綺羅(きら)は、心地いい眠りの中で夢を見た。
「何で、そこまでしてセレブになりたいんだよ」
―――その声は、中村さん?
握っている手から彼の温もりは感じるけど、顔も姿も真っ暗な闇の中では確認することができない。
ただ、声だけがすぐ近くから聞こえている。
「何でって…」
「無理して着飾ることが、そんなにいいか?」
「こうでもしなきゃ、誰も相手にしてくれないもの」
特に可もなく不可もなく、田舎の平凡な家庭に育った綺羅(きら)は華やかな都会の生活に憧れて分不相応なお嬢様が通う有名女子大に入学した。
とにかく田舎暮らしが嫌で飛び出して来た綺羅(きら)だったが、周りは想像以上にお金持ちのお嬢様ばかり。
家には弟も妹もいたから、私立大学の高い学費を払い、尚且つ、一人暮らしするための仕送りは学生向け格安アパートの家賃とギリギリの生活費だけ。
普通にバイトをしても高が知れていたから、到底着飾ることなどできるはずもなく…。
せっかく有名大学のお坊ちゃまとの合コンに誘われても高価なものを身に着けた彼女達の中で自分はどんどん浮いていくし、その頃からズバ抜けた美貌の持ち主だった綺羅(きら)でさえも男性には全く相手にされることはない。
いつだって素敵な男性の目を惹き付けるのは、着飾った真のお嬢様達。
いくら元が良くたって、心が綺麗だって、着飾らなきゃ素敵な男性は振り向いてくれないことをその時、身を持って知ったのだ。
―――うちが、もう少しお金持ちだったら。
何度、そう思ったことか…。
それからというもの、綺羅(きら)は人目を忍んで時給の高い夜中のバイトに明け暮れては自分に磨きをかけた。
元がいいからすぐに注目の的となり、綺羅(きら)を知らない者はいないと言われるほど、俄かセレブと言われても構わない。
将来、本当のセレブにさえなれれば。
一流商社の受付嬢になったのも、そこで素敵な男性をゲットして玉の輿に乗るため。
まぁ、なかなかいい相手には巡り合えなかったけれど…。
「そうでも、ないと思うけど」
「え?」
「っつうか、見る目がないんじゃないか?そんな世の中、外見で判断するやつばかりでもないだろ」
「そんなの綺麗事です。中村さんだって、冴えない店員より、華やかな受付嬢の方がいいに決まってます」
口では、いくらでも綺麗事は言える。
―――中村さんだって、そうに決まってるもの。
私は絶対信じない、そんな言葉。
「まぁな。あのメガネではさすがに好きにはならないけど、だからといって受付嬢の君も同じだな」
「単に中村さんの好みじゃないだけです」
「そんなこともないぞ?」
「え?」
確かに冴えない店員の綺羅(きら)を好きになる人は稀だろうけど、受付嬢の綺羅(きら)も好きにならないということは、これは好みでしかないと思うが。
しかし、彼はそうでもないと…。
「ただのセレブな受付嬢だったら、そんなふうには思わなかった。でも、両面を知ったら話は別だ」
―――それは、どういう…。
「とはいっても、君は金持ちの男しか相手にしないんだろ?一サラリーマンの俺じゃあ、ダメだってことだな」
さっきまで綺羅(きら)の手をしっかり握っていた中村さんの手が、静かに離れていく…。
『中村さん、中村さんっ待って―――』
何度も彼の名前を呼んだが、一度も返事が返ってくることはなかった。
◇
カーテンの隙間からこぽれる薄明かりで目を覚ました綺羅(きら)は思い出したように跳ね起きたが、狭い部屋をどんなに見回しても、中村さんの姿はどこにもない。
―――中村さん…。
きっと軽蔑してるわよね、私のこと。
まだ微かに残る彼の温もりを感じながらそっと手を胸に当てると、知らぬ間に綺羅(きら)の頬を涙が伝っていた。
何年振りかと思うほどしっかり眠ったせいか、その日はいつも以上のヴィーナスの微笑みを振り撒いていた綺羅(きら)。
しかし、心の中は虚しいだけ。
―――中村さんと、もう会うこともないのかな。
それでも、最後に家まで連れて来てもらったお礼だけはきちんと言っておきたかったから、綺羅(きら)は隣の席にいた莉緒(りお)が休憩に入ったのを見計らって経営企画部に電話を掛けた。
トゥルルルルル―――
トゥルルルルル―――
『はい、経営企画部ですが』
数回の呼び出しコールで電話に出たのは、若い女性の声。
「受付の高碕(たかさき)と申しますが、中村さんはいらっしゃいますか?」
『申し訳ありませんが中村は本日出張に出ておりまして、戻りは来週になりますが』
「出張…」
―――出張だったのに中村さんは、私の側にいてずっと手を握ってくれてたの?
「わかりました。それではまた、こちらから掛け直します」
「失礼します」と電話を切ると、綺羅(きら)は大きく溜め息を吐いた。
+++
―――中村さん、出張から戻ったかな。
週は明けたが、お礼を言わなければと思いつつ、もう私のことなんかという思いもあって、あれから電話を掛けることができなかった。
もう一度会って、話がしたい。
好きになっちゃったんだ、中村さんのこと。
ただ、セレブに憧れて今までお金持ちとしか付き合わなかったけど、それは自分の希望だったはずなのに相手を本気で好きになったことはなかったのかもしれない。
もう、遅いわよね。
◇
それから暫くして、綺羅(きら)はレンタルビデオショップのバイトを辞めた。
矢島さんには最後まで引き止められたけど、内緒にしていた商社に勤めていることを話したら仕方ないねって。
『寂しいから、いつでも遊びに来てね』という言葉に、たまに手伝いに行ったりも。
もちろん、あんなになりたかったセレブともさようならした。
肩肘張って頑張ったって、何も残らない。
本来の自分を見つめ直してみようと思う。
そうすれば、きっと素敵な王子様が現れるに違いないから。
「こんばんは」
ガラスの扉を開けて、久し振りに顔を出したレンタルビデオショップは相変わらずの盛況で、なんだか気のせいかオタクさんの数も増えた?!
「やぁ、綺羅(きら)ちゃん。随分、顔を見せないから心配したよ」
「ごめんなさい。夜は、早めに寝るようにしてるので」
あんなに夜中まで働いていた頃が嘘のように規則正しい生活をするようになった。
おかげで、肌の調子は絶好調。
自然な美とでもいうのだろうか、高価なものを身に着けなくたって綺麗なものは綺麗だということ。
「そうそう、今ね。彼が来てるよ」
「えっ、彼って。中村さん?」
にっこり頷く矢島さんの視線の先には、ずっと会いたくて、でも会えなかった中村さんが…。
「行っておいで、ほら」と背中を押されたけど、何かの強い重力に引っ張られたみたいに足は思うように動かない。
そんな綺羅(きら)に気付いた中村さんが、驚いた顔でこっちに歩いて来た。
会社帰りにそのまま来たのだろうか?彼はバッチリ決めたスーツ姿だった。
「辞めたって、聞いたから」
「はい。中村さんにもご迷惑をお掛けして、お礼もちゃんと言えずにごめんなさい」
「いや、いいんだけど。もしかして、俺のせい?」
申し訳なさそうに言う中村さんに、綺羅(きら)は顔を左右に振ってキッパリ否定する。
「いえ、あれから考えたんです。夢の中で中村さんに言われたように『何で、そこまでしてセレブになりたかったのかなって』」
「夢?」
「これからは、中村さんのように素敵な人を探します」
「さようなら」と言い残して、綺羅(きら)は彼に背を向けて去ろうとしたが…。
「待てって」
「えっ」
中村さんに腕を捕まれて、綺羅(きら)は反射的に振り返る。
「あのさぁ。ってことは、金持ちじゃない一サラリーマンの俺でもいいってこと?」
―――はい?!
まぁ、そういうことになりますが…。
「あの、中村さんは…」
「俺、言わなかった?『ただのセレブな受付嬢だったら、そんなふうには思わなかった。でも、両面を知ったら話は別だ』って」
「え…それって、夢じゃ…」
夢だと思っていた中村さんの言葉は、夢じゃなかった…。
そして…。
「中村さん…」
「今の君は、最高に輝いてるよ」
掴まれていた腕を引かれて、吸い込まれるように綺羅(きら)は彼の腕の中へ。
ずっと、この温もりを待ってたんだ。
セレブは夢に終わっちゃったけど、今、彼はここにいる。
もっと、大切なものに気付かせてくれた中村さんに感謝しなきゃ。
ここが店内だということも忘れ、見つめ合う二人。
綺羅(きら)は背伸びして彼の首に腕を回すと、チュッてくちづけた。
NEXT(おまけはJUNE'S CLUBにてUP)
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