「ねぇ、夏樹。今夜、うちに来ない?」
「え、汐見の家に?」
突然の誘いだったが、どうせ用事もないしと今の夏樹には断る理由もない。
でも、共働きの二人が夫婦水入らずのところへ自分が行ったりしたら、迷惑じゃないのだろうか?
「何か、用でもあるの?」
「ううん、そうじゃないけど。お邪魔じゃない?」
「そんなことないわよ。じゃあ、オッケーね」
正直、汐見の誘いは嬉しかった。
週末は決まって創が家に来ていたから、ひとりで過ごす夜があんなにも寂しいことだとは思いもしなかったから。
創―――。
好きだという言葉すらかけてもらったこともないけれど、それでも今となっては側にいてくれるだけで良かった。
結婚して欲しいと言ったら、創はなんと言っただろうか?
創の気持ちを試すようなことをして苦しむくらいなら、いっそ口にしてしまった方がどんなに楽だろう。
自分の身勝手な行為に今更ながら気付いても、もう遅い…。
何度も携帯に手が伸びて彼に電話しそうになるが、それをかろうじて止めるのは彼の優しさに甘えたくなかったから…。
◇
「へぇ、ちゃんと主婦してるじゃない」
汐見の家は、結婚と同時に買った新築マンション。
共働きのわりに家の中は綺麗に片付けられていて、しっかり掃除も行き届いているよう。
「当たり前でしょ?働いてるからって、俊に手抜きなんて言われたくないから」
「そういうところ、汐見らしい」
残業なのか、まだ旦那さんが帰宅する様子はなかったが、帰って来る前に二人で夕食を作ることにする。
誘ったのは汐見の方だからと夏樹はソファーでくつろいでいるように言われたけれど、さすがにそういうわけにもいかない。
夏樹も料理は好きだし、実を言うと創と離れて自分一人になってしまったら、怠け癖がついて適当なものしか作らなくなっていたのだった。
「あのさ、夏樹」
「ん?」
汐見は夏樹と創のことが気がかりで、だから今夜家に誘ったのだが、我慢できずに言い掛けてしまう。
本当は少しお酒が入ってから聞こうと思っていたけれど、俊夫が帰って来る前の方がいいと思ったから。
「安西さんとは、どうなってるの?」
「どうって?」
「惚けないで。俊から聞いたんだけど、安西さんは夏樹が越したことを知らなかったって」
「電話も繋がらないし。安西さん、夏樹の家まで行って初めて越したことを知ったらしいじゃない。『フラれたって、ことかも』、そう言ってたそうよ」と言う汐見の口調は柔らかだが、目はいつになく鋭く、夏樹の心の奥まで見透かしているようだ。
「そう」
「そうって…。夏樹、どうしたのよ。安西さんが、嫌いになったの?だから、そんな逃げるような真似―――」
「違うっ!違うの」
いずれ彼女にも、そして創にも知られてしまうことはわかっていたが、彼を嫌いになったからじゃない。
「何が違うの?彼の前から逃げたっていう事実は、変わらないじゃない」
「それは…」
言い返せない自分に腹が立つ。
創のことは好き、好きだから…逃げた…。
自分からも、彼からも…。
「汐見の言う通り。あたし、創の前から逃げたの」
「どうして?あんた達、うまくいってたんじゃないの?」
無口な彼からは一度も愛の囁きらしい言葉は聞いたことがなかったけれど、それでもうまくいっていたと思う。
どんなに忙しくても、週末には必ず家に来てくれたし…。
でも…。
「創のことは、今でも好き。でも、あたしが彼を信じられなかったの。本当にあたしのことが好きなんだろうかって。このまま付き合っていても、二人が結ばれることなんてないのかなって…。確信が欲しかったの、汐見みたいな」
「バカっ!!あんた、自分が何をしてるかわかってるの?安西さんの気持ちを試すなんて、最低っ」
パーンっという音と共に夏樹の右頬に痛みが走る。
汐見が怒るのも無理はない。
自業自得、創の気持ちを試すようなことをした自分に罰が当たったのだ。
「どうしたんだ?汐見。そんな大声を出して」
何度もブザーを鳴らしたが、応答がないから自分で鍵を開けて入って来たと話す俊夫。
側で頬に手を添えてうな垂れる夏樹にただならぬ空気を感じる。
「二人とも一体、何があったんだ?夏樹ちゃん、大丈夫?」
「何でもないんです。ごめんなさい、あたし帰ります」
夏樹はバックを掴むと俊夫の制止も聞かずに家を後にした。
夜道を歩きながら、まだ少し頬に痛みがあったが、今の夏樹にはこの痛みが一生消えなければいいと思う。
大切な友達にまで迷惑を掛けて、嫌な役まで…最低だ、あたし。
ブルルルルルル―――
ブルルルルルル―――
バックの中の携帯が鳴り出し、手に取るとそれは汐見から…。
「もしもし」
『夏樹?あたし』
「うん」
『頬、大丈夫?ごめんね、痛かったでしょ』
「全然、って言いたいところだけど、汐見ったら思いっきりひっぱたくんだもの」
わざとおちゃらけたような言い方をしたのは、彼女に余計な心配を掛けたくなかったから。
きっと、彼女の心も傷ついているはず。
『ごめん…』
「ううん、ありがとう。汐見のおかげで目が覚めた。悪いのはあたしだから、謝ったりしないで」
『夏樹』
「あたし達、友達でしょ?」
『夏樹、ありがと』
「あたしこそ、ごめんね。せっかく家に誘ってくれたのに飛び出してきちゃって」
『それはいいんだけど…ねぇ、まさかこのまま、家に帰ろうっていうんじゃないでしょうね』
―――やっぱり、汐見。
あたしの心の中まで、しっかりお見通しなのね。
「さぁ、どうでしょう?」
『こらっ、夏樹ったら。あんたって子は』
電話の向こうから汐見の呆れた声が聞こえるが、この際、無視無視。
こればっかりは、あたし自身が解決しなければならない問題だもの。
「あたし、ぶつかってみる。今度こそ、逃げないで」
『それでこそ、夏樹。頑張れ』
電話を切ると夏樹は、新しい住まいとは反対方向の電車に飛び乗った。
◇
…ったく、何なんだ?佐藤のやつ、いきなり電話を掛けてきたと思ったら、すぐ家に帰るようになんて。
それも、年下のクセに命令調で。
創はまだ会社に残って仕事をしていたのだが、俊夫からの電話で仕方なく家路につく。
それほど急な仕事が入っていたわけでもなかったし、ちょうどキリがいいところだったから。
しかし、何で家に…。
理由もわからぬまま、言われた通り創がマンションの前に着くと、そこに立っていたのは―――。
「夏樹」
彼女にこの前逢ったのは、いつだっただろうか?
そこまで長い時間逢っていなかったわけではないはずなのにそんなふうに思えるほど、久し振りに思えてしまうのは、なぜなのか。
「お帰りなさい。ごめんね、こんな時間に勝手に来ちゃって」
「いや、そんなことは構わないけど。取り敢えず、中に入ったら?」
「ううん、ここで。あたし、創に謝りに来たの。それだけだから」
「謝る?」
もしかして、別れ…を言いに来たのかと一瞬思った創だったが、そうじゃなくてホッとする…。
「ごめんなさい。創に黙って家を越したことと、携帯の番号を変えたこと」
「あぁ、びっくりしたよ。携帯に電話しても繋がらないし、家に行けば空き部屋だし」
「気持ちを試したの。あたしが創の前からいなくなったら、どうするんだろうって。あたしを探してくれるかなって」
家を越したこと、携帯の番号を変えたことでフラれたとばかり思っていた創だったが、彼女の言葉を聞いているとそうでないことがわかる。
しかし、そんな彼女の想いに対し、何も行動に出なかった創は…。
「創の本当の気持ちが知りたかったの。あたしを好きなのか、一緒になる意志はあるのか。不安だったの。創、何も言ってくれないから」
「夏樹、ここじゃなんだから家に入ろう」
今までそんな話をしたことがなかったのは、それでもいいと思っていたから。
でも、違っていたというこ…。
創の家はちょっと殺風景、そんなところが彼らしいなと今となっては懐かしくさえ思える。
「何か、飲む?」との彼の問いに首を横に振る夏樹をソファーに座らせ、自分も隣に腰を下ろす。
「そっか、それで夏樹は俺の前から消えたんだ」
「ごめんなさい」
「俺は責めたり、怒ったりしてるわけじゃない。夏樹がいなくなったのは、フラれたからだと思ったし」
「うん」
「夏樹に甘えてたっていうか、結婚のこととか考えないわけじゃないんだ。俺もいい歳だし、ただ、断られるのが怖くて…。気の利いたことも言えないし、だったらこのままがいいんじゃないかなって。それに夏樹はまだ若いし、俺なんかにはもったいない」
創がこんなふうに思っていてくれたなんて…。
初めて知った彼の想い。
だけど、もう遅かった。
どうして、ほんのちょっとだけでも素直に言えなかったのだろう。
「あたし、創が好き。どんなに忙しくても週末はうちに来てくれて、あたしの作った料理を残さず食べてくれるあなたが」
「俺も夏樹が好きだよ」
ずっと欲しかった『好き』という言葉。
最後に聞けただけでも、あたしは幸せ…。
「ありがとう。あたし、創に出逢えて良かった」
夏樹は、自ら彼の唇に自分のそれを重ねる。
想いを込めて。
「夏樹?」
「さようなら、創。ありがとう」
創の手をすり抜けるようにして、夏樹は家を出ようとする。
「ちょっ、夏樹待って。さようならって、なんだよ。俺はそんなつもりないぞ」
「これでいいの。あたしは、創の側にいる資格なんてない」
お互い好きなのになぜ、別れなければならないのか?
創は夏樹を離すまいと、腰に腕を回して抱きしめる。
「創、離して」
「嫌だ。夏樹は俺のモノ、誰にも渡さない」
―――え?
なんかちょっと、創ったら、いつもと違わない?
「やぁっ」
「こらっ、暴れるな。おとなしくしてろって」
―――暴れるなって、それは創がいきなり抱き上げるからでしょ?
軽々とあたしを抱き上げた創は、そのまま寝室に直行する。
うそ…え?やだぁ、このままじゃあたしは創と付き合えないの。
自分が許せないのよ。
「やめっ…っ…ん…」
創と一緒にベットに体を沈めると、甘いくちづけが容赦なく降ってくる。
―――あぁ、このくちづけに弱いのよね。
もっとキスして欲しいから、おねだりするように「創」って、名前を呼ぶとそれに応えてくれる。
あっ、でもダメなの。
「ダメっ」
「ダメじゃないだろう?今夜は、いつも以上にこの体に俺を刻み込んでやる。だから、二度と俺の前から消えたりするな」
「創…」
創ったら、こんなに激しい一面も持っていたの?
驚くことばかりだが、これも全てを吐き出したからなのか…。
「愛してる、夏樹」
もう一度、彼とやり直しても罪にはならないのだろうか?
我侭言っても…。
「ねぇ、今夜だけじゃなくって、ずっとここにいてもいい?」
一瞬固まった創だったが、「あぁ、いいよ。ってことは、毎日ヤッテもいいんだ」とものすごく嬉しそう。
もうっ、実はものすごくえっちだったりする?!
3年も一緒にいたのにまだまだ、知らないことだらけ。
これからは、思っていることを全部ぶつけるから覚悟してね。
『創、あたしも愛してる』
To be continued...
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