恋の分岐点
<前編>


創(そう)と付き合って早3年、もうすぐ29回目の誕生日が来る、そして後1年経てば30の大台に乗ってしまう。
彼はあまり自分の気持ちを表に出さない人だから、あたしのことを好きだとか愛してるなんて言葉を一度も口にしたことがない。
それでも週末は必ずあたしの家に来てくれて、手作りのご飯を食べてお決まりのようにえっちするんだけど、このえっちがどの男よりも優しいのよ。
ぎゅって抱きしめてくれて、手を握ってくれる。
絶対、人前でなんか手も握ってくれないのによ?
そして、創って名前を呼ぶとそれに応えるようにくちづけをしてくれる。
すっごく大切に扱われてるんだなってその時は思うんだけど、普段の彼とあまりに違うから、そのギャップに未だに戸惑ってしまう。
創は、本当にあたしのことを好きなんだろうか?
こんなことを何度、心の中で自問自答したことか。
それでも答えを出せなくて、ずるずるとここまで来てしまった。
もう、限界なのかもしれない。
彼にその気がないのなら、きっぱりさっぱり諦めて次の新しい恋を探さなきゃ。
これで彼からの気持ちが聞けなかったら、この恋に終止符を打とう。
あたしは、賭けとでも言うべき行動に打って出た。

+++

いつもの週末、あたしの家に来ている創、相変わらず無口だなと思う。
自慢のロールキャベツを何も言わずに食べている。
多分、好き嫌いはないのだろう。
多分なんて言い方をするのは、特に彼からそういうことを聞いたことがなかったのといつも残さず食べてくれたから。
そんな些細なことさえも、あたしは知らない。
逆に創はあたしがりんごが好きで、グリーンピースが嫌いなことを知っているのだろうか?
3年も一緒にいたのにお互いのことを全く知らなかったなんて…。
あたしは、必要以上に干渉されるのが嫌い。
彼が髪型を変えても化粧を変えても全然気付かないのと嘆いている彼女の話をよく耳にするが、あたしはそういうのを敢えて口に出さない人が好き。
もちろん、創はそんなこと一度も口にしたことはない。
似合ってなければそう言うはずだって思ってたから、勝手に似合ってるって決めてたんだけど。

安西 創(あんざい そう)とは仲のいい友達の彼氏の会社の上司ということで、偶然知り合った。
友達とあたしが会社帰りに食事でも行こうと話している時に友達の彼から電話が掛かってきて合流したのだが、さすがにラブラブな二人を見ていられなくて、創とあたしは席を外した。
せっかくだからと入ったバーで他愛もない話をしたのが、とても心地よかったのを今も覚えている。
付き合うようになったきっかけも自然の流れだった。
5歳年上の創はとても大人びて見えて、そういうところにも惹かれたのだと思う。
当時26歳だったあたしには30を過ぎた男性が、同年代の男とは違って魅力的に見えたのは確かだった。
大人の恋をしたかった。
背伸びしたくなる年齢だったのかもしれない。
初めはそれが良かったはずなのに、歳を重ねる毎に理想よりも現実の方が支配するようになってくる。
確信が欲しかった。
女って、なんて身勝手な生き物なんだろう。

そして、お決まりのようにベットで創に抱かれる。
彼はあたしがいつもより情熱的だって、気付いてくれただろうか?

+++

元々、荷物は多い方じゃなかったから、引越しは結構簡単なものだった。
もう29歳にもなるんだし、少しはしゃれた場所に住んでもいいわよね。
実家から会社に通えなくもないのだが、なんだか家族といるのが鬱陶しくなって、5年前に家を出た。
今までのところが、嫌だったわけじゃない。
創との思い出が一杯詰まった場所だもの。
そして、もう一度一から始めるの。

カーテンもカバーも全て新しいものに買い換えた。
何はともあれ、新しい生活を始めるって、すっごくワクワクするのだなと思う。

「あれ?夏樹って、家こっちだっけ?」

佐藤 汐見(しおみ)には、家を越したことをまだ言っていなかった。

「うん。先週末、引っ越したの」
「へぇ。そろそろ、安西さんと?」

この歳で引っ越しとなれば、汐見が創と一緒になると思ってもおかしくない。

「全然」
「そうなの?」

汐見は余計なことを言ってしまったなと、ちょっとばつが悪そうな顔をしている。
彼女は去年、めでたく彼とゴールインしたばかり。
同い年の彼とは、考え方や趣味がぴったり合うらしい。

「あっ、携帯も番号替えたから、後でメール入れとくね」

あたしは、引越しと同時に携帯も会社を替えて番号も新しくした。
何もかも心機一転、さすがに会社までは変われなかったけど、別の人間になったような気がしてくるから不思議だ。
もちろん、創には何も言っていない。
探そうと思えば探せるし、その気がなければそれで終わりだから。

+++

『お掛けになった電話番号は、現在使われておりません―――』

何度、夏樹に電話を掛けても帰ってくるのは無機質なアナウンスだけ。
―――番号を替えたのか?
聞いていなかった創は複雑な心境だったが、それでもすぐに知らせてくるものとさして気にも留めていなかった。
今野 夏樹(こんの なつき)と出会ったのは今から3年前、会社の同僚の彼女の友達だった。
5歳も年下なのに妙に大人びていて、干渉されるのもするのも苦手な俺にはぴったりだった。
料理も上手いし、何よりとても可愛い。
女性に対して疎い俺でも、彼女に惚れるのにそう時間はかからなかった。
俺は性格もあって、優しい言葉も気の利いた言葉も掛けてあげられない。
それでも行為の時だけは、気持ちを最大限に表現していたつもりだった。
だから、週末はどんなに仕事が忙しくても必ず彼女の家に行っていたのは、夏樹に逢えるというその想いだけだったのだ。
お互いいい年齢だし、結婚を考えないわけじゃない。
ただそれを敢えて口に出さなかったのは、断られるのが怖かったからだ。
彼女はまだ若い。
こんな30半ばになろうという俺なんかよりも、もっと同年代の若い男の方が合うのではないか。
それでも、別れることは考えられなかった。
この幸せがいつまでも続けばいい、そんなふうに思っていたのがいけなかったのだろうか…。

週末、いつものように夏樹の家に行ったが、電気が点いているはずの部屋に灯りがない。
電話が繋がらなかったから、直接家まで足を運んだのだが、どうやら留守らしい。
取り敢えず玄関の前まで来てみたが、目の前の光景に思考回路が停止した。
というのも、ドアには『空き部屋』の札が貼られていたからだった。
部屋を越す話など、一言も聞いていない。
単に越すだけなら、携帯まで解約する必要はないだろう、ということは理由がそれだけではないことを物語っている?
なぜ、彼女は俺の前から消えたのだろう。
その理由を今の俺には知る由もない。

「安西さん、どうかしたんですか?」

同僚の佐藤 俊夫(さとう としお)に声を掛けられた。
彼は夏樹の友達の今は旦那に落ち着いているが、彼女と出逢わせてくれたのは彼のおかげといってもいいだろう。

「彼女と連絡が、つかないんだ」

電話どころか、家までも越していたことを話すと佐藤はとても驚いた様子だった。
夏樹とは、うまくいっているものと思っていたからだろう。

「汐見に聞いてみます。もしかしたら、何か知っているかもしれないし」
「フラれたって、ことかもな」

何も言わずに姿を消すということは、普通に考えてそうなんじゃないだろうか?
それを深く追求しない方がお互い、いいのかもしれない。

「そんなこと、ないですよ」

佐藤は本心で言った言葉だったが、今の創には慰め以外の何者でもない。
逆に惨めになるだけのような気がしていた。

「それとなく頼むよ」

創の気持ちを察した佐藤は、ただ黙って頷くだけだった。



家に帰ると早速、俊夫は汐見に夏樹のことを聞いてみた。

「汐見、夏樹ちゃんは家を越したのか?安西さん、それ聞いてなかったみたいでさ」
「えっ、そうなの?」

汐見にもそのことについて黙っていたのが気に掛かったが、まさか創にまでも内緒にしていたとは思わなかった。

「あたしにも教えてくれなくて。昨日一緒に帰ったんだけど、降りる駅が違うから、それでわかったのよ」
「そうか。安西さんフラれたって思ってるみたいなんだよ。汐見は夏樹ちゃんから、そういう話聞いてないのか?」
「全然聞いてない。だって、あの二人すっごくうまくいってるものだとばかり思ってたし、家を越したのもてっきり一緒になるものだって思ってそう聞いちゃったのよ」
「何があったのかな」

創は口下手で、なかなか思っていることを表現しない人だったが、それでも夏樹への想いは行動に現れていたと思う。

「安西さんが知らないってことは、夏樹が意図的にそうしたってことよね。でも、どうしてだろう…」

なぜ夏樹が誰にも言わずに、ましてや彼氏である創にさえも家を越したことを話さなかったのか…。
創も知らないこととなれば、別れ話が出たわけでもなさそうだし、夏樹自身に何かがあったとしか思えない。
一体、何があったというのだろう…。
汐見はなんとか二人が幸せになってくれるよう、心の中で願うしかなかった。


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