たった一週間休みを取っただけなのに…また、いつもの日常が戻ってきただけ。
なのに、なんだか別の自分になった気がしてならなかった。
「編集長、これ編集長じゃないですか?」
「うん?」
若い社員に手渡されたのは、写真専門誌のよう。
そう言えば、彼は写真が趣味だと言っていたのを思い出した。
手渡されて見ると画像処理されていて、それは写真というより絵画の域に入っていたが…。
「でも、この人絶対人物を撮らないので有名な人なんですけどね」
「この写真を撮った人、名前なんて言うの?」
「あぁ、藤堂 マサトっていう人ですよ」
「藤堂…マサト…」
―――マサト…藤堂って、名前だったの。
「編集長が知らない人ってことは、この写真も編集長じゃないってことですよね」
「えっ?あっ、うん」
確かに彼は、人物は撮らないと言っていた。
なのに、いつの間にこんな写真を撮ったのだろう?
それにどうして、ここに載せたのか・・・。
「ねぇ、この人の連絡先って書いてある?」
「えっと、最後の方にスタジオの名前が書いてあったような―――ありました」
「ここです」と言われた先をすぐに携帯画面に打ち入れた望だったが、どうしても通話ボタンを押すことができなかった。
―――電話を掛けて、どうするの?
会いたいの…とでも言えばいい?
今更電話を掛けたところで、どうにもならない。
望は、携帯画面をクリアすると頭の中をリセットして仕事に打ち込んだ。
◇
「だいぶ、お腹も目立ってきましたね?」
「そうなのよ。最近動くようになってね、元気いっぱいなの」
あの夏の日から4ヶ月が過ぎて、季節はすっかり秋の装いを見せていた。
たぶん結婚はしないと思っていたし、でも子供だけは欲しいなって思っていたから、思ったより早く願いは叶ったかもしれない。
「ちょっと休憩してくるから、後をよろしくね」
「はい。今日はとても温かくていいお天気ですからね」
「うん、ちょっと散歩でもしてくるわ。最近、体がなまっちゃって」
望は遅いお昼休憩を兼ねて、オフィス近くの公園まで足を延ばす。
木々はだいぶ色づき始めていたが、スタッフの1人が言っていたように今日はとても温かい日だった。
中途半端な時間のせいか、公園にはまばらにしか人がいない。
目に付いたベンチに腰を下ろすと、持って来たサンドイッチを頬張る。
―――なぜか、、これを持ってきちゃうのよね。
子育ての本に混ざってつい持ってきてしまうのは、マサトが自分を撮った写真が載っている雑誌だった。
『マサト…』
逢いたくないといったら嘘になる。
でも、マサトという名前以外聞かない約束だったし、あの時だけの関係と言ったのも自分からだったのだから、やはり名乗り出るわけにもいかないのだ。
まして、お腹に子供がいるなんてことを…。
彼が写真を撮るのに付き合うか、それ以外は毎晩のように体を合わせていた。
好きという感情はよくわからなかったけれど、今となってみれば好きだったのだと思う。
好きで好きでたまらない。
短期間であんなに人を好きになることも、なったこともなかった。
好みのタイプじゃなかったはずなのに…。
だから、別れるのが辛かった。
連絡先を聞けば、彼は教えてくれたかもしれない。
でも聞けなかったのは、いつか別れが来るのが怖かったから。
滞在最後の朝、望は彼だけを残して部屋を出た。
何も残さなかったのは、変なプライドがそうさせたのだと思う。
それでよかったはずなのに…。
時が経てば経つほど、彼への想いが強くなるのはなぜなのか…。
望は、空を見上げてそっと瞼を閉じた。
「マサト―――」
+++
マサトは、あるオフィスの前で一呼吸すると中へ入って行く。
「すみません、こちらに小沢 望さんという方はいらっしゃいますか?」
「はい。編集長なら今休憩中でして、そこの公園にいると思いますけど」
「ありがとうございます」
「あれ?あの人、藤堂 マサトじゃないか?」
「えっ、写真家の?」
「そう、間違いないよ。やっぱり、編集長知り合いだったんだ」
自然にマサトの足が速くなる。
―――やっと、望に逢える。
公園に着いたが、パッと見ただけでは望の姿はない。
キョロキョロと辺りを見回すとベンチに座って空を見上げている女性が目に入ったが、マサトの覚えている髪の長い女性とは違ってショートヘアだった。
ゆっくりと歩いてその場所まで行くと、微かだが『マサト』と自分の名を呼ばれたような気がした。
『望―――』
ショートヘアになっていたが、間違いなく望だった。
そして、側には自分が彼女を撮った写真が載った雑誌が広げてある。
空を見上げて目を瞑り、頬には薄っすらと涙のあとが残っていた。
彼女の頬に手を添えると、心を込めて名前を呼ぶ。
「 望 」
驚いた彼女、手に持っていた雑誌が地面に滑り落ちる。
「マ…サト…」
―――どうして、マサトがここに…。
信じられない望は、確かめるようにマサトの手に自分の手を重ねた。
「望、探したんだ。何も言わないで、俺の前からいなくなって…」
逢えた喜びで、マサトの声が震える。
「どうして…」
―――どうして、今になって逢いに来るの?
「見ていてくれたんだね、俺の写真。だったら、どうして連絡をくれなかったんだ?ずっと待ってたのに」
「そんなこと…言われても…だって、あの時だけって約束したし…」
「もう、俺には逢いたくなかった?」
「逢いたく…ない」
逢いたくないわけがないけど、望の口からは正反対の言葉が出てしまう。
「嘘、さっき俺の名前呼んでた」
「それは…」
「それは、何?俺は、望に逢いたかった」
―――どうして、そんなこと…言うの?
心が揺らぐじゃない。
せっかく諦めようと…この子と二人で生きて行くって決めたのに…。
「もう、絶対に離さないから」
マサトは望のことをぎゅっと抱きしめたが、無意識のうちに望の手がお腹をかばうように添えられていた。
「ごめん、苦しかった?」
「ううん、違うの」
側にあった雑誌が、マサトの目に入る。
「望?もしかして…」
「マサトに迷惑はかけないから、安心して」
「何、言ってるんだよ。俺の子…なんだろう?」
望は、黙って頷くしかなかった。
「3人で暮らそう」
「え?」
「望と俺と生まれてくる子供と」
嬉しいけど、望には素直に甘えることができなかった。
「俺、子供ができたからって知ったからこんなことを言ってるんじゃないんだ。望と一緒に暮らしたいから、プロポーズしに来た」
そう言ってマサトがポケットから出したのは、アクアマリンのリング。
あの時見た、海の色のように輝いていた。
望の性格上、ダラダラとした付き合いを好まないことをマサトはわかっていたから。
「でも…」
「俺の子供を生むんだから、俺を旦那さんにしてくれてもいいだろう?」
変な理論だが、それもそうかもしれない。
「私が仕事に復帰したら、子供の面倒をみてくれる?」
「あぁ、俺こうみえても子供大好きなんだ」
この人と一生を共にしたら、すごく楽しくて、そして幸せなのかもしれない。
「だったら、旦那さんにしてあげてもいいわ」
「ほんと?」
「ほんと」
「やったー」という大きな声が公園中に響き渡り、何事かと近くにいた人が振り返ったが、そんなことはお構いなしにマサトは望を抱きしめた。
もちろん、お腹を避けて。
「愛してる、望」
「うん」
「言って、望も俺のこと。好きって」
「好き、マサトが好き。愛してる」
望の薬指にリングをはめて、そっとくちづける。
ONLY YOU
ふたりの夏は、終わらない。
END
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