セレブを夢見て。
2


バイト先の店に来た中村さんのことが気に掛かりつつも、いつものように受付でヴィーナスの微笑を振りまく綺羅(きら)。
相変わらずの美しさにロビーを行き交う男性達が見惚れていたが、その中に見知った顔が…。
打合わせか何かで外に出ていて戻って来たのだろう、数人の同僚達とビシッと決めたスーツ姿で自動ドアを抜けてこちらへ向かって歩いて来る。
―――うわぁっ、中村さん。
何でよりによって、昨日の今日で会ったりするわけ?
心の中で叫びながらも、綺羅(きら)は彼が何事もなく通り過ぎてくれることを祈るばかりだが…。

「あれ?君、高碕(たかさき)さんって言うんだ」

―――ギクっ。
ほとんど会話を交わしたことなどないのに何で、今日に限って人の名を呼んだりするのよっ。
動揺しているのを悟られないように綺羅(きら)は、至って冷静にいつもの笑みで答える。

「はい。私は高碕(たかさき)と申しますが、それが何か」
「あっ、いや。ちょっと、俺の知ってる人も同じ名前なんでね、偶然だなって。それに字が珍しいなと思っただけなんだ。意味はないから、気にしないで」

そう言い残し、彼は同僚達に少し遅れてエレベーターホールに消えて行った。
その後姿を目で追いながら、綺羅(きら)は『もしかして、バレた?』と思ったが、冷静に考えてみれば、街のレンタルビデオショップの店員とここにいる受付嬢が一致するはずがない。
ましてや、あれだけ容姿に差があれば、まず気付く者はいないだろうから。
―――気にすることなんて、ないわね。
付き合ってるとか、そういうことならちょっとマズイけど、別にあの人にバイトのことがバレたから、どうってこともないし。
そんなことを考えているところへ、「営業部は、何階ですか?」と尋ねて来た人がいたので、作り笑顔で対応する綺羅(きら)だった。

+++

それから、毎晩のようにバイトに行っても中村さんは店に来ることは一度もなくて、すっかり彼の存在など記憶から消えてしまいそうになっていた頃。

「いらっしゃいませ」

―――げっ、中村さん…。
再び、彼は綺羅(きら)の前に現れた。
まぁ、この前のように何かを探してくれとか言われなければ、レジで顔を合わせる程度で済む。
それくらいなら、一店員とお客さんの関係以上になることはなく、よって昼間はセレブな受付嬢をやっていることなどバレるはずがない。
しっかし、時間も時間だったから、彼も自分と同じようにTシャツにジーンズというすごくラフな格好だったけど、いい男は何を着てもいい男だということ。
無理に背伸びして一流品を身に着けなくたって、元が良ければ何を着ていたって素敵に見えることはわかってる、わかってるんだけど…。

「高碕(たかさき)さん。ねぇ、聞こえてる?」

いきなり名前を、それも全く気付かなかったが、かなり顔を近付けた状態で呼ばれていたことに驚いて、綺羅(きら)は慌ててメガネのフレームに手を掛けた。
どうにも顔を隠すクセがついていて、ついやってしまうのだ。

「えっ…はっ、はい」
「悪いんだけど、これを探してくれないかな。この店になら、絶対あると思うんだ」

とは言われても、彼に手渡されたメモに書かれていたのは、やっぱり見たことがないもの。
―――この人は、いっつもこんな普通の店に置いていないような物を好んで見てるのかしら?
取り敢えず、パソコンにその題名を入力してみると、今回も同様にあるにはあるみたい。
運よく、誰も借りていないようだし…っていうか、こんなの誰も借りないんじゃない?
またまた、助けを求めに矢島さんのところへ行くと、目を輝かせて場所を教えてくれた。
どうやら、前回と同じところにあったから、レアな物は一箇所にまとめたみたい。

「お探しの物は、こちらでしょうか?」
「これこれ、初めからここに来るんだったよ。ちょっと、離れた場所に住んでるんでね」

愛おしそうにそれを眺めている彼だったが、今の言葉からこの辺には住んでいないということ。
だから、この1年ここでバイトをしていても、一度も合わなかったのだろう。
―――それにしても、レアな物を捜し求めて、わざわざ遠いところまで足を運ぶとは、なんて物好きなのかしら?

「綺羅(きら)ちゃん、レジお願いしてもいいかな」
「は〜い、今行きますぅ」

矢島さんに呼ばれた綺羅(きら)に中村さんは「ありがとう」と礼を言うと他にも何か借りるつもりだったのか、別の棚に向かって歩いて行ったが…。

…彼女、きらちゃんって呼ばれてたけど、そういう名前なのか?それとも、愛称か何かかな。

まさか、矢島さんが呼んだばっかりにこの後、彼に綺羅(きら)が受付嬢だとバレてしまうことになろうとは、この時思ってもいなかった。

+++

―――今日は待ちに待ったお給料日、あーんどバイト料の入る日だわ。
綺羅(きら)のニンマリ顔が、元に戻らない。
時給1,500円のバイトで夜間はほぼ毎日入っていて、お給料を合わせると約40万円ちょっとの収入になるが、今月は頑張ったからもう少し多いかな。
そこから、家賃3万5千円と食費はほとんどお昼だけだから最小限に切り詰めて1万円程度、他光熱費に携帯電話代などを差し引いた分は全て一流品と消えていく。
あぁ〜今月は、何を買おうかしら?
これを考えている時が一番幸せで、安アパートに住んで昼間の仕事に夜のバイトという辛さもすっかり吹き飛んでしまう。
新作時計も欲しいけど、それを買ったら他に何も買えなくなっちゃうものね。
だからって、ローンはねぇ。
最新流行の洋服はどうしても外せないし、バックや靴も毎月同じ物ってわけにもいかないし…。
こんなことで悩むなら、やっぱり早いとこ真のセレブにならないと!

「綺羅(きら)さん、。急なんですけど、今夜空いてたりします?」
「今夜?」

「合コンなんです。とは言っても、うちの会社の人なんですけどね」と綺羅(きら)の耳元で叫くように言う莉緒(りお)。

―――うちの会社?

一瞬で綺羅(きら)の表情が曇ったのが、莉緒(りお)にもわかったのだろう。
相手が自社の社員となれば、セレブな綺羅(きら)が乗るはずがない。

「あっ、でも。イケメン揃いですよ?それに出世頭とも言われてる人達だし」
「出世頭でもねぇ」

バイトの時間もあるし、相手が自社の社員となれば、食事に連れて行ってくれる店も期待できそうにない。
だったら、お金を稼ぐ方が今の綺羅(きら)には大事。

「行きましょうよ。ちょっとだけ、ね?綺羅(きら)さんが来てくれないと、盛り上がらないんですよ」

可愛く莉緒(りお)に頼みこまれて、仕方なく「うん」と言ってしまった綺羅(きら)。
この際、相手がどうのとか言ってる場合じゃなくて、お腹を満たすことが先決かも。
―――バイトの時間に間に合うように抜け出せばいいんだし、それにイケメンって言ってたわよね?
いい男の顔を拝みながら、食事が出来ればいいじゃない。



―――もうっ、こんな時にっ!

今夜は合コンだというのに急遽お偉いさんの手伝いをさせられて、一人出遅れた綺羅(きら)。
トレードマークのヒールにミニスカートでは、走りづらいの何の。
とはいっても、これから玉の輿とはいかないまでもイケメンとの食事なんだから、そうも言ってはいられない。
綺羅(きら)は待ち合わせの店に着くと真っ先に洗面所に駆け込んで化粧を直し、髪を整える。
セレブはいつだって、完璧でないとね。

「お待た―――」
「綺羅(きら)さん、遅いですよ」

莉緒(りお)のひと言で、見知った顔とバッチリ目が合った。
―――中村さん。
うちの会社のイケメンとは、彼のことだったとは…。

その彼が、隣の席に座っていた莉緒(りお)に問い掛ける。

「きら?」
「あぁ、中村さん。紹介しますね、彼女は高碕 綺羅(たかさき きら)さんです」

…綺羅(きら)、ちゃんかぁ。
ふううん、そういうことか。

空いていた中村さんの前に座った綺羅(きら)は、不敵な笑みを浮かべた彼に気付かなかった。


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