勝利の女神
<後編>


試合まで、あと一週間。
ここまで来てしまうと今更どうあがいてもどうにもならないのだから、最終調整と不安要素を取り除く練習に専念するしかない。

「浜野、大丈夫?そんなに頑張っちゃって。本番まで、もたないんじゃないの?」

響子に期待されたからか、幸大(ゆきひろ)は今まで以上に張り切って練習していたのが少し気になっていた。
ひたすら球を打ち続け、手にできたマメが破れて血が滲んでいるのを知っていたから。

「平気平気。これくらいやんなきゃS工には勝てないし、万が一負けた時に悔いが残るだろ」

幸大(ゆきひろ)は心配掛けまいと両手をポケットに突っ込んだが、すかさずその手を響子が握る。

「嘘、こんなになって。平気なわけないでしょ?」

手を握られただけでも眉を歪めるほど、彼の手は痛々しいものだった。
―――ほんとは痛いくせに、強がって。
あたしが、あんなことを言ったから?
だから、浜野こんなになるまで…。

「そんな顔するなよ。俺は、大丈夫だから」

優しく微笑む幸大(ゆきひろ)が、響子には余計痛々しく感じてしまう。

「ほんと?あたしがあんなことを言ったから、浜野無理してるんじゃ」
「だから、違うって。俺は、自分のために頑張ってる」

…な〜んて、カッコつけてるけど響子のための方が大きいかな、これを言うといらぬことを考えるからな。
信じてる彼女のために勝ちたい。
そのためには少しの無理も我慢できるし、こうして手を握ってもらえるなら…。

「ならいいんだけど…。っていうか、何、ニヤついてるのよ。人が、心配してるっていうのにぃ」
「ん?だってさぁ、響子が俺の手を握ってるから」
「えっ」

「やぁっ。こっ、これは…」と慌ててる響子が可愛くて、幸大(ゆきひろ)はわざと手を強く握り締める。
ちょっと、マメが痛かったけど…。

「もうっ、浜野。離して?」
「ヤダって、言ったら?」
「ヤダって…どうしてよ」

幸大(ゆきひろ)がどうしてこんなことを言ったのか響子にはわからなかったけど、こんなふうに手を握られても全然嫌じゃない。
―――それより、わけもなく心臓の鼓動が速まって、それが手を伝わって彼に気付かれるんじゃないか…そっちのほうが、気になるわよ。

「あのさ、俺…」

「響子が好きなんだ」と言いかけて、幸大(ゆきひろ)は言葉に詰まる。
この状況は願ってもないチャンスだったけど、でも、もしここで言ってしまって断られたら試合どころではなくなってしまう。
それに彼女が何人もの男子に告られているのを知っていたから、その可能性は試合に勝つよりもずっとずっと大変なことなのかもしれない。

「浜野?」
「ううん、ごめん」

離れていってしまった手が、なんだかとっても名残惜しい。
―――だけど、浜野は何て言おうとしたのかしら?
途中でやめられて、気になるじゃない。

「ねぇ。今、何て言おうとしたの?」
「別にたいしたことじゃないさ」
「だったら、言ってよ。気になるじゃない」

案外、こういうところはしつこかったりもする?
「ねぇ、ったらぁ」と何度も何度も聞かれたが、これだけは幸大(ゆきひろ)にも言えなかった。
しつこい響子に対して、浜野は頑固だったのかも。
それでも、前に彼女が『はっきりしない男は大っ嫌いなの。○○○○付いてんでしょ?』と言っていたのを思い出して、幸大(ゆきひろ)は仕方なく折れた。
嫌われるのだけは、勘弁だから。

「じゃあ、今度の試合に勝ったら言う」
「勝ったら?」
「あぁ」

―――ってことは、負けたら聞けないってこと?
そんなの嫌。

「絶対、勝って」
「は?それは、その時になってみないとわからないだろ」
「ダ〜メ、絶対勝つの。あたしが付いてるんだもん。絶対、勝つの。言ったでしょ?信じてるって」

自信満々に言う響子。
さっきの幸大(ゆきひろ)ではないが、どうして彼女がこんなことを言ったのか、勝てば幸大(ゆきひろ)の気持ちまでも受け入れてくれるかのように聞こえたのは気のせいだろうか…。

+++

まだ残暑が残ってはいたが、試合当日は雲一つない晴天に恵まれた。
初戦とはいっても、大会屈指の好カードに休みと重なったこともあって、たくさんの地方記者や試合が始まる前から白熱した応援団が、まるで決勝戦を見るかのようだった。

「ここで細かいことを言うつもりはないが、一つだけ。勝つと信じて、最後まで精一杯やる。それだけだ」

監督の言葉に選手達は大きな声で返事を返す。
その目はキラキラと輝いていて、緊張の中にも少しだけ自信みたいなものが感じられる。
まだチームを組んで日は浅かったが、キャプテンの幸大(ゆきひろ)を中心に良く纏まっていると30代の若い監督は期待していた。
だから、必ずやってくれるだろうと。

「浜野には、女神も付いてるんだからな」
「女神?」

幸大(ゆきひろ)が監督の視線の先に目をやると、そこにいたのはマネージャーの響子。
「あたし?!」と確認するように人差し指を鼻の辺りに向けた響子だったが、周りのみんなも「うんうん」と納得したように頷いている。
―――いつから、あたしは女神になったのかしら…。

「彼女のためにも、負けられんだろ」

「なぁ、浜野」と背中を思いっ切り監督に叩かれた幸大(ゆきひろ)は、「はぁ…」と答えるしかなかったが…。
もちろん、負けるつもりなど幸大(ゆきひろ)には毛頭ない。
必ず勝って、彼女の笑顔を見たい。
そして、想いを伝えるために。



S工はさすがにこの夏、ベスト8までいった学校だと敵ながら感心させれらる。
決して、幸大(ゆきひろ)達が彼らに劣っているわけではなかったが、終始押され気味であるのは確か。
8回の表まで両校無得点できたが、ピッチャーに疲れが出てきたのだろう、連続フォアボールでノーアウト1,2塁、S工に願ってもないチャンスが訪れた。
一打出れば、点が入ってしまうかもしれない。
「しまっていこう」という幸大(ゆきひろ)の大きな掛け声が、球場に木霊(こだま)する。

『何とか、守り切って』

ベンチで記録係をしていた響子は、両手を握り締めて祈るしかない。
ここまで両校互角に戦ってきたが、力の違いが現れてきたのだろうか、相手も同じように疲れているはずなのに上手く隙を突いてくる。

「あっ!」

その瞬間、甘く入った球をバッターはすかさず捉えて打球は無情にも左中間へ。
それに加えてセンターがバウンドした球の処理にもたつき、2塁にいたランナーはあっという間に3塁を蹴ってホームへ。
ようやく戻って来た球はショート止まり、1塁にいたランナーは余裕で3塁まで到達していた。

「あ〜もうっ」

味方チームの選手を責めるわけではないが、もう少し早く処理できていれば…。
ふと、響子はファーストを守っていた幸大(ゆきひろ)と目が合った。
彼はこの状況でも冷静で、まるで響子に大丈夫だからと言っているようにも思えた。
―――そうだ。
まだ、負けたわけじゃない。
みんな頑張ってるんだもん。
あたしは何もしないでただ見てるだけ、なのに…。
響子が小さく頷くと幸大(ゆきひろ)は、白い歯を見せて微笑んだ。

その後、持ち直したピッチャーと幸大(ゆきひろ)のファインプレーもあって、S工はチャンスを生かせずこの1点止まり。
にも関わらず、幸大(ゆきひろ)達は8回の裏も無得点。
9回の表もなんとか0点で押さえたものの、この時点で1-0で負けていることには間違いない。
最終回で点が入らなければ、幸大(ゆきひろ)の学校は初戦で姿を消さなければならないことになる。

「最終回は、1番からだ。なんとしてでも、浜野まで回すこと。いいな」
「はいっ!」

今日の幸大(ゆきひろ)の成績は、3打数1安打と打線にイマイチ元気がない。
それでも、彼に回ればきっと本来の力を見せてくれるはず。
期待を賭けてバッターを見送るが、ファーストゴロにレフトフライと気が付けば、残りあと一人とい崖っぷちまできてしまっていた。

『やっぱり、ダメなの…』

弱気は絶対にダメだってわかってるけど、あと一人まできてしまうとそうも思いたくなってくる。
響子が小さく溜め息を吐くと、幸大(ゆきひろ)が最後になるかもしれないバッターにこう声を掛けた。

「お前なら、絶対打てる。必ず俺に回してくれ」

彼は大きく頷き、真っ直ぐバッターボックスに入る。
固唾を呑んで見守る選手、監督、そして響子。
一瞬、全ての音までも消えてしまったかのように思えたが、その後大きな歓声に包まれた。
気迫の一打とは、このことを言うのかもしれない。
一塁でガッツポーズを取っている彼が、とても頼もしく見える。
そして、いよいよ幸大(ゆきひろ)の出番。

「浜野」
「大丈夫、俺が響子を勝利の女神にしてやるから」
「うん、絶対ね。約束」

ニッコリ微笑んで、幸大(ゆきひろ)は光の中へと消えて行った。

『浜野、お願い。打って…。』

どれくらいの時間だったのか、目を瞑り見ていられなかった響子が我に返った時は、既に両手を上げた幸大(ゆきひろ)がホームベースを踏んだところだった。
―――え?
大観衆に包まれて、選手達は全員ベンチを飛び出して幸大(ゆきひろ)を取り囲む。
何事が起こったのか、少しの間理解できなかった響子。
混乱していたせいか、自分の学校の校歌を聴いて初めて、勝ったのだと理解できたくらい。

「勝ったの?」
「何だよ。見てなかったのか?俺の特大ホームラン」
「ごめん。見てられなかったんだもん」

「ったく、せっかくいいところを見せたのに」と、かなりショックな様子の幸大(ゆきひろ)。
―――だって…。
そんな、彼の首に腕を回して抱きつく響子。

「おいっ、響子」
「おめでとう。浜野っ」

みんなが見ていたって、構わない。
―――本当に嬉しいんだもん。

「ありがと」

恥ずかしそうに答える幸大(ゆきひろ)だって、嬉しくてたまらない。
試合に勝った以上かも…。

次の試合も、きっと勝利の女神は微笑んでくれるはず。

俺だけに。


To be continued...


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