「綺羅(きら)さん。急なんですけど、今夜空いてたりします?」
「今夜?」
「合コンなんです。それも、相手はIT関連の若手社長ですよ?」と綺羅(きら)の耳元で叫くように言う後輩の合川 莉緒(あいかわ りお)。
―――何?社長ですって?
綺羅(きら)にとって社長との合コンは願ってもない話、きっと美味しいものにもありつけるだろうし、もしかしてこれで、いよいよ玉の輿にも。
「オッケー。もちろん、行くわよ」
「本当ですか?」
「良かったあ。綺羅(きら)さんが一緒なら是非にっていうお誘いだったんですぅ」と、本当に嬉しそうな莉緒(りお)。
綺羅(きら)が来るからこその若社長と言っても過言ではないくらいの相手なのだから、喜ぶのも無理はない。
―――あぁ、でもそうなるとバイトの時間を遅らせてもらわないといけないわね。
今日は、泊まり…なんて、ことにはならないと思うけど…。
そうなったら、今月の収入が減っちゃうわ。
「あっ、これ。カルティエの新作リングですか?」
頭の中でバイト料を計算している綺羅(きら)の腕を取って眺める莉緒(りお)。
その目は、まるで愛しい彼氏でも見つめているかの様にうっとりとしている。
「わかる?」
「わかりますよ。綺羅(きら)さん、いっつも素敵なブランド品を身に着けていて、すっごく羨ましいですもん。綺麗でセレブな綺羅(きら)さんは、私の憧れなんです」
「ありがとう」
―――はぁ、セレブねぇ。
そんなわけないじゃない。
うちは、田舎の公務員家庭だし。
そう思っても、イメージを崩すわけにいかないから、ロに出して言うことはできないけど…。
とにかく早いとこ、真のセレブにならなきゃね。
高碕 綺羅(たかさき きら)、25歳。
有名女子大卒業後に入社した、大手商社の超美人受付嬢である。
スタイル抜群な彼女の微笑みはヴィーナス以上と称され、それを見たさに訪れる顧客?!もいるほど、そして、身に着けているものは全てが一流品ばかり。
一部にはパトロンがいるとか、実は夜のお水ではないかとなどと噂されているが、ほとんどの人は疑うことなく彼女をセレブだと思っている。
もちろん、連日連夜、合コンの誘いが絶えないのだった。
◇
―――早く帰らなきゃ。
IT関連の若社長っていうから期待してたのに、あれじゃあセクハラ一歩手前じゃない。
合コン相手は確かにお金を持っていそうな人達ではあったが、綺羅(きら)の理想には程遠いルックスだった。
年齢的にも30を過ぎていたし、若干オヤジが入ってきていたかもしれないが、妙に馴れ馴れしくて思わず張り倒してしまそうになったくらい。
美味しいものを食べられたし、一食浮いたのは助かったけれど、バイトの時間に遅れる方が私にとっては困るのよ。
もう間に合わないから、このまま行っちゃおうかしら。
こんな時にヒールが邪魔、それにミニスカートでは大股で走れないし…と思うが、オフィスではこれがトレードマークだから仕方がない。
いつもなら一旦家に帰って着替えるのだが、取り敢えずバックから取り出したヘアバンドで髪を束ね、分厚いレンズの眼鏡を掛けるとガラスの扉を開けた。
「遅れて、すみませんっ」
時間ギリギリ、なんとか間に合ったようだ。
「綺羅(きら)ちゃん、そんなに走ったら危ないよ」
ものすごい勢いで入って来た綺羅(きら)は、大股で膝に手をあてた格好でゼーゼー肩を揺らしている。
そんな彼女に優しく言葉を掛けたのは、ここのオーナーの矢島さん。
彼は40代半ばのとても温厚な人柄で、一緒にいるとホッとできる、そんな感じの男性だった。
「ちょっと、合コンしていたもので」
「だから、いつもと雰囲気が違ったんだね?」
いつもならTシャツにジーパンというラフなスタイルの綺羅(きら)だったが、今夜のようにミニのタイトにノースリーブのブラウスなんてエレガントな服装でここへ来るのは恐らく初めてだったかもしれない。
「こんな格好でも、大丈夫ですか?」
「僕もいるし、なんなら奥さんに何か借りるかい?」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
ここは、この辺で一番大きいレンタルビデオショップ。
オーナーは趣味が高じて始めたというこのレンタルビデオショップが入っているビルを所有していて、上の階に奥様と子供の家族4人で住んでいる。
他にもブックセンターやマンション経営などをしている、実業家なのだ。
綺羅(きら)は、矢島さんの奥様からTシャツと靴を借りるとレジに立つ。
夜のお客さんはというと若い男性が多いのだが、今の綺羅(きら)を見ても全くといっていいほど反応しない。
それもそのはず、昼の顔とは全くの別人だったから。
「綺羅(きら)ちゃん。合コンって、いい相手見つかった?」
「全然。お金持ちだったんですけど、なんか下心見え見えって感じでした」
「そっかぁ。お金を持ってるってだけで、判断しちゃダメだよ?僕みたいに誠実な男を選ばないとね」
「はい。そうします」
お客さんがいるというのに笑い声が響き渡る。
綺羅(きら)がこの店で働くようになって、一年になるだろうか?
昼間は会社に勤めているのに夜間のアルバイトなど、実際やってはいけないことなのだが、こうしなければ自称セレブは装えない。
就職して3年ほどの綺羅(きら)の給料は手取りで25万円に届くか届かないか、家賃3万5千円のお世辞にも綺麗とは言えないアパートには帰ってもほとんど寝るだけで、食費は最低限に切り詰めて合コンで栄養を取るという感じ。
こんな生活を知ったら、みんなは驚いて腰を抜かすことは間違いないだろう。
レンタルビデオショップのバイトは一目につかないことと、バイト料の高い夜だけだから、ほぼ毎日入ってもそれ程もらえるわけでもない。
本気でお水の道も考えなくもないが、そこまでする勇気は綺羅(きら)にはなかったということだろう。
「いらっしゃいませ」
そんな時に一人の客が入って来たが、その顔はどこか見覚えのあるような…。
―――げっ、あの人、うちの会社の人じゃない。
えっと、名前は確か…。
そうだ!中村 紘一朗(なかむら こういちろう)さんって言ってたっけ。
受付嬢なんていうものをしていると、嫌でも顔と名前を覚えてしまう。
そこには、いい男っていう付加価値もあるんだけど…。
とはいっても、セレブ志向の綺羅(きら)には、自社の男性に興味を持つことはまずあり得ない。
彼とは直接話をしたこともないし、合コンもしたことはなかったが、受付の子達の間では人気が高いと聞いている。
でも、どうしよう…。
まさか、こんなところで会うとはね。
あの人、この辺に住んでるってこと?ってことは、結構前から会ったりしてたのかしら。
まぁ、今の彼女を美人受付嬢の綺羅(きら)だと気付く人間は恐らくいないだろうから、まず心配することはない。
そのために、こんな眼鏡を掛けてるんだから。
綺羅(きら)は注意深く彼を観察するが、この時間帯に来るにしては普通の映画コーナーを探しているみたい。
―――なんだ、つまんな〜い。
会社では澄ましてるデキルって評判の男性が、えっちビデオとか借りてたら、おもしろかったのにねぇ。
秘密を握ったみたいで、優越感に浸れたのに。
残念〜と思いながら、レジに来た別の客の対応をするが…。
―――あぁ、やっぱり…。
この人は、オタクっぽいもん。
なんて、勝手に想像するのが結構楽しいのよね。
だから、どんなに疲れていてもこのバイトが苦にならないの。
「すみません。これ、どこにありますか?」
オタクさんを手を振って見送ると、その後にいたのは中村さんだった。
どうやら、お目当ての物が見つからないらしい。
「はっ、はい。今、探してみますね」
いきなり来られて、妙に上ずった声になってしまう。
しかし、彼に手渡されたメモに書かれていたのは、一年バイトをしている綺羅(きら)でさえも見たことがないもの。
取り敢えず、パソコンにその題名を入力してみると、あるにはあるみたい。
運よく、誰も借りていないようだし。
―――あれ?でも、見つからないなぁ。
あるはずのところにないというのは、どういうことなのかしら?
一生懸命探してみるも見つからず、それにあんまり彼に近づくと素性がバレそうな気もするし…。
綺羅(きら)は彼に顔を見られないようにしながらあっちこっち探してみたものの、見つからない。
「ちょっと待っていていただけますか?」と、彼を待たせて矢島さんのところへ助けを求めに行くことにする。
趣味が高じて始めた店だから、こういうレアなものは詳しいかもしれないし…。
「矢島さん。お客さんからこれを探して欲しいって言われたんですけど、見つからないんですよ」
彼の持っていたメモを矢島さんに渡すと、「どれどれ?」とそれを覗き込む。
「おっ、随分と渋いのを好むねぇ。これねぇ、ほとんど借りないから場所を移動させたんだよね。データを直すの忘れちゃったかな?」
矢島さんは、メモを見ただけですぐに置き場所がわかってしまう。
―――さすがだわ。
後に付いてその場所へ行くと、矢島さんの言うようにちゃんとそれはそこにあった。
「お探しの物は、こちらでしょうか?」
「そうそう、これだよ。ずっと探してたんだけど、どこの店にもなくってさ」
彼は、とても嬉しそうにそれを手に取って眺めている。
余程、見たかったのだろう。
―――私には、関係ないけどっ。
「あの」
早々にレジに戻ろうとした綺羅(きら)を彼が呼び止める。
「はい、まだ何か」
半分振り返る格好で、メガネに手を掛ける綺羅(きら)。
―――こんなに近くで見られると、バレちゃうじゃない。
「君、名前何て言うの?」
「は?」
―――何で、名前なんて聞くのよ。
別に私が誰だっていいのに…。
こんなことなら、偽名にしておくんだったわね。
仕方なく、胸に着けていたバッジを彼の前に突き出して見せる。
「高碕(たかさき)さんって、言うんだ。ありがとう、助かったよ」
「いえ、見つかって良かったですね」
作り笑いを浮かべつつ、綺羅(きら)は逃げるようにその場を後にした。
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