商社の受付嬢をしながらも、レンタルビデオショップでバイトしていることを中村さんに知られてしまった綺羅(きら)だったが、彼は会社に言うつもりはないとはっきり断言してくれた。
それは、綺羅(きら)が理由を話すと言う条件付きだったけれど…。
―――あぁ〜ぁ、まさか中村さんにバレちゃうとはね。
絶対、気付かれることなんてないと思ったのに…。
とは思っても、こればっかりは運が悪かったというしかないだろう。
でも、話したらどうなるのかな?
綺羅(きら)が全てを彼に話したところで、どうなるのか?というか、彼は聞いてどうするの?という方が気に掛かるところ。
いずれにしても、バイトは辞めなきゃダメよね。
矢島さんはとっても優しいし、このバイトも気に入っていたのに今辞めるのは…他にバイトを探すのは大変。
会社のお給料で十分暮らせるけれど、それだけじゃあ、今までのようなセレブは装えない。
そうなると、周りの目が綺羅(きら)をどう見るか…。
『やっぱり、セレブなんかじゃなかったのね』
きっと、そう噂するに違いない。
はぁ…。
夜中までバイトしていて疲れているはずなのに眠ることが出来なかった綺羅(きら)は、部屋の電気も点けずにスチールベッドの上で体育座りをしてこれからのことをぼんやりと考えていた。
+++
『明日も朝から笑顔を振り撒いて受付嬢を務めるのか』
中村さんの言葉が胸に突き刺さるけど、そんなことは言っていられない。
―――だったら、どうだって言うのよ。
綺羅(きら)は開き直っていつものヴィーナスの微笑みを振り撒いていたが、午後になって疲労は隠せない。
結局、あれから一睡もできなかったのだから。
「綺羅(きら)さん、大丈夫ですか?なんだか、顔色が良くないみたいですけど」
隣に座っていた莉緒(りお)が心配そうに声を掛けるものの、綺羅(きら)は『会社の顔がこんなことでどうするのよ』と自分に言い聞かせると、できる限りの笑顔を搾り出す。
「そんなことないわよ?今日はフェイスパウダーの色をグリーン系に変えたの。だから、そんなふうに見えるんだと思うわ」
「ならいいんですけど、無理しないで下さいね」
綺羅(きら)の言うことを半分くらい信じて莉緒(りお)はそう返したが、いつもと様子が違うのは彼女にもわかる。
それでも何とか定時まで無事務め上げて綺羅(きら)は、中村さんとの約束の場所へ。
本当だったら、その後バイトもあるし、彼とは後日改めて話をしたかったけれど、逃げたと思われるのが嫌だった。
―――何で、こんな時に…。
体が資本だということはわかっていたから、できるだけ睡眠時間にあてるようにしていたのに、こともあろうか一睡もできなかったなんて…。
途中で何度も休みながらフラフラする体を引きずって、彼との待ち合わせ場所だった綺羅(きら)の家からほど近いところにある安くて美味しいと評判のお店へ。
セレブな綺羅(きら)には似合わないかもしれないけれどと前置きしつつ、バイトのことも考えて中村さんが選んでくれた。
しかしなぜか、彼はこの辺の地理に詳しかった。
「ごめんなさい。遅くなって」
約束の時間より少し遅れたが、彼は時間に正確なのか、先に来て待っていてくれた。
それより、綺羅(きら)はとにかく楽になりたくて、なだれ込むように向かいの椅子に腰を下ろす。
「いや、いいんだけど。大丈夫か?」
「え?何が」
惚けて言ってみたが、誰が見ても普通じゃない。
今はできるだけ明るい色のチークで誤魔化したつもりだったが、顔色はさっきよりもずっと悪かった。
「その顔は、寝てないだろ」
「え…」
―――何で、わかったのよ。
中村さんは、目を細めながら、怖〜い顔でこっちを見てる。
「ったく、夜中までバイトなんかしてるからだろうが。そんなになるまで」
「大きなお世話ですぅ」
綺羅(きら)の強がった言い方に彼は、クスッと苦笑い。
「どうする?帰って寝た方が、いいんじゃないのか?」
「呼び出しておいて、今更何ですか」
「それじゃあ、話しなんかできないだろ。取り敢えず、家まで送って行くから」
せっかくお店に入ったけれど、何も頼まずそのまま出ると綺羅(きら)は中村さんに腰を支えられるようにして歩き出す。
彼の胸は大きくて温かくて心地良かったけれど、それはどう見ても綺羅(きら)の家の方角とは違うあの豪邸に向かっていたわけで…。
―――どうしよう…。
下手に家に送ってもらうと、偽りのセレブまでバレちゃうじゃない。
バイトのことも知られてしまったのだし、理由を話す約束だったのだから今更何をという感じではあったが、あの安ボロアパートを見られるのだけは勘弁して欲しい。
「中村さん、私一人で帰れますから」
「気にするな」
「あの、そうじゃなくって…」
道は薄暗かったけれど、「ん?」と彼に覗き込むように顔を近付けられて、またわけもなくハートがドッキンドッキン暴れだす。
もう、何もかも放り出して、このまま時間が止まってしまえばいい…。
「オイっ、大丈夫か?オイっ、高碕(たかさき)さんっ」
耳元で中村さんが一生懸命、綺羅(きら)の名前を呼んでいたが、その声は段々遠くなっていった。
◇
どれくらい経ったのか、再び彼の声が聞こえてきて。
「気分は、どうだ?」
「ここは…」
綺羅(きら)が薄っすら目を明けると、そこは見慣れた殺風景な自分の部屋。
―――私、どうして…。
どうして、ここで眠っているのかしら?
それにさっきの声は、中村さんだったような気がしたけど…。
「ったく、あんなところで寝るやつがあるか」
「寝た…」
どうやら、家にたどり着く前に力尽きて眠ってしまったらしい。
―――でも、どうやって中村さんは、私をここまで連れて来てくれたのかしら?
家はあの豪邸ってことになってて、この安ボロアパートの所在は知らないはずなのに…。
っていうか、今何時?
「わぁっ、バイト行かなきゃっ」
ガバっとその場に起き上がった綺羅(きら)、時計を見ればとっくに22時を回っていた。
―――痛っ。
何するのよぉ。
中村さんに、おでこを指で小突かれた。
「こらっ、そんな体でまだバイトに行くのか」
「だって」
「だってじゃないだろ。俺が、矢島さんには連絡しておいたから。今日は休み」
「え?中村さんが、矢島さんに?」
「ここも聞いたよ。あそこは、別人の家だったからな」
中村はなんとかあの家の前まで綺羅(きら)を連れて行ったが、表札を見れば全然違う名前が。
どうしたものかと考えて、知っているのはレンタルビデオショップの矢島さんだけだったから、会員カードに書いてあった番号に電話をして聞いたのだ。
矢島さんは気を使って車で迎えに来てくれたから、なんとか彼女をここまで運んで来られたが。
それにしても、こんなところに住んでいたとは…。
とてもセレブな彼女が住んでいるとは思えないくらい、古くて何もない。
あるのは、大量に洋服の掛かったハンガーだけ。
「ごめんなさい」
「別に謝ることなんてないさ。とにかく、ゆっくり休むんだな。俺が付いていてやるから」
綺羅(きら)はゆっくり横になると中村さんの手をしっかり握ったまま、心地良い眠りに引き込まれて行った。
NEXT
BACK
INDEX
PERANENT ROOM
TOP
Copyright(c)2006-2013 Jun Asahina,All rights reserved.