入ったら本当のことを話せばいいだけじゃない。相手にしてみれば、莉麻でもあたしでもそんなに問題にすることじゃないでしょ?」
「そんな簡単な話じゃないんじゃないの?綾子に紹介してくれた人っていうのはどうなるのよ」
そうよ、綾子に見合い話を勧めた人にとってみれば、内緒で別人が行ったとなればいい気持ちはしないだろうし。
「それも大丈夫、見合いって言ってもね、単なる知人の紹介って程度だから。それはあたしから言っておくし、当日も二人だけで大げさに考えなくても平気だから」
―――だったら、相手の人にもそう言いなさいよ。
何で、あたしが代わりに行かなきゃならないの?
「だけど…」
「お願い。本当のことを言うと、これは莉麻のためでもあるの」
「あたしの?」
「そう。莉麻、すっごく綺麗だし、結構声掛けられてるのも知ってるけど、誰とも付き合わないでしょ?初めは単なる面食いなのかなって思ったけど、違う。自ら閉ざしてるって、感じだもの」
女の綾子から見ても莉麻は本当に綺麗で、なのに彼氏がいないのがずっと不思議だった。
社内でも目を引くほどの彼女だから、たまに呼び出されて誘われているのも知っている。
それでも誰とも付き合おうとしないのは、面食いで男を選んでいるのかと初め綾子は思ったが、どんなにいい男でも断っているのを見て、そうではないと直感した。
綾子には、何か避けているように思えてならなかった。
いくらお調子者の綾子でも、こういうところは人一倍敏感に察知する能力を備えていたのだ。
「そんなこと」
「ない?」
「・・・・・」
「いいじゃない、軽い気持ちで行ってみたら?相手の人、田村さんって言うんだけど、その人の写真を見た時にピンときたの。莉麻の運命の人になるんじゃないかって」
運命の人などとはこれまた大げさなと思った莉麻だったが、綾子の言うことはあながち否定できないところが彼女の凄いところでもある。
誰にも迷惑がかからないのであれば、こういうことも経験になるだろう。
「わかった。でも、一度きりだからね」
「ありがとう。莉麻〜」
まったく調子いいんだからと莉麻は思ったが、そんな綾子に自分のことでいらぬ心配をかけていたのだと知ると胸が痛む。
これで何かが変わる保障はないが、変われたらいいなというのは莉麻の本心だったかもしれない。
+++
土曜日の午後、場所は某有名ホテルのラウンジ。
かなり早めに着いてしまった莉麻は、これからのことを考えると憂鬱だった。
綾子に押し切られるように見合いの代役を引き受けてしまったが、相手に対してはやはり失礼という以外の何者でもない。
本当のことを言って帰ってしまおうか、それとも適当に話を合わせてこの場を治めるか…。
そんな時、頭上から声が降ってきた。
「横田 綾子さん」
「・・・・・・・」
「おいっ。聞こえないのか?横田 綾子っ」
「えっ?あっ、はい」
莉麻は、勢いよく座っていた椅子から立ち上がる。
考え事をしていた上に自分は横田 綾子ではないので、名前を呼ばれてもすぐには気がつかなかった。
しかし、フルネームで名前を呼ぶ人って…それに。
「もしかして、田村さん…ですか?」
「なんだ、その疑いの眼差しは。俺は正真正銘、田村 命だ。文句あるか」
―――文句あるかって、開き直られても…。
それにしても、この人が…。
開いた口が塞がらないとは、正しくこのことだと莉麻は思った。
※ このお話はフィクションです。実在の人物・団体とは、一切関係ありません。作品内容への批判・苦情・意見等は、ご遠慮下さい。
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